散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

12月26日

2006-12-27 11:56:58 | 美術関係
クリスマス二日目はまだ祭日だから街は店が閉まっているのでしいんと静かなものだ。
美術館によっては開館しているので、WuppertalのVon der Heydt美術館に出かけて見ることにした。ライオネル・ファイニンガーの前期作品と彼の友人達を巡るテーマの展覧会が目当だった。
ファインガーがドイツに到着して間もなくから、その後一年ほどで作風が急激に変化していったようだ。その辺りを追いながら鑑賞するのはとても興味深かった。
ファイニンガーといえばあの独特なプリズムを通して覗いた風景のような作風が特色だ。
今回、中で気に入ったのは1914年 ”Umpferstedt Ⅰ”、1918年 ”Bruecke in Weimer”、1927年 ”Duene am Abend”。
ターナーの影響がうかがえる"光”が描かれている。
ファイニンガーは音楽家の父親は音楽家であった。彼自身音楽を好み自ら演奏や作曲をした。やはり"音楽家”のクレーとはたびたびアトリエに持ち込んだ楽器を演奏して楽しんだらしい。




Wuppertalからさほど遠くない所にNevigesという町がある。
ここには1968年 建築家 Gottfried Boehm ゴットフリード・ボームの建築した”マリア-平和の女王”巡礼教会が建っている。
テントをイメージして作られ、それは巡礼中である事を表しているのだそうだ。
もちろん、マリアが現われた言い伝えも残っているらしい。
この地域はプロテスタントが大半を占めているので、中にポツンと巡礼教会が立っているというのが珍しい。
ところで、この教会、ファイニンガーの絵の中から抜け出してきたかの様だ。
ファイニンガーが見たらなんと言うだろうか?

西洋サンザシ

2006-12-26 09:55:28 | 植物、平行植物
散歩をしていたら、真っ赤な実をふんだんに垂らした西洋サンザシが美しかった。



この実は食べても大丈夫だが酸いばかりで甘みが少ない。
食べ物が不足していた時代にはこの実を乾かして粉にし、小麦の代わりにしてパンを焼き、種を集めてコーヒーの代用品に使ったという。
サンザシパンか。。。なんでも一度試してみたくなる私なので、そのうちに実を集めて見たい気持ちだけれど、パンが焼ける程の粉を作るのにどれだけの種を集めなければいけないのか?と想像したら、めげてしまった。

サンザシといえば、プルーストの”失われた時を求めて”のなかで西洋サンザシが深い意味を持って表れるのを思い出した。
気になって調べてみれば"スワン家の方へ・メゼグリーズの散歩道”の章である。
白い花の咲くサンザシの生垣のなかに薔薇色の花咲く木が一本混ざっていて、主人公はそれを一人だけ祭りの正装をした少女の様だと感心して近づいてゆくと、思いがけずその花の向こうに少女を見つける。
主人公はサンザシの花を愛しており、サンザシの向こうに見えるのは彼の初恋だ。

白いサンザシの花は地味であるが、5月ごろの庭の生垣や林の日溜まりにこんもりと泡のように咲いているのは、楚々として愛らしい。
薔薇色の花のサンザシは園芸種で八重花、色も派手になっている。

心臓疾患、血液障害に対しての働きがある。
木の幹は硬く道具の持ち手などに利用される事もある。
他の効用としては邪気払い、呪い除けというものがあるのが面白い。

5月1日に、サンザシの露で顔を洗うと美人になれるといういわれがあるそうだ。聖なる木でもあり、アイルランドではサンザシが三本以上輪になって生えている場所には妖精が集うという事になっている。

我が家のテラスにも西洋サンザシの小さな苗があって、毎年毎年、今年こそはと待ち焦がれているのにまだ一度も花をつけない。

今日の御飯は。。。?

