散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

Giftpflanzen

2010-12-30 07:09:43 | 読書感想





Helmut Eisendleの"Tod & Flora"を読んだ。
毒草の紹介とその毒草がらみの事件を一つ上げている。
面白いのは集められた全ての事件はほとんどの犯人が弱者である事で彼らはそれぞれに追い詰められて毒草を利用し復讐をするのだった。
虐げられた者達の反乱だ。
それぞれの植物に添えられた短い”事件簿”は悲惨なのだが、皮肉なユーモアが流れている。
この事件簿は事実現実に起こったことなのだろうか? 
私の知る限りではここにあげられた薬草の効果は大袈裟過ぎて信じられないのだけれど、場合によってはありうるのかもしれない。
すると私のテラスにも恐ろしい毒草がはえていることになる。

たとえばBryonia Albaだ。
この本では少量の草汁でも効果がある。大匙3~4杯で死を招くとある。
その事例としてある話はこうだ。

    ある男は来る日も来る紐見るに耐えない洗剤の宣伝を見せられる事に辟易していた。
    彼はBryonia Albaの汁入りのボンボンを社の広報部に手紙を添えて送った。
    手紙には製品を称え、毎日テレビコマーシャルを見ていると言うほめ言葉が長々としたためられていた。
    喜んだ宣伝担当者はボンボンを部署の仲間に配り、自分も早速食べた。
    すると恐ろしい咳の発作、のどの痛みに襲われ、あるものは体を痙攣させて苦しみ始めたのだ。
    担当者は力を振り絞り電話で助けを呼んだが
    助けが到着したときにはすでに遅く皆こと切れていた。

というような具合だ。

Bryonia Alba:”Bryo" はギリシャ語から出て”育つ”の意で昔から体を”浄化、掃除”し、皺取り効果があるとされているらしい。Bryoniaを油、またはワインに漬けて腫れ物や傷にまた、蛇にかまれたときに塗布する。"事件簿"では咳の発作が始まって大事になるが、実は咳止めの効果もあるらしい。
中世では更にレプラも直ると信じられていたそうだ。
Hildegard von BingenはBryoniaを煮詰めて脚の腫れた患部に塗布するとよしとし、煮詰める匂いは蛇やかえるを追い払うと書いている。また便通を促すにも良いとある。

面白いのは魔法薬としても利用されたという話で、この植物を靴の中に忍ばせてまじないを唱えながら踊りに行くと恋人が見つかると言われていたらしい。
華奢な上靴に足を閉じ込めて踊り続ける時には、Bryoniaの薬効で腫れ癒えたかもしれない。
更に媚薬としても力を持っている毒草(薬草)なのだという。

また現在でもホメオパシーの薬としてつかわれているわけで、やたらに死を招く毒草というわけではない。素人がやたらに手を出さないほうが良いだろうとは言えむしろ色々に役立って来た薬草のように見える。

そういうわけで、書かれている”事件簿”が単に創作なのか事実なのかわからないのだが、本作は一点ものとして制作され、オーストリアの個人図書館に収蔵されていたもので、後にこれを見つけた人が出版したという話だった。
いずれにせよ、植物と怪しい事件簿の組み合わせはどこか心くすぐるものがあってニヤニヤしながら面白く読んだ。

Bryonia Albaは非常に強い植物で私のテラスでも蔓延り始めるとすごい勢いだ。むしっても根を掘り出しても、ほんの少し残っているとまた茂って根を太らせる。
恐ろしいほどに根の成長は早い。
葉も花も実もなかなか優雅な風情で私は嫌いではないのだが、何しろの植物を覆い隠す勢いなので戦うことになってしまうのだ。

こういう本は私が作ってみたかったなあ、と思う。




















2009-07-22 11:02:38 | 読書感想
雨が降っている。

雨続きの空気の中で時間がふやけて伸びて水飴のように粘る。

雨の音が耳の外で内で続いている。

。。。。。

      


膨らんでは落ちゆく軒先の雨だれを飽かず眺める。

今朝淹れた珈琲の香りが本棚の前の、『ファーブル植物記』から『レイモンド・カーヴァーのカテドラル』の間に滞っている。朱色の表紙。
一昨日の赤フサスグリのゼリーは充分なゼラチンを溶かし込んだのにもかかわらず固まらなかった。ゲルの融解温度25~35℃。。。昨日は気温28度。
昨日アトリエに忘れてきた落書きノートのページから文字が湧き出して、実はそれが虫の大群である夢を見た。
アトリエに死に積もり行くダンゴ虫のことを思う。
。。。
。。。
。。。
。。。


。。。
。。。







ところで、レイモンド カーヴァーの『カテドラル』。
とても素敵な短編集だ。
簡単な言葉で淡々と日常を描写しながら読み手を知らぬ間にその描写の中に引き込む吸引力にいつも驚かされる。
料理中にジャガイモが転がってころころと調理台の下に転がっていってしまったりするような、全く平凡な場面描写も曲者かもしれない。
ちょっとしたところで摑まってしまうのだ。

