本には いろいろある。
わたしは おもしろい本を読んだ。
それは マンガ本だ。
楽しい本は おとぎはなしなど
いろいろある。
本を読むと
しらないことがわかってくる。
だから本は だいすき。
わたしの家には
本が たくさんある。
図書室にも たくさんある。
わたしは 学校で本をかりる。
わたしは たくさん本を読んで
しらないことを
うんとわかるようにしよう。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
本には いろいろある。
わたしは おもしろい本を読んだ。
それは マンガ本だ。
楽しい本は おとぎはなしなど
いろいろある。
本を読むと
しらないことがわかってくる。
だから本は だいすき。
わたしの家には
本が たくさんある。
図書室にも たくさんある。
わたしは 学校で本をかりる。
わたしは たくさん本を読んで
しらないことを
うんとわかるようにしよう。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
かがみを のぞいたら
かがみの中にも
わたしがいる。
わたしが 手をあげると
かがみの中の わたしも
手をあげる。
こんどは 口をあけてみた。
また かがみの中のわたしは
まねをした。
いやだな。
かがみって
まねをするのが
とくいなんだな。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
歯が グラグラゆれている。
なかなかとれない。
おもいきって とろうと思っても
手が いたくなるだけだ。
かがみを持ちだしてきて見る。
この歯が ピクッと
とれないかな。
それとも まほう使いが来て
まほうをかけて
とってくれないかな。
古い歯がとれて
新しい歯が でてくればいいのにな。
歯がとれれば
おとなの 強い歯になれるのにな。
なんでも食べられる
強い歯になれるのにな。
早くとれないかな。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
春になると きれいな
花が たくさんさく。
いろいろなかざりがつくれる。
くびかざりやゆびわなどが
たくさんつくれる。
花が たくさんさくと
にわが きれいになる。
はたけも花がいっぱいになる。
スカートも はけるから
春は 大すき。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
わたしたちの学校は
木ぞう校舎。
菅谷小学校は
鉄筋校舎。
わたしたちはなんで 鎌形小学校は
木ぞう校舎なのかと思う。
みんなは
鉄筋校舎になってほしいという。
だけどわたしは いまのままでいい。
遊ぶものが いっぱいあるからだ。
でも 一つだけさみしいことがある。
人数が少ないことだ。
それでも みんなとなかよく遊んだり
勉強もしっかりやっている。
やっぱりいまのままが いちばんいい。
二月二十七日(木)
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
ぼくの ふでばこは
一年ぐらい つかっている。
ぼくのために はたらいて くれる。
もう
カバーが やぶけている。
中も きたなくなった。
あけるところも テープではってある。
ぼくのふでばこは かわいそう。
かばんの中で
いたいのを こらえている。
ぼくは おかあさんに
「ふでばこ買って」
というと おかあさんは
「だめだよ」という。
ぼくのふでばこは
まだ
ぼくのために はたらいてくれるから
がまんしよう。
鎌形小学校『三年生の文集』1975年(昭和50)3月
みんなと過した二年間は、またたくまに過ぎてしまった。いろいろの思い出がある。みんなもそうだろうな。私は美しい思い出をたくさん持ちたい。それには思い出のたねをたくさん作ることだ。心をこめない、いいかげんな行動や苦労をさけて、てきとうにごまかしたことは、心にのこらない。又苦しみや悲しみにうち勝った時は一歩成長したことで、悲しみや苦しみも楽しい。なつかしい思い出になる。反対の時は苦い思い出になるだろう。だから美しい思い出をたくさん持っている人はりっぱな生き方をした人にちがいない。
私も美しい思い出をたくさんもちたい。
鎌形小学校「昭和31年度卒業文集」1957年
私はこの鎌形小学校にきてからもう一年になります。ですから六年生のみなさんとはたった一年間の友だちだという事になりますね。思えば短い一年でした。私がみなさんと親しくなったのは主に体育の方面で一番身近かに感じられますね。春から夏にかけての球技祭や陸上の班大会、又あの寒った駅伝大会など、この一年をふりかえってみるとあざやかに浮び上ってきますね。
六年のみんなには、いろいろな放課後の練習などで無理を言い、「いやな先生だなあ。」と思った人も少なくないでしょう。それもまあ、そんな時の先生の調子で言ってしまったのだからあとの笑い話しにでもしてください。やがてみんなも、桜の咲く頃には中学生だ。新しい希望をもっておおいにやってくれ。「少年よ大志を抱け」だがあまり調子にのるな。
鎌形小学校「昭和31年度卒業文集」1957年
一本のえんぴつをてにしていろいろ考えてみた。たしかねだんは五円のHBである。しんが太くなると、小刀でけずられ、そのたびに短くなっていき、やがてはこの世の中から消えていく。しかしその間にえんぴつは、たくさんの文字をノートにつづり、数字の計算をし、画用紙に下絵をかき、これを使う人のために骨身惜しまず働いている。一ことも不平を言ったりしない。「もうぼくはうんと働いたから、休みたいものだ。」といったのをきいたこともない。もくもくとして働き、自分のつとめを果すと、文句もいわずに、この世の中から消えていく。考えてみると、わたくしたちの生き方も、このえんぴつのようでありたいものだ。いっしょうけんめい勉強し、しっかり体をきたえて、自分の一ばん得意とする道をとおして、世のため、人のために力一ぱい働き、つとめが終ったら静かにこの世の中から消えていくというふうに……。
鎌形小学校「昭和31年度卒業文集」1957年
私が本校に来てから、もう一年たちました。この間みなさんは、六年生としてほんとに、良く勉強し、又良く働いてくれました。母校六十五年の歴史に一段と栄えある数々の功績を添えてくれました。
今日皆さんの実力と健康は本校先生方の御指導と、それぞれのお家のお骨折りと、地域の御配慮のおかげであることは申すまでも、ありません。
どうかこれより先、限りなく伸びゆくことを心からおいのりいたします。
鎌形小学校「昭和31年度卒業文集」1957年