散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

灰色の空気に負けぬ方法

2006-10-28 20:00:21 | 思考錯誤
今日は朝から雨が降ったり止んだりを繰り返しているが、太陽は顔を出さない。
空気はどこかまだ生暖かさを残していて、よどんでいる感じだ。
来週は北の方から寒気団が到着してぐんとさむくなるという事だから、寒さが嫌いな私はそれを聞いただけで憂鬱になっている。

その灰色の空気に負けぬ対策のひとつとして、読書などもいいが、美味しい物を作ったり、食べたりするのも良い。

今朝は小雨の中を近所の木曜日とお土曜日の午前中だけ現われる市場に買い物にいった。
大きくて青々とした縮緬キャベツとコールラビと胡瓜とフェンネルと鳥のモモ肉を買い込んで、並んだテントの外れまで来ると、見たことのない店がひとつ出ていた。
小さな瓶が沢山並んでいる。ママラーデ(ジャム)、ペスト、シロップやリキュールの瓶だった。そこに薄いばら色の液体が入った瓶があったので聞くとバラのリキュールだという。そのまま飲んでも美味しいけれども、グラスの中に少し入れてからプロセッコなどの発泡ワインを注いで飲んだら美味しいのよ。と店主はうれしそうに説明してくれる。彼女が作るらしい。
試食をしてみるとパイナップルとバジリコのジャムなどもなかなかいける。また彼女のバジリコペストがとても美味しかった。果物とハーブの組み合わせの妙についてひとしきり盛り上がってから、今日はバラのリキュールを手に入れた。

 まずこれが目に付いた理由は、以前買ってまだ持っているあぶり出し用のインクに似ていたからだった。

今日は久しぶりにママラーデでも作ってみようと考えていたので、こんな店に出会ったのは面白い。
テラスに植えたトマトがいつまでも実らずにいたので放っておいたら、いつの間にか小さな実が沢山出来ていた。もう赤く熟す機を逃してしまった実を捨てるのももったいないので、ママラーデにしてしまおうと思っていたのだ。
指先ほどの緑トマト、友人の庭から取って来たマルメロ、林檎、パイナップルを入れて煮てからレモンの皮に黒胡椒と今年の夏中細々と生き続けていたバジリコの葉をすっかりむしり取って加えてみた。



似合う味がないかどうかと色々集めた香辛料をなめたり齧ったりしながらママラーデの味見をするのが私の流儀で、これがなかなか楽しい。
出来上がるとこれはパンにつけたり、アイスクリームに添えたりするだけでなく、何よりもチーズのお供に最高である。チーズがどんどん進むし、ワインも進むのでちょっと危険だ。(とはいえ最近私はそれほどお酒を飲まない。)
今晩は縮緬キャベツを半分ざっくり切り分けて、たまねぎと塩豚と林檎とたまねぎを一緒に大きな圧力鍋に放り込んだ。月桂樹の葉2枚、バーホルダーの実と胡椒を数粒、ついでにママラーデに使ったレモンの皮が残っていたので発作的に放り込む。
赤ワインをドボドボドボという感じに入れて蓋を閉じ後は鍋に頼むだけの簡単な料理だけれど、こういう料理は気合で仕上げる感じなのだ。豪快で美味しい。
食後のデザートは冷凍庫の中にある凍ってカチカチのラズベリーに砂糖と生クリームを加えてミキサーで攪拌するだけで美味しい氷菓子になる。
その前にバラのリキュールをほんのちょっぴり食前酒ってところでどうでしょう?

さて、そろそろ煮えたかな?

