goo blog サービス終了のお知らせ 

S嬢のPC日記

2004年から2007年まで更新を続けていました。
現在ははてなで活動しています。

リンク通知のあるニュースサイト?

2005年10月06日 | インターネット雑記
話の種(´━`)
こちらのサイトからトラックバックが入りました。
「悪徳商法」の記憶をたどる 2005年10月06日/話の種(´━`)
アドレスに飛んで見ると、リンクのみ。
ひとつの記事にひとつのリンクのみのブログ。
コメント受付無し。
ああ、要するに、リンク通知のあるクリッピングサイトということですね。
で、その通知の目的は、「読んで欲しい」ではないですよね、読むとこ無いですから。
まあ、とりあえず、この方の「ご希望」通り、アクセスはした、と。
リンク通知という意味はここで終了。

トラックバック送信により自ブログへのアクセス数を引き出したいのならば、トラックバックは「悪徳商法」の記憶をたどるではなく、ご注意、ご注意の方が利があると思うのですよね。
多分、わたしのところを見つけられたのはRinRin王国でのクリップなんだろうと思いますし、クリップされたRinRin王国の10月3日に、同様にクリップされているマナーを語るマナー/ぽんすブログにもトラックバック送信、されていますから。
ご注意、ご注意の方だったら、RinRin王国でのクリップの影響で、おとといのこの記事へのアクセス454pvにはかなわないけれど昨日のこの記事へのアクセスは224pv。
あと数日は異常なpv数をはじき出すでしょうから、そちらへのクリップの方が利があったはず。
ということは、「読んで選んでいる」クリップということなんでしょうか。

ニュースサイトや他者の管理するブックマークサービスの閲覧により、情報を収集したいという人はたくさんいるのだと思います。
その上で、わたし個人の感覚なのですが。
わたしは自分の記憶に残り続けない情報を多読するという志向は薄い。
自分の記憶に残り続ける、再読に耐える、再読を喚起するというものが好きです。
だから情報の海の中で、次から次へと流れる情報には、そんなには関心が無い。
自ずと「たくさんの情報をコメント無しでピックアップしていく」ニュースサイトからは足が遠のきます。

わたしにとってのニュースサイトは「最近の目につく情報一覧」ではなく、個人サイトです。
ひとつの情報をピックアップするという管理者の視点と、管理者のコメントを読む場です。
なんというか、「この人のピックアップにのせられてみようか」という感じで、リンク先に飛びます。
常時閲覧のニュースサイトでも、全てのリンク先に飛ぶわけではありません。
ピックアップされた情報の「タイトル名」と、ピックアップした人間のコメントが選択の材料になります。

今回のトラックバックに関してですが。
「無断リンク禁止」を言っている層もありますから、リンク通知のためのトラックバックという使い方をされる人もいるんでしょう。
でも、わたしはリンク通知のためだけのトラックバックは特に必要としていません。
今後、クリップされるかどうか可能性は低いと思いますが、次回は通知は要りません。

と、いう「お返事」をトラックバックで入れておきます。
該当する受信したトラックバックに関しましては、「リンク通知」のお知らせは受け取ったということで、用途は終了していますので、削除させていただきました。

「交流」

2005年10月02日 | インターネット雑記
カウンタというものがつかないブログが多くなり、「キリ番ゲット」という言葉を見なくなった。
個人HP時代に流行りだった「キリ番ゲット報告」というものは、ロムラーに口を開かせるためのひとつの手段だったという要素があると思う。

インターネットで生まれる「交流」というもの。
口を開き、掲示板やコメント欄で自己を名乗り、会話を投げかけ、関係を成立させていく。
最近思うのは、それだけが「交流」ではないんじゃないかということ。
ブログというものが存在として維持されている限り、「交流」というものが動いているんではないかと思う。

わたしはロムラーとして、継続して閲覧しているブログがある。
その中には、自己を名乗りコメントをするという「登場」をしていないものもあり、それでもわたしはロムラーとして、そのブログの文章と「交流」する。
その文章と向かい合い、書いた相手とその内容と自分の思考が「交流」する。
相手に伝えていない「交流」というものは、「伝わらない交流」なのだろうか。
「伝わらない交流」は、意味の無いものだろうか。