そして今日も、珈琲の香りに導かれて、茹でジャガの行方を気にしながら思いがけなくも再読してしまった。
そしてちょっと良い気分になった。

雨も止んだしね。



レクイエム

2007-07-24 14:07:18 | 読書感想
戸棚片付けをしていたら、あちこちに無造作に突っ込んである写真の束がバサッと落ちた。ポルトガルを旅行したときの写真だ。それほど沢山は無い。フィルム一本分ほどだから、多分別の戸棚にもまだ写真の束がもぐりこんでいると思う。
今ではコンピューターの中に写真はデーターとして”山積み”になっていて、クラッシュしたら、データーが壊れたらどうする?と内心ひやひやしているが、戸棚の中の写真束のようにそのうちにバサッと落ちてくるんだろうか? 
そうそう、ポルトガル。
ポルトガルに出かけたのはもう何年も前の話だ。中央から北の方に向けて旅をした。少しだけ日本の田舎の景色に似た感じがあってなんとは無しに懐かしい気持ちになったのを覚えている。
ある日石山を上った。
空が菫色に染まり始めた時間だった。
そこここに転がる巨大な石の表面に黄色っぽい蘚苔類が覆っていて、その黄色い表面がすみれ色の空を反映すると緑がかった色合いになって夢の中の風景に似ていた。 ふと脇を見ると岩に大きなマリア様の像が穿たれているのに気がついて、ひょっとして幻を見ているのではないかと思って一瞬驚いた。 こういうとき話の中なら天啓って奴が降りてきたりするんだろうけど、私にはそんな劇的なことは起こるはずも無い。 しかし奇跡も何も起こらなかったとしても感動して余りある光景だった。 ほんとに素敵な風景だった。 もしかしてポルトガルで一番印象的な一瞬だったかもしれない。
リサボンの坂道の途中にある小さな飯屋で鰯の塩焼きが実に美味しくて連日食べた。 とっても活きが良かったのだ。(私はその辺敏感だ。)
泊まったホテルの中庭に美しい木があって小さな赤い実が房に下がっており、よく見るとそれは”Schinus terebinthifolius=山椒もどき、またはピンク・ペッパー”だった。一粒採って噛んで見ると独特の胡椒風味が口腔に広がった。(これをクリームジャガイモスープにパラパラと落とすとなんとなく色、味共に良いのだよね。)
街の街路樹に始めて見る紫色のジャガランダの花が咲いており美しかった事。
ナザレの海岸付近の村をあるいていると四方八方から魚を焼く匂いがして、七輪で焼く秋刀魚を思い出し懐かしいような気分、お腹が空いて切ない気分になった事。 (家々の前には七輪を一回り大きくしたほどの炭火用グリルがおいてあったりすることが多い。)
街の角、細い裏道、坂道、壊れたタイルの壁、外に釣り下がった鳥かご、市場の喧騒、今は煤けた金襴豪華な教会、洗濯物がお祭りの旗のようにたなびくアパートの窓、地図を示して道を聞いても地図の読めない親切なポルトガル人、自然科学博物館にあったオオイカの標本、珊瑚のような飾りぶちの窓、光。。。。。の事。
など、こうして描いていると記憶の切れ端が引き出しの隙間からぽつりポツリと落ちてくる。
落ちるままにしていると、ポルトガル旅行の中にスペインやランザローテやイタリアなんかの切れ端までついでに出てきて垂れ流しになって、生き埋めになってしまうからこの辺で蓋をする。

リサボンといえばアントニオタブッキの「レクイエム」を思い出す。
この本を読んでいると心臓の辺りが共鳴してドキドキしてくる。そして「ポルトガル」に行きたくなる。
もっともタブッキがつれて行ってくれるのは観光案内書に載っている〝場所”では無いのだけれどね。。。




何処の町だったか忘れたが市場で、こんな風に腸の皮を売っていた。




。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
展示用の台を作るので木材屋に木を切ってもらったら、頼んだサイズが間違っていてもう終わるかと思った作業がまだ終わらない。
今日も雨。

読書の秋ですからね

2006-10-22 11:40:33 | 読書感想


  『私は、芸術家が最終的に行き着くところは自然さだと主張したい。だが、自然さとは言っても、それは新しく生まれ変わった人間の獲得した自然さということである。自然発生的に表現が発露するというのは,征服の結果である。それは、ひとつの仕事を極限まで遂行できるという自身や、仕事の諸々の部分を実行に移しつつも、途中で精神や自然を失うことなく、仕事全体の統一性を確保できるという指針を得た人だけに許されたものだ。』

これは今朝読み齧っていたポール・ヴァレリーの”ヴァレリー・セレクション 下 ”のなかの『コローをめぐって』という一文の中から抜粋。

私の場合、生まれ変わらなきゃこの"征服出来る人”に近づく可能性は無いけれど、それを目指して"日々精進の心がけを持つ事”をモットーとしたいものだ。

この本を読んでいて単に驚き感心するのだけれど、この人は常に思索し続けてたのだろうね。何かに目を惹かれた瞬間、様々な方向に向かって思索が広がってゆくのだろう。
私は読んでいる途中で、そのことを思ってちょっと途方に暮れてしまった。

途方に暮れてしまったので本を閉じた。ふと机の上に載っているカメラが目に入ったので、机の上に咲くバラの写真を撮ってみたりしながら、いろいろ思考を広げてみようかと試してみた。たいして広がらない。
じっと考える振りをしていると、昨日の部屋の改修作業で残った筋肉の痛みが際立って広がるくらいだ。


読書の楽しみは、秋にあるばかりでは無いわけだけれど、外気温がぐっと下がって、曇りがちになった空と、暖かい部屋の明るい窓辺、すわり心地の良い椅子と、お気に入りの紅茶やコーヒーなどを用意して本を読むのは素敵だ。
本自体が与えてくれる喜びもだけでなく、ゆったりと本を読んでいるという状況が嬉しい。
最高の贅沢をしている気分でもある。

机の向こうで相棒がデュマの「モンテ・クリスト伯」を読みながら、なぜかクスクスと笑っている。クスクスと笑う場面があったっけ?

「ラードで揚げたエジプト豆を土鍋に入れて。。。とあったのに、そのすぐ後でエジプト豆にベーコンの入った料理になっているんだよね」

「そりゃ、料理の途中だったんで、気が変わって揚げ豆を煮ちゃったんじゃないの?」

。。。となぜか、ちょいと食べ物のの描写が現れる度、異常に反応してしまうのだった。
こういうことなら広がって止め処なし。

雪のしずく

2006-02-10 10:50:30 | 読書感想
春、春、春。と毎日唱えている。唱えるほどに少しでも早く春が来るというのであれば一日中でも唱えていよう。
春の歌を、これじゃぁ春が耳を塞いで逃げるかもしれないような調子っぱずれで思い浮かべては片っ端から口ずさむ。
まだ二月もが半分も過ぎていないのだから、明日春が到着する筈はないとわかっているけれど、辛抱がない。



それでもスノードロップの芽の頭が覗いている。




スノードロップ。
ドイツではシュニーグロックヒェン(雪の小鈴)
と愛らしい名前を貰っている。

準備は着々進んでいる。
私がブログをはじめたのは去年の三月半ばの事でやはり寒い寒いと書いている。
私は本当に寒がりやなのだ。
最も最近暑さにも弱い軟弱化が進んでいる。

