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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

七郷、菅谷青年団が合併し菅谷村青年団が誕生 1962年

2009-06-04 00:07:00 | 1962年

   新しい青年団の出発
 近年の農村を離れる青年男女激増のあおりをうけて、農村青年団活動は沈滞の一途を辿っている。義務的に加入を進められる団体でないだけにどこでも人員確保に苦しんでいる。だが夢のない魅力のない団体になって来ている原因を良くつかんで今後の活動内容に生かしたら発展の途は十分あると思う。
 菅谷村においても昨年暮行き詰まった七郷青年団から新しい魅力を持たせる一つの策として菅谷青年団との合併が申込まれた。菅谷青年団でも再三会議で協議の結果、それを受け入れ四月一日を期して合併の運びとなった。目下その準備中であるが、団員数も約百二十人と隆盛をきわめた当時に比較すると少ないがまずまずの構成人員となる。そこで折角の骨折り続きにもう一踏張り機構改革までしてもらいたかったのが残念なことである。
 「村の青年団と聞くと何か古めかしい奉仕団体の様で入ってみる気がしない」と言うのが資格はありながら入っていない青年一般の意見だが確かにそんな感じである。その意見を打ち消すかの様に、近頃幹部連は“新しい青年団”とか盛んに叫んでいるが、名目では人はついてこない。
 今度の合併を見ても、どこにその新しさがあるか、人を集める魅力があるか疑問に思う。地域が変り、役員構成が変りしたのでは青年団においては決して新しくなったのではない。たヾ大きくなったのにすぎないのだと思う。真の新しさとは、そうした言葉にまどわされない事業内容にありそれをやり易くするところの組織にあるのではなかろうか。
 過去に於ても兎角役員の青年団とか一部の人の為の活動であるとか言われて来たが、それが一般団員を離別させる原因の一つであったかと思う。今度の役員数を見ても大分増えている為、地域の拡大と併せてその傾向は強まるかと思う。個人個人の自主的活動を旨とする青年団活動ではむしろ役員は統制役としての存在に止め、活動の位置を支部、個人に下げるべきだと考える。
 兎に角四月一日より新しい青年団として出発するわけであるから、気分一新して新菅谷青年団の発展を願う。  (小林峯久)
     『菅谷村報道』131号 1962年(昭和37)3月25日
※1955年(昭和30)4月の七郷村と菅谷村の合併による新菅谷村誕生後も旧村の青年団は地区青年団として七郷青年団菅谷青年団の活動を続けたが、1962年4月合併して菅谷村青年団が誕生した。