武谷敏子の自分史ノート

埼玉県比企郡嵐山町女性史アーカイブ

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菅谷婦人会『白梅』第1号(1980年)目次

2011-01-08 12:48:37 | 『白梅』1号(1980)

『白梅』第1号 嵐山町・菅谷婦人会 1980年(昭和55)発行

●白梅発刊にあたって 菅谷婦人会長 村瀬信子

●追憶 山岸乃婦子

●秩父札所めぐりに参加して 佐々木ユ基

●町議会を見学して

●水泳教室に参加して 増田宇多恵

●みかん狩り 加藤清子

●はじめての試み チャリティーバザー報告記

●『白梅』1号文芸欄

●『白梅』第1号あとがき

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『白梅』第1号あとがき 1980年

2011-01-08 12:23:43 | 『白梅』1号(1980)

 白梅第一号を皆様のお手許にお届けいたします。
 内容が会の事業のみになりましたが、もっと幅広い、菅谷の今昔、移り住んだ方のふるさとの思い出、主婦の生活の智恵等もお寄せ下さい。
 又編集についての御意見等、よりよい“白梅”が発行出来ますよう御協力いたゞきたいと思います。

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菅谷婦人会『白梅』第2号(1981年)目次

2011-01-06 21:59:35 | 『白梅』2号(1981)

『白梅』第2号 嵐山町・菅谷婦人会 1981年(昭和56)発行

●よりよい地域づくりをめざして 村瀬信子

●基本財産 関根天津

●婦人会に寄せて 佐藤冨美保

●真の女性に真の大勇あり 松本茂子

●菅谷婦人会チャリティバザー実施

●婦人会に入って 澤エツ子

●嵐山町民憲章に寄せて 反町葉子

●ありがとう 菅谷五区 菅谷婦人会会員

●文芸欄

●『白梅』第2号あとがき

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菅谷婦人会『白梅』第3号(1982年)目次

2011-01-05 22:29:59 | 『白梅』3号(1982)

『白梅』第3号 嵐山町・菅谷婦人会 1982年(昭和57)4月発行

●視野を広げて 村瀬信子

●過し日のこと 中島きよ

●菅谷婦人会1981年度の主な事業

●アメリカに生活して私の感じたこと 宮本紀子

●時間は自ら創り出すもの 笠原昌子

●役員になって思うこと 西田愛子

●チャリティーバザー 御協力ありがとうございました

●役員研修旅行に参加して 松本茂子

●かえりみて 深沢綾子

●私の幸せ 米山よし

●短歌 四季のうた

●『白梅』第3号あとがき

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菅谷婦人会『しらうめ』第5号(1984年4月)目次

2011-01-04 17:30:38 | 『しらうめ』5号(1984)

『しらうめ』第5号 嵐山町・菅谷婦人会 1984年(昭和59)4月発行

●婦人会とボランティアの心 会長 村瀬信子

●菅谷婦人会1983年度の主な事業

●雑感 嵐山町教育長・阿部富育

●町議会を傍聴して 小久保泰枝

●想い出 菅谷三区 杉田敬

●チャリティーバザーに参加して 菅谷二区 藤原禮子

●歩け賛歌 菅谷六区 小沢喜美子

●短歌

●『しらうめ』第5号編集後記  佐藤

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菅谷婦人会『しらうめ』第6号(1985年4月)目次

2011-01-03 11:58:50 | 『しらうめ』6号(1985)

『しらうめ』第6号 嵐山町・菅谷婦人会 1985年(昭和60)4月発行

●一年をふりかえって 会長・中村きみ

●嵐山町の六〇年度事業について 嵐山町長・関根昭二

●菅谷婦人会昭和59年(1984)度の主な事業

●雑感 前会長・村瀬信子

●アフリカに善意をありがとう 青木

●チャリティバザー報告 小沢

●映画『食品公害の追求』を観て 小久保

●文化部の活動報告 文化部・発知文子

●レクリエーションの言葉の意味について レク部・西尾清子

●町議会を傍聴して 上原・小久保泰枝

●一年生会員楽しんでまーす 九区・高塚ゆみえ

●地域集会所利用促進事業の中で 六区・中野裕子

●『しらうめ』第6号編集後記 岡野

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菅谷婦人会『しらうめ』第7号(1986年4月)目次

2011-01-01 23:29:17 | 『しらうめ』7号(1986)

『しらうめ』第7号 嵐山町・菅谷婦人会 1986年(昭和61)4月発行

●別れ道 菅谷婦人会長・中村きみ

●母を想う 増田和枝

●料理講習会に参加して 三区会員

●菅谷八区婦人会の活動について 久留田悦子

●『そのひと言に気をつけて』読後の話し合いから 小久保

●「婦人国際交流集会」に参加して 青木

●文化部の行事によせて 文化部長・五井万里子

●体育部三つの活動 体育部・熊井弓乃

●今、思うこと 上原・中田芳恵

●『しらうめ』第7号 文芸欄

●『しらうめ』第7号編集後記 文化部

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菅谷婦人会『しらうめ』第8号(1987年4月)目次

2010-12-29 23:45:30 | 『しらうめ』8号(1987)