カレル・チャペックに「園芸家の12ヶ月」という著書があって、とても楽しい本だ。
読みながら思わずニンマリし、激しく同意し、やがてにわかに土いじりをはじめたくなるという本だ。土いじりが好きでない人にも楽しめるけど、好きな人は多分、同病相哀れみながら、溜息を付きながら、自分の庭を想いながら読み進む。


。。。もう一つ、春のメッセンジャーとしてスノードロップがある。初めは土のなかからそっと覗いている。ほんのこれっぽっちの、尖った頭に過ぎない。次に、その頭が分かれて、厚ぼったい二枚の歯になる。それっきりだ。時によると、早くも2月の上旬に花が咲くことがある。どんなに見事な勝利の椰子も、どんな知恵の木も、どんな名誉の月桂樹も、冷たい風に揺られている蒼白い茎に咲いた、この白い優しいうてなの美しさには及ばない。
(カレル・チャペック、園芸家の12ヶ月 「2月の園芸家」P30)


ヴォイニッチ・マヌスクリプトについての本を買った。

2005-11-23 00:00:42 | 読書感想
イェ-ル大学の図書館にある謎の本について。

読めない本という全く冗談のような本がある。14~16世紀ごろに不思議な言葉文字で書かれた本で、中に挟まれた書簡が本物ならルドルフ2世が所有していたことになる。
15 X 23cmのサイズの羊皮紙230ページ に250.000の謎めいたシンボル、植物、女性像のスケッチがぎっしりと描かれているのだ。

私は先日、この本のエキスパートであるジェリィ・ケネディとロブ・チャーチルの二人がこの本について書いた本”Vonynich-code"を手に入れた。

1912年に古書商のWinfird Voynichがこの世にも奇妙な手稿をイタリアのモンドラゴーネ寺院でイエズス会士から買い取った。
神学者、植物学者、数学者達が寄ってたかってこの本の謎を解読しようとし、様々な説が発表されたが、まだどれも完全に成功していない。
実は失われた文明の遺産ではないのか? ウクライナ語を母音抜きで綴った狂人の戯言? 芸術的な天才的冗談?
(母音削除のウクライナ語で解読を試した学者は幾つかの意味のあるセンテンスを発見したのだが、その後失敗に終わった。)

第一部:正体不明の植物学的な内容。
第二部:星座、又は天文学的な内容。
第三部:生物学的な内容。(裸婦、管とカプセルが融合したような物。)
第四部:九つの円形図。(曼荼羅のようなもの。)
第五部:薬草学的内容。
第六部:表裏頁に続くテキストと星の図。

どう見てもうまいのかへたなのかわからないような絵である。
どこかの暇な変人が書いたのだと言われたら、そうなのかとも思う。ひょっとして誰かに担がれているんじゃないかとも思ってしまう。

実際、ヴォイニッチ自身が製作した、又はさせたという話もあり、かなりこの確立が高そうだ。このヴォイニッチと言う人自体ちょっと謎の人物であるらしい。
挿絵を見るとヒルデガルド フォン ビンゲンやクラナッハの"Der Jungbrunnen"のイメージの下手な盗用にも見られる部分あり、又、赤インクが現在のものと良く似ているのが疑わしいとか、まあ色々疑問が山盛りなのだが、科学的調査はまだなされていない。
挿絵を見る限りでは素人が描いたようにしか見えないけれど、問題はこの文字だ。
出鱈目であると言い切る学者も数多く、16世紀、ルドルフ2世が錬金術好きにつけ込まれ騙されて買わされたのではないかという話はいかにもありそうである。ルドルフ2世の宮殿に出入りしていた錬金術師エドワード・ケリーが捏造した可能性も高い。
中には出現頻度の高い単語が連続して現れる部分もあり、出鱈目説の可能性を高めているかと思えば"解読”出来たと思われる部分も出て来るのだそうだ。

”カルダングリル”という暗号作成表を使って作成したのではないかと考えているエキスパートもいる。
(*カルダングリル:穴の開けられたカードを文字チャートに被せて可能性ある文字列を探す方法。)

面白いでしょう。
兎に角かなり怪しい本なのだ。
出鱈目でも何でも、こういうのってなんだかドキドキしてしまう。
まだ本は読み齧っているだけだが、この本がヴォイニッチ・マヌスクリプトの謎を解き明かしたわけではない、謎を提供しているだけだ。
捏造説は高いが、解明されないのも夢があっていいものだ。

こういう本を自分で作る事が出来たら素敵だ。 すると数百年後に誰かが見つけて頭を悩ませる。 喧々諤々、さてはあの失われた謎の大陸の末裔がひそかに書き残した記録書ではないか?とかね。

私は今、夢の植物図鑑を作りたいと妄想、いや構想を練っている。 だとすると解説を暗号で書いたらいいのだな? 出来たら面白いけど、やはり難しいね。
構想を練って練って練りまくっているうちに構想も私も干からびてパラパラとはじけ飛ぶのかもしれないけど、まあ練るだけでもいいか。
こういうのは考えている時が楽しいのだから。

読書の冬

2005-11-12 16:05:08 | 読書感想

ある日突然、外の並木に星のように輝く実が夜道を飾っているのに気づく。 沢山の小さな電球が葉の落ちはじめた枝に括りつけられたのだ。
11月最終日曜日27日からクリスマス準備期間であるアドヴェントが始まる。Advent(ラテン語 Adventus ”到着”の意) はキリストの到着を待つ期間であり、断食期間でもある。
アドヴェントには4本の蝋燭をあしらった樅の木のリースが飾られ、毎週日曜日に1本ずつ火を灯してゆく。蝋燭の火は希望であり、悪を、闇を払う。
紀元後5世紀にイタリアの一部(Ravenna)にて初めてのアドヴェントが祝われ、後6世紀にローマのグレゴール法王によって正式に祝われるようになった。4は救済者があらわれるといわれる4000年後を記すとも言う。 ドイツでアドヴェントが祝われるようになった歴史は古いことではなく1838年に初めての記録が残っているようだ。 

