伊賀上野が元気になればいいなあ!

上野の城下町、どうなっていくんだろう、、、見守る元気はないけれど、静かに生きていこうと思う(笑)。

上野城の外堀跡発見

2009-06-30 18:26:31 | みなさんにおしらせと独り言
~藤堂高虎が築いた可能性~
2009年6月30日

 伊賀市教育委員会が同市上野丸之内の上野商工会議所跡地で実施している文化財発掘調査で、伊賀上野城の外堀跡を示す石垣が見つかった。藤堂高虎が城下町整備の際に築いた可能性が高く、市教委が詳しい調査を進めている。

 発掘調査は、今年3月に上野商議所ビルを解体した駅前再開発ビル予定地2000平方メートルで6月に始めた。3分の1ほどの調査を終え、外堀跡を示す深さ約3メートルの護岸用の石垣が見つかった。

 江戸時代の絵図にも残っている外堀は深さ5メートルあったとされる。外敵の侵入を防ぐため、本丸と武家屋敷を囲むように東西南北に築かれ、今回出土したのは最も長い南側967メートルの一部。1887(明治20)年に解体された東大手門の西の隣接地にあたる。

 市生涯学習課文化財係の職員は「藤堂高虎が城下町の整備を進めた際に設けた可能性が高い」と推定。その後、明治時代に入り、外堀は市街地化のため順次埋められた。

 伊賀上野城を管理する伊賀文化産業協会の福井健二専務理事は「まさか残っているとは思わなかった。絵図通りに外堀があったことを証明している」と話す。

 市教委は8月まで調査を続け、取り扱いについて専門家と協議する予定。外堀が見つかった場所は、計画の再開発ビルでは、地下1階の駐車場部分に相当し、再開発計画に与える影響について市街地対策課は「詳しい調査結果を待たなければ分からない」としている。
(平井良信)中日Webより


参考:上野城下町図(福井健二氏:伊賀市文化産業協会理事長:作図)

(東大手門付近が旧上野商工会議所ビルのあったところ)



技術者研修会 楼車蔵見学と町巡り その3

2009-06-30 00:51:05 | おまつり大好き!

「西町楼車蔵」で


説明をしてくださる吉岡氏。

1987年頃「上野天神祭」に若い力を注ぎ込みたい。そんな願いを持ったグループが町内に誕生しました。」
「これまでの殻を破って、上野の人も観光客も、見ている人の血を騒がせる祭にしたい。」
「来年も天神祭を見に来よう、と思ってもらえれば最高!」

そんなことを考えていた若者は数知れず・・・重鎮たちの思いを受け止めながら、若者が活躍できる場が町衆のみんなに認められる日が来ることを期待したいと思います。


遥か東に「上野天満宮:菅原神社」が見える。
大正時代の洋館の「上野文化センター」(右中央の建物)は登録有形文化財です。その建物を、民間事業者の田楽座わかやさんが「cafe wakaya」として改修され、営業しています。
そんな本町通りを案内してくださるのは、建築家であり町家みらいセンター会長でもある滝井氏。


町家みらいセンターとは、「町を活かす、まちに住まう」をキーコンセプトに、城下町の素晴らしい景観を後世に引き継ぐため、町家の新しい活用方法を提案し、実践することにより活力ある「まちづくり」と次世代を担うひとづくりに取組んでいる団体です。


さぁ、最後の楼車蔵見学。
「中町楼車:其神山・葵鉾(きしんざん・あおいほこ)」が待っています。




説明をしてくれたのは、町内の床屋さんの息子さん山本氏。
楼車の後に見えるのは、本祭で楼車の前を行く「しるし:菊慈童」(由縁はもちろん謡曲:菊慈童から。推定年齢700才とか・・・)

若い人がこうやって我がだんじりの説明をしてくれる、重鎮でなく「若者」であることに担い手が育っているんだなと嬉しかったです。

今回の「祭屋台等製作修理技術者会研修会」無事に?終わったことを報告してお仕舞いにしたいと思います。
決して表に出ることのなかった人たちの協力のお陰でこの研修会は終わりました。
関係者プラス陰の功労者のみなさま、ほんとにお疲れ様でした。