今より六十五年前平民文学として寵幸され流行した俳句の会、茶友会のことについて太郎丸の田幡宗勝(八二)を訪問、思い出深き会の事について、いろいろと語られましたので書き記したいと思います。(敬称略)
交通地獄もなく何処へ行くにも徒歩、農家として買う物は暦位、地方の祭典や其他にて催する左衛門や義太夫を聞く楽しみが頂上。農閑又は夜間等うまく応用、月並みに自作を発表、疲れをぬぐい去りより合ふ会、これが何よりの慰安! 明日の仕事に懸命を誓ふ我山村の時の姿であった。
此の山村にても庶民文学として俳句の研究会を作り、モノワ、都々逸、川柳等発表、明治三十三年(1900)正月、相計りて茶友会と名称、俳道一徹に前進したのであります。会友に致しましては三十五、六名、会長に権田亀逝を推薦し、文学に強い関心と同時に自己の有用性を再発見し、最も敬遠される意欲不満が解消、尚高級的な此山村にては紳士的な娯楽として、発展したのであります。
その会友は広野・永島春水、小林如風、小林静湖、栗原梅窓、栗原一風、栗原晴山、権田松月、権田一朱、権田一仙、宮本明堂、宮田五生楽、内田春風、栗原露琴、永島竹雨、永島竹子、内田一九、大沢一和、静月愚笑、笑風、雪風、一晴等。杉山・水島如水、水島如雪、金子梅月、内田松寿等。太郎丸・田幡松雪、中村紅雲、中村茂山等の面面。
会の選者として広野・文秀斎春昌、楽山居花酔【栗原慶次郎】、杉山・迎翠堂竹水、勝田・夜秋庵如昇、中瓜・文令舎可及。又、会を側面より深く援助し育成してくださった宗匠としては、志賀・伏亀軒松秀、玉川・可心庵如柳、羽尾・可秋庵可光、東京・金令舎光哉。
開巻毎に鶏鳴暁天を告げるも知らず刎頸の交新たに、熱心に面白く楽しく会に深甚の好意を寄せられた、千手堂の光月、光風、光星、克光、川島の花盛竹生、千里、志賀・峰月、秀月、松栄、松風、菅谷・吉月、美風、鎌形・其風、源風、野風、亀水等であります。
会員皆現実の姿を良くとらえ、大きく、美しく其表現強く柔に美と香を深くした風味其の物を十七字に圧縮し月並に発表する熱心さ、ここ月日は流れて明治四十三年(1910)拾周年を記念し、大句集を二回開催。正月、広野八宮神社に春昌の画、二段式の春昌の筆に寄る記念奉額、巾三尺八寸長二間を捧げ、拝殿に今尚立派な雄姿を拝見す。又九月、広野広正寺本堂に栄玉の画、梅洲居士の筆にて、巾二尺八寸長さ三間の席額を奉納す。いかに其熱心さと時の流行を物語る大なる記録であろう。
正月第一回句集に於て詠じたるを拾い左に選者より収録致します。
夜学した功現すや司召(つかさめし)* 春昌
色替えぬ松や十々世も百々十世も 花酔
垣越しや広野に香る梅一木 竹水
探らばや果し知らぬまに道の奧 如昇
冬枯れの中や緑の麦畑 可及
此より会員
ゆがみなきすがる月日や鏡餅 如風
続かれて幾世も涼し茶友会 一珠
花咲くや山に余りて船に人 亀遊
祝酒には先の肴や小殿の原(ゴマメ) 一晴
供ふへて尚にぎはしき花見哉 海月
五里で良し六里でも良し春の旅 竹子
船と名のつかぬばかしや夏座敷 雪風
茶を入れて木逝よび来る日永かな 一和
凧揚げや広野の空の一羽鶴 五生楽
気は安し蛙聞き聞き延ばす足 静月
茶の友の昔話しや菊の主 愚風
松に月春十分の眺めかな 笑風
帆の見ゆる浜の出店やかしわ餅 静湖
千早ふる松に衣や蔦かつら 竹雨
秋のなり松山近く来りけり 一九
石になるつもりか桶の蝸牛 茂山
茶の友の交り深し梅の庵 一風
十年の昔なつかし恋し鳥(ホトトギス)晴山
茶の友の笑顔揃や花の山 楼窓
茄子にのみ笑ふ種あり秋の夕 松林
十年の汗に立派な出前哉 松雪
正直に涼しき大和心哉 如水
予算した俵の外や今年米 亀逝
各巻選者の感吟を引用致します。
夜雪庵金羅選 甲ノ巻
虫寒し言はぬ髑髏に語る過去 亀遊
泰然堂平気選 甲ノ巻
夢にしていれば涼しき浮世哉 如水
楽山居花酔 甲ノ巻
母良慰に移して軽し孫の夢 梅月