さて読書の秋ならぬ冬が始まる。
しかし最近、集中してキチンと本を読んでいない。あれこれ食い散らかしては、放り出しているので机の上には読みかけが山になっているばかりだし、あれもこれも読みたい気持ちはあるのだが、どういうわけか読みかけ本の山は高さを増して行くばかりだ。 今月は自信が無いので、来月は少なくとも何冊か読破する目標をかかげておこうと思うので、ここにリストアップして気分を改めようと思う。
私の読みかけのリスト。
Sphaere III、Peter Sloterdijk :
これは前にも読みかけを紹介しているが、それ以来閉じたままだった。読み終える自信全く無し。三部作の中の最終部。とはいえ前2部も読んではいない。 誰か日本語に訳して欲しい。ジャンルは人類学。カタツムリがジリジリと這う如く少し進んでは休憩しているのだから、これでは一生読み終えないんじゃ無いかと最近危惧している。
Das Gedaechtnis der Natur、Rupert Sheldrake:
知人が持ってきてくれた。読んだか?ときかれたが、誤魔化してある。植物、動物の形態形成モデルに関して、その謎に迫る。本は4cm位の厚さで、開くと。。。文字が小さい。。開いてはがっくりと頁に額を打ち付けるので、なんだか読まないうちに本が傷んでくる来るように見える。
Das Labyrinth、Gerhard Roth:
迷路を小道具に使ったサスペンス小説。なんとなく面白そうな気がして中古購入。時代は19世紀。舞台はウィーン、ハプスブルク家の屋敷。主人公は精神分析医。 当時の芸術、歴史、宗教、政治などちりばめた謎解き。ちょっと覗いた限りでは面白そう。
Italien Reise-Lesebuch:
色々な人物のイタリア旅行記。イタリア旅行前後に読むと楽しいだろう。
Begegnungen und Abschiede、John Berger :
作者が見た絵画、出会った人々へのオマージュ。思索的な素敵な文章だ。
断ち切られた未来,エリアス・カネッティ :
大分前に買った本。数ページ読んでおいてある。カネッティの著作はまだ2冊あるんだけど。。。
前日島、ウンベルト・エーコ:
以前にも書いたが、私はエーコの作品が好きだ。
万物理論、グレッグ・イーガン:
面白いかどうか知らない。究極のハードSFってあったから選んだ。
ムーン・パレス、ポール・オースター :
一度読んだが、もう一度読もうと思った。
Die Falsche Hand, Heinz Schmitz :
早く読まなきゃ。。。この本の著者に近い内に出会う機会が来そうなので、それまでに読んでおきたいのだが、まだ50ページくらいしか読んでいない。 ファン・エイクの祭壇画を巡るサスペンス物。 読み始めて祭壇画自体に引かれて見に行ったりしていて、彼の小説に戻らずにいる。
中世の芸術、グザヴィエ・パラル・イ・アルテ:
中世芸術を初心者向けに解説。入門書的。
西域余聞、陳 舜臣 :
歴史随想。
Malerei in Florenz und Siena、Millard Meiss :
大ペストがどんな影響を芸術、社会、政治に与えたか?
うつろ舟、澁澤龍彦 :
これ、忘れていた。まだ読んでなかった。

リストを書きはじめたら、出て来る出て来るどんどん出て来る、次々未読本が出て来る。魔法のようだ。
まだまだ、読んでいない本が山とあるが、だんだん気分が悪くなって来たのでとりあえす今回はこれだけを目標に掲げておこう。 でもこうやって見るとやっぱりかなりきついなあ。
多分この中の何冊もがうず高い山の下敷きになってしまうのだろう。 私はその山の雄姿を麓から眺めながら足踏みするばかりだろうね。
本好きの友人とこれからお互いに本のリストを作って、貸し出すシステムを作るのはどうか? 個人図書貸し出しサークルを作ろうと話しが盛り上がった。 しかし自分の手持ちの本でも悲鳴をあげているのに更に首を絞める事になりそうな気もする。日本語でも読めないというのに。。。 
そんな話を電話でしながら「私が持っている未読の本を先に読んで、大まかな内容を教えてくれるというのは駄目かなあ。。?」と言ったら彼女は笑っているだけだった。 やはり自分で読まなきゃ駄目と言う事。。。来月は読書月間です。
宣言しちゃっていいのかな? 


美しい本

2005-09-15 00:00:00 | 読書感想

最近購入した美しい本の自慢。
近頃ではアマゾンだのなんだのとインターネットで物を捜して、買える便利さの誘惑に少しずつ負けてしまい、立て続けに何冊か買ってしまった。
かなり抑えているのでまだ恐ろしい借金地獄に陥っているわけでもないし、言うほどに大げさな話ではないのでここで自慢するといってもささやかなものだ。
                  オリジナルはイタリア。ドイツ語訳Partas出版
絵画の中の植物、昆虫、動物などのシンボル性について。
この手の本はパラパラと暇を見つけてページをめくってつまみ食いするのが楽しい。これはシリーズの中の一巻で絵画の中の”シンボルとアレゴリー”、”天使と悪魔”、”聖人と伝説”などが又面白そうだから、いづれ揃うといいと思っている。               
             
                   オリジナル英国。Frederking & Thaler出版   
。。。とりこになった視線。はそれだけに思い入れがこもってそれほど珍しくも無い一枚の葉でさえも、不思議な魅力をまとってしまう。実際道端に咲いている花もその仕組みを改めて眺めれば,神秘的な”生命”のシステムに目を見張るばかりである。ここには魅了された画家達の視線を感じる。
昔から自然を捉えようと、自然科学資料としても描かれてきた細密画はもちろんそれだけに終わっていない魅力的な作品群なのだ。
作家自身探検家でもあったり、自然科学者であったり、探検家と共に旅をし採集し記録した人達。
話から描きあげた不思議な絵などはなんとも楽しい。写真という手段が無かった頃、唯一の記録方法であった頃の事だ。
今のように写真やフィルムで見ることも出来、運よければ実物を見る機会も少なくない我々が見ているものと彼らの視線が捕らえたものは同じものが対象であっても、どこか違うのではないかと思ってしまう。
異国への憧憬と神秘という味付けが加わっているのかもしれない。