2006-12-25 09:50:35 | 飲食後記
今年は、クリスマスの気分は一つも沸いてこなかったし、友人たちと集まる話もしていないし、料理のことなども考えていなかった。3日間店は休みになるから、その間の食材を買い走ったけれど、ただそれだけだった。
それでも、作っているうちにちょっとご馳走に見えてきた。
近所にオーストリアから出稼ぎに来るチーズ屋さんが月に一度屋台を出す。種類は多くないけれど、美味しいチーズとハムを持っていて嬉しくなって、つい沢山買ってしまったのが残っていた。チーズ屋のおじさんは『私のところはオランダからも注文があるよ。』と得意そうだ。
確かにオランダはチーズの国だからね。
標高1800mで自由に草を食んでいる牛たちのお乳から作ったチーズや、やはり1800mに住んでいる山豚の肉を使ったハム。サイロに餌は発酵しているので味にかかわるそうで使わないのだそうだ。兎に角しばらくは山で幸せに暮らしている牛や豚たちなのである。
自分の持っている商品は全て味見させてくれる。
前菜はチーズ2種類と洋梨のスライス。そして薄く削ぎ切った山豚のハム。
冷凍してあったラズベリーとレモンの皮をちらした。
テラスに元気なルッコーラがまた生えているのを発見したので、それも添えた。


 魚の切り身を買っておいたので、それを適当にいつものようにソテーにしておなかに詰めてしまおうという程度に考えていたのだけれど、マンゴールドが一束あったので、”白身魚のマンゴールド巻き柑橘果物とクリームソース”に進化した。
ソースはバター、生クリーム、白ワイン、レモンの皮、レモンの汁、オレンジの汁、カルダモン、コリアンダー、ナツメグ、月桂樹、塩、胡椒。。。思いついたものを放り込んだ。


 コンファレンスと言う種類の洋梨。 香高く美味しい。ワイン煮。
(相棒担当)


さて、冷蔵庫の中に後は何が入っているのか?
今晩は何を作るか?

冬至

2006-12-22 12:26:28 | 思考錯誤




今日は一年の中で一番日が短い。
しかし、明日から少しずつ日が延びてくる。
もちろんまだ暗い日々は続くけれど、それでも気分は良い。
闇の森の中から光が芽を出して、日毎にぐんぐんと伸びて光の森に生まれ変わる。。。
昨日、歯の定期健診に行った後、見つけた蝋燭には梟の絵が線彫りになっていて、そそこに紅い絵の具が埋っている。綺麗なものだな、と思って一つ買った。
帰る道で、これは自分で作っても面白いなあ、と考えて早速通りすがりのドラッグストアにて白い蝋燭購入。こういう事になると私は行動がいきなりすばやくなる。
あまり綺麗に出来なかったけれど、一応それらしきものが出来上がった。納得。
プレゼント用に幾つか作るのは楽しいかも知れない。

ケーキを焼く

2006-12-21 13:36:24 | 飲食後記
久しぶりにケーキを焼いた。
料理や食べ物の話を私はよく書いてしまうけれど、これが実はそれほど好きなわけではなく、食べる方がすきなのかもしれない。
レシピを考えるのは大好きなのだ。
香辛料の組み合わせなどは実に楽しい。
しかし料理が嫌いかといえばそうでもなく好んでやることもある。
この手のケーキは作るのも食べるのも嫌いではない。
ラム酒に一年間漬け込んだ(物を漬けるという行為は好きな作業)干し果物がたっぷり入ったケーキで、焼きあがった所でラム酒が入ったシロップをドボドボとこれでもいいのかというほどにドボドボとかけまわすので、かなりしっとりと重たくなっている。
見てくれは素朴そのものだけれどかなり贅沢なケーキだ。
この手のケーキは飽きがこなくてアレンジの仕方でちょっと表情が変わるのが良い。
ヴァニラアイスクリイムを添えてもいいし、マスカポーネチーズにホイップクリイムを混ぜたものをポトッと脇に並べても良い。もちろん美味しい紅茶の香を楽しみながらスッと一切れ切り取って、行儀などそっちのけで手づかみで頬張るのもいい。

