散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

今日は

2010-08-31 23:36:37 | 思考錯誤
今日は珍しく青空。
友人に誘われてライン川を散歩。
川沿いの道端に西洋ニワトコの艶やかな実の房が重たげに下がっているのを見て少しばかり摘んだ。
吾亦紅や紫のツリガネソウ、マツムシソウやアザミも摘んだけれど、友人宅に立ち寄りお茶を飲んで帰るころには
テーブルの上のコップにとりあえず挿しておいた花をすっかり忘れて、帰宅した。
木曜日までに終わらせなければいけないリストを作りながら、エルダー(西洋ニワトコ)の実を圧力鍋に入れて果汁を取り
プルーンを砂糖で煮た中にシナモン、カルダモン、エルダージュースとゼラチンを放り込み壜に詰めた。
摘んできた日に終わらせないと折角の収穫が無駄になるので、えいやっとばかりに作ってしまう。
ガラス壜2つにプルーン・エルダージャムが出来上がり。
もう一度くらい摘みに行こう。









おまけ


カレイドサイクル




作り方はここ。。。







お騒がせしました

2010-08-31 09:05:04 | 思考錯誤



昨日再びPC回復。お騒がせしました。



マールウェアが侵入していた。
何度もあなたのシステムが危ない!と警告が現れる。何のことはない警告しているこいつが悪者なのだ。
それは知っている悪者だったがたちが悪い。一度は駆除したものの、やはり変な症状が残っている。
何で叩き潰すことができるのかと手をこまねいているうちに、思いついてシステムの復元ツールで前時点に戻ったのだが
短時間とはいえセキュリティの設置がゆるかったのもあって病状急変悪化。
あちこちに悪さをし始めた。
仕事をさせないようにブロックし始めたのだ。たとえばシステム管理にもいくことができなくなった。
しばらくは何とか救助できないものかとない知恵を絞って見たが敢え無く大敗。
仕舞いには立ち上がることもできなくなり、仕方なくOSを一度消して再インストール。

ウィルスは駆除されたようだったがモニターの設定がうまくできずに首をひねる。
独自のドライバがなくともモニターは動くがシステムはそれを感知できない。
専用ドライバをダウンロードしようとすると、なんとグラフィックカードが見当たらないなどという。
グラフィックカードがなければモニターに何も映らないわけで何かしか存在しているのは確かだけれどもやはりシステムは感知しない。
マザーボードのドライバの中にGCドライバが入っているかと探しても見つからず、あらゆる手元のドライバを探しても見つからず途方にくれていた。
(途方にくれて脱力してしまう。)
ちょうど会社が休みだという友人に来てもらい見てもらうことになった。
立ち上がりが極度に遅くなっていたが原因がなかなかわからず、結局もう一度再インストール。
彼も私がチェックした場所と同じ場所を見てはため息をついているので、これはもう専門店の技術屋に修理に出すしかないかと半分あきらめつつ、
私は友人にラテ・マキアートを作ったり、お昼のスパゲッティを作ったりしながら微力の応援を続けた。
しかし問題解決は以外にも簡単で意外なところに見つかったのだ。
ふと、私は思いついてこのPC購入の領収書を探し出して内容を点検してみた。(最後の足掻きみたいな気分だ。)
するとグラフィックカードの名前型番がちゃんと明記されていたのだ。
これだこれだ!としかるべきサイトにアクセスし、しかるべきドライバを探し出してダウンロード成功。(先ほどまで脱力していた体に力が戻る。)
しかしまだこれですべて解決したかどうかは不確かだった。
2人でPCモニターを食い入るように見つめつつ、その前に並んでほとんど手を合わせんばかりに再起動するのを待った。
OSが立ち上がったとき一目で回復しているのを確認。

二人でモニターの前で踊ったのは言うまでもありません。

教訓

●領収書は常に保管し、しかるべき時にはすぐに確認しましょう。
答えは領収書にあり。

●データーはすぐに外付けハードディスクに移動。データさえバックアップしてあれば怖くない。

●ついでもメールアドレスのバックアップもしておくこと。



結局ウィルス騒ぎが、グラフィックカード探しに展開していたわけであります。
しかしなぜシステムがカードを認知できなかったのかなあ。。。。




やっとこれでまだ作業開始。
リストつくりをしなければならない。


















お願い

2010-08-28 22:07:22 | 思考錯誤
このところ激しい雨が降る。多分日本で言うところのゲリラ豪雨に似ているのではないかと思う。
ケルンのギャラリーで展示中、見る見る暗くなってたたきつける雨と霰が降ったり止んだりするのでなんだか目が回った。