わたしはそうは思わないんですよね。
そのブログが存在する上で、「読者を持っている」という認識があるのなら、それはそこに「交流がある」ということなんではないかと最近思うようになったというか。
その「見えない交流」というものは、いつか「見える交流」に変化していく軌跡なのかもしれないし、ずっとそのまま「見えない交流」のままなのかもしれない。
でも、見える交流だけを追いかけていくのは、何か違うんではないかと思う最近です。

チラシの裏

2005年10月01日 | インターネット雑記
去年、ブログを始めた頃だったか、検索でブログが上位に引っかかってくるのがうっとうしかった。
情報が欲しくて検索をかける。
そこに「個人の感想」のみの、情報性の薄いブログが次々にピックアップされていて、ひとつひとつ当たっていくときに、これじゃない、これが欲しい情報じゃない、と、かき分けなきゃいけないことに苦痛を感じていたなあと思う。
個人のブログに出す話題で、参考URLや、述べていることに関しての資料リンクが無いのも、うっとうしいと思ったところでもあった。
要するに、言っていることの「裏付け」に関しての資料無しで、言っていることに関しての裏を取らずに、正確かどうかわからないことを堂々と言っちゃってるものが「情報を収集する目的での検索」に出てくること、それをかきわける作業とそれにかかる時間がうっとうしかった。
これはブログの問題ではなく、ブログがGoogle検索の上位にきやすいということで、検索エンジンの問題である、と、そんなことに話が落ち着いていったものだったなあと。

さて、1年が過ぎ、ブログのユーザーは爆発的に増え、現在思うことは。
「個人の感想」にとどまらない、「情報」として成立するブログが増えたと思う。
参考URLを列挙したものも増え、そこから飛べる便利さなども感じるようになった。
また、個人のサイトのひとつとして、読みでがあるものも増えたと思う。
リンクされ、アクセス数があり、それなりの読みでがあるものが検索の上位に上がってくるのならば、ブログを読むことを目的とした人間にも、情報を求めて検索からたどりついた人間にも貢献があるのだと思う。
ここのところ、書籍名で検索して、情報性と読みでのあるブログに何度かたどりついて、なんというか感じ入りつつ、なんてことがよくある。
ありがたい、ありがたい、なんて思いつつ、この検索上位を信頼しようとすると、「だからなんですか~?」というブログが上位にあったりして、またそのブログのコメント欄に「トラックバックありがとうございました」なんてのが続いていると、(あ~あ)なんてことを思うことも、もちろんままあるのですけれどね。

わたしにとっての閲覧したくなるブログの条件
「自分語り」と「その先」
なんていう、こうるせーことをぴーすかと言っていたワタクシですが。
現在、すっかり「チラシの裏ブログ」をちょこまかと書き付けることにはまっています。
「裏日記」「1人コメント欄のようなブログ」ですね。
gooブログの存在を知らない人には全くわからんブログとして成立しているし、本当に勝手なものだと、自分でも思う。
しかしこれで遊ぶようになってわかったことは、充実性のある記事上げをしたいと思う楽しさと、チラシの裏に書くようなことを書く楽しさと、ブログにはそういうものが併行して存在してるんだなあということでした。
いや、小難しいことじゃなく、単純に言えば「チラシの裏的ブログも楽しい」。

隠すほどのものでもないが、URLを出してアクセスを引っぱろうとするほどのものでもなく、存在を知らない上で興味のある人は、BOOKMARK欄でもあさってみてください。

続「エゴグラム」

2005年09月27日 | インターネット雑記
前記事「エゴグラムによる性格診断」で、わたしは「エゴグラムによる性格診断」というサイトの診断結果に関しての不満をぶちかましましたが。
このサイトの診断結果、5つの領域のどこかに「c」が入るものの記述に関してどうも問題があるような気がします。
なんというか、実在しそうで実在しない人物像というか、人間というものをとらえる暖かみと深みに欠けると言ったら言い過ぎか。
実際クレームもあるようで、その辺のことが「コラム 管理人のつぶやき」に記されています。
特に「8番」が、なんとも…。

エゴグラムによって自分を知ろうというときには、わたしは「エゴグラムによる性格診断」というサイトよりも「エゴグラムの部屋」の方がおすすめです。
どんなことを診断されているのか理解しながら回答を進めることができ、また結果に関しての考察が自分にゆだねられているからです。
(わたしは後者の診断の方が「FC」が上がります)

