散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

Giftpflanzen

2010-12-30 07:09:43 | 読書感想





Helmut Eisendleの"Tod & Flora"を読んだ。
毒草の紹介とその毒草がらみの事件を一つ上げている。
面白いのは集められた全ての事件はほとんどの犯人が弱者である事で彼らはそれぞれに追い詰められて毒草を利用し復讐をするのだった。
虐げられた者達の反乱だ。
それぞれの植物に添えられた短い”事件簿”は悲惨なのだが、皮肉なユーモアが流れている。
この事件簿は事実現実に起こったことなのだろうか? 
私の知る限りではここにあげられた薬草の効果は大袈裟過ぎて信じられないのだけれど、場合によってはありうるのかもしれない。
すると私のテラスにも恐ろしい毒草がはえていることになる。

たとえばBryonia Albaだ。
この本では少量の草汁でも効果がある。大匙3~4杯で死を招くとある。
その事例としてある話はこうだ。

    ある男は来る日も来る紐見るに耐えない洗剤の宣伝を見せられる事に辟易していた。
    彼はBryonia Albaの汁入りのボンボンを社の広報部に手紙を添えて送った。
    手紙には製品を称え、毎日テレビコマーシャルを見ていると言うほめ言葉が長々としたためられていた。
    喜んだ宣伝担当者はボンボンを部署の仲間に配り、自分も早速食べた。
    すると恐ろしい咳の発作、のどの痛みに襲われ、あるものは体を痙攣させて苦しみ始めたのだ。
    担当者は力を振り絞り電話で助けを呼んだが
    助けが到着したときにはすでに遅く皆こと切れていた。

というような具合だ。

Bryonia Alba:”Bryo" はギリシャ語から出て”育つ”の意で昔から体を”浄化、掃除”し、皺取り効果があるとされているらしい。Bryoniaを油、またはワインに漬けて腫れ物や傷にまた、蛇にかまれたときに塗布する。"事件簿"では咳の発作が始まって大事になるが、実は咳止めの効果もあるらしい。
中世では更にレプラも直ると信じられていたそうだ。
Hildegard von BingenはBryoniaを煮詰めて脚の腫れた患部に塗布するとよしとし、煮詰める匂いは蛇やかえるを追い払うと書いている。また便通を促すにも良いとある。

面白いのは魔法薬としても利用されたという話で、この植物を靴の中に忍ばせてまじないを唱えながら踊りに行くと恋人が見つかると言われていたらしい。
華奢な上靴に足を閉じ込めて踊り続ける時には、Bryoniaの薬効で腫れ癒えたかもしれない。
更に媚薬としても力を持っている毒草(薬草)なのだという。

また現在でもホメオパシーの薬としてつかわれているわけで、やたらに死を招く毒草というわけではない。素人がやたらに手を出さないほうが良いだろうとは言えむしろ色々に役立って来た薬草のように見える。

そういうわけで、書かれている”事件簿”が単に創作なのか事実なのかわからないのだが、本作は一点ものとして制作され、オーストリアの個人図書館に収蔵されていたもので、後にこれを見つけた人が出版したという話だった。
いずれにせよ、植物と怪しい事件簿の組み合わせはどこか心くすぐるものがあってニヤニヤしながら面白く読んだ。

Bryonia Albaは非常に強い植物で私のテラスでも蔓延り始めるとすごい勢いだ。むしっても根を掘り出しても、ほんの少し残っているとまた茂って根を太らせる。
恐ろしいほどに根の成長は早い。
葉も花も実もなかなか優雅な風情で私は嫌いではないのだが、何しろの植物を覆い隠す勢いなので戦うことになってしまうのだ。

こういう本は私が作ってみたかったなあ、と思う。




















Traumspiel

2010-12-29 09:39:15 | 夢遊
「それならR美術館に行きましょう」と私は提案した。
人と連れ立って歩くのは久しぶりだったので、少しはしゃいでいた。
路面電車でDと言う街まで行くのだ。
路面電車の切符売り場で「R美術館に行きたいのですが。。。」と係員に申し出ると、それならばPuriPori駅までですね。と言う。
おかしな名前だ。
そんな駅名を聞いたことが無い。
とにかくPuriPori駅に向うことにした。夏のような日差しが心地よく遠足気分が膨らんで踊る。
電車は止まる度に左右に広くドアが全開して乗客たちは停車の度に降りて陽射しを楽しんだり、一杯飲んだりにぎやかだ。
食べ物売りの屋台を見つけて近づくと、串に潰れたボールのようなものが刺さった食べ物を売っていた。薄茶色い焼きイカの様でもあるけれどひしゃげたゴムボールのようだった。
そうやって電車の旅はなんだかいつまでも続くような気がした。そしていつまでも続いたってかまわないという気分だった。

一体何処へ行くのだろう?






