散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

水の中には何がいた?

2005-07-27 18:52:39 | 思考錯誤
風車を見にシュヴァルムタールという街に出かけた。 
羽の無い風車は既に引退して長く、改修され現在は市の展覧会場になっている。そこで3人展を11月にすることになっているので、部屋の様子を確認する為に揃って出かけた。用事を済ませて後、皆で散歩でもしようかという話になり、来ていた役所の人に聞いてみると、近くに湖があるといって、わざわざ親切に先導案内してくれた。

                               
          ハリック湖は細長くてなかなか大きい湖で湖畔には
          濃緑色に塗られた可愛らしいコテージが10件ほど並
          んでいたり、ボートやカヌーを借りて遊ぶ事も出る。
          こんなコテージを 2,3日借りて、読みたい本数冊
          ノート数冊パンと野菜とワインを買い込んでぼんやり
          と過ごすのも悪くないかもしれない。 
          一緒に歩いていたロシア人の知人は「こんなところに
          ダーチャだ!」と懐かしそうに眺めている。確かに
          そんな風情がある。彼は子供の頃住んでいた家は水辺に
          あったらしい。にわかに当時の思い出が湧き上がった
          らしくそれまで寡黙だった彼はいきなり饒舌になった。

しばらく歩いたので湖畔の軽食堂で休憩を取る。外のテラスに座って手が届くほどに近い水面をジッと眺めていたら眠くなってしまい、周りで話す声もゆらゆらゆらゆらとゆれ始めて消えそうになった。あわててコーヒーを 2,3 口飲んで目を覚まそうと一人ひっそり睡魔と戦っていて、体勢を変えて空を見上げれば鈍い真珠色がやはり催眠効果を持っている。コーヒー一杯では全く抵抗できない。 指で無理やりに瞼を引き上げながら、最近気候に左右されてすぐ疲れる。頭の中がスポンジになってしまったように感じる。。。。 というようなことを話したら 四方から同時に「何時までも若くは無いんだよ!!」とコーラスで攻められてしまった。
それにしても水面を眺めていると気持ちよく眠くなると思う。

帰り際、知人の一人がふざけて
大きな枯れ枝が水面に見え隠れ
しているのを指差し「あそこに鰐がいるぞ」
と言ったので、どれどれどこにと騒いでいたら、
通りかかりの人たちまでも集まって来てしまったので、  
笑って誤魔化しながら、こそこそとそこを立ち去った。                 
             
          ドイツに鰐なんか冗談にもなら無いと思うだろうけど
          それが案外そうでもなかったりする。 
          飼いきれずに 困って湖に放り出してしまうケースが
          あって意外な物が潜んでいたりするらしい。ライン河
          で 1メートル程の鰐を目撃! なんていう話もあり、
          生暖かい工場排水のおかげで ドイツでも鰐が越冬
          可能だとかの実しやかな話がある。  

たまたま昨日のTVニュースで見たのだが、何処かの湖には仔犬を食べてしまった体長2メートルの鯰が棲んでいる。市民の安全の為にそれを釣り上げようと燃えている釣り士の話しによると、化け物のような鯰らしい。又、網で魚をすくっていら
”すっぽん”が揚がり、咬まれて大騒ぎになった話もあった。すっぽんは今動物園に拾われて平和な生活を送っているが(平和。。だと思うんだけど湖で人を脅かしながら野性的に暮らしている方が良かったのかもしれない。)巨大鯰の方はまだ湖底を徘徊しているらしい。2メートルとはなかなかすごい。奴は口も大きいから、ガバッと来たらかなり怖い。

”ハリック湖で鰐出現 ”というニュースが明日あたり出るかもしれない。
ひょっとして 色々な 変なものが棲んでいるらしいと想像するのは楽しいけどね。

匂いの雲

2005-07-26 12:30:57 | 思考錯誤
 

雲が徐々に 厚みを増してきたが まだ空は明るい。雨の匂いが 濃くなってきたので降らぬ内に買い物をすませておこうと外に出てみれば空気はすっかり蒸しあがっていて、湿気が私の体にポットリ乗りかかってくるので重い。気圧の急降下で身長が1センチは縮んでいるに違いない。湿った空気の所為か、私の体の中からにじみでる水分の所為か妙にべたついてくる。  少し 歩いてある道を曲がると角に大きな泰山木があるのを知っている。 花は夏に咲く筈だが通りかかると蕾だったり、散った後の果実があるばかりであったり、泰山木はそこにいつも立っているのに花一つに出会うのがなぜか難しい。 その角を曲がる時にはいつも

“ こ こ を 曲がる と タ イ サ ン ボ ク ” と頭の中でつぶやく。そして今日も“その角“を曲がった。その時ふわりとその強い香がしたので“ ああ。咲いている ”と立ち止まり木を振り仰いだが、枝のどこにも輝く白い花はなく狐につままれたようになった。匂いの正体が他にあるかと見回したが、それらしきものは見当らない。気の所為だったのかもしれない。 