                     マリア シビラ メリアン ”昆虫の本”
銅版画家であり自然科学研究家であったマリア シビラ メリアン(1647~1717)は有名な銅板画家マテアス メリアンの娘だ。オランダ領だった南米ガイアナの植物と昆虫の(特に蝶の孵化についての観察)調査と銅板画の記録で知られる。当時活躍した女性は数々いたはずだかあまり取り上げられる事が無かった。中でも彼女の功績はなかなかなもであったと思う。500ドイツマルク札には彼女の肖像画印刷されていたが、500マルク札と言うのは普段それほど使われないものだし私自身あまり見かける事が無かったもので残念だ。

         先日見た展覧会、ランブール兄弟の時祷書の展覧会のカタログ。英語版とオランダ語版のみ

これはもう数年前に買ったカール ブロスフェルドの写真集。
植物の部分写真。最終的に採用される写真を選ぶ前に並べられたもののようだ。アチコチに編集中の印だろうか、○だの×だの数字が青や赤のペンで書き込まれている。ブロンズのように撮影された植物は限りなく金属的、硬質なイメージを持っていて不思議な感じがする。Schirmar-Mosel Produktion

                  これは以前にも美しい図鑑の自慢話を書いた時に既にあげているマルコポーロの”東方見聞録 驚異の書”。
何故もう一度ここにあげたかというと、 実は絵ばかり眺めて満足していて解説を読まなかった私がいまさら驚いた事はあったからだ。 それと言うのもこの本はベリー候(”いとも美しき時祷書”)の甥であるヨハン(ジョン)無怖候が発注して作らせた羊皮紙299枚(598ページ)の大作で、ベリー候に贈った本であるというのを知らなかったからだ。どういうわけだか作家についての記録が残っていないらしい。

他にフロレンス、シエナにおいてペストが与えた影響が社会経済にばかりではなく信仰や芸術にどんな影響を与えたか?というようなテーマの本とフロレンスに観るイタリアルネッサンス美術の痕跡というような内容の本が安売りだったので買ってしまった。
その上図書館で4冊。
時祷書についての本2冊、中世絵画の中の”木”だけを取り上げた本。これらは図版が殆どで読むところも少ない図鑑のようなものだ。眺めて楽しい本。
最後の一冊は”Steinerne Raetsel、Geheimnisse mittelalterlicher Bauwerke ‐ 石質の謎、中世建造物の秘密” 図版は少ない。
日本語で読めたら楽だろうにと思うけれども、仕方ない。目次を見ているとなんとなく楽しそうな本だが、前書きを読んでいてちょっぴり偏り気味かもしれない気もしてきた。謎物好きの向きには多分楽しいかもしれないが、学術的にはどうなのだろう? 最も私は謎好きだけれど。
他にも読みかけが少なくとも、忘れていないだけで片手の指の数ほどある。 忘れた分も思い出せばもっとあるわけだ。魔法が使えてパチンと指をならせば全部和訳に変換できるといいのに、と夢見てもかなわぬ事なので、端から少しずつ齧る努力をするしかない。
そう思いながらも面白そうな本がすぐに見つかるので困る。だからインターネットで本屋をのぞくというのはしばらくやめておいたほうが良いようだ。


歩く木

2005-07-21 17:38:07 | 読書感想
真夏の午後は怪談。。。という事で、ひとつ。
1910年代に多数のドイツ恐怖幻想小説を書いたハンス・ハインツ・エーヴェルスの「カディスのカーニヴァル」という小品がある。
舞台はカーニヴァルで賑わうスペインのカディスという街。
この日ばかりはあでやかに装う人々で、広場は楽しげな笑いさざめきにあふれている。
その中央広場で大きな"木”がのろのろとすべるようにで動いていることに人々は突然気づくのだ。
誰か中に入っているんだ、仕掛けがあるんだろう。。と人々はその現象の理屈づけに躍起になる。そして彼らの笑いは次第に引きつり、こわばり、次第に消えていった。
黙々と道を往復し続ける"木”は回りからの注目を全く無視している。
次第に人々の恐怖感はフツフツと怒りに変わり、やがて襲い掛かって"木”を切り倒してしまうのだ。ただそれだけの話。
ちょっとばかげた話だ。"木”はただそこに突然いて、動いていただけであり、誰にも”物理的”な被害を与えてはいない。"精神的”な不快感だけだ。
我々は未知の物、理解不能、不条理な物に出会うとまず驚き、恐れる。
自衛手段だから仕方ない(?)。
時に理解を超えてしまうと怒りが頭をもたげるか、またはそれを認識する事をやめる。

しかしこのばかげた話には何の裏も隠れてはいないような気がする。ただ、こんな事があったら怖いよね。という舞台をイメージして見せただけのような気がするのだ。

特に面白い話とは思わなかったのにもかかわらず、歩く木のイメージはしっかり根をはやし、
そこはかとなくユーモラスな話の中にちゃんと”怖さ”が底に潜んでいたのに気がついた。

ところでHanns Heinz Ewers(1871-1943)はポーやワイルドの後継者と自負していたらしい。一時流行したが、彼のテーマ性は多々非難を受け、後ナチ時代にあってユダヤ人迫害に反対した為、葬り去られた作家らしい。とはいえ”木をなぎ倒す”に”ユダヤ人排斥”を透かすのはうがった見方かもしれない。
しかしフランスやアメリカ幻想文学には影響を与えているという事だから面白い。"アルラウネ”"吸血鬼”が代表作。

私の住む町にHanns Heinz Ewers愛好会が存在するのをつい最近インターネットで見つけた。
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話は脇にそれるが、
この話の中で人々は"ナルド”という名前の花と赤いカーネーションを身につけている。
そして"ナルド”は"月下香”だと説明している。
"月下香”-Plianthes tuberosa-夕闇によい香を放つ白い花だ。
ここで"ナルドの香油”というものが聖書に出てきたのを思い出した。
この植物の香油ならばさぞよい香だろう、と思って調べてみたら違う植物だった。
それはNordostachys jatamasiでネパール、ヒマラヤ原産の薬草で、鎮静剤として使われるという。
アーモンドのような香らしい。
怪談から脇にそれた話は"ナルド”という言葉の持つ魅力に導かれてスペインのカディスからネパール、ヒマラヤ方面に飛んでいってしまった。
ただいまヒマラヤ上空飛行中。

