伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

伊賀のいろいろ 伊賀の和傘 今昔物語り

2011-06-11 11:11:24 | みなさんにおしらせと独り言
ロビーコンサート開演前に行われている「伊賀のいろいろ紹介コーナー」(12:00~12:15)
第80回ということでヤオさんの登場!(ワタシの勝手なゴロアワセ)

昔、伊賀の「伝統産業」のひとつに「和傘」がありました。
「和傘」といっても「番傘」「蛇の目」など種類はいろいろ。
江戸時代、伊賀の国に赴任された藤堂高虎サマ。(1608年ごろ?)

今治から来られたお殿様、上野の台地の様子を見て「竹藪が多いな」ということをヒントに、武士の生業のために「傘作り」を奨励されたとか。
その頃から、伊賀では下級武士のアルバイトとして「番傘作り」に勤しむ武士が増えたそうな。

そんな歴史を積み重ね、伊賀にとって「和傘作り」の最盛期は大正時代から昭和10年ごろ。









「伊賀万華鏡」(濱邊貴余晴写真帖・郷土出版社)より。

大正8年に伊賀傘株式会社が創業、昭和8年には「伊賀傘商工業協同組合」が設立された。
上の写真はその当時の「傘干場」の様子いろいろ。
その頃、上野の町で傘の生産業者125軒、従業員1600人超、年額200万円、全国で1・2位を争っていたそうな。
昭和10年ごろには年間300万本作られていたが、なかには粗悪品もあってY字型に開く「伊賀のハナガサ」と言われたこともあるらしい、きっと忙しくてつい手抜きをしちゃったのでしょうか(笑)。(台風のニュースの時などによく見られる光景にあるでしょ、「わぁっ、どうしよう、雨受けになってる・・・」という絵。あくまでも、昔の一部の傘のハナシでありますので誤解なきよう。)

もひとつ、とっておきの話。
戦時中、日本の敗戦も色濃くなってきた頃かどうかは??ですが、傘に使われる「和紙」はなかなか強い、しかも柿渋やうるしなどで仕上げをするのでちょっとやそっとでは破れない。
そこで、軍の人々が考えたこと・・・この和紙を使って「風船」を作る、その中に「爆薬」を仕掛ける、それを気流に乗せて「アメリカ」まで飛ばそう!!
まさに、奇想天外そのもの。
本気で、茨城県沿岸あたりから飛ばしたらしいですよ・・・いくつかはアメリカまで届いたものの、大多数は太平洋の波にのまれた・・・らしい。
あなたは、この話、信じますか?
(ワタシは、有り得る話だと思って聞いてましたけど(笑)。)

この話、冗談かどうかはさておき、県民センターロビーの吹き抜けの階段。
これがなかなか素敵な「舞台」になるんですね~~




よもやま話、あれこれを語ってくれる八尾さん。(現・伊賀傘商工業協同組合 理事長)








戦後昭和30年以降、寄る波に逆らえず外国から入ってきた「アンブレラ」なる「洋傘」に押されてしまい、伊賀の「番傘」は廃れていってしまった、という。
ただ、「洋傘」そのものが日本に上陸したのは『咸臨丸』がアメリカから帰ってきた頃らしい。
今では、ほんまもん和紙の傘は、岐阜で細々作られているとのことでした。

伝統産業が数多くある伊賀のこと、「伊賀の番傘」「伊賀の組紐」「伊賀の焼き物」などコラボレーションして、何か発信したいですね。


では、きれいに並んだ「和傘のいろいろ」ご覧ください。

「蛇の目傘」


「ほんまもん伊賀の番傘」



素敵でしょ、雨の日もまた楽し


おまけ、ネットサーフィン結果→(ちょっと調べてみましたら、出ました! 参考:Web埼玉より「風船爆弾東へ」




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2 コメント

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Unknown (F氏)
2011-06-11 19:15:40
和傘、いいですよね。岐阜の和傘は結構有名なんですよね。以前滋賀県の長浜へ遊びに行った時、歴史的な街並みの商店街の傘屋で売っていたのは岐阜の和傘でした(結構いいお値段で、とても手が出ませんでしたが・・・)
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和装の機会が (くノ一)
2011-06-11 22:55:29
多いのではありませんか、「能管」の腕前を披露されるとか・・・
そんな折には、是非和傘などお持ちになってみては?

想像しただけで、わくわくしますよ~~
風流を感じます、ね。
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