又しばらく歩くと店立ち並ぶ表道路に出る。すると 今度は 針葉樹を切った時のあのさわやかな目の覚めるような匂いがする。あんまり鮮やかな匂いなので思わずまた立ち止まってあたりを見回すが、匂いの出所はまたもや不明だ。こういう空気が湿った日に匂いは湿気の粒子のなかに閉じ込められ、雲の様な塊となり空間を漂っていて、私はそれにぶつかったのかもしれない。用事を終えて部屋に戻るとラベンダーの匂いが少し重たげな甘さで私を迎えた。これだけは気のせいではない。友の庭から摘んできた一抱えもある花の束が強く香っている。

今外はにわかに暗くなり突風が吹きはじめた。木の葉がざわざわと予告している。

私のうなじが静電気を帯びているかの様にちりちりと疼き始める。もう臨界点を越えて重みに耐え切れなくなった雲は

今、思い切り水分を放出し始めた。

 


。。。このところ毎日のようにこんな天気。暑くはないが
くらい鉛色の空から雨が落ちてくる。   湿気は高い。


7月24日14時35分

2005-07-25 17:35:20 | 美術関係
。。。。に個展が始まった。(”35分”は見間違え、書き間違いではない。なんとなくそうしてみたまでの事。思惑通り、開始時刻をすぐ覚えたと反響あり。)

雨模様だし人出は少ないだろう。晴れたら久しぶりの晴れだから人出は少ないだろうと踏んでいたら、この小さい画廊にしてはよく集まったようだった。

今回は95%ドローイングの展覧会。それもサイズがDINA4と枠があった。
人が多くて作品はお客様の背中にひっそり隠れてしまうので見えない。
この写真右建物は市の美術館で、いま現代家具デザインの展覧会中。
この古色蒼然たる外見と”ポップな家具”は中に入るまでイメージ不能。
この建物はP.Cuyperという建築家の手になるもので、アムステルダムの国立美術館も手がけたと聞いた。この美術館の横、写真手前に小さな画廊が張り付いた形になっている。
ドイツからも来てくれた知人友人には特別感謝!

関連ブログ
関連過去記事

“箱”

2005-07-23 23:30:43 | 思考錯誤
私の仕事部屋の棚には箱がたくさん並んで増幅中だ。厚みのある額も言って見れば箱であって、そんなものを今までに100は作っているし、”額”というカテゴリーで語れば、私はれっきとした額屋ではないか?というほどの数を作った。思えばなんだかしょっちゅう入れ物を作っているような気がする。
物を入れるための器。
保存する、収集する、仕分けする、整理する、展示する、隔離する、保護するための器。
“箱”と言ったら基本的には我々が取り扱いできる程度の大きさを指すのだと思うが、そこから広がって本を整理するための“本棚”、洋服や食器をしまう為の”洋服箪笥“、”食器棚“ なども箱の延長だ。
すると人が快適に暮らすためにある“家”も加える事が出来るかもしれない。

“箱”の魅力は又、“蓋”があることでいっそう増す。蓋を開けなければ当然中身は見えないので、好奇心が目を覚ます。ちょっと触れれば開けられるとしても、すぐに開けない。
持ち上げて重みを計る、耳元で箱を振って、物が中で動く音を聴く、
鼻先に持って行きにおいを嗅ぐ。 まあ、箱を舐めるまでは私もやらない。
それを開けて覗いたときの驚き。それがたとえ期待外れでがっかりしたとしても、“箱を開ける楽しみ”がある。やはり前もって不吉を感じてもパンドラの箱はどうしても開けてしまうだろう。

箱に入れた本のオブジェを作った。上面はガラスをはめた。するとそれを手にとってイライラする人が居る。”これ中身が見たいんですけれど、どうやって開けるんですか?”
”いいえ、これは開きません”と私。”でも中に入っている本はやっぱり読まれるためにあるんじゃ無いですか?”
読まれてしまったら、めくって見たい好奇心はめくり終わった瞬間に消えるかもしれないので、開かない箱に入れた。 本自体にもっと思い入れがあればそんなことはしなかったかもしれないけれど。。

兎に角“箱”の中に物を入れることで、その“物”は日常空間から隔離され、ある特別の意味を持ち始めることがある。
試しに机の上に食べかけのパンが乗っていても誰もなんとも思わないだろうけれど、それが箱の中に鎮座していると誰の食べ掛けか?何故パンの齧りかけが箱の中にあるのか?と途端に意味を探り始めたりするわけだ。
別に箱に入れた物体が突然変異を起こすわけでもないのに、観察者の”物”に対する距離を変えてしまう。
マルセル デュシャン やジョーゼフ コーネルの箱のなかにオブジェの収まった作品は魅力的だ。
そういえば私の気に入っている作家、阿部公房に"箱男”という作品があった。かなり昔に読んだきりなので細かい記憶は怪しいけれど、社会的アイディンティ喪失した彼は、箱に入ることで変身をとげて自己を確保する。箱の中から外界を覗く事でバランスを取る事が出来るわけだ。
いつもの事で話がだんだん微妙に脱線してきそうなので箱の蓋を閉めることにする。

”箱”の中には何が入っているのか? 


