透明な塊の中に
美しい色が流れ込んで固まっている。
手に取るとひんやりとして、光にかざしてみたり、
息を吹きかけてシャツの袖で磨いて見たり、
頬に当ててその冷たさを味わって見る。
なんだか、なめたら甘いキャンディーのようにも見える。
ひところ毎週末には暑い日も、寒い日も、晴れの日も、雨の日も
蚤の市に出かけてクタクタになるまで歩き続けた事がある。
蚤の市情報誌というのがあって、全国の蚤の市日程が把握できる。
最近は残念ながらあまり堀出し物が無いが、当時は面白いものがあって病みつきになった。
ムラノガラスの花瓶にも色々なデザインがある。
流行があるのでどれもを欲しいとは思わないが、この四角張った棒のような花瓶は一目で好きになった。
50年代から60年代にかけてのデザインだ。
花瓶といっても一厘ざしである。
高さは12cm程で5cm角。
色の重なり具合、色の入り方、大きさ、形などがチェックポイントで、
それによって値段は異なるのだそうだ。
私のコレクションは傷もあれば完璧な模様ではないので、
たいした値段では無く安い物だが、それでも私はたいそう美しいと気に入っている。
他にも2,3持っていたがプレゼントしたりして、今ではこの3本だけ残っている。
この中で一番”出来が悪い”らしい赤と緑の組み合わせが好きだ。
美しい色が流れ込んで固まっている。
手に取るとひんやりとして、光にかざしてみたり、
息を吹きかけてシャツの袖で磨いて見たり、
頬に当ててその冷たさを味わって見る。
なんだか、なめたら甘いキャンディーのようにも見える。
ひところ毎週末には暑い日も、寒い日も、晴れの日も、雨の日も
蚤の市に出かけてクタクタになるまで歩き続けた事がある。
蚤の市情報誌というのがあって、全国の蚤の市日程が把握できる。
最近は残念ながらあまり堀出し物が無いが、当時は面白いものがあって病みつきになった。
ムラノガラスの花瓶にも色々なデザインがある。
流行があるのでどれもを欲しいとは思わないが、この四角張った棒のような花瓶は一目で好きになった。
50年代から60年代にかけてのデザインだ。
花瓶といっても一厘ざしである。
高さは12cm程で5cm角。
色の重なり具合、色の入り方、大きさ、形などがチェックポイントで、
それによって値段は異なるのだそうだ。
私のコレクションは傷もあれば完璧な模様ではないので、
たいした値段では無く安い物だが、それでも私はたいそう美しいと気に入っている。
他にも2,3持っていたがプレゼントしたりして、今ではこの3本だけ残っている。
この中で一番”出来が悪い”らしい赤と緑の組み合わせが好きだ。