さて、このエゴグラムによりブロガー傾向を考察したのがLstyさんの記事でしたが、わたしもちょっとマネをして考察。
以下、女性ブログに関して。

*NPが高そうで、ACが高そう。
 モラルハラスメントブログ
ACが高いという自分自身を見つめ、考察することがコンテンツのひとつになっていることから、そこが逆にブログの「強み」ともなっているブログ。
*NPが高そうで、Aが高そう。
 アトリエf.f. ゆうくんちの日常
べたついた記載が無いのが「A」の高さのように思う。
24時間テレビスペシャルドラマ「小さな運転士 最後の夢」」や、以前gooを場として使っていた時期の「『クニミツの政』記事→取材依頼」では、「CP」より「A」が前に出ている要素が興味深い。
*Aが高そうで、CPが高そう
 ☆ 今日の幸せ ☆
彼女の「CP」的一言に惹かれている読者は多いんじゃないかと思う。
*FCが低そうで、ACが高そう
 明けぬ夜の夢
自己を見つめ続ける更新は、本人自身を支えるものとなっていて、ブログが有効活用されていくことでゆっくりと本人自身が変化をしていきそうな可能性が、読んでいて興味深い。
*Aが高そうで、ACが高そう
 障害者の“きょうだい”のつぶやき
自己のACの持つ要素に対して、更新によって「立ち向かっている」感じがするブログ。

Lstyさんの記事では、「ブログで成功する資質を持っているのはNPやAが高い人」というような記載があったけれど、「ブログで成功」というのは、わたしは「そのブログの持ち主がブログでの更新でどんな収穫を得るか」という方が興味が引かれるわけで。
どの要素がどんな風に出ている人でも、そういう「成功」の可能性というものがあるのだろうし、わたしはそれをブログ上で見るのが楽しいかもしれないです。
そういう意味で、同性として、女性ブログを考察してみました。

以上、実に主観的判断ですので、列挙に入った方、迷惑かけたらごめんなさい、です。

「自分語り」と「その先」

2005年09月22日 | インターネット雑記
「S嬢のPC日記」
このサブタイトルとして以下の一行を加えてある。
考えるのは、常に「その先」

ブログを作った頃に、自分の中に発見があった。
それは他者と「事実とその考察」に関しての会話をしているときに、自分の発する言葉に頻繁に「その先」という言葉が出てくること。
これはいつ頃からだったんだろうと思う。
気づいたときには、すっかり自分に定着していたのだと思う。
ことさらに意識して使っていたことはほとんど無い。
持ち慣れたもの、使い慣れたもののように、自分の中にそれはしっくりとはまっていた。
意識して使うというよりも、出てしまう。
現在の状況、考えられる解決策、そして「その先」に見えるもの「その先」で獲得できるもの。
わたしはこの「その先」に対して好奇心があるのだと思う。
そのことに気づいてから、「その先」という言葉が自分の口から出たときに、その言葉が出た状況を改めてふり返ってみたりするようになった。

最近、いくつかのブログで「自分語り」という言葉を目にする。
「自分語り」という言葉で定義されるもの、想像されるもの、そのニュアンスには個人差があるのかもしれない。
わたしは夕食のメニューも、今日行った場所も、きれいに塗れたネイルの写真も、ペットの画像も、個人の「感情体験」の域を出ない映画やドラマの感想も、日常の話や過去の話も、そうした「自分語り」には、知っている人かどうかに関わらず、その人自身を知る、または見えてくる情報性の魅力に欠けた単なる「報告」である限り、申し訳ないが興味が無い。
遭遇した場面や状況、そこで思うこと、そしてその人が経験した後の、またそれを書き上げて公開した後の、「その先」のその人の姿に興味がある。
そこでその人が何を獲得するか、そのことがその可能性が推測できる文章には、「人間」という生き物の持つ魅力がある。
この「その先」の可能性が見えるベクトルがそこに存在するのなら、わたしはどんな「自分語り」にも関心を持って読むと思う。
そして実はその書き手の「その先」の可能性が見えるベクトルがそこに存在する限り、どんな記事も「自分語り」につながっていくのだと思う。

*参考リンク
うざがられる自分語り/ARTIFACT ―人工事実―
読ませる「自分語り」/BLOG STATION
私が自分のサイトを持つ理由。/304 Not Modified

「検索トラックバック」で得たもの

2005年09月20日 | インターネット雑記
傑作記事を書き上げてしまったブロガーの悩み/304 Not Modified
この記事では、「読んでもらいたい記事」を「検索トラックバック」を使わずに「読んでもらう」方法について述べています。
検索トラックバックを使わずに、という理由に、わたしが上げた記事である「検索トラックバック」で失うもの が上げられています。