焼きたてよりしばらく時間がたったほうが美味しいのだけれど、味が落ち着く間も無くすぐに消えてしまいそうな予感がする。
一切れ試しに食べてみたら、我ながら上出来と自分の肩を叩いた。
ラム酒の香がする一切れはしっとりとほろっと口の中で崩れて、噛みしめると干し果物が適度な歯ごたえを与えている。
フルーツケーキは色々な祝い事に使われるけれど、これは冬至祝いに食べることにした。
本当に美味しいのです。


インク求む

2006-12-20 07:52:30 | 思考錯誤




プリンターのインクが切れたので買いに出かけた。クリスマス前のかきいれ時、人員を三倍くらい増やしたのじゃ無いかと思うほどで普段は彼等を捕まえたくて捜しても中々見つからないのに、立ち止まっただけで店員がスッと寄って来た。
それは良いのだけれど彼等はあまり愛想もない上商品知識レベルに問題あり。
プリンターの機種番号を言っても店員Aはピンとこないばかりか、そんな機種は無いとか、聞いた事も無いなどと抜かすのだ。
『それは、何年前のプリンターですか?。。。古いんでしょ。とっても古いんでしょ。かなり。。。』私のプリンターは2年ほど前に買った物だ。
私個人としては2年といったら、新品とは言わずとも、"わりあい新しい”という範疇に入れている。しかしこの世界は違う時計をはめているんだね。
店員Aいわく『そりゃあ、古い。超古い。新しいプリンター買った方がいいです。古くてそんな名前も知らないようなプリンターのインクなんて誰も買いに来ないから仕入れないわけです。もうそんなインク売ってませんよ。』・・・・売ってるってば。インターネットで注文できるってば。。。(実はいつもはインターネットで注文しているのだが一つだけ早く手に入れたかっただけなのだ。)
どうやら最新機械の事しか彼は勉強していない事が段々わかってきた。
早々退散体勢に入るが、店員Aは口角に泡飛ばしつつも"古すぎる”プリンターの不利をあげつらうのだが、かと言って新しいプリンターを売りつけるのに熱心なわけではない。変な奴だ。インターネットで注文するのが手っ取り早いらしい。
プロフェッショナルな店員求む!

DVDの棚を眺めていたら昔TVシリーズで楽しみに見ていたSherlock Holmesがあったので買ってしまった。このシリーズのシャーロックホームズは実に凝っている。細かい背景に目を凝らしながらながら楽しんでいる。室内の小物や衣装など隙が無い。
日本では12月31日まで無料でインターネット見る事が出来るが、残念ながら日本国内のみ視聴可能なので海外からは見られない。ここではそういったサーヴィスはまだ出てこないのでやはりDVDをそろえるのがいいらしい。
ついでに、この間から聞いてみたかったSerggio MendesのTimelessを見つけた。
これも中々いい。仕事中のBGMに軽く元気で良いかなと思っている。

冬至まで後二日。
光がやっと闇を押し返し始める。

山岳地帯

2006-12-18 23:32:16 | 思考錯誤




昔、昔、その昔。
ヴィガネッラの長老のおばあさんの、そのまたおばあさんの、そのまたおばあさんの。。。と数えるのも億劫なほどに昔の話のことです。
ヴィガネッラは山に囲まれた村で、人々は質素にしかし不満も無く生活していました。
しいて言えば、山向こうの村祭りに招待されて山を越えなければいけないときや、山向こうの大きな村での大きな市場に行かねばならないときなど、四方八方を囲む山が憎たらしいと時々思うくらいなものでした。

ある日のこと、村の鍛冶屋の息子が
『あの山ったら、邪魔臭いなあ。あんなもの天辺の方をみんなでよってたかって崩してしまえばいいんだ。そうすりゃあ、隣村に行くのも楽だし。あんな山目障りでうっとうしいじゃないか。』と言いました。
丁度そこに居合わせた村の若い衆がそれぞれにうなずきながら賛同したのは、多分悪魔が手伝っていたのに違いありません。
なぜなら鍛冶屋の息子はグータラの厄介者で、普段誰も彼のいう事などに耳を貸さないからです。
彼の父親は村で唯一の代々の鍛冶屋でした。
鍛冶屋は山の神様から窯の火を貰っています。
窯の火はもう、ず~っと昔からそこにあって、鍛冶屋が火を絶やさぬよう守る事は大切な仕事なのでした。
ところがこの息子はそんな事にはお構いなく、水の入った鉄釜をひっくり返して火を消してしまいそうになったり(あわやと言う所で、火種の子供を助ける事が出来ましたが)、怠け者で父親の言うことなどには耳を貸さず、遊んでばかりいるのです。
兎に角村人たちは鍛冶屋の息子の戯言をどういうものか同意して、早速山を削り始めました。