美しい図鑑

2005-06-08 22:23:29 | 読書感想

もともとリスト作りは好きなのだが、このところ幾つかのブログにて様々なテーマのリストを拝見していたため、私の方も拍車がかかってしまったので、とりあえずもう一つ。

今回は図鑑、辞典、地図の類を羅列することに決めた。。。といっても今ざっと見回しただけでもかなりあって、便利な自然関係の図鑑、特に植物、化石関係などうんざりするほど持っている。
自分でも図鑑を作ろうと、自転車で近所をカメラを持って走り野草、雑草の写真をとり、出来れば採集し押し花も作り。。。という作業をした事があった。円周20km以内の植物生態。それをネタの何か作るつもりだったのだが、ぜんぜん仕上がらない。
それは兎も角、特に好きな本だけ揚げることにした。

<1>Alchemie & Mystik - Alexander Roob
  魔術と神秘関係。図版多し。それぞれのカテゴリーに引用されている絵図が興味深い。雨模様の午後なんかにパラパラめくって楽しむのが良い。

<2>花の王国-荒又宏
Kingdom of flowers 4 珍奇植物挿絵が現物とはかなり違っていて、大半は珍しくない無い植物なのになかなか怪奇に見えてくる。こういう挿絵って描いてみたい。

<3>The Botanical Atlas-Daniel McAlpine 植物学のスタディ。部分のスケッチなどが美しい。顕微鏡ノゾキが趣味の私には、こういうものを魅せられて狂喜しないわけが無い。

 <4>Pflanyen der Goetter(神々の植物達)-Richard E.Schultes、Albert Hofmann共著。過去記事”平行植物”の中でも触れた本。神秘的な力を持った麻薬、毒薬の植物の図鑑。各国の様々な使用例、使用方法なども出ていて興味深いが、ドイツ語版しか出ていないようだ。

<5>Lexikon der Aegyptischen Kultur(エジプト文化辞典)
どういうものかエジプトの装飾や絵画に惹かれる。昨夜もラムゼスの話を夜TVで観ていたところ。ベルリンのエジプト博物館は小さいが気に入っている。Nofretete女王の胸像など、ため息が出るほどに美しい。しかしエジプトにはまだ行っていない。でもエジプトに憧れているのか古代に憧れているのかわからない。いや両方だ。兎に角好きなので他にも2,3冊面白い本がある。

<6>Magie Mythos Religion(魔術、神秘、宗教)-Hannsfeldinand Doebler
私は決して実践的秘儀主義者ではない。でもこの手の本が好きだ。各種の宗教における秘儀について書かれている。図版も多く楽しい。

<7>Fossilien(化石)-Turek,Marek,Benes共著
化石図鑑。他にも鉱物、化石、石関係の図鑑を持っているが、これは化石代表。

<8>Physiologus
これはかつてギリシャで一応ポピュラーな自然科学の本だったらしい。古代において様々な自然物が持っていた意味、その解釈について。当時聖書以外の本でこれほどに翻訳されたものは他を見ないのだというからすごい。例えば“フリントストーン”について:誰かがこの石に近づくと熱い火を噴きあたりを燃やしてしまうという石がある。自然の中には男性的なものと女性的なものがあり、離れていたそれらが、近づいた時にはその間にあるものは燃える。であるからして、女性に近づかぬ事。サムソンを見よ。などとの教訓もたれている。

<10>Lexikon Beruehmter Tiere(有名な動物達の辞典)-Karen Dueve,Thies Voelker
歴史中の、映画の中の、童話の中の、文学の中の、そして伝説の中の動物1200種。ユニコーンからミッキーマウス、ドナルドダックからクローン山羊のドリーまで出ている。こういう本を作る心意気が嬉楽しい。

<11>Weltenyklopaedie der Raumfahrt(宇宙飛行大事典)

歴代の、各国のロケット、衛星が網羅されている。古代、中世も好きだが宇宙関係も好きなので、この方面の辞典、図鑑も多し。 
 
<12>昔の都市の地図の本 


過去記事にも出てきた平衡植物や鼻行類のような架空生物についての辞典的な本達 

”食”関係でも”チーズの図鑑””ワインの図鑑””食材の図鑑”などもある。

辞書もいろいろ持っているが、そういえば友人から誕生日に”クリンゴン語辞書”をもらった。しかしまだ私はクリンゴン語を理解できない。

取り留めなくなってきたし、お腹が空いて眩暈がしてきたのでここで打ち止め。


積読

2005-06-07 17:39:55 | 読書感想
隣町の大きな本屋に行く時は、心して行かねばならない。
まず財布に多少のゆとりがある時、時間にゆとりがある時という条件が満たされなければならない。
背中にリュックサックを背負って行くので肩こりが酷いときもいけないし、歩き回るので、脚が疲れている時もいけない。運動靴は必須条件である。もっとも私は90%運動靴しか履かないけれど。
ある日その本屋の特価コーナーで真剣に物色中、私の背後から”本なんて余計なお荷物だよ。" と耳元で囁く様な男性の声が急に聞こえて驚いた。
何を言うかこの御仁!と思いつつ振り向くと、知人がニコニコ顔でそこに立っていた。
彼の家に行ったら本と人形(人形作家)で一杯の博物館のような様子なのだから、もちろん本心ではないが、本に埋もれそうな部屋を見ると、心のどこかで少しだけ困った気持ちを持っていて、しかしどうにも出来ない心情なのではないかと想像する。だから本心もすこうし入っているに違いない。私はその彼から2冊ほど"お荷物”を引き受けてきたのだが。”ああ。2冊減ったね。。"とため息をついていた。
先週末久しぶりにその本屋に出向き、また”余計なお荷物”をリックサックに一杯背負って帰ってきた。
しかし、我が家の本棚には読んでいない本が山と積んである。本棚にきちんと整列している時代は過ぎ、隙間は埋め尽くされてアチコチに積んであるので、特定の本を探すときには大変な作業となるが、時にそれも整理を兼ねてよい場合もある。本好きの方々には心痛いかも知れず申し訳ないが、私は時々本を切り刻んで作品に封じ込めてしまう。それはもう原型に戻らないのだが、新しい別の形の器の中で、ばらばらになった言葉や一節が別の話に生まれ変わるのを待っている。
もちろんこれは壊せないという本は沢山あるので、本棚はいつもぎゅうぎゅうづめになってギシギシ呻いているのだ。
新しく買ってきた本の収納場所を求めて整理中、買ってきたのにどういうわけか未読の本、完読出来ない本が沢山出てくる。困ったな。困ったのでここに書き上げて当分許してもらう事にする。