何でもない一日

2006-10-27 20:54:49 | 思考錯誤



一昨日電車の中で不思議話を書いてみようと思いついた。鍵は万聖説、沼、森、光、本の5点だ。これは私の頭の体操なのである。
話が面白いかどうだかはとりあえず棚の上に上げておいて5つの鍵が入ってうまくつじつまが合うかどうか?長々書くつもりはない。昨日100字ほど書いたけれど、”事件”が起こったところで急に転んだ。もちろん私は遊びで書くわけだから転んだら破いて捨てればいいのだが、解けないパズルを遣り残したようで気持ちが悪い。
話変わって。
今日、友人を見送りに飛行場に出掛けた。帰りに飛行場から電車乗り場まで、ほんのわずかな距離だがモノレールに乗るのだ。私は始めてなのでモノレールの進行方向先頭に陣取ってちょっぴりわくわくしりもした。カーブに来るとちょっぴりグラリとゆれる。対向車が向こうに見えてちょっぴり怖い気もする。二駅間はあっという間で到着したのが残念なくらいだ。ついでに街を歩いてみた。
今週の日曜日は13時から18時まで店の営業が許される日だ。日曜の営業を許すの許さないのと時々論議が持ち上がるけれど、私は日曜日が休みであることに別段不便はないし、必要はないとおもう。年に二回ほど許される日曜営業は、イヴェントを伴うことが多いが、今年はライン河沿いの草原に仮設スキー場が出現するらしい。
どんな規模なのだか知らないけど、面白いのかどうか?
本屋に立ち寄る。
安売りの中にリルケの短編集やサラ・キルシュの詩集などが埃をかぶって、私に目配せしているのを見たけれど、あいにく今日は小さいカバンしか持っていなかったし、カバンの中には中国食材店でかった”ニガ瓜”とか"麺類”に占領されているし、それ以上の重さに耐える気もないので本には次の機会まで待ってもらうことにした。
店頭にはドイツ前首相ゲルハルド・シュレーダー氏の自伝が積まれている。こんなもの読む人がいるのだろうか?と思っていたら意外にも売れているらしい。まあしかし昨日発売されたばかりだから、これからどうなるかはわからないけどね。
そろそろハロウィンを通り越してクリスマス用品が並び始めている。もっともハロウィンはもともとドイツでは行わない祭りで11月1日の万聖節が祝われる。(カトリック)
毎年ビレロイ&ボッホのクリスマスデコレーションが新しく出るのだが、動物などを模った陶器の小物入れがあって楽しい。今年のシリーズがもう並んでいて、アルプスマーモット、リス、フクロウ、鹿の4種類が並んでいた。マーモットがなんとも可笑しな顔をしていたのでちょっと欲しくなった。
そうこうしているうちに足もくたびれてしまい、とぼとぼと帰ってきたんだけど、昔は一日歩いていてもぴんぴんしていたのになあと、時間の経過を無視して憤慨してしまう。
というわけで、解決しないパズルは相変わらずそのままだし、足は棒になっているし、書きかけの話と同様私の動向は無意味に無駄な動きを繰り返しつつ街を彷徨った一日だった。
今、この瞬間瞼は指で押さえないことにはパタリと閉まりそうだ。
おやすみなさい。

夏のような秋の一日の陽射しを切り取る

2006-10-27 06:20:46 | 思考錯誤







ラジオでもテレビでも夏のような秋の一日を報道していた。
ところによっては27度もあって、水遊びする人々が水場にたまったり、陽だまりでサングラスにアイスクリームという人々で街のカフェは溢れていたのだそうである。
昨日から「明日は暑くなる」と何度も聞いていたので、私もかなり期待していたが
ここはそれほどに暑くなることもなく、なあんだそれほどじゃあないなあと仕事場の窓から外を眺めた。
明日は天気はよさそうだが気温は平常に戻るということ。

さすがに気温のせいか水を飲みたくなって小さなペットボトルをあっというまに飲み干した。ペットボトル青い透明シールが巻いてある。
空のボトルを透かしてみたら、ぼんやりした景色が夢の中のようで面白い。

さて、どんな話が出てくるか?

2006-10-24 18:21:56 | 思考錯誤
そろりそろりとハロウィーンがまたもや近づいてきた。
冷たくなってきた風がガラス窓にぶつかって、部屋の中の気持ちよい空気を一睨みして去ってゆくのを見るのは面白いもんだ。
この時期には、ろうそくのゆれる灯火を眺めていると、ちょっと背筋が寒くなる話なんかが、するする立ち昇ってくるはずなんだけれど、息を潜めて見つめていないことには、気がつくと”お話”はふわりと消えてしまったり、するりと逃げてしまったり、ゆらゆらと絡まってしまうものだ。
今夜はどんな話が出てくるもんだかわからない。
うまく捕まえられるだろうかね? 