PCにマルウェアが進入しすっかり動かなくなってしまった。本当に腹が立つ。
今、古いノート型パソコンを引っ張り出してきてセキュリティチェックとアップデートをまずはじめ、このノート型パソコンはしばらく前に再インストールされてまっさらな状態だったのでいろいろ必要な設定を施した。ウィルスに攻撃されたパソコンのデータは幸い最近ほとんどのデータを外付けHDに移しておいた。やれやれ。。。。
セキュリティモードでも立ち上がらない状態になってしまいOS再インストール。
再インストールはできたもののどういうわけだかモニターとの間にうまく会話が成立していないようで、具合が悪い。手に負えないので救助を頼むしかないが週末だしとりあえずしばらくの間、古いパソコンを使うことにした。
これは内臓バッテリーがほとんどいかれているのでケーブルでつながっていなければ動かない。バッテリーは中古で探して買ってもなんだかものすごく高くて、もう少しお金を足して新しい小型パソコンを買ったほうがいいという気になってしまう。とりあえずひも付きで仕事中)


困ったことにメイルアドレスを救出する事ができずに消えてしまった。
これは結構痛手だ。
なくなってしまったものは仕方ないけれども、やっぱり紙に書いてしまっておくというのが安全か。。。

ウィルスをまく輩はこうやって人の時間と労力とを奪い、いらいらの種をまく。
とんでもない奴等だ。



お願い

これを読んでいる方の中に当方とメイルコンタクトのあった方、展覧会情報の回覧を希望していた方が居られたら、お手数ですがぜひメイルアドレスをお送りくださいますようにお願いいたしたく存じます。空メイルで結構です。














Galerie der Editionale

2010-08-23 09:26:15 | 美術関係




Galerie der EDITIONALEは去年諸事情から已む無く店をたたんだが、ブックアートを愛する主催者のエリザベスとゲルノートは小さいながらも再びギャラリーを開く事になった。彼らの簡単に消えない情熱に敬服。
心機一転再出発の第一回目の展覧会が9月2日より始まる。(インフォメーション)






今朝、いきなりやってきた雨音で目が覚めた。
少し窓が開いていたのでその音はびっくりするほど大きく、一体何の音だ?と寝ぼけ頭が一瞬理解できなかったほどだ。
それからずっと止んだり降ったりが続いていて時折滝のように降り出す。
出かけたくないが仕方ないな。
はきやすい長靴が欲しい。






Haus Lange 美術館

2010-08-18 14:37:52 | 美術関係
Abteiberg美術館を出てまだ時間もあるのでHaus Lange美術館に向かった。
この建物はMies van der Roheの建築で展示空間としてなかなか気持ちが良い。







この美術館は2層になっており今回は一階にJulius Popp、二階にはAdolf Lutherの作品が展示されている。

まず部屋に入ると幾つもの大きな白いカプセルがそれぞれあちらこちらに傾いで立っている。
この作品はまだ未完で、今回はこの状態(写真参照 上左)に固定されているが、いずれ無線でコミュニケーションし稼働するシステムを製作中だそうだ。
出来上がりが楽しみだ。
しかしあっちこっち思いのままと言う感じに立っているカプセルは何処となくユーモラスな表情さえあって動かなくともなかなか良い。
(カプセルの腹に小さなカプセル型の開口部があってそこから中に錘となるものを入れて重心を取っている様子なのだけれど、開口部の蓋がセロテープで止められていた。とりあえずの応急処置なのだろうけれどなんだかそのままにしておいて欲しい気もする、愛嬌だ)
他にもMITやFrauenhoferインスティチュートが開発したソフトウェアを使って稼働する作品がある。こういう作品を作るには沢山の人の手と頭が必要なわけだけれど、スポンサー探しから始まって手配と人脈と人を使う手腕がなければできないね。
こんなのができたら良いなあ。。。と思っていても普通は具現できない。