しばらくしてある日、山の頭が3分の1位も大分削られた頃のことです。
夜中にゴゴゴ~と耳を劈くような地響きがあって、地面が大揺れに揺れました。
まるで嵐の海に浮かぶ小さなボートのように家々が揺れました。
(最も村人の中には海を見たことのあるものはいませんでした。)
村人は息をひそめてまんじりともせず夜を明かし、薄明るくなったと同時に村の広場に集まりました。
大声を出せばまた地面が揺れるとでもいう様にヒソヒソとした話し声で広場は埋まりました。
いきなり鍛冶屋が言葉にならない大声を出したので、村人全員が揃ってそちらを見ると鍛冶屋の指差す先には山がそびえて居りました。
そうです、それは削られた山でしたが、元のとおりに聳え立っているのです。
いや、元のとうりどころか更に高くなっているようです。四方を見回すと他の山もついでに高くなっているのでした。
村人達が山を削ったのを山の神様が怒ったのは言う迄もありません。
山の神様は、村を山の影で包んでしまったのです。。
井戸の底に落ちたようになった村は、冬の間今でもお天道様の恵みを受ける事も出来ずにいるということです。

。。。。なあんて言うお話は無い。

昨日のニュースでは、北イタリア山岳地帯の小さな村   Viganellaは冬の83日間はすっかり山影になってしまうので、その間日照時間ゼロなのだそうだ。
そこれ村人は考えた。山を削って。。。。ではくて、それは大きな鏡を設置して、鏡で太陽光線を反射させて村に届けるというものだ。
40平方メーターの表面積を持つ鏡が設置された。
この反射鏡は30年間持つという事で、ほぼ100,000ユーロかかったそうだ。
この反射鏡を維持するのにも随分お金はかかるのだろうな。他に問題は起きないのだろうか。。。
とりあえず、とりあえずは皆満足の様子だ。

イタリアの山岳地帯も行ってみたいところが幾つかあるが、この反射鏡も見物してみたいものだと思う。
ピエモントは美味しい物が沢山あるしね。

アザミ

2006-12-17 19:52:46 | 植物、平行植物



カメラを持って久しぶりにゆっくり散歩をした。

今年の冬は異常に暖かい。
第3アドヴェントだというのに今日も7度程もあった。
おかげで風景が青々している。
春先になってから冬気候がのっそりとやってくるなんて事があったら嫌だ。
しかし、嫌だといっても、こればかりは嘆願書が届かない。

畑道を歩いていると、今頃コモンマロウの花が畑の隅に沢山咲いていたので驚いた。

道端に大きなアザミの立ち枯れ株が沢山の実をつけて立っている姿は花火のようだ。
まわるいイガイガ坊主たちが楽しい。

アザミの種類で大部分のものは食べられるのだそうだ。
若い草はゆでれば棘も気にならず、てんぷら、あえもの、油炒めにしていただく。
芽、葉、根を食用に出来、根は湯がいて米のとぎ汁で一晩さらして灰汁抜きをしてきんぴらにする。

春先の新芽は野原に行ったら何処にでもお目にかかるから、来春はアザミの若芽摘みをしたいと思う。

笑う話

2006-12-14 18:31:11 | 思考錯誤


けらけらと楽しそうな笑い声を聞いて思わずつられて笑ったり、笑いを引き起こした素を知らないくせに引き込まれて笑ってしまう事がある。
笑い声をキャッチすると笑顔に使われる筋肉が自動的に刺激されるのだという話を読んだ。

