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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

埼玉国体夏季大会炬火リレー行わる 1967年9月

2009-05-26 00:02:00 | 1967年

 九月十五日あさ、堂平天文台において採火された、埼玉国体夏季大会川口会場を飾る炬火は、都幾川、玉川の両村をリレーされ、同日午後零時二十二分鎌形中島地区において、玉川村柏俣議長のトーチより関根町長のトーチに点火された。
 炬火は菅谷、七郷両中学校男女走者によりリレーされ、午後零時三十七分新月田橋において、安藤助役より東松山市杉浦助役のトーチに点火引継ぎを行い、ここに炬火リレーを盛会裡に無事終了した。
 この日のために用意された舗装道路を、台風の余波小雨降る中をリレー隊は白煙をなびかせて通過した。
     『嵐山町報道』177号 1967年(昭和42)10月15日


杉山道路改良工事竣功 1967年

2009-05-17 23:31:00 | 1967年

   杉山道路でき上る
     十二月二十六日
       引渡し並びに竣工式挙行
 自衛隊施設部隊の実施による杉山道路改良工事は、去る十一月三十日起工式を挙げ、その後隊員の真摯なる作業を重ねて、十二月下旬見ごと竣功となった。引渡し当日は第一師団、県地連等の幹部臨席のもとに、その引渡し並びに竣功式が現地においておごそかに取り行われた。
 本工事の延長は約一三〇〇メートル、巾員は五メートルで、先年完工の串引道路延長一六五五メートルと合わせて延長約三〇〇〇メートルに達し、串引(くしひき)及び杉山地区の産業並びに交通面に一大福音をもたらすもので、今後の活用と維持修理の適正とを大いに期待する次第である。
     『嵐山町報道』180号 1968年(昭和43)1月20日

※自衛隊の越畑・串引道路改良工事(1966)については、「里やまのくらし5 越畑」を参照。


嵐山町消防団の機構改革が行われる 1967年

2009-05-16 13:09:00 | 1967年

   機構改革後初の消防点検 好評裡に終了
 従来、消防団は自動車ポンプ四台、可搬一三台を有し、定員二一二名が六分団に編成されて消防活動を実施して来た。団員二一二名の最近における町内在住実態調査によれば、定員中町内勤務が半数、町外勤務が半数という率を示し、逐次他市町村へ労働力が流出する傾向が見られる。非常時に備えて団員の少数精鋭主義、消防車の機動力強化が昨秋改革の主な事由であった。
 改革後は、消防車五、定員九五名に減員して、これを二分団に編成して町内全域の防備に当ることとなった。又別に自治消防団実施要項を定めて、従来の可搬を主力とする各地区自治消防団十一団を設置し、本団に協力して町内の防災治安に当ることとなっている。
 十二月八日は消防機構改革後初の消防検閲とあって、九五の団員は開式当所より張り切った気勢を見せて町長の検閲宣言に対した。
 この朝は今年初めての大霜で、寒気は非常に強かったが、一点の雲もない絶好の消防日和に恵まれた。
 国旗、町旗掲揚、消防殉職者に対する黙祷は菅小鼓笛隊も参加して、いと厳粛に行われた。服装規律、機械器具の点検、ポンプ操法、分列行進等も順調に進んで、放水試験は都幾川原に出動して、一斉に開始された。放水の飛沫が初冬の日光を反射して二重の虹光(こうこう)を生み、一瞬都幾川原は一大美景を現出して観覧者を喜ばせた。
 再び菅中校庭に引上げて町長の講評訓示、表彰状の伝達、来賓祝辞等が続行された。規律、基本、訓練に於ける精神力がやや希薄である。一層の努力を望む。その他は各部門の技術において昨年度に比し非常な上達が見られて大変結構であったことなど、講評、祝辞の主要素であった。
 当日の表彰者は次のとおり
一、県消防協会表彰
 一等功労賞 団長 高崎武治
 二 〃  副団長 中島重男
 三 〃  分団長 小林盛雄
 消防功労者 町議 山岸宗朋
 技能賞  副団長 田島三津也
二、同小川支部表彰
 一等功労章 副団長 中島重男
 二等功労章 分団長 小林盛雄
   〃  副分団長 高瀬光次
 三等 〃   部長 松浦博
   〃    〃  高橋鉦吉
   〃    〃  星野文男
   〃    〃  長島貞夫
 表彰徽章   班長 井上一喜
  〃     〃  内田章
  〃     〃  田島新作
三、町表彰(火災予防ポスター入賞)
 金賞小四 小林洋子 鎌小
   〃五 長谷部貞子 菅小
   〃六 中静久美子 〃
   中一 細内隆司 菅中
   〃二 田中みよの 七中
   〃三 久留田みや子 菅中
 銀賞小四 福島健司 七小
   〃五 井上和彦 〃
   〃六 飯島孝枝 〃
   中一 市川義郎 菅中
   〃二 富岡宏江 〃
   〃三 中村米子 七中
 鋼章小四 河野正平 菅小
   〃五 忍田まるみ 菅小
      中村光春 七小
      加藤陽子 鎌小
   小六 細川秀一 菅小
      吉野栄 鎌小
   中一 江森不二男 菅中
      内田美津江 七中
   〃二 中村晴恵 菅中
      高橋矢枝子 七中
   〃三 市川草子 菅中
      設楽恵美子 七中
     『嵐山町報道』180号 1968年(昭和43)1月20日

※参照:「昭和初期の消防組役員」(1933)。大字菅谷では10年前の1958年(昭和33)に「通勤者の増加で消防団員の獲得が困難に」なっていた。


武蔵嵐山観光協会から嵐山町観光協会へ 1967年

2009-05-15 11:34:00 | 1967年

   嵐山町観光協会と改称
              通常総会終る
 武蔵嵐山観光協会は去る七月十七日菅谷東昌寺会館において四十二年度通常総会を開催した。
 参加会員は全会員の約五分の一で僅少であったが、予定どおり予決算並びに事業報告、事業計画の審議承認がなされ、続いて会則一部改正の件が上程され、従来の武蔵嵐山観光協会を嵐山町観光協会に改めることが満場一致で決定された。本総会は会員の建設的意見も多く発表されて、意義ある総会であった。

  四十一年度事業の大要
1、文化財と観光誌の編集
2、河川を汚染から護る運動
3、町制施行記念さくら植樹
4、菊花展示会の助成
5、その他

 なお観光施設として計画した指導標建立ができなかったことは遺憾であった。
     『嵐山町報道』175号 1967年(昭和42)8月15日

※参照:「武蔵嵐山観光協会が設立される」(1950年)