○昭和31年(1956)度
高坂地区で攻防戦を展開している最中、七郷村に於ては埼玉酪農七郷支部の出荷者の中に於て、武蔵酪農加入の機運は高まり明治乳業伊東所長現地に出向し、内容説明すると共に、菅谷支部の若手リーダーの山田巌氏、奥平武治氏、鯨井正作氏、支部長の中島源造氏等地区内に潜行し加入説得に当たる。七郷地区に於ては、これ又若手の明治派田畑郷治氏、杉田善作氏、中村昇氏等が決起し、武蔵酪農加入推進に邁進し、時の元老達を困らせ乍らも40数名全員一体となって武蔵酪農の加入に漕ぎ着けた。
6月4日の理事会に於て奥平武二氏理事より経過と全員加入の説明がなされた。この厳しい争奪攻防戦も昼夜に亘り熾烈を極め、菅谷第2支部が発足した。
その後数名の巻き返し離脱者が生じた。
昭和31年4月 理事 高橋永治 退任
武蔵酪農農業協同組合編集・発行『武蔵酪農創立四十周年の歩み』(田村孝一執筆 1990年1月)21頁