インフォメーションやコミュニケーションとは何か、どの様に発生するのか?
ボタンを押すとピンポン玉の列が言葉になって降りて来る機械からカラカラガラガラとにぎやかな音が聞こえてくる。
玉の配列が一瞬文字になり、あっと思う間に崩れて行く様子はなぜか魅力的でしばらくぼんやり眺めている内に自分が崩れた文字のピンポン玉一つになって雨の中を走ってゆく妄想。。。。




Bit.Fall
Bit.Flow
Bit.Code






Adolf Lutherはキネティックアート、オプティカルアートの一人者だった。
Julius PoppはAdolf Luther財団法人から賞を貰っている。


お化け屋敷

2010-08-18 09:45:06 | 美術関係


Mönchengladbach Abteiberg美術館のカフェから雨降る庭を望む。




日曜日、日本からの来客Sさんを誘い、雨模様の空の下メンヒェングラッドバッハのアプタイベルク美術館に出かける事に決めた。
久しぶりに出向くこの美術館はハンス・ホラインの建物で最近寂れているいたもののなかなか良い美術館だ。(最近改修が終わった)
館内をふらふらと眺めていると偶然知人のクリストファが目の前に突然現われて
開口一番『ガレージをみた?』と言う。
『面白いよ。あのガレージに入るとね、3人中1人は消えちゃうらしいよ』と彼の連れが言う。
何のことだか良くわからない。






GREGOR SCHNEIDERの”ガレージ”。
まず美術館の受付にガレージを見たいと告げると、『一人ずつ入ること。入室する前に身分証明書を受付に預ける事。荷物はガレージに下りてゆく際邪魔になるので必ず預けてから入室する事。梯子を降りるのでしっかりとした靴を履いている事。暗闇の中は注意して歩いてください。部屋の突き当たりにあるエレベーターを使って外に出る事ができますが具合が悪くなったらすぐに脇の扉から出る事』などと注意書きの書かれた一枚の紙に名前を記入しサインをさせられて鍵を渡され、美術館の出入り口から外に出てガレージの入り口に向かう。
小雨降る薄くらい中、何が待っているのかわからないガレージの入り口を探す所から不安な気分が芽生えてくる。ドアを見つけて鍵を回すと中は暗い。
暗い中に下に下りてゆくはしごが見えるのでこれに違いないと見当をつけて降りてゆく。梯子を降りきると暗闇の中で少し脚がすくむ。同時にどちらに向かってよいのかわからないので両手を伸ばして壁を探るのだけれど、ここで嫌な触感にであったら絶対心臓が飛び出す。
かすかな光に目を凝らすと等身大の人形が幾つか倒れていた。明らかに布でできた人形ではあるけれど動かないと言う保障がない様に思えてくる。方向感覚があまり頼りにならない。少し慌てて壁を探りそれに沿うように歩くとまたかすかな光が出口を示していて、ボタンを押すとエレヴェーターが開いたのでそそくさと乗り込んだ。

お化け屋敷だ。



私は知らなかった事だが数年前、Schneiderは”死”からタブーなイメージを取り除き”誕生”に並ぶポジティヴな体験にすることができるかもしれないと、美術館の中に彼の作品である"部屋”をつくり、間もなく息を引き取ろうと言う人に"安らかな死と対峙するために人間的な場所”を提供する(展示する)コンセプトを発表し(実際に発表したわけでは無い)大騒ぎの話題になったらしい。
死の美しさを展示したいという。
どう考えてもそれが彼に言うように死へイメージを変えるようには思えない。説得力は感じない。


作品"ガレージ”もそこへ繋がっているのだろうけれど、今ひとつ私にはピントこなかったなあ。

Schneiderは2001年ベネチアビエンナーレにおいて“das Haus u r ”と言う二重構造の家で金獅子賞を取っている。これはみていないので想像するだけだけれど部屋の中に更に作られた部屋は記憶と記録なのだろうか?
もう誰も棲んでいない空家に潜入した時に感じるものに近いだろうか?
わざわざ遠くまで出向く気もしないけれど、どこかで偶然この作品を見かけたら体験してみたい。





もう一つの特別展はメディアアート作家MIRCEA CANTORの様々な作品展で、美術館の趣向か作家の希望か知らないけれども、美術館の常設作品の間に彼の作品がちりばめられる展示方法だったのがちょっと興味深い。
この人には今回の展示には無かったが室内に動物を展示すると言う作品があって美術館内にあるべきではない空間を押し込む。
アイディアの豊富な作家で様々なスタイルの作品を作っている。