これは去年の夏の写真。友人のMは思い立って箱女になった。。。。
というわけではなく、雨が降ってきたので、そこに丁度落ちていた箱を無造作に彼女は被った。
私は、すぐに"箱男”の話をしようと思ったが、面倒くさくなって”似合うねえ”といいながら、カメラを向けた。

歩く木

2005-07-21 17:38:07 | 読書感想
真夏の午後は怪談。。。という事で、ひとつ。
1910年代に多数のドイツ恐怖幻想小説を書いたハンス・ハインツ・エーヴェルスの「カディスのカーニヴァル」という小品がある。
舞台はカーニヴァルで賑わうスペインのカディスという街。
この日ばかりはあでやかに装う人々で、広場は楽しげな笑いさざめきにあふれている。
その中央広場で大きな"木”がのろのろとすべるようにで動いていることに人々は突然気づくのだ。
誰か中に入っているんだ、仕掛けがあるんだろう。。と人々はその現象の理屈づけに躍起になる。そして彼らの笑いは次第に引きつり、こわばり、次第に消えていった。
黙々と道を往復し続ける"木”は回りからの注目を全く無視している。
次第に人々の恐怖感はフツフツと怒りに変わり、やがて襲い掛かって"木”を切り倒してしまうのだ。ただそれだけの話。
ちょっとばかげた話だ。"木”はただそこに突然いて、動いていただけであり、誰にも”物理的”な被害を与えてはいない。"精神的”な不快感だけだ。
我々は未知の物、理解不能、不条理な物に出会うとまず驚き、恐れる。
自衛手段だから仕方ない(?)。
時に理解を超えてしまうと怒りが頭をもたげるか、またはそれを認識する事をやめる。

しかしこのばかげた話には何の裏も隠れてはいないような気がする。ただ、こんな事があったら怖いよね。という舞台をイメージして見せただけのような気がするのだ。

特に面白い話とは思わなかったのにもかかわらず、歩く木のイメージはしっかり根をはやし、
そこはかとなくユーモラスな話の中にちゃんと”怖さ”が底に潜んでいたのに気がついた。

ところでHanns Heinz Ewers(1871-1943)はポーやワイルドの後継者と自負していたらしい。一時流行したが、彼のテーマ性は多々非難を受け、後ナチ時代にあってユダヤ人迫害に反対した為、葬り去られた作家らしい。とはいえ”木をなぎ倒す”に”ユダヤ人排斥”を透かすのはうがった見方かもしれない。
しかしフランスやアメリカ幻想文学には影響を与えているという事だから面白い。"アルラウネ”"吸血鬼”が代表作。

私の住む町にHanns Heinz Ewers愛好会が存在するのをつい最近インターネットで見つけた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
話は脇にそれるが、
この話の中で人々は"ナルド”という名前の花と赤いカーネーションを身につけている。
そして"ナルド”は"月下香”だと説明している。
"月下香”-Plianthes tuberosa-夕闇によい香を放つ白い花だ。
ここで"ナルドの香油”というものが聖書に出てきたのを思い出した。
この植物の香油ならばさぞよい香だろう、と思って調べてみたら違う植物だった。
それはNordostachys jatamasiでネパール、ヒマラヤ原産の薬草で、鎮静剤として使われるという。
アーモンドのような香らしい。
怪談から脇にそれた話は"ナルド”という言葉の持つ魅力に導かれてスペインのカディスからネパール、ヒマラヤ方面に飛んでいってしまった。
ただいまヒマラヤ上空飛行中。