ジャックという男は罪深いやつだった。
いやまったく、悪賢い奴だった。
欲しい帽子があれば人様の頭からでもそれをひったくったし、ありつけるときには酒をしこたま飲んだな。それで彼の都合で嘘をついた。日曜日について彼が知っていることといえば池の魚を独り占めに出来るってことだけだ。
食い物は大方盗んできたもんだ。誰も見てないところを見計らって鶏をぬすんだり、
冷ますために窓辺に置かれた焼きたてのケーキとか、取り残しの鶏の卵を失敬するとか、持ち主がベットの中で夢見ている時分を見計らって、いい具合に熟れてきたメロンを盗んじまう。
彼の“買い物”をよく思うものなぞいなかったが、彼はひとところに長居することはなかったから、数日おきに他の街で鶏だのメロンだのが行方不明になるのだった。

さて、すべての生まれてきた魂には死がやってくるのは世の常だ。
もっともそれぞれ違った形でそれはやって来るもんだな。ジャックの場合それは悪魔の形でやってきた。
「ハロー」悪魔は道の真ん中でジャックの行く手をさえぎりながら言った。
「ハロー」ジャックは答えた。
「申し訳ねえこってすが、旦那様。。あっしがおしゃべりに付き合わないからって気を悪くなさんないでくださいましよ。何しろ後ろから追ってくる二人組みが居りますんで。その奴らといったら、奴らの燻製室から消えた燻製ハムの行方についてわしと話したがってるんだが、こっちは相手になりたくはないもんで。もし貴方様がここを通してくだされば、このまましけこむことが出来るってわけなんで。」

悪魔は一ミリとて動かない。
「がっかりだな。お前は私がわからんのかジャック。」と聞いた。
「もちろん貴方様が誰だか十分知っておりますですよ。」とジャックは答えた。
「貴方様の頭に生えた角、長くてとんがった尻尾、あかあかした両目に、そして焼け焦げる硫黄のにおい。。ああ、旦那様、貴方様をそこらの巡礼者と間違えようっていったって無理ってもんですわ。ただその。。追っ手があっしの後を。。。」
「それはもう聞いた。」と悪魔はジャックをさえぎって言った。
「そいつらのことは興味がない、まだ今のところな。今興味があるのはお前だ。」
「なぜでしょう?」
「なぜなら、お前の時が来たからだ。お前にはこの嘆きの谷を去って、犯した罪の償いを受けるときが来たのだ。お前が地獄行きという事で驚くものはいないだろうよ。」

「いやね、自分でも驚かないってもんですがね。 驚いちゃうのは貴方様が神を恐れる敬虔な奴ら二人組みを魔法でたぶらかすことなく逃がしちゃうって事ですよ。」
「魔法だって!」悪魔は叫んだ「一体どんな風にするのだ?」
「いやいや。。貴方様はおやりにならないでしょうね。それよりあっしを通してくださいよ。」とジャックが言うと
「ちょっと待て。お前はいつも私好みの良いアイディアを持っておる。ジャック、一体どう意味だね?」
「それじゃあ言いますが、例えばですよ、あっしが二人組みに捕まったりするんですがね、それでもってあっしが奴らに 許しを乞ったり邪険にしないよう頼んだりしたとしますわな、それで例えば盗んだ金を返すと申し出るとしますなぁ。フェアにですねキリストの名に。。。」
「その名は言うな!!」悪魔が叫んだ。
「オーケー、オーケー。兎に角フェアにゆきましょうってね。奴らに最後のなけなしの銀貨を、お袋が死に際にくれた銀貨を渡すと言うんですわ。」
「お前のおふくろさんはま死んじゃいないし、銀貨どころか銅貨だってもっちゃいない。しかし、お前はなかなか面白い事を言う。さあ、それからどうするのだ。」
「兎に角ですな、あっしが奴らに銀貨を渡したとしましょう。そして奴らはあっしを解放しますわな。するとまもなく銀貨がぱっと消えてなくなるんですわい。 銀貨がなくなったもんだからいくら敬虔なお二人さんでもお互いを疑いあってかっとなって喧嘩になるってわけです。」