しかし、わたしは「検索トラックバックを使う」という選択は「アリ」だと思います。
ただし、わたしが考える重要な注意点があります。

1.「検索トラックバック」という手段を使うための「動機」を確実に持て
 「単なる宣伝」以外の確実な動機が無いのなら、「検索トラックバック」という手段を安易に使うな
2.送信先は確実に熟読しろ
 熟読できないもの、自分の記憶に残らないような場には送るな
3.トラックバック送信する記事に、相手に渡せる「情報」があるかきちんと判断しろ
 相手にとって無益なものは送るな

わたしが過去行った「検索トラックバック」は以下の記事です。
「たったひとつのたからもの」:感想
この経験を考察したのが、以下の記事です。
「こんな使い方があったのか!ブログの可能性に挑戦」の体験例

この「たったひとつのたからもの」:感想 という記事を上げたときに、わたしには「検索トラックバック」という手段が必要でした。
「検索トラックバック」という手段を使わなければ、わたしが書いた記事はただブログという大海の中で沈むだけだったでしょう。
また、あれだけの「濃いコメント」がコメント欄を埋めていくことにはならなかったと思います。
コメント欄に記載されたものではありませんが、こうした記載に出会うこともなかったでしょう。
また、この記事はブログ上では見えないところでわたし以外の人間にも有効活用されました。
ネット上で見える形の例のひとつとして、この記事のコメント欄に出てくる「Sさんのブログから多くのことを学ばせてもらうことになりそうです」というもの、これも「検索トラックバック」によってリンクさせていただいたところや、送信先から訪問いただいてコメント欄を濃いものにしてくださった方無しには語ることはできないと思います。
また、この記事には記事限定でアクセス解析をつけていますが、解析をつけた日から今日までアクセス数が「0」の日は存在していません。
訪問された延べ人数は、解析をつけた11月の末から今日現在までにユニーク数で3000を超えています。
この数字に責任を持つ思いを持てるのも、やはり「検索トラックバック」によってリンクさせていただいたところや、送信先から訪問いただいてコメント欄を濃いものにしてくださった方無しには語ることはできないと思います。

「検索トラックバック」で失うもの という記事中に出てくる「検索トラックバック」という言葉は、記事中にも記載した通り、むだづかいにっき「越後屋的トラックバックの分類のメモ」に従ったものとして定義しています。
わたしが行った「検索トラックバック」はこの定義に出てくる「かたっぱしから」ではありませんでしたし、「多くの場合」という記載からもはずれると自分では思っています。
しかし、これは「自分が勝手に解釈すること」であり、わたしが行った「検索トラックバック」がスパム行為であったかどうかは、トラックバック送信先と閲覧者にその判断はお任せします。

ただし、わたしがこの「検索トラックバック」で得たものは大きく、また「検索トラックバック」によって力を得たこの記事は、今日もアクセスが続いています。
わたしが欲しかったのは「数」ではなく、そこで得られるものでした。

*トラックバック
傑作記事を書き上げてしまったブロガーの悩み/304 Not Modified

「検索トラックバック」で失うもの

2005年09月19日 | インターネット雑記
某所にて閲覧したコメント、
「たくさんの人に見てもらいたいから検索トラバはしないわけにはいかない」
という言葉に対しての反応。

この方、ご自身のブログに対して「啓蒙活動的意義」があるとおっしゃる。
だから、そのことを広めるためにと、前述のことをおっしゃる。

おいおい、ちょっと待ってくれよ、と思う。
スパム的検索トラックバックをやっていては、「啓蒙活動」どころじゃない。
トラックバック記事以外の記事に対してまで、閲覧者から見た価値は下がる。
本末転倒、やらない方がずっといい。

本当に「啓蒙活動」をブログにおいてやりたいのならば。
「全ての記事において説得力を持つ努力をすること」だと、わたしは思う。
ブログは記事単位で閲覧され、他の記事を閲覧する意志を閲覧者に持たせるためには、まず最初に閲覧者が出会う記事の「力」が大きくものを言う。