ミクロコスモス

2005-07-19 19:23:41 | ミクロ界
ミジンコという名前はいかにもミジンコらしい。ミジンコという名の響きが子供にころからなんとなく好きだ。その頃近所の友達と遊んでいて、鬼ごっこに自分達よりも小さな子供が混ざるとその子供を"お豆”と呼んでいて、それは小さな子供を気遣う暗黙の了解だった。私はある"お豆”をある時"ミジンコ”と命名しなおした。今思えばそのほうが似合う、くるくるとよく走リ回る子供だった。
ジャズ界の鬼才坂田明氏もミジンコファンだそうだし、ミジンコファンは世の中に案外存在するらしい。
今私の隣で瞑想している水亀”ジロウ”が500円玉サイズだった頃、毎週熱帯魚屋にいってミジンコがわんさか入った袋を餌として買ってきた。それは大きくて赤みがかった養殖ミジンコでチビ亀はミジンコに向って果敢にアタックをかけパクついていた。
休眠卵で難をしのぐミジンコの生命システムはなかなか興味深い。私にもそんな技が出来たらいいのになあ。
ミジンコファンの一人である友人Aも上手に育てる。彼女が公園の池のミジンコを捕まえに行くというので、その池の水を見たいと言っておいた。早速 "この水はあんまり生物がいないようにみえる”といいながらも池の水を一瓶届けてくれたので顕微鏡で一滴ずつ覗いてみた。いるいる、一見何もいないような水の中にも案外色々な微生物が住んでいる。
緑藻の種類、アメーバ、太陽虫が一種類、藍藻、ミジンコ、珪藻、繊毛虫の種類などが見えた。べつに珍しいものではないけれど見るたびに面白さは新鮮だ。
米粒形の小さい奴等がすごい勢いで回転しながらひゅーっと通り過ぎる。スクランブル交差点を上空から眺めているかのようだ。透明アミ袋のような奴はじんわりといったふうに歩いていって何か食べているらしい。たぶんその周りに繊毛を生やしている透き通った”まん丸”は、ピュッピュッと方向を変えながら、あっと言う間に視界から消えてしまう。その動きはSF映画に出てくるUFOみたいだ。あれ、さっきのアミ袋はなんだか珪藻の脇で休憩しているのか動かなくなった。珪藻は薄茶色のガラスブロックのように光っている。緑藻の緑の粒粒はなんだか美味しそうだ。抹茶味の飴にも見える。
緑藻の種類。他にも丸い緑や黄色の粒が固まっているもの見えたが、もっと倍率の良い顕微鏡でなければ上手く写真は撮れない。
ミジンコの子供。一見水しか入っていない壜の中をしばらく眺めていると、埃のようなものがチラチラ泳いでいたので拡大して見たらなんとミジンコの子供だった。撮影後すぐさま水の中に戻したら、ちゃんと元気に泳いでいる。一口にミジンコといっても色々な種類がいるようだ。このミジンコはいかにも代表的な姿をしている。
アオコの原因である藍藻の種類。これは増殖するのが滅法早い。あっという間に水の表面を点てたばかりの抹茶のようにしてしまうのだ。壜の中でもすばやく天幕を張ろうとしている。

肩が凝ったのでソファーに座ってお茶を飲みながら、自分がこの壜の中で泳ぐミジンコ級のサイズに縮んだらどんな世界を散歩できるのかと想像力を働かせてていたら、ふうっと眠ってしまった。

謎の生き物

2005-07-18 16:22:06 | 自然観察
ある朝、私が仕事机の前で作業をしていて何気なく目を上げた時、テラスを左から右にひょこひょこと横切るものを目撃した。瞬事の事ではっきり何だったか確認できず、私の作業の手は止まった。ひょっとして鼠?しかもあの大きさならドブネズミ?でも色は茶色っぽかった、鼠ならあの小さい足を細かに動かして脇から見ているとツ~ッと糸で引かれて行くような動きだ、あれは絶対にひょこひょこだった!今見た映像を頭の中で繰り返し巻き戻しつつその生き物が消えたあたりをしげしげ眺めたが、もう何も潜んでいる様子は無い。何者?
今から数週間前の話だ。この話はその日のうちに友人知人と、それはやっぱりドブネズミだ、ウサギだ、モルモットだ、隣の家の猫の子だ、チンチラだ、野鼠の巨大化突然変異だ、キメラだ、といいながら想像(妄想)大驀進したのだが、内心ドブネズミだったらいやだなと思っていた。夏になると野鼠が開け放したドアから家の中に入ってくる事がある。入られてしまうと追い出すのにバリケードの板を持って汗だくダンスをするはめになる。(どういうダンスだかは想像に任せる)奴はかわいい様子をしているけれど家の中に住まれては非常に困る。

さて、昨日の夕方の事。
コンピューターの前に座ってほぼ半日作業をしていたので、散歩でもしてきたほうがいいだろうと用意をし、玄関のドアを開けると、丁度私の運動靴のつま先あたりに子ウサギがうずくまっていた。
何で又!こんなところにどうやってきたの?(我が家はこちらで言う1階だが、じつは日本で言う所の2階。ちなみに日本の一階はこちらでは地上階)ここに放っておいたら、隣の猫に捕まっちゃうよ!
ちょっと苦労の末、何とか捕まえて近所の草原に放したら、ぱたぱたぱた。。と走ってあっという間に草むらに消えてしまった。
実に可愛かったので,思わずこれを飼ったらどうかなあ?餌は何やるんだっけ?籠が必要だね、ケーブル齧られるから用心しないといけないんだな、と瞬間心が忙しく動いたが、我が家にいるよりは外が幸せだという事でわかれた。