<1>Novaris - Heinlich von Ofterdingen (挿絵 Dieter Goltzsche)

意識と無意識の葛藤。ハインリッヒの夢は現実よりも楽しく美しくスリルあるものである。
"青い花”の出てくる部分だけは読んでいるが、その後そのままになった。私も"青いマグノリア”の夢を見たが、思えばこのあたりから喚起されたのかも知れない。銅版画の挿絵もなかなか良い。
ので、持っているだけでもうれしい本。

<2>ペーター スロッターダイク‐Schaeume-泡沫

三部作"Sphaeren - 領域”の最終巻。人間の生きてゆく時の領域、他者との位置。空間の多様性について。まだ15ページしか読んでいない。私のドイツ語能力が十分ではないのを承知で買ったのだから、仕方ない。

<3>Charls Seife‐Zwilling der Unendlichkeit‐無限の双生児

数字”ゼロ”の生い立ち。ゼロの発生、自然化において、科学において、神学に於いてのゼロ。何故必要なのか?
これも真ん中辺10ページくらいしか読んでいない。

<4> マルコ ポーロ‐不思議の本

原本プランス。中世後期に手書きで作られた本の再編集。マルコポーロの旅行記の一部だが、彼がジェノヴァで監獄に入れられた際監獄仲間のRusticelloにフランス語で語られ残されたという。
絵を眺めているだけでうれしくなるので、字を読む前に想像の翼が広がってしまって読めない。
東方見聞録も持っているが読み通していない。

<5>曲亭馬琴‐南総里見八犬伝

まだ読めないでいた。これは誰かに朗読して」欲しい。こういうものは読み始めてなれてこないと辛いので、乗るまで読まずに挫折することも多い。

長くなるのでとりあえず5冊。まだまだ読んでいない本がある。どうしたらいいものかと思いながらも、新しい本が増えてゆく。
私の場合、映画についてもいえるが、本についても幅広いジャンルを楽しんでいるつもりだが、それぞれのジャンルの中で偏っているかも知れない。
ファンタジーもSFも好きなら科学物や歴史物も好い。
そして辞書、図鑑が大好きである。そういう形式のものがあると本当に喉から手が出るんだから。
私の好きな辞書、図鑑リストも並べて見たくなってきた。

食物誌

2005-05-31 04:58:40 | 読書感想
”食”をテーマにした本が集まってきた。
食べ物のレシピ集はもとより面白いものが集まったが、"食”にまつわる、こだわるエッセイ。"食文化の歴史”などは特に興味がある。

”Alles was Gott erlaubt hat(神が許した食べ物)”・・・新約旧約聖書の中に出てくる食べ物、食事のシーンなどが、分類されているのが面白い。アブラハムの台所で客人に何が出されたのか、洗礼者ヨハネの食べたのはイナゴか豚の背油か、黙示録のメニューなどが、聖書を引き合いにしながら延々と続く。
"Kultuegeschichte des Essen und Trinken(飲食の歴史)”・・・人間がはじめて作った料理はなんだったろうか?という話や、古代から現代までの世界各国様々な国の食文化の比較をしているところが面白い。
”What Einstein Told His Cook(アインシュタインが彼コックに言った事)" ・・・これはよく一般に言われる料理の規則、例えばスパゲッティをゆがく際、湯に塩を入れる事が本当に必要かどうか?という疑問を科学的に実験室で答える。
”Kulinaritaeten"ある女性ジャーナリストと小説家手紙のやり取り。テーマは食べ物について、個人的に料理で苦労した事や、食べた事など、それにまつわるエピソードに限られている。
"華やかな食物誌”-澁澤龍彦。こういう本は楽しい。
”Das Kochbuch des Mittelalters-中世の料理”・・・中世のレシピ集。
”典座教訓、赴粥飯法”
”16品の殺人メニュー”これはいろいろな食がらみの短編推理小説。
まだまだ面白い文献が沢山ある。

空腹で無くとも、食べ物の事を考える、味わってみる。
毒の危険があろうと食べてみたい、食べる。
こうしたらどうだろう?と実験してみる。
これらは人間の特許みたいなものだ。

いろいろ見ていると、人間は何でも食べてしまうのだなあ。
だんだん思いは別方向に流れてゆきそうだが、今回は単に面白がるところで打ち切ろう。

料理のシーンや食事のシーンが面白い映画というのもとても気になる。
まあ、食いしん坊なのだといってしまえばそれまでかもしれない。

”食”にまつわる面白い話をもっと集めてみたい。面白い本をご存知の方居られますか?



さて、今夜は何を食べようか。

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全く”食”と関係ないがコクーンがその後どうなっているか知りたい人が居られたら、こちらにリンクしてご覧ください。

結晶世界

2005-05-15 23:18:35 | 読書感想
何を隠そう -別に隠してたわけじゃないんだけど-
私はサイエンスフィクションも好きだ。
もっとも、本の選択傾向には偏りはあるかも知れない。。。

P.K.ディックは昔、本屋で見つけたらそれはもういそいそと買いこんだものだし、
F.ハーバート、A & B.ストルガツキ-やB.W.オールディーズの”地球の長い午後”の世界もいい。
最近SF界のトールキン(?)とも言われたT.ウィリアムズの”アザーランド”を購入。