ひとつのブログ記事に出会ったときに。
閲覧者は、たったひとつの出会いの記事で、そう簡単には啓蒙などされない。
あなたが「読まれた」と思っていても、それは「眺めた」だけのことも多く、記事自体に「啓蒙」の要素があったとしても、ひとつの記事との出会い程度では「こんなことを言っている人がいた」程度の記憶しか残らないのが現実だと思う。
たったひとつの記事に訪れた閲覧者が、別の記事を開くボタンをクリックするかどうか。
重要なのはそこなのではないかと思う。

検索トラックバックは、トラックバック送信により、送信先の管理者を、そのブログ内のたったひとつの記事に「閲覧に来させる」ことはできると思う。
「閲覧に来させられた」受信先の管理者が、そこに「検索トラックバック」の要素を見出したときに、「たくさんの人に見てもらいたいから」なんて可能性は簡単に崩壊する。
逆に言うと、「たくさんの人が自分のブログを訪れる可能性を失う」ことでもあると思う。
こんな「手段」に頼っていては、「啓蒙活動」なんてできるはずが無い。
その文章を記載するその個人を信頼するかどうかで、ブログの持つ力は左右されるのだから。

検索トラックバックとは、そうした「危険」を大きくはらんでいることを、検索トラックバッカーは知るべきだとわたしは思う。

(注:ここでの「検索トラックバック」は むだづかいにっき「越後屋的トラックバックの分類のメモ」に従ったものとして定義)

「検索トラックバック」考

2005年09月14日 | インターネット雑記
繁華街の雑踏で、歌なんぞを歌ってる方がいらっしゃいますな。
それが風景のように通りすぎる人もいれば、立ち止まる人もいる。
立ち止まるだけのものを持っていれば、立ち止まるなあと思う。

さて、検索トラックバックというヤツ。
なにそれ?という方には、 こちらの分類の説明 がわかりやすかろと思います。
で、この分類を出している むだづかいにっき のエントリーで 「くたばれ 検索トラックバッカー 」というものがあります。
自分が書いた記事を投稿する際に、ブログ検索などで共通する話題を書いているブログを見つけ出してトラックバックを送る「検索トラックバック」は、かなりの高確率で嫌がられるトラックバックなのですが
はい、かなりの確率でイヤです。
のべつまくなしという感じの「大量送信」がすぐにわかるとこもイヤです。
内容がつまらなきゃ、イヤは炸裂します。
アフィリエイトがべたべたとくっついてると、もっとイヤです。

なのですが。
巡回先のトラックバック欄に、あるトラックバックがありまして。
これがまた、そのブログを巡回先にしている自分が(これ、どの記事についたの?)と、なんというかピンと来ず、表示タイトルを見るだけでいかにも典型的な「大量送信検索トラックバック」って感じだったので、なんで消さないんだろうなどと、ずっと思っていたのですが。
ある日、ふとそこに飛んでみましてね、結局その記事と同じカテゴリ記事、読破してしまいました。

このトラックバック。
トラックバックの根拠となる共通ワードは、トラックバック受信記事本文中に一個。
トラックバック送信記事のコメント欄には「トラックバックありがとうございます」が続き、多数のトラックバック送信をしていることが察せられる。
アフィリエイトはべたべた。

でもね。
おもしろいんですよ、これが。
同一カテゴリ記事10個、あっという間に読破してしまうくらいに。
資料となりそうなものをよく調べてありますしね。
記事に使っている話題にまつわる個人の経験談も、おもしろい。

自分で検索してわざわざ調べるほどのものでもないのに、自分がふっと出した単語一個で向こうから「情報」がやってくる。
こうした「棚からボタモチ」的効果もあるんではないか、検索トラックバック。

ただし、「棚からボタモチ」の「ボタモチ」がおいしくなくてはダメなんですけどね。
なんといっても、重要なのはここかもしれない。
「棚から単なる個人広告」が出てきたら、古新聞といっしょに束ねるだけだ。
でも、ボタモチがうまけりゃ、それはおいしい。

だから「検索トラックバック」は、全てにおいて「くたばれ 検索トラックバッカー」というわけではないと思う。
ただし「検索トラックバック」を送信するということは、トラックバック送信で少なくとも受信先のブログ主には「読ませる」という行為がほぼ確定しているという自覚の上で、「読ませる」水準が要求されるものかもしれない。

