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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

プールで泳げたこと 杉田悦子 1975年

2010-07-31 13:49:00 | 1975年

 一年生から二年生までは、プールではなくて、川でおよいでいました。
 わたしは、それまでおよげませんでした。
 三年生になって菅谷小学校のプールへ行っておよぐことになりました。でもわたしは、およげないので、プールにかわっても同じでした。
 そして、「よーし」と思って足をバタバタさせてみたら、前にだんだんとすすんでいきました。さっきはあっちの方なのに、こっちの方に来ていました。ふしぎだと思って、また向こうまでいって、足をバタバタさせてみたら、またこっちに来ていました。
 その時は、「もうおよげたんだなあ。」と思った。そしてうれしかったのでどんどん、およぎまくりました。
 わたしは、はじめておよげて、もっと早く二年生ぐらいの時から、足をバタバタさせてもっとじょうずに、およぎたいです。
 わたしは、その時は、ほんとにうれしかったです。

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


あみもの 権田馨 1975年

2010-07-30 13:47:00 | 1975年

 私は、手げいクラブでマフラーをあみました。はじめは、あみ目が多すぎたり、少なすぎたりでこぼこでした。そして、はじめは、こまあみでした。こまあみは、しあげるのがたいへんなので、こんどは長あみにかえました。そうしたら、すうするあめるようになりました。長あみは、あみ目が長いのでどんどんながくなるので、うれしくなりました。
 毛糸は、水色と黄色のです。全体に水色、間にすこし黄を入れました。一か月と四日ぐらいであみあがりました。
 クラブは、月曜日の一時間だけで、十一月と十二月です。どこかへ出かける時は、ふくろの中に入れて持って行きました。そしてバスや電車を待っている時あみました。すこしおかあさんにやってもらったところもあります。でもだいたい、わたしがやりました。
 はじめは、できるかなと思いましたが、やってみると、あんがいかんたんでした。
 できあがったら先生に見せました。
 先生は、
「じょうずに、できましたね。」
と、言ってくださいました。
 私は、生れてはじめてマフラーをあんだのに、じょうずだと、いわれたのでとてもうれしかったです。
 今度の時には、もっといいものをあみたいと思います。
          (三月八日 土 晴)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


グループ 上原久美子 1975年

2010-07-29 09:47:49 | 1975年

 三学期になってグループをとりかえました。わたしは、はん長になりたかったので、手をあげました。
 四人上げて「じゃんけんで勝った方」がなると言うのでじゃんけんをすることになりました。わたしは(これじゃあまけるな)と思ったら、勝ってしまいました。
 口では言わなかったけれど心では、(よかった)と思っていました。
 次は、はんに入る人です。
 わたしのはんには、かおりちゃんと、内田さんが来ました。けれで内田さんは、文子ちゃんの方へ行ってしまいました。
 わたしは、二人になってしまったのでがっかりしました。そのうち
「まあいいや。」といって、人数のすくない、わたしたちのグループにはいってきました。
 わたしは(そんなによくないのじゃあ、ほかのグループに行ってもいいのに)と思いました。
 次は、名まえを決めるので、けんちゃんは
「とら組がいい。」
と、言いました。
 わたしと、かおりちゃんは、まあいいと、いうように、決めてしまいました。
 わたしは、始めにこんなふうでは、この組は、うまくいかないなあと、思いました。けれども今では、まあまあよくやっているのでよかったなあと、思いました。

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


ドッジボール 吉江信代 1975年

2010-07-28 22:35:40 | 1975年

 水曜日は四年生と体育をします。
 だいたいドッジボールをしています。わたしは、なかなな球がつかめませんでした。
 わたしが投げる球も、だいたいがとられてしまいました。
 わたしは、いっしょうけんめいなげたりとったりしているけれど、球をとろうとするとおとしたり、なげる球はすぐとられてしまいます。そうゆう時は、四年生や、けんちゃんがうらやましくてたまりません。
 どうかして球をつかんだり、投げたりしないと、いつになってもしょうがないと思います。
 ある日、四年生とボール運動をした時、投げたり取ったりするのが、じょうずになってきました。そして今までよりもっとじょうずになろうと思いました。
 そしていつもと同じように四年生と体育をやりました。その時もドッジボールでした。
 いっしょうけんめいやっていました。
 その時四年生の男の子がわたしも目がけて球をなげてよこしました。
 わたしは、いつの間にかボールをつかんでいました。わたしはうれしくてたまりませんでした。
 その日は、四回ぐらい四年生の投げた球をつかんで、けんちゃんの球を一回つかみました。
 その夜は、そのことをおとうさんに話しました。おとうさんに、ほめてもらってまたうれしくなりました。
 その日から、ボールを受け取ったり、投げたりするのがとてもじょうずになりました。そして今では、あてられるようになりました。
 わたしは、今までくじけないでよくがんばったなあと思って、またうれしくなりました。
          (三月八日 土)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