「我々の名が世にとどろくな。」と悪魔。
「面白いぞ。しかしひとつ質問がある。一体お前は何処から消える銀貨を調達するのか?」
「それがですね、貴方様が銀貨に変身してくださればいいんでさ。」
「私がか?」
「そうです、貴方様がですよ。いいじゃないですか。貴方様は色々なものに変身できると仰ったでしょう?それで貴方様の好きな時に消えればいいんですから。金は災いの元って言うじゃありませんか。」
「もういい!」と悪魔はさえぎって言った。
「それはいい考えだ。ジャック。やってみようじゃないか。」

「わかりました。」とジャックは返事をしながら皮の袋をポケットから取り出して言った。
「ここにあっしの銭袋があります。銀貨になってここに入ってください。 ああ、追っ手が近づいてきたみたいだ。」

ジャックの予想は当たって悪魔は何にでも変身できるようだった。早速ぴかぴかの銀貨に変身した悪魔は銭袋の中に飛び込んだ。
そこでジャックは銭袋の紐をぐいっと締めてほこりの舞い立つ道路に投げ出し、ドカッとその上に座り込んじゃったんだ。
その瞬間悪魔はジャックにはめられたのに気がついたがもう遅い。
その上ジャックがつい先だっていた町で盗んできた銀の十字架を乗っけられたものだから悪魔は力を失って泣き喚くばかりだ。ないてもわめいて脅しても賺して、まったくひどいののしり言葉をわめいて、その上、出来立てほやほやの罵倒言葉なんかも飛び出したけど、役には立たない。
ジャックは悪魔がそのうち疲れてしまうだろうと道の埃の中でじっと座って待っていた。

ジャックが思ったとおり、悪魔は泣き喚き疲れ、ジャックの尻に敷かれたことで誇りを傷つけられ、乗っている十字架のおかげでひどく苦しんでいた。
そして、とうとう耐え切れなくなった悪魔は
「何が欲しいのだ!」と袋の中から訴えた。
「あんたがあっしから手をひいてくれることでさ。」とジャックは答えた。
「わかった、約束しよう。」と悪魔は答えた。

ジャックは悪魔の約束は7年間しか持たないという話を知っていた。
「七年間。七年間といえばちょっとした時間だ。その間に2,3つ悪さを考えることも出来るだろうし、ひょっとしたら、熱心な神父が俺様を改心させて敬虔な信徒にしてくれるって事になるかもしれない。まあ、七年間ありゃ充分だね。」と決心した。
ジャックは立ち上がり皮の銭袋の紐を解き始めると、悪魔は飛び出してあっという間に消えてしまった。
一人残ったジャックは七年間の計画を立て始めた。

七年たってもジャックには改心の兆しはまったくなかった。
七年間は競馬場や酒場で費やされ、食べ物はそこここで盗んで暮らしていた。
そしてちょうど七年目にあたる日のこと、ジャックはぽっくり死んじまった。
蕪の畑の真ん中で盗んだ蕪を切って食べているときにいきなりぱったり地面に倒れ、ジャックの魂が地獄の門についたときもまだ、蕪を口の中でもぐもぐやっていたくらいだ。

「あちゃぁ、もう七年経っちまったのかあ?時間の経つのはまったく早いもんだ。ここでもそうだといいねえ。」ジャックは蕪を飲み込んでから門に向かって叫んだ。
「おおおい、中にいるお方!来ましたよお。」
「誰だ?」と聞き覚えのある声が中から響いた。
「誰が来たのだ?おお。。。」
悪魔は壁の向こうに顔を出して、
「お前か。何の様だ。」
「だからですね、お約束の七年が過ぎましたんで、旦那様。来たくはなかったんですがそれでも来たんだから、開けてくださいよ。」

「いや、だめだ。問題外だ。お前は私をひどい目にあわせた。ジャック、私が許すのが嫌いなのだということを知っているか?」
「へっ、入れねえってんですかい?それじゃあ、あっしはどうしたらいいんですかい?」
「それは私の問題ではない。」と悪魔は答えた。
「お前はお前の使い古た体にはもう戻ることも出来ないし、ここに入ることも許さん。お前は“他の場所“に向かう道をゆくんだね、ひょっとして何かに使ってくれるかも知れんぞ。」といって悪魔は暗い道を指差した。