・・・という事で、やっぱりテラスを横切った謎の生き物は95%ウサギだったようだ。
後の5%は想像(創造)の楽しみ。 

影を堀る

2005-07-17 20:19:28 | 思考錯誤
K-esさんの“影“にふれた記事を読んでいて思い出した事がある。


エッセンという街の外れにMeteorit という名のいわゆるエネルギー科学館のようなものがあって、その中に一つ円形の部屋がある。
中に入って数秒後に目のくらむようなフラッシュがたかれ、その時にとった自分のポーズが壁面に焼き付けられて30秒ほど残るのだ。
つまり壁に塗られた特殊塗料が光を励起する。壁面全体にフラッシュがたかれた瞬間に私が作った影部分だけが反応せずに壁に残るというわけだ。その影は私から切り離されてまとわりつかない。これは頭ではわかっていてもなんとも妙な気持ちにさせる。両手を上げて凍りついた影に私は右手をピストルの形にして近づいて行く。こうなってくると私の影なのに、私の物では無くなってしまうのだ。
私はこの部屋がいたく気に入って、何度も自分の影を壁に焼き付けて遊んだ。

それにしても影は実体よりも存在感を持つ時がある。
だから私は影が気になって仕方ないのでそれを写真に撮って見る。
昨日も撮った、今日も撮った。
私は写真が上手でないので思うように撮れず、後で見るたびに“なあ~んだ、ただの影だった。。。”と毎回思わなければいけない

影に思いを馳せていたら、私はふいに“影を掘る”という作業をしている自分を想像してしまった。
その影は、水を含んだ真綿の様にしっとりと重たくて、掘っているうちに私はその影の重みで引きずられてしまい掘った穴の中にはまってしまう。
妄想は八方に向かって繰り広がって行くのだけれど、私に文才はないから、是非”影堀の話”を誰か書いてくれないものかと思う。そしてそれをよんで確認してみたい。
影が何故そんなにおしゃべりなのかを。

掘り起こした影を引き取ってくれる人募集中!

過去記事"影狩り” :影についてのメモ書き。)

留守番電話は嫌いだ。

2005-07-15 00:47:26 | 思考錯誤
夕方帰宅すると電話機に赤いランプが点ってピカピカと注意を促している。
面倒だなあ、と聴かずにいるとその傍をとおり過ぎるたびにシグナルは早くなるようだ。
思い切って消してしまうような勇気はないし、困った電話がある可能性を考えて見るが、そんな事も今の所無いのでメッセージを聴く。
“え~~~っと、へへ、えっLだけど。いないのかな?う~~ん。。。こちらはLとBだけど、忙しいのかなあ今日そっちの方に行くかも知れないんで寄ろうかなあって思ったんだけど夕方で。。旅行してるの。。居ないのかなあ都合悪い。。今夜襲うみたいな話だけどもし午後にでもこのメッセージ聞いたら、えっと電話してくれる?そうしたら嬉しい“ブツッ。。。。。と4時間前のLは電話に向かってしどろもどろ喋っていた。聞き終わってすかさず電話をするとLは“いやあ~留守電に喋るのって苦手でね~、Bがかけたんだけどアッ留守電って、僕にいきなり渡すんだからさ。”という。

LとBは友達をよんでバーベキューをすることになっていたが、相手の具合が悪くなって、中止になった。朝からLは張り切ってイカのライス詰めや、マスカットやチーズを詰めた鶏肉などを仕込んでいたので、さてこれをどうしたものかとイカを鳥腿を両手に呆然としていると、こちらの顔が浮かんできたらしい。そういう浮かび方はいい。大歓迎だ。これからもどんどん浮かんで欲しいものだ。
私はとりあえずビール数本買って来て冷蔵庫に突っ込む。鴨が葱背負って。。。ではなくて美味しいものかついでやって来たのはミュージシャンのLと、繊細な作品を紡ぐアーティストのBだ。(Lは夏場はツアーやコンサートがないらしい。かの有名な「Sunny」を書いたBobby Heppとも仕事をしている。)
気候の所為かいつも深としている木曜日の夜だが、夜中になっても談笑する声が八方から聞こえてくる。楽しく美味しく日は暮れた。お開きとなり片付けものをしながらウロウロしていると、また電話は赤いピカピカシグナルを出している。あれっ?さっきメッセージ聴いたのに何でまだ光っているのだろう?と見ると電話をくれた人が居たようだった。時々我が家の電話はいきなり留守電に切り替わる事がある。楽しいひと時を邪魔しないように気を利かせてくれたわけではない。何故そういう事が起こるのか不明である。メッセージは残っていなかった。誰なんだ?

