伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

丹波篠山紀行 あとがき その1

2009-06-03 00:33:00 | 赤梟の部屋
初めての紀行(奇行?)文であり、それより投稿自体が始めてであったので、この「あとがき」を、驚きと共にありがたく受け止めている。

わたくしが崇拝する、夢枕獏さんの著書には、「あとがき」を「あがき」と書いてしまうくだりがあり、それに非常に感銘を受けた私は、「いつかこれを使ってやるぞ」と勝手に思っていた。

そして、いよいよ待ちに待った「あとがき」なのである。思えば、たかが紀行文ひとつに、4回もだらだらと書き綴ったのは、これを書く為だったのだ。

だから、その1なのである。普通あとがきという物は、ひとつの著書があればひとつだけなのである。でもわたくしは、あとがきを書く為に連載をしたのであるから、「その1」なのである。お許し下され。


そもそも丹波篠山については、町並みや町家といった佇まいや、道幅なんかに親しみを感じ、「もし、伊賀上野以外で鬼行列をやるなら此処やなぁ」とか思っていた。その頃は漠然と思っていただけなのだが、歴史や文化に伊賀上野との奇遇を感て、改めて見直してみると、なかなかに味わい深い趣きがあった。

道幅は幹線道路が5~6メートル、準幹線道路が4メートル位か。これは平均的な城下町の道幅であると聞いたが、勿論伊賀上野の城下町も同じ。

そして建物はと言えば、






同じ場所に見えない?







同じ場所に見えない?


お分かりかと思うが、篠山と上野の建物を並べてみた。

似ている。

「もし、伊賀上野以外で鬼行列をやるなら此処やなぁ」が、

「此処で、鬼行列やってみたいなぁ」

と、なったのである。

それだけである。

それだけだったのに、今回の紀行文連載となったのは、朽ち果ててゆく古き町並みや町家を、なんとかしようと頑張っている仲間たちへのささやかなお土産のつもりだったか。単に「こんなとこ知ってるでー」と自慢したかっただけなのか、自分の事であるのに、どうにも判らないが、ままよ、町造りのヒントの一つにでもなれば、、と。

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6 コメント

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くらべっこ (KICHI)
2009-06-03 16:03:24
丹波篠山^(・д・。)(。・д・)^伊賀上野
確かに似ておりまする~~~サスガッ
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元気の素 (くノ一)
2009-06-03 22:13:42
それはやっぱり「我が故郷」かな。

「私のたからもの市」待ってま~す・・・
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どっちが上野? (黒忍下っ端)
2009-06-03 22:52:46
上の写真は妻入と平入の違いがあるから、あれ?って思うとこありますけど、下の写真を見ただけでは同じ地域で撮った写真だと思いますね。
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違和感のない風景 (くノ一)
2009-06-03 23:06:07
いつも暮らしている場所、そのものみたいですね。
いつかきっと一緒に行きましょう!

「鬼行列」参上なんてどうよ・・・
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町並み (osamu)
2012-07-23 07:42:43
昨日(7月22日)のランキングIP250?から参りました。能面や建物もの解説 大変勉強になりました。伊賀上野は忍者・芭蕉くらいしか知らないのですがステキなところですね。記事を読ませて戴きながら管理者は男性とばかり思っていましたがプロフイールを拝見 女性の方とわかり二度驚きました。

私は「世間は広い」という駄文を連ねている者です。耳がよく聞こえない聾人(兼 老人)です。

3年も前の記事にコメントを致す失礼 ご容赦の程

町並みの解説 驚きました。見事なもので私も出来れば真似をしたいものです。 

とても いいブログにめぐりあいました。
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今回の紀行文は、 (くノ一)
2012-07-23 09:20:52
確かに男性(笑)、赤梟さんという知人の寄稿によります。(きこう!にもいろいろありますので、漢字変換に気を付けないと、、、)

歴史のことには大変詳しく、伊賀上野の祭りに関しても造詣が深い方です。
こうやって寄稿していただくことで、ワタシも知識が増えますが、そこはそれ、すぐ忘れてしまうという才能も持ち合わせておりまして、恥ずかしい限り。

今回コメントいただいたことで、気を良くしてきっと「天神祭」に関することも書き連ねていただくチャンスが増えるかもしれません。

今日は(24.7.23)、愛宕神社の夏祭りに出向きます、赤梟さんとも一緒になりますので、「お願い」しておこうっと、、、


ありがとうございます。
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