「他の場所ねえ」とぼやいた。
「まあ、しかたねえな。試してみようか。しかしあっちの道は真っ暗だなあ。おおい、明かりのひとつも貸してくれたっていいでしょう?」
「これをもってゆけ!」と悪魔は熱く焼けた炭をジャックに放ってよこし、
「これを返しにくる必要はない、といっても出きんだろうがな。」と言い捨てた悪魔はくるり背を向けて炎の中に消えていった。

炭は熱くてつかめなかったので、ナイフで蕪をくりぬき穴の中にそれを入れ、歩き始めた。

ジャックは“他の場所”の門前に着いたが、犬が彼を追い回すので、また来た道を引き返した。門をたたいても誰も返事をしないので、ジャックはこの世に戻ったんだ。
そこで問題は彼がもう体を持っていないってことだ。
ジャックは仕方なくあちこちをさ迷い歩いた。彼が生きているときからしていたようにね。
彼のあかあかと燃える炭は決して消えることはない。
そんなわけで湿原や沼や野原で明かりがぽつんとひとつ霧の中をさまようのを見ることがあるってわけだ。

その明かりを追ってゆく者は、暗い危険なところに導かれて二度とかえってこない。

そうやってジャックは地獄の門を通ることも出来ずにいまだに当てもなく彷徨っているわけなんだ。



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 これは去年の記事に載せたジャックの話の別バージョンでした。



ハロウィンの晩は。。

ハロウィンの晩は。。2 

ハロウィンの晩は。。3

骸骨を。。食べる



読書の秋ですからね

2006-10-22 11:40:33 | 読書感想


  『私は、芸術家が最終的に行き着くところは自然さだと主張したい。だが、自然さとは言っても、それは新しく生まれ変わった人間の獲得した自然さということである。自然発生的に表現が発露するというのは,征服の結果である。それは、ひとつの仕事を極限まで遂行できるという自身や、仕事の諸々の部分を実行に移しつつも、途中で精神や自然を失うことなく、仕事全体の統一性を確保できるという指針を得た人だけに許されたものだ。』

これは今朝読み齧っていたポール・ヴァレリーの”ヴァレリー・セレクション 下 ”のなかの『コローをめぐって』という一文の中から抜粋。

私の場合、生まれ変わらなきゃこの"征服出来る人”に近づく可能性は無いけれど、それを目指して"日々精進の心がけを持つ事”をモットーとしたいものだ。

この本を読んでいて単に驚き感心するのだけれど、この人は常に思索し続けてたのだろうね。何かに目を惹かれた瞬間、様々な方向に向かって思索が広がってゆくのだろう。
私は読んでいる途中で、そのことを思ってちょっと途方に暮れてしまった。

途方に暮れてしまったので本を閉じた。ふと机の上に載っているカメラが目に入ったので、机の上に咲くバラの写真を撮ってみたりしながら、いろいろ思考を広げてみようかと試してみた。たいして広がらない。
じっと考える振りをしていると、昨日の部屋の改修作業で残った筋肉の痛みが際立って広がるくらいだ。


読書の楽しみは、秋にあるばかりでは無いわけだけれど、外気温がぐっと下がって、曇りがちになった空と、暖かい部屋の明るい窓辺、すわり心地の良い椅子と、お気に入りの紅茶やコーヒーなどを用意して本を読むのは素敵だ。
本自体が与えてくれる喜びもだけでなく、ゆったりと本を読んでいるという状況が嬉しい。
最高の贅沢をしている気分でもある。

机の向こうで相棒がデュマの「モンテ・クリスト伯」を読みながら、なぜかクスクスと笑っている。クスクスと笑う場面があったっけ?