時々あるのだが、いきなり大声で歌ってくれたり、習いたてのフルートで覚えた曲が調子っぱずれで入っているというのは聴く方はなかなか複雑な気分で、相手の意気込みに打たれて私は受話器を持って直立不動で拝聴することになる。
反対にこちらが録音するとき、緊張のあまり相手の名前を言うところを自分の名前を入れてしまったこともあり、後で散々からかわれたのは言うまでもない。それがしっかり相手の電話機に収納されて場合によっては何度も再生される事を考えると嫌になる。
アッ留守電だと思った途端、エッ~っと、うううんと、が数分間に乱用されて、これじゃ何を言ってるのかわからないなと思いながらも、吹き込まれてしまったとっ散らかった言葉はもうこちらから追っかけて行って消すわけには行かない。

ひゅるひゅるっと巻き戻しができるといい。

留守番電話は嫌いだ。

地中海風午後の楽しみ

2005-07-14 18:22:25 | 思考錯誤
青い空に、ポカリと浮かぶ白い雲。日差しは痛いくらいに強い。
こういう日はあの家並みの向こうの方には、青い海原があり白い砂浜はまぶしく輝いている。。。と簡単に思い込む事が出来る。私の妄想は次第に現実感を増し、砂浜の足跡、それを追うように消してゆく波。心地よく塩を含んでしっとりと重たい絹のような浜風、とその匂い。地球の呼吸のような波の音。ザザーッと寄せて返す時に、パチパチパチと無数の砂粒を巻き上げる音が耳元に聞こえ始めた時、
電話が鳴った。
「今から庭に来ない?赤フサスグリを取らないと鳥に全部食べられちゃうわ」
。。。というわけで、地中海の海辺から急遽友人の庭に出かけた。
友人の庭はまるで”秘密の花園”のように色々なものが茂っていて、アチコチの隅に幾つか別世界に導く小さな門が生えているかのようだ。 水遣りはポンプ井戸 なので、かなりの重労働を強いられる。彼女の旅行中この庭の面倒を見た事が何度かあるが、軟弱な私は帰りに自転車に乗る時上手くペダルに足が乗らないくらい疲れた。

井戸の水は冷たい。口に含むとかすかに鉄臭いが、その水をティーポットに汲んで小さな火を熾し、そこいらに生えているミントを一握り沸かした湯の中に突っ込む。何しろ薪を割ったり火を熾したり、ワイルドな状況だったのでこの場合”突っ込む”というのが正しい。間もなく、緑の美しいミントティーが出来上がった。これはとても美味しくて、飲めば体の隅々までミントの生命力が浸透してゆく感じだ。
ミントといえば古代ギリシャでは客人があると食卓にミントを飾ったという。
足元をふと見やると、黒と黄色の粋な模様のお召し物に身を包んだ小さな客人が来ていて、旺盛な食欲を見せている。一心に食べているので、いたずら心でつついてみたけれど、お構いなしに食べ続けている。
お茶が済んでから、赤フサスグリと黒スグリを摘むことにした。
赤フサスグリはルビーの玉房のようで美しく、摘みながら地面に膝まづいて木漏れ日を透して輝く赤い宝石を崇める。黒曜石のような黒スグリは、一掴みポイと口に放り込むと酸味と甘味が程よく折り合い、しまいに独特の香が鼻腔を通り抜けてゆく。赤スグリは完熟してもかなり酸味がきつく、昔、それを知らずに一房分口に放り込んで顔中凋んでしまった。
"秘密の花園"にはラベンダーの大きな株が4つ大きくこんもりと薄紫の起伏を作っている。
薔薇の香とラベンダーの香が空中で絡み合って、風が吹くたびに庭中をかけめぐる。
ラベンターの花穂を一抱えも切り取りしばし抱えていると甘い香にうっかり眠ってしまいそうになるが、花蜂たちがブンブンいいながら起しに来るので、あわてて花束を籠に放り込んで、もう一度ミントティーを飲んで目を覚ます。
Lavenduela afficinalis:
古代ローマ人はラベンダーの花に湯をかけてエキスを抽出し、風呂にいれたという事だ。
ラテン名Lavendduelaは 洗うという意味の"Lavare"を含んでいる。心臓、肝臓の病にはラベンダーワイン、またはラベンダー水を飲むとよいとされているらしい。(Pysica,Hildegard von Bingen)
あっという間に夕飯時になって、お腹もすいてきたのでお互いに収穫物を担いで家に帰ることにした。
帰り際友人は「これ、晩御飯の付け合せにどお?」とズッキーニの花付の若い実を2つ、私の籠に添えてくれた。今夜はやはり地中海風リゾットかなあ、と忙しく頭の中で献立を思い巡らせつつ帰路についた。
(7月10日の出来事)
追記:
結局”ズッキーニ蕾つき”はオリーブオイルで焼き、塩コショウで戴いた。
”地中海風XXX"など作る元気も時間も足りなかった。