書写 長島邦江 1975年

2010-07-27 22:33:00 | 1975年

 毎週月曜日の四時間は校長先生が教えてくださる書写です。
 始めは自分でも気にいっている字が書けなかったけれども、いくつか書いているうちにうまくかけるようになりました。
 でも校長先生に出すとすぐなおされます。しゅう字を書くのがあきると、みんなとおしゃべりをします。そうすると校長先生におこられます。
 校長先生は、こわいけれどもわたしはとてもすきです。先生はいろいろな筆を持っています。
 このごろ、おせいしょでしゅう字を出すとたくさんまるをもらいます。
 うちに帰っておかあさんに見せるとほめられます。わたしは、うれしくてたまりません。
 みんなは、じょうずだから、うらやましいです。それに、わたしは字が小さいから、みんなに、
「字が小さいよ。」と言われます。
 わたしは自分で大きく書こうと思っていても小さくなってしまいます。
 わたしは、くせなのかなと思います。
          (三月八日土よう日)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


四年生とのドッジボール 杉田賢司 1975年

2010-07-26 22:31:00 | 1975年

 三年になって、ぼくたちは、ふく式ではなくなった。
 ふく式の時は、男の子がたくさんいたのでよかった。
 三年生になって女の子の中に男が一人でぼくはとてもさびしい。遊ぶことは、休み時間にできるからいいが、勉強は、ぼくが一人だ。さびしい。時間表を見ると、水曜日に四年生といっしょに体育ができる。
 ぼくはとっても、うれしかった。
 水曜日になるたびに、四年生とだなと思うとはりきって学校にくる。
 掃除が終わって、五時間目の音楽が終わると待ちかねた体育がきました。
 今日の体育は、ドッジボールです。三年の女の子とはぜんぜんちがうドッジボールです。女の子は、ドッジボールがへただから、そんなにおもしろくありません。四年生とだったら、男の子がたくさんいるし、とってもうまいからおもしろいです。
 赤たい白でもやりますが、はじめは、女対男でやりました。女の方がたくさんいるけれどへた。男の方は、人数は少しだが、うまい。
 ボール体そうをしました。はじまりました。はじめは、ぼくが、がいやにでました。
 ぼくは、パスしてからもらったらすぐに、あてました。光男君がアウトになったので、ぼくは中に入りました。女の子は、弱いのですぐに玉がつかめるので、ぼくはアウトになりません。
 ふえが鳴って終わりです。ぼくたちの方が負けてしまいました。
 こんどは、赤対白です。
 人数は、赤の方が一人多いからのこり一人多くても、どう点になってしまいます。
 始めにぼくは、がいやにでました。みんなが、なかなかあたらないから、ぼくは中へ入れません。
 白は、どんどんあたっていきましたが、まこと君が、がんばっていたのでなかなな全めつできませんでした。
 大野君が、あたったので、ぼくは入りました。赤が勝ちました。
 ぼくは、とてもうれしかった。

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


おかいもの 吉田智恵子 1975年

2010-07-25 11:37:08 | 1975年

わたしは、かい物にいった。
それは、四才の時だった。

わたしは心配で、こわかった。

おかあさんにたのまれてかい物にいった。
とちゅうで足がつまづいて、
ころんでしまった。とたんに、
買う物を、わすれてしまった。

うちに帰った時、おかあさんが、
「様子を見ていたんだよ。あぶないから。」
と、いった。
「がんばりやさんね。」といわれた時、
わたしは、びっくりしてしまった。

それからは、気をつけてかい物に行くようになった。
わたしは、かい物に行くのが、
すきになった。

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


小鳥 内田久美子 1975年

2010-07-24 11:34:00 | 1975年

みみをすますと
小鳥の鳴き声がする
チュッピ チュッピと
わたしを よんでいる みたいに
チュン チュン チュンと
「あそびにきてね。」
と、いっているみたいに

ずっと聞いていると
わたしのことを わらっているみたいで
おかしくなってしまった
          (二月二十七日)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


ロッカー 根立文子 1974年

2010-07-23 07:06:29 | 1974年

わたしたちの学校には
ロッカーがある。
一年生から六年生までの
教室にロッカーがある。
ロッカーの中には
習字の道具や
絵の具の道具
ノートなど いろいろな
物を入れておく。
だから
たくさん入れられるように
整とんしておかなくちゃ。
          (十一月十六日)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月


わたしの口 吉野和江 1975年

2010-07-22 06:34:33 | 1975年

わたしは
テレビを見て、立とうとしたら
ポットに 口がぶつかって
はれてしまった。

やっとなおったと思ったら
また ちがうところがはれた。
こんどできたところは
口びるの近くだ。

歯をみがく時
いたくて なかなかみがけない。
ごはんを食べる時も
あまり大きな口があけられない。

水をのむときも お湯を飲むときも
しみてとてもいたい。
いたくていたくてたまらない。

歯がぶつかると とてもいたい。
早くなおてほしいなあ。
          (二月二十七日)

   鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月