Abteibergにて展示されていたMilcea Cantorの映像








Georg Schneiderが”人間的な死に場所”を作り上げたいと希望しているのはKrefeldのHaus Lange美術館だそうだ。
そんな話は知らなかったが偶然にも帰りしなHaus Lange美術館に向かった。


(続く)




今日の散歩道

2010-08-08 20:28:07 | 思考錯誤






純白:  畑の脇の道を歩いているとDatura stramoniumが純白の花蕾を開きかけている所だった。

錦:  Angelica archangelica(セイヨウトウキまたはアンジェリカ)が
もう実を結び立ち枯れようとしているのを見るともう秋なのかと気分も少したそがれてしまうが
まだ咲き始める花も、緑みずみずしい種子も混在している群れは金銀糸の錦のようだ。

漆黒:  ブラックベリーの茂みには黒曜石のようにつややかな実が重たげに下がっている。
完熟しないままの実は赤く彩りを添えて美しい。

緑に朱:  穂草が2本アーチを作るように絡まっているのが面白いと近づけば朱色の玉の彩りは天道虫。

黒:  それを足元の草の茂みに踏み込んで覗き見ているとUrtica dioica(ネトル)の葉に黒い棘の生えた幼虫が食事中。
一匹だけならつくづく眺めているけれど、その2,3本先のイラクサにはウジャウジャと絡んでいたので、
思わず引いた。どうもウジャッと固まる様子は苦手だ。
しかし彼らは美しい翅で舞い飛ぶTagpfauenauge(Inachis io、和名:孔雀蝶)の幼虫だ。
寄るな触るなと言わんばかりの禍々しい様子からあの美しい翅に変わるのだ。

金:  金色のボタンのようなヨモギギクが群れ咲いていたので
草木染の実験をまたしてみたくなって集めようかと傍に寄ったが、
展覧会の準備を放り出してそんなことをしている暇はないのだ
と言い聞かせ出した手を引っ込めた。

黄:  セイタカアワダチソウも一群れ咲き始めようとしている。
これも美しい黄色が出るなあとまた脚を止めては考える。
後ろ髪を引かれながらも諦めて帰ろうとすると、

 



黒に赤:  Daucus carota(黒人参またはノラ人参)の花に
美しい石細工のようなアカスジカメムシが休んでいた。
(腹側も水玉模様でお洒落だ)







のぞいている

2010-08-07 07:57:12 | 思考錯誤
隣の家との間に立てた垣根の隙間から顔を出しているものがあった。






クリーム色のゼラニウム‘First Yellow’
15年かけてこの新色を作り上げたそうだ。
友人からの贈り物

天気予報を見ると気温予想の欄には24、23、22、20.。。という数字が並んでいる。もちろん最高気温だ。
最低気温は10度から15度。
過ごしやすい。
夏は終わったようだけれどこのまま長い暖かで明るい秋になってくれると良い。




今朝の夢

地球が動いていると騒いでいた。
インドの下に大きな洞窟ができていてそれがガランガランと音を出して何かが起こりそうだった。



白闇

2010-08-05 22:01:59 | 思考錯誤
 K20 の中

昨日は街に出て友人と昼食を共にし、鉛筆やフィクサチーフやらを買い込み帰宅。
最近デュッセルドルフには本当に日本食系の店が増えた。
おにぎり屋までできているので驚く。
もやしを一袋と
どら焼きを一袋買った。








9月の個展様に今日もドローイングを描いた。(300cm x 75cm、100cm x 75cm)
"内側”を引掻く様に。
640cmの壁を埋めるように展示したい。


動画テスト

2010-08-03 08:18:08 | 製作記録
動画も載せられるという事は知っていたが、カメラを使った動画はデーターが大きすぎるし拡張子を変換しなければ使えないので簡単に使えないなあ。。。と思ったことがあった。
別に見せる録画もないので考えもしなかったが思いついて携帯電話で試してみた。
とはいえこれでは使い物にならない。


追記:

このサイトの動画データーのアップロードのボリュームが2Mbytだった。
以前はもっともっとほんとに短い小さいデータしかあげられなかったのを覚えていて、調べずに思い込んでいた。
これならもう少しマシな映像も載せることができるが、別に動画サイトにアップロードしてリンクする方がいいのだろう。
アニメーションを作ってみたいと思っているけれど、いつできる事やら。。。。

上のぽこぽこ狸の腹鼓みたいなものは黒粘土で作った。
波紋音やHapi Drumをお手本に作ってみたが、音が足りない。。。。ま、陶器じゃ難しいね。
ちょっともう少し良い画像をカメラで撮って変換したら良いのだろうけれど、それをする労力は出し惜しんでいる。

ヴァーチャルHapi Drum

Inception

2010-08-01 19:01:14 | 映画の話




映画の気分になったのでインセプションを観にいった。
実は見るまではそれほど期待していなかったのだが、なかなか面白かったので満足。
”Matrix”“Dreamscape”“Dark City”や”The Cell"にMission Impossibleで味付けしたと言ってしまったら、あちこちから素材を頂いて良い所盛り合わせお子様ランチ。。。と聞こえるかもしれないけれどそうでもない。奇想天外目から鱗が飛び落ちる程ではないにしても独創的だしこれだけ良くまとめたものだと感心する。
好みは千差万別、退屈してしまう人も多い事だろう。
後半でのアクションシーン(誰が誰とも見分けのつかぬ雪景色のなかでの銃撃戦)は少し長すぎるようにも思えたり、いくつか気になる点は出てくるものの、あんまり重箱の中ばかりつついていても仕方のないこと。
エンターテインメントな映画ではあるけれど、設定状況が高速テンポで移行するのとわかり難さで、このタイプの映画を好まない人には苦痛になるかもしれない。
簡単に言えば他人の夢に入り込み或るアイディアを植え付ける話で、予想外のファクターがミッションを難航させる。
夢は幾つかの階層に分かれて、それぞれの夢の段階でタイムラグがあると言う設定で、4つの夢の中で起こっている事が同時に上手くかかわりあいながら進行する。(夢が深くなるほど体感時間は長い。。浦島太郎現象の逆)
夢か現実かの区別を確認する為にそれぞれのメンバーは『トーテム』を携えているという設定も魅力的。(主人公のトーテムは美しい形の金属の独楽で、夢の中で回したら決して倒れない)-ここで私がトーテムを選ぶとしたら何かなあ。。。などとのんびり考えていると置き去りになるので注意-
このミッションを遂行するチームは目的達成はできたのだけれど、その点は物語が進行する内に二次的な物になって途中から彼らの戦いは違う方向に向かっている。
夢から覚める為に『キック』が必要と言う設定で、それは『落ちる』ことだったり『死』であったりする。その時の合図にEdith Piafの"Non, je ne regrette rien"が使われていて、この曲の選択も意味深に思う。
最近CG特殊効果をこれでもかと見せられて食傷気味だったのでそれが少ないのも悪くないなと思った次第。
ラストシーンでは『一体真実はどちらに?』と言う場面で観者達にその選択をゆだねて終わる。
結末放り投げ型には時々がっかりしたりするものだけどこれに関しては悪くないな、と思う。



以前私は夢の中で『これは夢の中だから、この窓から飛び降りても死なない』と考えながら飛び降りた事がある。
普通は地面に叩きつけられるところあたりで恐怖の針が飛び跳ねて目が覚めると言うところなのだけれど、その時は確実に夢だと信じていた所為か、地面に落ちた。
落ちる事は『キック』にはなっていなかった。落ちても痛くはないし、アスファルトは暖かく乾いた感じでむしろ気分が良かった。
確かその後は気まぐれに場面が変わっていったように記憶しているのだけれど、『これは夢だ』と勘違いしているのだとしたら?とこの夢をたまに思い出す。
私も『トーテム』を作っておくことにしましょうか。。。。何が良いかな?



追記:

音楽担当はHans Zimmerでなかなか良かったが、こんな分析をした人があった。
実際Zimmer氏がどう作曲したか真相はわからないけれど、このテーマが『キック』の合図であるフレーズを極端にスローダウンしたものだったとしたら、夢の階層ごとにのびて行く時間を象徴しているようにも思える。
どうなのだろう? 
面白い事を思いつく(気が付く?)人もいるものだ。