あるイギリス人科学者は被験者に笑い声、歓声を聞かせて、笑顔を作る筋肉を操る一時運動野を観察した。
するとその部分は反応して、笑い行為に釣り込まれるのが確認されるのだそうだ。もちろん被験者達は何故笑っているのかを知らない。
その上ミラー・ニューロンもその辺りに見つかるという。ミラー・ニューロンは色々な感情を表した言葉に反応し、中でもとりわけ楽しい話に反応度が大きかったという事だ。
こういう話は単純に野次馬的に面白いと思う。

言葉に反応して大きく感情を揺さぶられる事もある。
その辺、想像を膨らませて考えて行くと”言葉”というものは面白いが中々難しくて厄介でもある。普段何気なく使っている言葉であり、誰もが扱っているわけだけれど、気持ちを100%を伝達する事は不可能である。
不用意な言葉で知らず知らずに傷つけたり誤解を生む事は常に起こる。
その曖昧さで救われているところもあるかもしれないけれどね。
個人的に、伝達の難しさを最近何度も考えさせられている。

話がずれてきたので軌道修正。

もう一つ、別の研究者の笑いを扱った実験だが、被験者にコメディを見せた後と、戦争映画を見せた後の動脈の血行状況を調べると楽しいものを見た後は血行がよく、これは健康を保つのに役立つ。

だけれど、これも個人差って大きいように思うなあ。
笑いというのはそれほど単純なものではないと思う。
一日15分も笑う日がどれだけあるだろうか?
単純に腹を抱えて笑える話や映画に最近お目にかからないしね。
ただ笑ってみるというのも良いそうだけれど、ちょっと不気味でもあり、一人で笑った後でちょっと困った気分になるだろうから止めておきたい。

兎に角日ごろ適度な運動と15分間の気持ちよい笑いは長生きの元だという話。

実行できますか?

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ところで、クリスマスは刻々と近づいているが、本来この祝い事に関係ない者たちで"冬至祭り”を提案したいと思っている。
"冬至”には南瓜を食べたり、ゆず湯に入って、抵抗力を高め冬を乗り切る。
兎に角冬至を境に嬉しくもまた日が延びてゆくのだ。これは祭りに値する素敵な事実だ。
さて、何をしよう?
これから延びて行く”日”を思って明かりを灯す。・・・何をどうやって?
寒く暗い日々を乗り切るために元気をつける食事をつくって食べる。・・・オレンジ色の食べ物が元気になるのでは無いかという提案が既に出ている。
やはり赤やオレンジ色のぬくもりを求める。
他に何をしようか?

ところで今年の冬至は12月22日だそうだ。


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報告:
困ったトラックバックが多いので、承諾必須のTBに設定し変えたものの、やはりトラックバックが入ってくるのは同じ事で、これをいちいちけしたり、迷惑ドメインに指定したりするのは面倒臭く(放って置いてもいいけれどね。)、時間の無駄であるため、一時トラックバック機能を停止に設定し当分様子を見ることにしました。しかし、こういうのって不愉快だ。それに一体どんな利点があるのだろうか?どうにかならない物ですかね?



街へ散歩に

2006-12-11 11:20:56 | 思考錯誤


仕事場に行くかどうかと、迷っているうちに空は予報に反してうっすら青空がみえているので、ええい、街へ散歩にでも行ってしまえ!と今年初めて長めのダウンコートを羽織って外に出た。
冬の陽射しはとても薄い。陽射しが薄いという言い方は変だけれども、しかし”薄い”のだ。寒い。
電車で15分ほど行くとクリスマス市で街はたいそうな賑わいである。
週末だから兎に角人出が多い。オランダ語に加えて、フランス語も多く聞こえる。
旧市街の入り口付近は特別混雑で出店の小屋が押しつぶされるのじゃないかと思うほどに人がぎゅうぎゅう詰めだから、流れに従って押し出されてしまう。トコロテンを思い描きながらとりあえず出るべきところまで押し流された。
焼き栗を剥きながら、街の様子を眺めて歩く。相変わらずだな、と思いながらも何か目新しいものは無いかと眺めてみたが、やはりいつもと同じだ。
小さな町のクリスマス市が時には良い雰囲気を出していて楽しいのだけれど、無闇矢鱈に大きなこのクリスマス市は味気ないイヴェントだ。一体この騒ぎは何のためだったっけ?と思ってしまうほど、雰囲気もない。