『しらうめ』第8号 嵐山町・菅谷婦人会 1987年(昭和62)4月発行
●「風」 菅谷婦人会長 中村きみ

●六十二年度の町の事業について 嵐山町長・関根昭二

●川島支部活動 根岸千穂子

●地球レベルで考えよう 菅谷九区・村瀬信子

●外国人をお招きして 菅谷七区・鴻野与史恵

●「エプロン」作製 本部・青木

●読書会『美しい老年期)』 本部・小久保

●婦人会活動に参加して 菅谷四区・笠原輝子

●歩く健康法 のんびりウォーキング 菅谷二区 藤原禮子

●ご主人にきいて下さい 菅谷二区 山崎静江

●バザーに出席して 菅谷八区 沢田美栄子

●文化部の報告 部長・逸見通子

●体育部活動から 部長・鴨下和代

●レク部の報告 部長・西尾清子

●文芸欄 短歌 伊東ときゑ・中島清子

●老ひ 中島清子

●俳句・初空 藤田三江

●早春 中島清子

●『しらうめ』第8号編集後記 本部

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菅谷婦人会『しらうめ』第9号(1988年4月)目次

2010-12-28 19:03:54 | 『しらうめ』9号(1988)

『しらうめ』第9号 嵐山町・菅谷婦人会 1988年(昭和63)4月発行
●最近感じること 菅谷婦人会長・中村きみ

●青春の記 嵐山町長・関根昭二

●箸と手料理 嵐山町教育長・飯島留一

●県外研修に参加して 菅谷二区・伊東ときゑ

●菅谷婦人会文化部の報告

●菅谷婦人会体育部活動報告

●菅谷婦人会レクリエーション部の報告

●楽しい思い出 平沢・内田菊江

●美しい嵐山 菅谷九区・村瀬信子

●心豊かに 川島・中村容子

●大霧山に登って 菅谷五区・中島清子

●「花埋み」に寄せて 菅谷七区・西尾清子

●卓球大会を 菅谷二区・山崎静江

●夕食作りに参加して 菅谷六区・田島マサイ

●菅谷八区支部活動 菅谷八区・西沢洋子

●茶話会 菅谷七区・会員より

●短歌 菅谷四区・佐々木ユ基

●川柳 菅谷六区・小沢喜美子

●『しらうめ』第9号編集後記 本部・西尾

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菅谷婦人会『しらうめ』第10号(1989年4月)目次

2010-12-28 01:58:19 | 『しらうめ』10号(1989)

●心 いろいろ 菅谷婦人会長・中村きみ

●嵐山町の将来について 嵐山町長・関根昭二

●台所 嵐山町教育長 飯島留一

●昭和を生きて 菅谷四区・松本茂子

●郡市婦人会幹部研修会に参加して 本部・小久保

●読書会・婉という女 助言者・三浦嘉子

●文化部の報告 部長・福司

●体育部活動報告 山崎

●レク部活動報告 沢田

●私のひとり言 平沢・千葉恵江

●春を待つ心 菅谷五区・中島清子

●茶話会を行って 菅谷七区・内田さよ子

●隣りのおばあさん 菅谷五区・一会員

●短歌 菅谷四区・佐々木ユ基

●短歌 折にふれて 菅谷二区・伊東ときゑ

●短歌 故郷 菅谷五区・中島清子

●川柳 菅谷六区・小澤喜美子

●『しらうめ』第10号編集後記 1989年

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短歌 折にふれて 菅谷二区・伊東ときゑ 1989年

2010-12-28 01:54:35 | 『しらうめ』10号(1989)

離りては相寄り漁りの作業する
     小舟の群れに海は明けゆく

漁了えし舟にまつわり餌をあさる
     海鳥に舟着場はしばし賑わう

洞窟の闇とどろかし熱泉は
     檜の樋走る湯けむり立てて

政事(まつりごと)に疲れし心身いかばかり
     慰めしならん神の走り湯

波寄松に錦ヶ浦の失ないし
     自然の姿杳(くら)く想えり

雨に濡れひときわ明るしどうだんの
     小枝に芽吹きの気配漂う

出会う人みんな知人と思うらし
     道ゆく嫗の深く腰折る

破壊と復興織りなせし昭和の幕引かる
     この朝(あした)
降る雨の静けさ

   菅谷婦人会『しらうめ』第10号 1989年4月

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菅谷婦人会『しらうめ』第11号(1990年4月)目次

2010-12-27 19:29:00 | 『しらうめ』11号(1990)

●思いつくままに 中村きみ

●“木曾義仲ゆかりの会”のこと 嵐山町長・関根昭二

●信頼 嵐山町教育長・飯島留一

●一人ひとりの生きがいを求めて 社会教育課長・小沢勝

●比企郡市婦人会幹部研修会に参加して 西澤洋子

●婦人と同和問題 小久保泰枝

●鎌倉を見学して 菅谷八区・澤田美栄子

●人生、縦糸と横糸 平沢・奥平正子

●秋の研修旅行 体育部 澤エツ子

●文化部活動報告 文化部 鴻野与史恵

●レクリエーション部の報告 レク部 根岸ひろ子

●埼玉の歌人三ヶ島葭子について 佐々木ユ基

●自然が大好き 菅谷九区・村瀬信子

●自然を守ろう 嶋田文代

●坐忘 菅谷四区・松本茂子

●第二の子育て 細井秀代

●川柳 小澤喜美子

●『しらうめ』第11号編集後記

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レクリエーション部の報告 レク部 根岸ひろ子 1990年

