きれいに掘り出された「外堀西面石垣」総延長14mほど(銀座通り側になります)
「外堀北岸の石垣」総延長28mほど
「東大手門跡・・・」と掘られています。
ここから33間、堀があったとかすかに読めます。
石垣の基礎はしっかりと造られていたようで、「根石が残り、胴木が据えられ、石垣に直交する杭も見られます」との解説。
この石垣の工法は、幕末以降に多く見られる「落積(おとしづみ)」という手法だそうです。
大きい石と小さい石を交互に組んでいくという、近代の積み方らしい。
ずっと、地下水が流れていました。
(この地下水を生かせば、せせらぎのある風景が残せるのにな・・・ダメダメ、こんな夢を見てはいけません。)
埋もれていた調度品など、これはやはり近代のものが多く、堀を埋めるときに「捨てられたものかもしれない」とのことでした。(いつの時代もポイ捨てはあったのね)
全景はわかりませんが「焜炉(コンロ)」と、鬼瓦の一部。
「伊賀市埋蔵文化財ニュース」より
【上野城跡発掘調査(東大手門西側)現地説明会資料】より
①
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④
歴史的に残すべき価値があるのかないのか、今の中心市街地の状況が開発すべき(開発した方が市民生活のためになる)か別の方法を考えればいいのか・・・
現地説明会に参加されたみなさんは、どんな感想を持たれたのでしょう??
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