それでも散歩がてら見物するのは悪くない。
寒い時にはグリューヴァイン(香辛料入と甘味を入れて熱くしたワイン。この地方では通常赤ワインだが、白もある。)を飲むと具合が良い。
Gluehkirschなるものを見つけて試してみた。なんだか普通のグリューヴァインよりもきつい感じがするぞ。
私は体調もシャキットしないので、カップの4分の一ほどすすっただけで、残りの処理は相棒に頼んだ。
彼は『これは普通のグリューヴァインよりちょっと効くなあ。。。』とつぶやきながら機嫌よく飲み干した。
調べて見るとこれはグリューヴァインにKirschsnapps(さくらんぼの蒸留酒)が入ったものであった。どれだけシュナップスが入っていたのか知らないけれど、効く筈だよね。
他にも体温まるアルコール飲料は色々あって、Feuerzangenbowlはラム酒を熱くして円錐に模った砂糖に注いでつくる。これは中々きつい、ガンと来る。
Eierlikoerpunch(卵リキュール)は卵リキュールを暖めて、好みによりホイップクリームを乗せる。これも甘いクリーミーな口当たりに騙されて飲むと後が大変なことになる。じわじわっと足が萎える。そしてしまいに記憶が飛ぶ。私は記憶が飛ぶほど飲んだ事は無いけれどね。
Gluehbier、これはベルギー産である。普通のビールよりアルコール度の高いBockbierに桜ん坊のジュースが混ざったものらしい。Kirschbier(桜ん坊ビール)である。
このビールを熱くしたものなのだが、まだ飲んだ事が無いのでどんな味だかわからない。

ケーキ屋の前で立ち止まってケーキを眺めているうちに、食べたくなって4つも抱えて帰った。
何で四つ? 
歩き回っておなかが減ったとは言え、これはGluehkirshの所為だね。

アドヴェント、二本目の蝋燭が点った。

 




おまけ

電話

2006-12-09 14:20:14 | 思考錯誤
『こんにちわっ!今日はとてもよい話を貴方にお伝えします。』
ああ、また来たね。
『貴方はお金を増やしたいと思いませんか?』
はい、そりゃあ思います。
貴方は宝くじを買った事がありますか?』
『ありません。』

『。。。。何でですか?』

受話器の向うから聞こえてくるのは、Lottoを売りつけようと張り切っている男の声である。

私は
『兎に角なんでもいいじゃありませんか、興味ないのですよ。。』

『興味が無い? 何で興味が無いのですか?』
『宝くじには興味ありません』
『お金を増やす興味は無いんですか?』
『。。。』
『何で?』

何でといわれても困る。
最もお金が増えることに異議は無いし、歓迎である。
余分なお金が沢山あったら。。。と夢を見る事しきりではある。
しかし電話で宝くじ買いませんか?ハイ買います。。。とは考えない。

電話の向こうで『何故?』をしきりに繰り返すのが聞こえる。
何故?
『私は、そんなに甘い汁をただ吸わせてくれるものがこの世に存在するとは思えないですね。』
『それはやってみなければわからないでしょう。貴方はくじを買った事が無いのだから。。』
『あのね、私は買わない理由を貴方に釈明する義務は無いので、電話切りますね。』

と答えて受話器をおく寸前にもまだ

『何故?』

と言う声がかすかに聞こえた。







メモ:
今日注文してあった、Susan Vreeland/Das Maedchen in Hyayunthblau(ス-ザン・ヴリーランド/ヒヤシンスブルーの少女)を本屋に取りに行ってきた。
早速、今から読み始めるところ。

鉛色の雲に吸い上げられている

2006-12-07 16:02:11 | 写真
今日は曇りのち雨。雨。雨。
家の中に干した洗濯物は乾かないし、私の頭の中はぐしゃぐしゃの水浸しでこの天気では全くすっきりしない。