2010-12-27 19:25:52 | 『しらうめ』11号(1990)

 『しらうめ』の原稿をお願いしますと言われた時から何を書こうかと色々考えた末、何もうかばず結局、部活動の報告となりました。婦人会に入会して九年をむかえ、年月の早さにビックリしている今日この頃です。昨年につづいて今年と二年間レク部を担当させていただきました。私なりに充実したレク部活動をしてきたつもりでいます。今年度のレク部活動を明記させていただきます。昨年度に続いて
一、フォークダンス
二、ボーリング大会
三、社交ダンス
四、新舞踊教室
五、新年会の余興
六、婦人団体指導者研修会
七、町民体育祭        フォークダンスの講師を引きうけました
八、高齢者学級
 この様に一つ一つの行事が無事やってこれたのも、皆様の御協力があっての事だと心から感謝する次第です。また自分一人では何も出来ない私ですが、副部長さん達の協力が何よりもかけがえのない力添えであったことを心から感謝しております。どうもありがとうございました。今後の婦人会がますます発展されることを心からお祈りしております。これからも催し事にできる限り参加して心豊かに、また友達の輪が広がる事を楽しみにしていきたいと思っております。

   菅谷婦人会『しらうめ』第11号 1990年4月

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菅谷婦人会『しらうめ』第12号(1991年4月)目次

2010-12-26 10:05:32 | 『しらうめ』12号(1991)

●平和へのメッセージ 菅谷婦人会会長・寺山サキ子

●大津雑感 嵐山町教育長・飯島留一

●ふり返れば 菅谷婦人会前会長・中村きみ

●雑感 平沢・小久保泰枝

●婦人会に入会して 菅谷二区 田口祐子

●雪の思い出 菅谷四区 松本茂子

●雨にけむる和紙の里 菅谷八区 澤田美栄子

●研修旅行 菅谷八区 山下栄子

●文化部の報告 部長・逸見

●レク部の報告 部長・権田

●体育部活動報告 部長・根岸

●ご協力ありがとございました

●父の思い出 菅谷八区 青木裕子

●「比企郡市婦人会幹部研修会」に参加して 澤田

●ふれあい 菅谷六区 小澤喜美子

●短歌 佐々木ユ基

●川柳 小澤喜美子

●俳句 澤エツ子

●『しらうめ』12号編集後記 青木

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平和へのメッセージ 菅谷婦人会会長・寺山サキ子 1991年

2010-12-25 10:02:00 | 『しらうめ』12号(1991)

 広島に原爆が投下されてから四十五年目の昨年八月、私は広島を訪れました。
 広島は水と緑のきれいな大都市に見事復興しているかのように見えましたが、原爆資料館に展示されている沢山の当時の写真、黒こげの衣服、熱風で形が変わってしまった茶わんや家具などが、訪れる人々に原爆の恐ろしさを必死で伝えているようでした。
 平和公園を中心に街の中にある数々の碑、子を思う母の心が伝わってくる「嵐の中の母子像」異郷の地で遠い故郷に思いをよせながら無念の死をとげた朝鮮半島の人々の碑、見落としてしまいそうにひっそりと建っている無名の碑、手を合わすとこの人達の思いが伝わってくるようです。
 又、今も後遺症に苦しみながら、死と戦いながら、言葉にはいいつくせないほどの様々なものと戦いながら、私達に「平和」の大切さを訴え続けている被爆者の人達。多くの人達が広島の悲惨な出来事を忘れないようにと力を合わせていました。
 私は「平和」という言葉は十分理解しているつもりでしたが、広島の三日間で大きな衝撃を受けました。「平和」という言葉の重さ、深さ、大切さが心の中に大きく染み渡ってきました。いくら流しても流したりない位涙を流しました。
 湾岸戦争が報じられた時、まっ先に広島の人々の心を思いました。悲しそうな顔が浮んできます。思いの届かぬくやしそうな顔が浮んできます。
 戦争が終末した今、報じられているのは無残な戦争の傷跡、家を焼かれ、身寄りを殺され食べる物も満足にない人々の姿と、世界に与える自然破壊の大きさです。今のままでは美しい地球を次の世代に残す事ができないのではないかと心を痛めています。
 海に流れ出た原油、それに汚染された生きものたち、火のついた油井から立ち登るまっ黒な煙、風に乗って世界各地に広がりどれだけ自然に影響を与えるのでしょう。
 今、平和な日本に暮す事ができるのを、とても幸せに思っています。そして世界の国に一日も早く本当の平和が訪れるように願っています。
 「私は平和を愛しています。」被爆者のこの声を皆さんにお届けします。

   菅谷婦人会『しらうめ』第12号 1991年4月

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