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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

ともしび 第16号 修養団菅谷支部 1960年7月

2009-10-02 13:15:00 | 1960年

  行事予定について
一、講演会
日時 七月二十二日午后一時半より
場所 七郷小学校講堂
講師 社会福祉事務所長
議題 母と子供の問題
清水福祉事務所長は慶応大学卒業後厚生関係官に多年勤務しこの道のベテランです。

二、英語、国語学習講座開設
中学校生徒を対象にして英語、国語の学習を夏季休業中実施して修養と不良化防止を企画いたしましたから進んで御参加下さいますやうおすすめいたします。
講師 修養団白上舎 山梨努先生
          その他本部員
場所 越畑 金泉寺
会費 若干
後日申込書を作製し詳細をお知らせいたします。

三、東京青年ホームのキャンプについて
修養団東京青年ホームの人達が武蔵嵐山にキャンプを開催いたします。
期日 八月十九日より二十二日まで
例年菅谷支部では歓迎慰問を行って居りますので本年は初秋蚕の最盛期で御都合も御ざいましょうが左記の通り実施いたしますから御繰り合せの上御参加下さい。
 八月十九日 支部旗を持って嵐山駅にて歓迎(時間は後日有線放送にてお知らせ)
 八月二十一日 慰問予定

四、指圧講習
家庭の主婦として又は娘として老人やお姑さんに指圧療法を習って夕食后のひと時を喜んでいただくことは明るい家庭をきづく上に意義あることと存じます。
講師 埼玉県指圧師会長 小高英一先生
日時 見て
講習料 無料
決定次第お知らせいたしますから多数御参加下さい。

五、団体放送について
七月十四日 副支部長 安藤春子
      家政部長 市川みち子
七月二十八日 総務部長 強瀬喜平
       庶務部長 藤野姫作
八月十日 編集部長 福島市平
     同副部長 荒川静子
八月二十四日 会計部長 市川源三
       副支部長 青木金作
九月八日 娯楽部長 飯島信子
     同副部長 船戸りえ
            その他
九月二十二日 白ゆり会班長 関口節子
                その他

六、会費徴収について
修養団菅谷支部では機関誌「ともしび」を発行して会員その他に配布いたして居ります。その紙代及会の運営の費用に当てるため年参拾円の会費をいただくことになっております。
この会費を納入下されば「白ゆり」「向上」等の雑誌をおとりにならなくても修養団員であります。
会員の皆様全体が一人で一人づつ会員の倍加運動に御協力下さい。
会費は七月三十一日までに会計係に御納入下さいますよう各班長さんにお願い申上げます。

七、新入会員
千手堂 関根ふじ
    瀬山よし
    高橋たみ
    内田とも
越畑  市川ふみ子

◎おもいのままに
      太郎丸 荒川静子
白ゆりを 読めば母まで のぞきこむ
ねむの花 昼のつかれを 忘れさせ
たそがれに ほんのりと咲く ねむの花
昨日まで 麦田も今日は 青田かな
耕うん機 進むエンヂン 勇ましく

◎縁あって
お互いに縁あってこの世に生れてきた。
そして、縁あっていろいろの人とつながりを持っている。縁あって……何だか古めかしい言葉のようだけどそこにまた一つの深い味わいがひそんでいるように思える。
人と人とのつながりというものは、とかく人間の個人的な意志でえたと思い易いもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、いつでも断てるように考えやすい。
だが、本当はそうでない。実はそこに、人間のいわゆる個人的な意志や希望を越えた一つの深い縁の力が働いているのである。
そうすれば、お互いにこの世の中における人と人とのつながりを、もうすこし大事にしてみたい。不平や不満で心を暗くする前に縁のあったことを喜び合い、その喜びの心で誠意と熱意をもって、お互いのつながりを更に強めていきたい。
そこから暗雲をも光明に変えるぐらいの力強い働きが生れてくるのである。