この鉛色の向こうに昨日生まれそうだったアイディアは吸い上げられてすっかり見えなくなった。それが戻ってくるつもりかどうかわからない。多分戻ってこない。仕方ないから、気を取り直して一からやり直しだ。
鉛色の空っをじっと眺めていると、どんどん頭の中身が吸い上げられてゆくような気分で、慌てて目を閉じた。


『表現することを本当に感じたかどうかが重要なのではない。そう思って、感じたふりをする事が出来れば充分だ。』フェルナンド・ペソア / 不穏の書、断章より。



アドヴェント7日目。
街はクリスマス市でいつもとは違う表情を見せている。
この時期には近所の街や国から団体買い物ツアーバスが次々に流れ込む。
それはまさに流れ込むという様子なのだ。
特に多く見かけるのはオランダナンバーだ。
クリスマス市に立ち並ぶ出店のキラキラした眺めとシナモンやヴァニラの香が立ち昇る辺りを通り抜ける時、耳に入って来た言葉は大半がオランダ語という有様だった。
(私はオランダ語の響きが嫌いではない。)
この悪天候にも負けずに賑わっている。
雨の中を壊れそうな傘をかかえて足早に駅に向いながら、横目で出店を眺めたが、殆ど去年と同じ様子で特に目を引くものは無い。
とは言え、一度くらいは熱々の焼き栗の袋で手を温めながら、香ばしい栗を頬張るのはいいかも知れしれない。
クリスマス市の中では、なんという事の無い小物が少しばかりいつもと違う色具合だし、普段それほど見向きもしない焼きソーセージに芥子たっぷりの匂いもちょっと美味しそうだ。
砂糖衣のアーモンドやチョコレートがけバナナや葡萄の前でも鼻をうごめかしてしまう。
やっぱり晴れ間を狙ってゆっくりクリスマス直前のざわめきを吸いに出かけることにしようとおもう。

ところで、何時晴れるのだろうか?

2006-12-05 08:29:03 | 思考錯誤
朝起きると台所に向かいコップ一杯の水を先ず飲み干す。すると多少ぼんやりした頭もシャキッとする。
紅茶を入れるために水道水を濾過器に入れて水が落ちるのを待ちながら、手近にある適当な本を手に取りパラパラとめくって、その朝目を引く言葉を見つける。というのが最近の朝の儀式だ。何しろ本棚を台所を出てすぐの部屋に設置した。お湯が沸くまでの間丁度良い暇つぶしだ。
本のページをパラパラする所はスロットマシーンの例の窓を眺めているような、そんな感じだ。

今日の当たり

自分ひとりでやるゲーム
ゲームの法則
もしも自ら賞賛に値すると思えば、この勝負は価値だ。
もしも。勝ちの勝負が計算により、意思と一貫性と明晰さを伴って買ったものならば、・・・・・儲けは最大限に大きい。

(ムッシュー・テスト/ポール・ヴァレリー作/清水 徹訳)





外は7時半になってもまだ真っ暗だ。
今日の日の出は8時20分。ちなみに日没は6時26分だ。(ちょっと調べてみると、東京辺りの今日の日の出は6時35分で日没は6時45分とある。)

先日の展覧会のオープニングは無事終了。
後は野となれ山となれ。。。じゃなくて、続いて沢山の人が訪れてくれる事、楽しんでくれることを祈るばかり。(そして売れること。。。もね。)
『僕はね~、あっちの作品とこっちの作品とどっちにしようか迷っちゃって決められないんだよ~。家に帰って飾る場所も検討しなきゃならないしねえ~。でもまだ時間あるからゆっくり決めようと思う。』
と私に告白する教育学の教授殿。少し離れたところで、いつも身奇麗にしておしゃれな彼の奥方の口の端が歪みはしなかったか?
”そんなものを買うより貴方、旅行はどうなったの?私の来春のコートは?”と目は語っていたのではないだろうか?
教授殿には頑張って欲しいと心から祈っている。