しかし、今日はJ.G.バラード。。。  "結晶世界”を再読終了。

バラードと言えば”ハイ ライズ"と言う作品も面白かった。モダンな高層マンションのなかで、環境に狂わされて急激に変化してゆく住民たちの狂気。
層階と下層階のこづきあいから、エスカレートして暴徒化してゆく過程が迫力あって圧巻なのだ。
私がそこに住んでいたら。。。どんな反応をするのだろうか? 多分色んな意味で意気地の無い私は早々尻尾をまいて逃げ出すそうとするのに、それも出来ず周りが崩壊してゆくのを見ないように目も耳もふさいで閉じこもるくらいか? たぶんそんなところだろう。
"ハイ ライズ”の登場人物の場合は逃げ出せそうなのにもかかわらず、苦しみながらもなぜか逃げ出したく無いようだ。読みながら、なんで異常に気がつかないんだろう、逃げられるだろうに。。。と、心の半分で思いながらもそんな物なのかもしれないと妙に納得してしまう。

”結晶世界”に戻る。
水晶化し、水晶化し続ける植物、森、終局を身近に迎えた世界。

主人公サンダースが書いた手紙の中に
”。。。。通常の世界では、我々は常に動きと言うものを生命及び時間の経過と言う事と関連させて考えてきたわけですが、モント ロイアルの近くの森でも私の経験では、全て動きは必然的に死に通じ、時間は死の下僕に過ぎない、と言うことがわかりました。。。。”
次第に悪夢のような事態から走り抜けようとする努力を放棄して破滅への流れに実をゆだねるようになる。
そこにしか心のアンバランスから逃げることが出来ないと信じる主人公。
”結晶化してゆく森”は平行して走るドラマと共に描きあげられて息づいてくる。好きな世界だ。

バラードの世界崩壊シリーズの中で絵としてもっとも美しいものだと思う。
私もその中をさまよってみたいものだが、反面、恐怖を感じる。

暗号

2005-04-29 19:24:09 | 読書感想
1 34 22 3 16 44 19 5 35 16 9 22
3 21 16 44 43 26 21 28 11
26 36 8 19 48 7 22 21 44

IMQTJJCBHQOASVNIUAVL

子供の頃自分の文字を作って文章をつづった。
じきに飽きてしまい後に解読方法を見失い読めない文章はただの模様の羅列となった。

その名残りで今も絵やオブジェにちょっと暗号を潜ませてみる。
これが見る人には案外気になるらしいので、展覧会場に解読表をおいてみた事もあったが、
たいしたことが書いてあるわけでないので、解読後は気の抜けたビールのようなものだ。
秘密は明かさず、首をかしげてもらう方がいいのかもしれない。

暗号は魅力的だ。

以前Michael Drosninの"バイブルコード”という本が話題になった。
駅で電車待ちをしていたとき、構内の本屋でその本を見つけて即座に買った。
バイブルのなかに隠れた予言が暗号化されており、それをを解明したというわけだ。
はじめは面白く読み出し、少し先で眉に唾付けつつ読み進み、3分の1くらいで
飽きてきたのに、それでもしつこく4分の3くらい読み進み、後はとりあえず一応ページをめくるだけで終えた。
Drosninが”Newsweek"のインタヴューに答えて ”私の本の批判者が Moby Dickの中に首相暗殺の予言を発見できるのなら、それを信じましょう”
と豪語したのを聞きつけた,カナダの数学者Brenden McKayはその挑戦を受けて立った。
結果、小説"Moby Dick"の中にケネディやインディラ ガンジーの暗殺、ダイアナ妃の死なども発見したそうだから面白い。
ある程度に長い文章があれば、根気よくその組み合わせを分析する事で、必ず、それらしい
”予言”は見つかるそうなのだ。
それはトーマス マンの”魔の山”だっていいのだろう。
フランク ハーバートの”砂の惑星”とか、
ウンベルト エーコの”薔薇の名前”なんかもいいかもね。
トールキンの”指輪物語なんかどうだろう?
問題の本よりこの話の方が面白いなあ。
何の予言が隠されているか?ではなくて、何を見つけたいか?
それに神が一部の人間にしか解けない不確かな形で警告をするものか?
ヘブライ語でしか読めないのも実に不便な事だしね。

モットー:”根気欲探せ、探す者は いづれ欲しいものを見つけるであろう!”

ウンベルト エーコの”フーコーの振り子”のなかの登場人物は、神秘、秘密、
を探し、求め、暗号をいたるところに見つけ、それらに囚われて、挙句は死に追いやられる。
救いはない。 文頭の引用に”迷信は不幸をもたらす”

ちなみに私は エーコの作品が好きだが、至る所にちりばめられた暗号を本当に
理解できたか、その多重構造に読み終ってからも、疑問が残ってしまう。
たっぷり時間が無いと読めない。 読み返すにも長いので、気合が必要になる。
実は数日前から、また読みはじめたけれど、もうくじけている。
”振り子”の吊り糸の無限に延長されたかなたの永遠に不動の”ピリオド”
なんて事から始められてしまうとそのことを想像し切れなくて、もがいているうちに
本日の”ピリオド”がやってきてしまうので、進まない。
もう少し天気もよく明るくなって、もう少し日が伸びてからの読んだ方が良いかもしれない。

”Pi”というローバジェットの映画を今、突然思い出した。
主人公は世界の事象を数式暗号で証明できる、または操作できると思いつくのだ。
その上カフェで出会ったユダヤ教徒からカバラの不思議(?)を教えられて、さらに彼の状況は
エスカレートしてしまい、素敵なコンピューターの並ぶ狭い部屋の中でとんでもない話が繰り広がるという内容だった。しかしこの場合、最後は救いがあったように記憶しているけれど。。。。
ついでにもう一つ、”23”というドイツ映画があって、これも至る所に陰謀(暗号)を
”見つけて”しまう不幸な青年の話で、最後にはっきりしない事故で死んでしまう。
題名の23という数字がキーポイントだ。実話を基にしている。これもローバジェット映画だった。

とにかく、あちこちに暗号を見出し始めたら気をつけなければいけません。

第2次世界大戦でドイツが作った暗号システムのエニグマ。
そして連合軍が作ったそのエニグマの解読機がある。
それにちなんだちょっと面白いサイトを見つけたので
紹介して、今日はおしまい。

暗号製作マシン
ちなみに、文頭の数字は簡単なコード