  あらそいは勝ってもまけても
     人の心に深い傷を残していく

   修養団菅谷支部発行『ともしび』第16号
        1960年(昭和35)7月11日発行


七郷中学校、農業実習地の返還について報告 1960年

2009-09-16 22:49:06 | 1960年

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昭和三十五年十一月十八日
       菅谷村立菅谷中学校長 権田正雄
菅谷村教育長殿
   農業実習地(田)返還について
標記のことについて左記事情により返還したいのでお知らせいたします。
     記
一、返還したい農業実習地(田) 面積 八アール 地主 【略】
一、返還理由
 1.賃貸契約が満期となった(昭和三十五年十月三十一日まで)
 2.新指導要領で従来の職業科が技術科に変り工業中心の授業が進められ、農業は選択となり、該科選択の生徒は(3)の理由から少い見込み。さうなると運営が困難となる心配がある。
 3.選択者の少い理由は卒業生最近の動向から、家事手伝として家庭に残る生徒は、本校昨年度女三人、本年は男二名という実情である。
一、返還后の実習地 畑 約五アール
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田畑実氏撮影。撮影年は不明。


都幾川砂利採取跡で水難事故 1960年

2009-09-08 12:39:40 | 1960年

昭和三十五年五月二十七日
            菅谷小学校長 藤野秀谷
  菅谷村教育委員会教育長殿
     児童通学途上の危険防止について
最近都幾川に於て興農研修所下並に二瀬附近に別紙略図の如く砂利採取跡に多数の危険箇所があり、何れも水深甚しく学童の事故未然防止のため、至急、村当局の御配慮を御願致します。
        至急
【以下鉛筆で加筆】
学校と電話連絡の結果
学校長の意見としては、唐子小学校PTA会長関田氏(県議)に依頼して県土木課に陳情し、採取跡を埋めさせることにしたいから、それには委員会からも出向いてお話ししてもらいたいとの事です。昨年は唐子の方から学校に連絡があったのでお話した由。

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【二瀬下流200mには、水深2.5m~3mの穴が11、その下流の右岸側30mには水深2.5m~5mの穴16、左岸の興農研修所梅林下流50mには水深3.5m~5mの穴5が描かれている。都幾川での砂利採取後、そのまま放置されたものである。7月には小学三年生の児童が溺れる事故が起こった。】

昭和三十五年七月二十日 菅谷小学校長 藤野秀谷
  菅谷村教育委員会殿
     児童事故発生報告
左記のとおり事故が発生したので報告します。
   記
一、事故の種別 水難
二、学年氏名 三年生 【氏名略】
三、日時 七月十六日午後二時半(放課後)
四、場所 都幾川二瀬
五、状況 別紙の通り(現在無事通学)
六、措置 本人は勿論、全校児童に厳重に注意。尚救出者に関しては駐在所より表彰方申請。
                    以上

   おぼれている児童を救出
一、日時 七月十六日(土)午後二時頃
一、場所 菅谷地内、都幾川の二瀬(砂利採取の穴)
一、おぼれた児童 【氏名略】(菅谷小学校三年)
一、救出した人 内田政一(大字平沢)会社員

「あらまし」 十六日の午後、同場所に、六年生の友人二人と泳ぎに行き、砂利穴の水の中で、おぼれるまねをしていて、それが、本当になり、おぼれかかってしまった。大事に至らずに済んだのは、内田政一さんのおかげであります。
     七月二十日   報告者 木村忠夫


三年目の勤評反対デモ 1960年

2009-09-06 18:35:54 | 1960年

 九月十五日行はれる勤務評定反対のデモ行進が、九月二十二日【ママ】村内を通過した。
 勤評反対、勤評即時撤回せよ等のプラカードや、赤旗に埼教組の支部名を書いた大旗をふりかざした物々しさ。よく見ると大部分が、「俺が村の先生だ」。この暑いのに、「御苦労様」と声をかけると、先生もニコニコ手を振って挨拶。プラカードと赤旗がなければ、先生達の遠足見たい。勤評反対も三年目を迎えて、年中行事化か?
   『菅谷村報道』114号 1960年(昭和35)9月10日

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菅谷大通りを松山方向に行進するデモ隊(小島屋前から撮影)
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