「ラードで揚げたエジプト豆を土鍋に入れて。。。とあったのに、そのすぐ後でエジプト豆にベーコンの入った料理になっているんだよね」

「そりゃ、料理の途中だったんで、気が変わって揚げ豆を煮ちゃったんじゃないの?」

。。。となぜか、ちょいと食べ物のの描写が現れる度、異常に反応してしまうのだった。
こういうことなら広がって止め処なし。

道草草紙 Ⅳ:秋

2006-10-18 09:20:50 | 思考錯誤
金色
金色の光
壁の上で踊っている
冷たい風が光を乗せて
上空を泳いでゆく

赤色
真っ赤に紅葉したツタ
這い回る
真っ赤なアメーバのように
ゆっくりと壁面を赤く染めぬく

レモン色
レモン色に染まったイチョウ
まるで捥がれた羽達

茶色
栃の葉はすっかり身を縮めて
蓑虫のように枝先でゆれている
やがて路面に渦巻く落ち葉

白色
咲き遅れしバラ
花びらの散り降る


アーティーチョーク

2006-10-15 18:39:15 | 飲食後記
アーティーチョーク:Cynara scolymus、チョウセンアザミ

消化器系強壮剤として利用される。
アーティーチョークの絵がラベルにかかれたチナールという苦いお酒があった。いかにも健胃酒という感じだった。

ところでなかなか大ぶりの新鮮で美味しそうなアーティーチョークを手に入れた。その上安かったので2個買った。
相棒と一個ずつ食べる算段で、これなら取り合いの争いも無く、満腹にもなる。
ああ、アーティーチョーク?あんなのまずいじゃない!という人に出会ったことがあるが、聞けば缶詰しか食べたことが無いという。
声を大にして言うが缶詰のアーティーチョークと生を湯がいたものは完全に別物である。私だって缶詰の方は特に好きじゃない。

さて、二つの鍋にお湯を張り塩を入れてぐつぐつ煮立ったところへアーティーチョークをひとつずつ放り込む。
何しろ大きい蕾なので2個入る鍋は我が家には無いのだ。
35分ほど湯がくのだが、その間にディップを作る。
今回はちょっと手抜きで市販のマヨネーズにすりつぶした大蒜と生のエストラゴンの葉、塩、故障、ライムの皮などを放り込み卵の黄身一個も加えて混ぜ合わし、場合によってはレモンを縛る。
湯がきあがったアーティーチョークを皿の上にド~オンと乗せて、冷えたワインなども用意して、おもむろに一枚一枚と葉をつまみ取ってはディップをつけて、葉の付け根の辺りを歯でしごく様にしながら食すのだ。

一枚剥がして前歯にはさみグイット引っ張ると、口の中に美味しい果肉が残る。
まったくうまい。
葉が無くなって来ても、それは終わりではない。本番はこれからなのだ。
冠毛がふさふさぎっしりと詰まっているが、それをナイフでこそげ落とし取り残った肉厚の台は最後に残った美味しい塊。それにすっとナイフを入れて切り分けてフォーク刺し、ディップをちょっとつけては口に運ぶ。
夢中になって食べる。
(夢中で無心で食した故,ガクの写真は撮れなかった。そんな余裕が無かったのだ。)
強いて言えば、その味はゆりの根や慈姑などに似ているといえる。

思わずもう一度あの至福を味わうべく翌日も店に走ったけれど、時遅し、箱の中はすっかり空だった。
がっかりである。
すっかりうなだれて家に帰った。


花が咲いてしまうとこの様に美しい紫色の花びらが開く。


林檎の季節

2006-10-14 09:49:34 | 植物、平行植物

今年の林檎が出始めた。
今年になってすでに4種類ほどの林檎を食べたが、どれも美味しい。

どの林檎が美味しいですか?
と言う質問に答えて,私があげた林檎の名前は、ちょっと酸味が強めの国光や紅玉に近いタイプの林檎だ。
林檎の種類はかなり多いので私の答えに今ひとつ反応が薄い。
質問を発したのは日本人で、私のあげた名前にピンとこなかったようだった。
その場に居合わせた人(日本人)に聞いてみるとどうやら日本では甘い林檎を好む人が多いようだ。多分"フジ”とかそんなタイプの林檎なのだと思う。

私はどちらかと言うと野性的な小振りな奴をシャリシャリ言わせながら、芯まで食べるいきおいで皮ごとかじりつくのが好みだ。
実際ドイツ人は芯まで、種まですっかり食べる人がおおい。
初めてそれを目撃したときには驚いたけれど、生塵も出ずに中々潔い食べ方だと思う。
私の友人などもドライブの途中、美味しいねぇ、と言いながら最後にぱくりと林檎の芯を口の中に放り込んだ。流石にヘタまでは食べなかったけれど、残ったヘタをさもいとおしそうにチュパッと舐めてから、車の窓から短いヘタをポイッと放り出したら、風に乗ってどこかに消えた。
それも酸味の強くて甘いキリッとした味の林檎だった。