竹涼し月を見せたり隠したり 松林
南耕慮香旦選 乙ノ巻
改号の披露目出度し豊の秋 秋風
克己堂露山選 乙ノ巻
月一ツ人には千々の思ひ哉 柳畝
迎翠堂竹水選 乙ノ巻
只見世やお初は下女の鏡山 〆次
夜春庵柿本選 丙ノ巻
夏痩せに笑凹失ふ女哉 亀遊
文令舎可及選 丙ノ巻
口切や川越して行く水貰ひ 谷藤
可心庵如柳選 丙ノ巻
踏み心地良き若草の広野哉 松雪
燕千居一心選 通巻
千代口の月空へ戻して廻しけり 松雪
あやめにも萩にもなるや若莨 亀遊
私等生活する周囲に、空想的なもの、現実的なもの、千体万状の俳味が、ほうきで掃き立てる程千五百(ちいほ)**散在してゐる。其天然の美、人工の香り! 我が主にする視点から眺めて観察をすると田幡宗勝氏の語らいは続けられた。ここで文芸的と申しますと過言になるが、秀れたものは文芸的感動もしくは人格的感動をあたえる事が深く、自然の姿を直感して、それを抽象的にでなく、感覚的にとらへるのは、句作者のとくに秀でている技術というてよいかも知れない。つまり句作者が直感的文芸的な性格や嗜好を以て生き、一滴の水の中に宇宙を感じるといふような具合に過程を飛過(とびすご)して、物の神髄を感得する才能に、すぐれてゐるといふ事もあろう。自然の姿に繊巧な美を発見し微妙な陰影を楽しむといふ気持ちもあづかっていたであろう。いづれにせよ大切な親睦な集へ打込た心理の盛上り、それを忘れては成らないだろう。
活気充満なる茶友会主催広正寺席額より左に収録。
軸 住職
便り木を便り枯すな茂る蔦 正英
引受保証
筆弟子の師恩報じゃ墓参り 春昌
師を祭る記念には良夏書哉 花酔
四君子の名も昔なり千代見草 風流
山寺や何時から咲て藤の花 柳性
后見 茶友会
広がって正しき花や寺の蓮
催主 年齢順
霊棚や昔を偲ぶ故師の恩 栗原一道
東雲を喜ぶ花の庵り哉 中村一松
師の恩を忘れぬ弟子や筆始め 権田久隆
枯山子へ手向る花や翁連 永嶋逸性
故山子に手向る彼岸桜哉 権田長松
山子翁在すが如き盆会議 宮本明堂
広野から遊ぶ連あり春の花 杉田野遊
東雲や月抱きせんと薫梅 内田佳友
東雲は旅の愉快や舞雲雀 久保和風
山里は焚火を雪の馳走哉 真田竹林
石垣の奧や留守居の菊の庵 石田留石
山裾の一家ぬくし冬の梅 栗原芳晴
迎火や鉦の音響く広正寺 権田一英
冬枯や広野に目立つ寺一宇 内田弛月
鶯の初音直座や山屋敷 田村初音
東雲の其名も伝えし大般若 久保文月
撞く鐘もそうとやりたし花の寺 青木青平
是が子の手向けの水や花の露 久保青暁
慾に折る人柄でなし庵の梅 馬場松声
秋の不二一条の雲もなかりけり 馬場和歌
老一人庵ふく花の留守居かな 青木青小
山寺や山門見へて月朧 権田金水
大寺の障子ほころぶ寒哉 権田源喜
人の子の大きく見ゆる頭巾かな 辻の家
涼しさや木陰に潜む師の庵 権田いろは
蓮清し邪のなき君子哉 島崎沼端
村雨に隠れぬ声や時鳥 権田露降
虫啼や浮世に遠き草の庵 島崎浜水
雪けして春の定るの山哉 権田里螢
山寺の鐘や細りて夕霞 田幡文泰清記
香を焚く煙も寺の蚊逃り哉 松月
寒梅や冬緩き広正寺 野蝶
床軸は山子の筆や夏座敷 一珠
弟子共の師の恩語る長夜哉 晴山
鶯や筆置へて立つ手習子 海月
名月や広野を歩く笛の声 一九
亡人の在すが如し霊祭り 露琴
雉子啼くや旭の届く山の腰 宗和
絵団扇や裏は広野の夕景色 梅窓
大集所扱
師の恩は正しき二字や筆始め 亀遊
分巻選者
寺の秋木魚の音に暮れにけり 如昮
当山の汁物重し鉄火鉢 一心
追善に筆子の寄りて角力哉 如柳
蓮を見て悟る仏の教へ哉 畔哉
通巻選者
古池の皆教い子か啼く蛙 かしく
迎火や亡師光りを筆子中 可及
『菅谷村報道』164号・165号 1966年(昭和41)1月20日・3月20日
*司召(つかさめし):官吏を任命すること。
**千五百(ちいほ):ちいお。数が非常に多いこと。数限りないこと。
参照:久保茂男「俳句を始めた頃の思い出」。