紡績工場跡

2005-07-13 15:38:40 | 移動記録
エンゲルスキルヒェン市のワッペン


昨日は、2時間程電車に揺られてエンゲルスキルヒェンという街に行った。
緑濃い中を電車は川沿に走る。暑い日でもあったので水遊びする沢山の子供が木陰の向こうに見えかくれし、裸で泥遊びに興じている。少し離れた所に大人たちは日光浴を楽しんでいる。
全くのどかな夏休みの景観だ。
後で聞けばこのあたりは雨が多いらしい。そのせいか緑は濃く深い様子をしている。

私はすっかり小旅行気分になっていた。
目的地には観る物が実に少なかったが、それでも知らない町を歩くのは楽しい。
駅を降りると、山の中の凹みに街がぽこっとはまっている感じだ。
そこから歩いて10分かからない所に、産業博物館がある。
1837年にテキスタイル工場が創立され、水が豊かな地形が手伝い1900年には水力発電が導入され、綿の紡績産業が花開き、そして1979年の紡績産業危機に倒れた。
創立者はマルクスと社会主義の体系を構築したフリードリッヒ エンゲルスの父親(やはりその名もフリードリッヒ エンゲルス)である。
街の名前はそれにちなんでいるというわけだ。
長男フリードリッヒは父の後を継ぐことになっていたわけだから、当時、この工場内を歩いた事もあっただろうなあ、などと感慨深い思いで歩いてみた。
マンチェスターにあった父親の綿工場に働きに出されて、その地に広がる貧困にショックを受け、以降父親のレールから外れて行く事になるわけだ。


建物群は今では、継ぎ接ぎされ改装され、博物館、役所、その他幾つかの事務所が入っている。

ところでこの街に私はいにしえの紡績産業に思いを馳せに行ったわけではなく、エンゲルス所縁の地を訪ねる為に行ったわけでもないでもない。
その建物群の中の一つに”昔の綿の倉庫”があり、産業博物館の一部で、特別展の展示室に使われる。そこでのグループ展の打ち合わせに出向いただけのことだった。

ここ数日ほんの少し体調崩し、頭は水を吸いすぎたスポンジのようだし、目はゆですぎた玉ねぎみたいになって、打ち合わせが終わってお茶を飲みに行く話しを断り、駅前の食堂の外に出たテーブルでリンゴジュースの炭酸割りをグイッとあおり帰路につく。
なんだかものすごく疲れてしまった。

今日もよい天気らしい。今年のドイツ夏は上出来だ。
とはいえ、アチコチで大雨の水害や山火事が相次いでいる。
こうしてのんびりしていられる事をありがたく思う。

ヘスぺリス達の林檎

2005-07-11 04:32:50 | 自然観察
ヘラクレスはある時懲罰として12の難題を受け、その中の一つは”ヘスペリス達の黄金の林檎”を盗みエウリティウスに届ける罰だった。
この林檎の木はゼウスとヘラの婚姻の祝いにガイアが送ったもので、歌好きなニンフ”ヘスペリス”たちによって見張られ、百頭の龍ラドンによって守られていたにもかかわらず、ヘラクレスは金の林檎を手に入れる。それ以降のエピソードは2つのバージョンがあるのでここでは割愛する。

ニンフ達とモンスターに守られた金色の林檎の図は中々魅力的だ。
林檎と言う果物は色々な話に出てくるので面白い小道具だ。

ところで金の林檎。

去年の夏オランダ国境近くに住む知人の家に夏の夕暮れを楽しむために出かけた。
彼らの庭には数本の果樹が植えられている。その中の一本には黄色と言うよりクリーム色に近い輝くような林檎がたわわに実っていて、思わず私はヘスペリスたちの林檎を連想した。
皮はとても薄く実も柔らかく、日持ちがしないので、収穫してもすぐに使わない限り傷んでしまうと言う事だった。落ちている実を拾い上げて指に力を込めると指が果肉に食い込んで崩れてしまうが、食べてみると思いのほかさわやかな薄い甘みの美味しい林檎だった。
夏の夕暮れ時の魔法も加味されていたのかもしれない。
木の下に立つとよい香がする。
見上げているとふと妙なものが目に止まった。
それに気がついた知人がやってきて”ねっ、面白いよね、これ。これは蜂の巣なのよ。”という。

