散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

“箱”

2005-07-23 23:30:43 | 思考錯誤
私の仕事部屋の棚には箱がたくさん並んで増幅中だ。厚みのある額も言って見れば箱であって、そんなものを今までに100は作っているし、”額”というカテゴリーで語れば、私はれっきとした額屋ではないか?というほどの数を作った。思えばなんだかしょっちゅう入れ物を作っているような気がする。
物を入れるための器。
保存する、収集する、仕分けする、整理する、展示する、隔離する、保護するための器。
“箱”と言ったら基本的には我々が取り扱いできる程度の大きさを指すのだと思うが、そこから広がって本を整理するための“本棚”、洋服や食器をしまう為の”洋服箪笥“、”食器棚“ なども箱の延長だ。
すると人が快適に暮らすためにある“家”も加える事が出来るかもしれない。

“箱”の魅力は又、“蓋”があることでいっそう増す。蓋を開けなければ当然中身は見えないので、好奇心が目を覚ます。ちょっと触れれば開けられるとしても、すぐに開けない。
持ち上げて重みを計る、耳元で箱を振って、物が中で動く音を聴く、
鼻先に持って行きにおいを嗅ぐ。 まあ、箱を舐めるまでは私もやらない。
それを開けて覗いたときの驚き。それがたとえ期待外れでがっかりしたとしても、“箱を開ける楽しみ”がある。やはり前もって不吉を感じてもパンドラの箱はどうしても開けてしまうだろう。

箱に入れた本のオブジェを作った。上面はガラスをはめた。するとそれを手にとってイライラする人が居る。”これ中身が見たいんですけれど、どうやって開けるんですか?”
”いいえ、これは開きません”と私。”でも中に入っている本はやっぱり読まれるためにあるんじゃ無いですか?”
読まれてしまったら、めくって見たい好奇心はめくり終わった瞬間に消えるかもしれないので、開かない箱に入れた。 本自体にもっと思い入れがあればそんなことはしなかったかもしれないけれど。。

兎に角“箱”の中に物を入れることで、その“物”は日常空間から隔離され、ある特別の意味を持ち始めることがある。
試しに机の上に食べかけのパンが乗っていても誰もなんとも思わないだろうけれど、それが箱の中に鎮座していると誰の食べ掛けか?何故パンの齧りかけが箱の中にあるのか?と途端に意味を探り始めたりするわけだ。
別に箱に入れた物体が突然変異を起こすわけでもないのに、観察者の”物”に対する距離を変えてしまう。
マルセル デュシャン やジョーゼフ コーネルの箱のなかにオブジェの収まった作品は魅力的だ。
そういえば私の気に入っている作家、阿部公房に"箱男”という作品があった。かなり昔に読んだきりなので細かい記憶は怪しいけれど、社会的アイディンティ喪失した彼は、箱に入ることで変身をとげて自己を確保する。箱の中から外界を覗く事でバランスを取る事が出来るわけだ。
いつもの事で話がだんだん微妙に脱線してきそうなので箱の蓋を閉めることにする。

”箱”の中には何が入っているのか? 


これは去年の夏の写真。友人のMは思い立って箱女になった。。。。
というわけではなく、雨が降ってきたので、そこに丁度落ちていた箱を無造作に彼女は被った。
私は、すぐに"箱男”の話をしようと思ったが、面倒くさくなって”似合うねえ”といいながら、カメラを向けた。