林檎は色々な話の中に象徴的に現れてくる事を以前にも書いた。
この季節にはよく林檎を食べるので、つくづく眺め味わいながらつい林檎の話に耳を傾ける。

紀元前776年第一回目オリンピックの優勝者には今日のような金メダルではなく林檎が与えられたそうだ。その林檎はやはりギリシャ神話によく出てくるような金色の林檎だったかもしれな。でも当時の林檎はまだかなり酸っぱい固い実だったのだろうな。
とにかく生命の象徴である輝かしい林檎の晴れ舞台だったわけだ。
今では「ふうん、林檎ね」とか林檎でも食べておこうかと言うあまりにも身近で手軽な果物となった感じだが、手ごろでバナナに並んで好まれる果物には違いない。

現在までに世界一大きい林檎はイギリスで作られた記録で、1キロ38グラムだというから凄いね。普通の林檎10個分。

林檎を一日一個で医者知らず。

さて、今も私の机の上に美しい紅い林檎が乗っている。
手に取るとさわやかな香がスッと鼻を通りぬける。
おもむろにキュッキュッとシャツの袖で磨いてカシャリと前歯で齧ると、甘酸っぱい果汁がジュッと口腔に広がる。

美味しい。

ヘスペリスたちの林檎
林檎とマグリッド
神話的風味

栃の実

2006-10-11 19:19:33 | 植物、平行植物
路面電車の停留場に向かう道に艶やかに光るこげ茶色の実がたくさん落ちていて、拾わずにはいられない。
ピカピカと光る落ちたばかりのその実はいかにも元気そうで、この美しい皮の下にたっぷりと養分を蓄えている。
2つ3つ実を手に持って電車に乗り、両手のひらの中の実の感触を楽しむ。

西洋栃-Rosskastanien (Aésculus)-のマロニエの実は日本の栃の実よりも大振りで馬の飼料にする事から別名を馬栗とも言う。
我々が食べても美味しくはないし、万が一沢山食べてしまうと嘔吐めまいに見舞われるらしいから、栗に似たその美しい実を見つけて思わず集めたとしても、決して舌なめずりしてはいけないのだ。
しかし、炎症を抑える成分を持っているらしく、足の痙攣やむくみ、痛みかゆみなどの症状に対して塗り薬ともなる。。
カップ一杯の水に葉を1,2枚入れて煮出し漉したものを、毎日飲むと足の痙攣やむくみを抑え、血行を良くするのだそうだし、また利尿作用もある。
リューマチには実を1キロほど集めて適当に切り、鍋に入れて水を加え蓋をしたまま煮出した液を風呂に入れて25分間その中に浸かると痛みが和らぐらしい。

食べられない実だとはいえ、役に立つ実ではある。

子供たちはこの実で工作して遊んだりもしている。
スコットランドのアーティストAndy Goldsworthy がこの西洋栃の葉を並べて地面に描いた作品の写真を見たことがある。
マロニエの葉が枯れる前は緑黄色茶色に染まる。
中心が緑、その周りが黄色、そして一番外側が茶色という具合だ。
沢山の落ち葉が美しいグラデーションを描きあげていて実に美しかった。

このつやつやの実を見たらやっぱり拾わずにいられない。
と同時にいつも、美味しそうだなあと思う。
そして、これが栗だったらなあとつぶやいてしまう。

私の友人はこの実を集めて袋に詰めるのだと言っていたっけ。
その袋をオーブンで暖めて、寝床の足元に置いたり、背中を暖めたりすると良いのだという。ごろごろしている感触が面白いかも知れない。
そのうちに試してみようか?

