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里やまのくらしを記録する会

埼玉県比企郡嵐山町のくらしアーカイブ

自由民主党菅谷支部が結成される 1959年2月

2009-10-09 23:17:12 | 1959年

   自民党菅谷支部結成
     支部長に内田幾喜氏、幹事長に杉田角太郎氏
 自民党菅谷支部の結成大会は二月二十二日午前十時から菅谷中学校講堂で開かれ、支部長に内田幾喜氏、幹事長に杉田角太郎氏を選任すると共に、その他の役員を決定して午後十二時半閉会し、懇親会を行った後散会した。
 この日は、小林英三、大沢雄一の各参議院議員、山口六郎次衆議院議員、横川重次前代議士、田口勘造県会議員などが来賓として出席。杉田角太郎氏の司会で開会し、中村常男氏の経過報告の後、議長に田畑周一氏を選出し、規約の審議、役員の選任が行はれた。
 次いで宣言を発表、来賓の祝辞があって会を閉じた。宣言、役員は次の通り。

 我々は日本国憲法の下に民主主義社会の実現を期すると共に日本が厳然たる独立国家であることを認識して、自由と正義に基く平和日本建設の偉業を達成せんことを期し、ここに新しき時代の希望と信念に燃ゆる同志を糾合して自由民主党菅谷支部を結成する

  役員
支部長 内田幾喜
副支部長 井上清 山岸宗朋
総務会長 田畑周一
総務 青木高、米山永助 森田与資 市川武市 安藤武治 大塚禎助 栗原彌之助
幹事長 杉田角太郎
副幹事長 中村常男
会計 福島秀雄 市川紀元
幹事 根岸巷作 森田清 滝沢安雄 吉野松造 吉野栄一 小林森久 阿部富育 小久保富造 千野良之 飯島文八 千野忠介 小林辰見 藤田正作
顧問 栗原侃一 田畑順一 荻山忠治 関根茂良

   『菅谷村報道』98号 1959年(昭和34)4月15日

※自由民主党菅谷支部結成について批判の投稿があり、『菅谷村報道』106号に「自由党支部結成に疑問」として掲載されている。


伊勢湾台風で被害が出る 1959年9月

2009-10-08 20:33:52 | 1959年

   台風対策臨時村会 十月三十日招集
 九月二十六日夜半本土を襲った伊勢湾台風は、本村にも、家屋倒壊、破損等、広範囲な被害を起したが、村では、二十七日職員を臨時召集して被害調査、更に各字区長に依頼して部内の被害状況調査の結果、略被害の全ぼうが明かになったので、三十日臨時村会を開いて、この対策を協議した。
 この結果、学校、役場、駐在所等の公有財産の復旧のため、二十万円、村民住宅付属建物等の被害に対して十万円の支出をすることに決定した。
 尚被害は、家屋全壊三、半壊十、物置等全壊三十である。
 又、土木産業委員会では、九月二十八日村内被害状況jを視察したが、土木関係の被害は軽微であることが判明した。
     『菅谷村報道』104号 1959年(昭和34)10月12日

※伊勢湾台風については菅谷中学校生徒会報道部『青嵐』11号(1960年3月)に、2年生の作文「あらし」がある。
伊勢湾台風50年事業実行委員会伊勢湾台風概要」。
防災科学技術研究所自然災害情報室伊勢湾台風50周年特別企画展」。


菅谷4Hクラブ新役員・事業計画 1959年

2009-04-22 14:32:00 | 1959年

 菅谷地区4Hクラブでは、二月三日総会を開き、三十四年度の新役員、事業計画を次のように定めた。
◇役員
会長  杉田善政
副会長 内田昇
書記  高橋秀男
圃場係 関根秀男
会計  長島崇
冨岡秀、小林二三郞、村田宏吉、吉野了、多田一男、関口明元、高橋博、根岸一男、内田延正、内田清司
◇事業計画
 毎月一回定例会を開き事業の実施について協議をし、各自及び共同プロジェクトについて研修する。女子クラブ員加入の場合に於いても協議し新に事業を計画する。
 二月 菅谷4Hクラブ定期総会、小川地区4Hクラブ地区連絡協議会定例総会、第八回埼玉県4Hクラブ実績発表大会参加、研究圃場の管理、土入れ、中耕、麦踏。
 三月 個人プロジェクトの決定、プロジェクトグループ結成、先進地見学県内圃場管理、麦中耕。
 四月 研究、圃場、夏作共同プロジェクトの計画を確立す、クラブ員花見。
 五月 圃場夏作播種及び圃場管理。
 六月 圃場小麦収穫。
 七月 圃場夏作物管理。
 八月 地区研修会参加(レクリェーション、映画鑑賞)、圃場管理。
 九月 演示大会開催、及び地区郡大会に参加、三十五年度圃場夏作の計画、県内視察自転車。
 十月 圃場陸稲収穫、水稲立毛共進会(クラブ員)
 十一月 県4Hクラブ共進会参加、圃場麦播種。
 十二月 圃場管理、麦の中耕、県外視察、先進地。
 一月 実績発表大会、地区、郡に参加、新年会、一年の計画について。
 二月 定期総会。
     『菅谷村報道』97号 1959年2月15日