林檎の実にまずまあるい穴を開けて少しずつ果肉を掘り出して中をすっかり空にする。
彼らが果肉も食料としながら掘り進んだのかどうかは知らないが、上手く皮だけを残して彼らの作った蜜蝋で強化している。
良く見るとまだ一家お住まいの家もぶる下がっていて覗くとブンブン騒がしい。
蜂の”巣”と言うより”家”といった方が相応しい。
私はこんな”蜂の家”を始めて見たので驚きもし、感心もした。他の林檎の木では見た事が無いので、このクリーム色に輝く林檎は特に具合の良い素材であるのに違いない。
他の林檎の果肉は固そうだからこんな家を掘るのは大変な作業になるだろう。
紫檀を掘るかバルサを掘るかの差がありそうだ。
かなりの勢いで掘りまくるのだろうか、腐ったりせずに紙風船のようにからからで蜜蝋の匂いがするだけだ。
私はその小さい妖精のランプのような風船をガラス壜の中に入れてもらい大事に持ち帰った。
一年経った今でもまだ甘酸っぱい匂いと蜜蝋に匂いが残っている。
今年も多分蜂の家が木にブンブンと実っている事だろうから、そのうちに又見物に行って見たいと思っている。

宝箱の中身 II

2005-07-09 01:11:13 | 収集物品
透明な塊の中に
美しい色が流れ込んで固まっている。
手に取るとひんやりとして、光にかざしてみたり、
息を吹きかけてシャツの袖で磨いて見たり、
頬に当ててその冷たさを味わって見る。
なんだか、なめたら甘いキャンディーのようにも見える。

ひところ毎週末には暑い日も、寒い日も、晴れの日も、雨の日も
蚤の市に出かけてクタクタになるまで歩き続けた事がある。
蚤の市情報誌というのがあって、全国の蚤の市日程が把握できる。
最近は残念ながらあまり堀出し物が無いが、当時は面白いものがあって病みつきになった。

ムラノガラスの花瓶にも色々なデザインがある。
流行があるのでどれもを欲しいとは思わないが、この四角張った棒のような花瓶は一目で好きになった。
50年代から60年代にかけてのデザインだ。
花瓶といっても一厘ざしである。
高さは12cm程で5cm角。
色の重なり具合、色の入り方、大きさ、形などがチェックポイントで、
それによって値段は異なるのだそうだ。
私のコレクションは傷もあれば完璧な模様ではないので、
たいした値段では無く安い物だが、それでも私はたいそう美しいと気に入っている。

他にも2,3持っていたがプレゼントしたりして、今ではこの3本だけ残っている。
この中で一番”出来が悪い”らしい赤と緑の組み合わせが好きだ。

短冊に願う

2005-07-07 16:22:23 | 思考錯誤
私はあせっていた。
展覧会の案内状をレイアウトして発注する役目
。。を引き受けてきてしまったのだ。
急にはさまった展覧会だったので時間も十分でなく、
早く印刷屋に出さなきゃいけない、
とあせっていた。
何度も見直して誤字脱字がないかと確認している筈なのに、
出来上がりを見た途端、なんと短い文面に何箇所も誤字があったのを発見してしまった。
一瞬力が抜けて、葉書の山に何度も頭を打ち付けた。
椅子から落ちた。
床を叩いた。
”本当は先方の仕事なんだから、私のせいじゃないぞ!”
立ち直る為に責任転嫁を利用する事にした。
私が本来キチンとやらなきゃいけないことは
展示の方なんだから。。。
教訓:失敗しても床を叩かない事!(叩いたところに釘が落ちていて痛かった。)

今日は七夕。
短冊に願いを書くとしたら
「もっと注意深くなりますように!」

2度と繰り返さぬようここに記す。

宝箱の中身 I

2005-07-06 00:51:27 | 収集物品
ある日ある店のショウウインドウでこのアクリルのボールを見つけて、フラフラッと店内に入ってしまった。
なんだか手に取ってはいけない気がして、体を動かして四方八方から眺めていると、店の女主人がやって来て、「ほらきれいでしょ、手にとって御覧なさいよ。」とこのボールをむんずと大きな片手で掴みドンと私の差し出した両手に乗せた。

どうやったらこんな風に完璧なタンポポの綿毛を樹脂の中に埋め込む事がが出来るのだろう。
細かな気泡さえも出来ていない。
綿毛部分もキチンと開いて折れてもいない。
まるで、野原に生えていたタンポポの綿毛周辺の空間をそのままスポット抜いてきたかの様で、域を吹きかけたら飛びそうにさえ思う。

手上の玉は私の感激熱で温まり初めているし、私の財布には偶然にも値札の数字とほぼ同じだけのものが入っている。
でも今日はこれで買うものが他にあった筈だし、どうしよう。
ええい、どうにでもなれ!
私は両手に暖かくなったタンポポの綿毛の氷漬けをもってレジに向かい、これを貰いますと告げた。
                 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみにこれは英国製。直径10cm位の球体。
もう一つ後にアザミの入った玉も見つけて持っているが、このタンポポの魅力にはかなわない。