日本の一部の土地では栃モチというものを作ると聴いているが、本物を食べたことが無い。別段美味しいものではないという人もいる。
大体想像がつくが、多分そのとおりなのだろう。
栃餅といってお土産に売られているものを買ったことがあるが、これは本物ではなく、ほんの少し栃の実の粉が混ざっている程度の、よくあるお土産"餅菓子”だった。

 
栃の餅を包んで差寄せた。「堅くなりましょうけれど、……あの、もう二度とお通りにはなりません。こんな山奥の、おはなしばかり、お土産に。――この実を入れて搗きますのです、あの、餅よりこれを、お土産に。」と、めりんすの帯の合せ目から、ことりと拾って、白い掌で、こなたに渡した。
小さな鶏卵の、軽く角を取って扁めて、薄漆を掛けたような、艶やかな堅い実である。
すかすと、きめに、うすもみじの影が映る。
私はいつまでも持っている。

手箪笥の抽斗深く、時々思出して手に据えると、殻の裡で、優しい音がする。
(泉鏡花作『栃の実』より)


さて、これから木の実なぞ拾いながら秋の陽差しを手の平に受けて来ようかと思う。
黄金色の十月の楽しみはもう少し続く。

鬼灯

2006-10-07 10:46:26 | 植物、平行植物
鬼灯
酸漿
ほおずき
Physalis - 語源:ギリシャ語の”physa”(泡、ふくれたもの)
中国のランタン草
アカガチ
ヌカヅキ



ホウズキの葉脈だけになった網目に、
極細い金糸を巻きつけて
美しいオブジェを作った人がいた居た。
その気の遠くなるような作業。。
金のホウズキ。
金の籠。
彼女の白い手の中で金色の小さな籠が踊る。

この赤いほうずきの袋に小さな明かりをともしてみたら、さぞ愛らしいランタンになるだろう。
豆電球でも仕込んでみようか?

夢遊:庭

2006-10-03 19:40:51 | 夢遊
子供の頃お気に入りだった本のひとつはバーネットの"秘密の花園”だった。
秘密の花園の中を何度も想像しては隅々まで思い描いた。10年間誰も足を踏み入れたこと無い庭には想像の余地ありだ。
鍵穴から覗く手の届かない世界は、想像力を刺激する。
その頃自分でも秘密めいた冒険話を書いてみる楽しみがあったのだけれど、たびたび"隠された庭””秘密の場所””魔法をかけられた庭”が登場した。
それらはどこかで読んだような話のつぎはぎみたいな、他愛ない子供の遊びだったけれど、私はそれらを書くのが楽しかった。

今でも秘密の花園のイメージは好きだし、魔法をかけられた場所を見つけたくて仕方ない。

ところで庭の夢を見た。
それは私の庭だった。
うっそうと茂る庭だ。
庭には長い道は通っていて、まるで森の中を歩く様だ。
木漏れ日が道に落ちて踊りながら、色々な絵を描き始める。

しばらく歩くと前方に直径50cmほどの透明な玉が地上から2mほどの高さに浮かんでいた。
(こういうところは夢の醍醐味だ。)
指でつつくとそれはシャボン玉のような表面を持っていて柔軟で、透明な玉は多分5m間隔で幾つも現われている。
よく見ると玉の中に移っている風景は私の周りにあるものが映っているわけではなく、少しづつ違っている。
街もあれば、海もあるようだった。
私の耳元で誰かかがささやくように言うには、この玉は別次元へのポータルだというのだ。
私がひとつの球に入ろうとすると、この球の中に入ればもう二度と"目覚める"ことは無い、と"声”が引き止める。
なぜならその世界に生まれ変わってしまうからなのだという。

ふと私が視線を足元に向けたとき、そこに木切れが落ちているのを見た。
どういうわけだか、木切れから私は目が離せない。
しゃがんでその木切れを拾おうとしたとき、それはいきなり芽吹き始めて私の手の平を突き抜いて天に向かって勢いよく伸びていった。
私は木の枝の生えた手の平を眺めながら、途方に暮れた。
ただ、途方に暮れた。

その後に話が続くのか、続かなかったのか知らない。そのあたりは夢の話でいい加減に終わってしまうんだよね。

最近ではこんな映像もコンピューターで作れてしまうから、夢を再現することも不可能ではないわけだ。
秘密にしておいたほうが楽しいかもしれないけれどもね。

そういえば今、フランス映画で『The Sience of Sleep』という映画がかかっている。ちょっと面白そうなので見に行ってもいいかなと思っている。
最近のCG特殊撮影は使わずに綿の雲や青いセロファンの海が楽しそうなのだ。
主人公は夢ばかり見ている若者だ。
多分、画像だけ見ていても楽しい映画なのではないかと想像する。



繭が集う庭。