。。。。という夢を見た。



















クリスマス休暇の哀話

2010-12-27 14:10:59 | 製作記録
まったく冴えない休日を送っていた。
クリスマスだからといって我が家では祝いをするわけではないけれど、休日ということもあっていつもより美味しいものを念入りに料理する日なのだが、今年は私が24日の午前中に雪道を転んで膝を捻挫した。そんなわけで動けないのですっかり受動的なプログラムに頼ることになった。
DVDを見たりTVを見たり、まあ、そんなことなのだけど、つい動こうとしてしまうので左足以外の体に負担をかけて結局あちこちギクシャクしている。
クリスマス休暇に入ってしまって近所の医者は休診。まったく素敵な贈り物だ。
さくらんぼの種が入った小さな枕をレンジで暖めて患部を温めていたが、レンジの設定が強すぎたか種が焦げてしまった。
焦げ臭い枕を抱えて癒えるものか。。。気分的に情けなく。。。
教訓: 雪道では気をつけて歩くこと。



今朝読んだ記事。
イタリアマイフィアの一員が自首してきたという記事があった。強盗脅迫を重ねて警察から追われていた男らしい。
逃亡生活での孤独に耐え切れず、いっそお縄になって刑務所入りしたら孤独から開放されるだろうと考えての自首。
警察官に抱きついて、もう悪事はしませんと反省しているらしい。
この冬空のしたで、ましてやクリスマスの暖かい火がともる窓の外の孤独に絶えられなかったのかもしれないけれど、情けない漫画のようなお話。




















サイコロ

2010-12-20 19:25:37 | 思考錯誤
旅から帰って郵便物の山を片付けていると、黒枠の封筒が派手な広告の間から落ちた。
鼓動が一つ二つ飛んだ。

私よりも幾つか若かったその人は大病と戦っていた。
ある展覧会場で私の仕事を気に入ってくれて、何点かを買ってくださった。
髪を失って目深に被った帽子の下から真っ白な顔が覗いていた。
それからは展覧会の案内を出すたびに顔を見せてくれるのだった。
すこしずつ元気になっているかのように見えたのだ。一度はやっと髪が生えてきたのよ、とうれしそうに話していたのだ。
お悔やみの言葉少なく、一枚の小さな絵を添えて彼女の伴侶だった女性に送った。
しばらくして真っ赤な大きな封筒が届いた。そこから出てきたのは、紙で工作した色とりどりのサイコロが積み上げられた写真が印刷されたカードだった。
中にビー球が入っているサイコロの作り方が彼女の言葉で書かれている。(ビー球は出来ることなら透明の物という注意書きもある)
カラフルにいろ塗られたサイコロはカラコロカラコロと音を立てながらぎこちなく転がるに違いない。
語るようにカラコロカラコロと転がるだろう。
送られてきたカードの裏には彼女の伴侶から
「今日、あれからはじめて家族みんなでCが好きだったあなたの絵を眺めてみました。するとCが微笑みながら絵を鑑賞している姿が見えました。心が安らぎました、ありがとう」と記されていた。私もこれから彼女のサイコロを作ってみよう。カラコロカラコロと楽しいことをおしゃべりをしてみよう。

私ならば何を残してゆくのだろうか?







Schneechaos

2010-12-19 23:00:36 | 映画の話












今年は大雪に始まり大雪に終わるらしい。
飛行機の飛ばない飛行場には人が溢れるばかりで、できることなら鉄道に乗り換えることを薦め、ドイチェバーンは出来るなら旅行を取りやめた方が無難であると呼びかけていた。
幸い私は遠くに出かける必要も計画もなし、高みの見物で雪景色を楽しんでいることが出来るわけだけれど、年末休暇の旅行に出かける人は少なくないわけで、実に気の毒なことだ。
アウトバーンも事故は多発するし、いたるところで渋滞がおきてしまうのでよろしくない。
とはいえ、見慣れた景色が雪衣を纏うと美しくて得をした気分になる。







映画メモ

Die Eleganz der Madame Michel(Le herisson)というフランス映画を見た。原作は「L'Élégance du hérisson」という小説の映画化。
スノッブな家族の中で日常に辟易している自殺願望の少女、高級アパルトマンの管理人の中年女が主人公達だ。
管理人のルネは一見鈍重なおばさんの振りをしながらトルストイや谷崎潤一郎を読んでいる。読書家の彼女の部屋には本がうずたかく積まれている。
自殺願望の少女パロマは賢すぎる子供であり、大人の嘘を見抜き失望している。家族たちはそんな彼女の姿が"見えない”のだ。
たびたび母親が「何処にいるの?なぜいつも隠れているの?」とパロマを探している声が聞こえる。
パロマは部屋の隅に息を潜めているわけだけれど見つからない筈が無い。母親には彼女が”見えていない”のではないか?そんな風に思えてくる。
見えない存在としてまたルネがいる。高級アパルトマンの住人達は彼女に毎日出会っているはずなのに見ていない。住人達には彼女は「役目」であって「個人」ではないのだ。
階級の違うみすぼらしい中年女なぞには顔は無い。ある意味パロマもルネも状況も立場も違うが似た物同士だ。
そして彼らはお互いを仲間として発見し引き合う。パロマはルネの外見と無愛想さの裏に隠れた彼女の優雅さと美への感性を嗅ぎつけている。
話の内容を書くつもりは無いけれど、この映画はなかなか面白く、不思議な余韻を残した。
原作も読んでみたい。

「幸福な家庭はどれもよく似たものだが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」(アンナ・カレーニナ)







中世市

2010-12-12 20:26:23 | 思考錯誤
何処に出かけようか?








この門の向こうには








火噴き男が火を噴き、
羊を従えた羊飼いはイエスキリスト誕生劇を語り、
足に鈴をつけて道化師風の帽子を被った男が鼻で縦笛を2本ふいてみせる。

パンを所望すれば
「はい、4ターラーです」(ターラー:中世の大型銀貨)と売り子の中世女が笑う。


DormagenにあるKnechtsteden修道院の敷地内で中世風アドベント祭りがあった。















修道院敷地内に古物ガラクタ屋もある。
見事にガラクタばかりなのだけれど欲しいものが見つかる人もいるようだった。
(もっともこういう店は見るだけでもなぜか魅力的だね)






Vox Vulgaris

Michael Praetorius


Estampie


中世の音楽を聴きながら夜も更けた。

今夜は夢で私も火を噴く事が出来るだろうか?