最後に、この「おもしろかった検索トラックバック」のブログですが。
太田裕実 石川セリ 岩崎宏美 黛ジュン 奥村チヨ 渚ゆうこ 八神純子 平山三紀
このどれかに関心を持つワードがある方は、下記ブログにいらしてみてください。
トラックバック送信先からのコメントに対しての誠実なレスも、好感です。
カテゴリ名「コーヒーブレイク(歌手紹介)」/ クレイジーポーカー Crazy Poker

*トラックバック*
くたばれ 検索トラックバッカー / むだづかいにっき

検索とブログと

2005年09月08日 | インターネット雑記
インターネットでは、医療情報が調べられる。
病名で検索する、ああ、なるほど。
ただし、実際に医療機関にかかっている場合に、その病名を検索ワードとしてインターネットで医療情報を調べるときは注意が必要だと思う。
ネットで出てくる情報はあらゆるケースを考慮に入れるものが多いために、その人間の疾病の症状の範囲外の情報まで入手できてしまい、不安までも背負い込むことがある。
やはり、医療情報の入手というものは、まず主治医との関係ありき、主治医との信頼関係の構築の努力ありき、なのではないかと思う。

さて、疾病というほどではないもの。
ふと、思いついて検索→「脳貧血」

なんというか、わたしは時々、倒れる。
まず、きーんと耳に蓋ができたような感じで、音の聞こえ方が変わる、まるで自分の頭がカプセルに入ってしまったかのように。
どくんどくんどくんと、自分の鼓動が早くなっているのを意識する。
そして頭の中がぐわんぐわんと、めまいのような波に襲われる。
ふっと、意識が無くなる。
「朝礼で倒れた」というのは未経験なのだけれど、体調が万全ではないという状態での休み明けの朝のラッシュ時、異常な混雑の場でずっと立っていなければならない時、ハイペースで飲みすぎた時などに、それは起きる。
数回やって、対処法を習得。
耳にきーんと最初の合図が出てきたときに、この時の態勢が「立位」であった場合まず「座る」。
そして原因となりそうな「状況」から速やかに脱出。
これでだいたい初期段階において対処でき、数分後に何事もなかったように復活する。
「立位から座位」への変更がきかず、原因となりそうな「状況」から脱出できず、また全ての対処のタイミングが遅れて意識が無くなってしまった場合は、「横になる」と数分で元に戻る。
最初に「時々倒れる」と出したが、この「時々」というのは人生の中での経験の「点」という意味での「時々」で、原因と状況が重ならなければ起きないし、初期状態での対処法を習得してしまえばほとんどと言っていいくらい倒れない。
最後に「倒れた」のは、息子の産後すぐのことなので、もう10年になる。

「貧血を起こす」という風に人から聞いていたけれど、貧血って貧血っていう状態でしょう?ちょっと違う、「発作」みたいだもの。
「それは脳貧血って言うんだよ」と聞き、ふうん、で脳貧血って何? と思っていた20代の頃。
その20代の頃、そんな話が仕事の合間に職場の友人と出て、「あるある」とその彼女が、言う。
「血液がさ、急に循環が必要になったとこにどんどんいっちゃって、脳味噌の血液が足りなくなるらしいよ。」
ほう。
この友人と「あるある」があったのが、上記の例以外に「胃の調子が悪いときに刺激の強いものを外食で食べ、雑踏を通って帰宅するとき」。
あるあるあるある。
と話していたら、その日、ど~しても、その「刺激の強いものを外食」がやりたくなった二人。
ターゲットは、インド料理。
「ああ、でも、今日、来そう」「わたしも体調、あんまりよくない、今日は来るかも」。
いや事情を知り抜いている二人なら怖くない。
どっちかの「きーん」が始まったら、それがどこであろうとその場に座ってしまえばいい。
お互いにその時にそのことが必要って知ってるんだから、かまうもんか。
体調あんまりよくないだのなんだの言ってたくせに、同士の存在に力を得て、たらふく食ってたらふく飲んだその夜。
結局双方で「きーん」、新宿西口地下の雑踏の中、座り込んでへらへらしてた。
一緒にいる人間がビビるのに気を使っていると、対処のタイミングが遅れちまう。
その心配は全く無い気楽さで、即座にぺたんと座り込み、その気楽さを心から謳歌して、二人で気楽なしあわせにへらへらしてた。

「脳貧血」の検索でここを選択→ 耳鼻科50音辞典「【めまい 貧血と脳貧血】」
ふむふむ、これは「起立性低血圧」というものらしい。
「起立性低血圧」の検索でいろいろ見て、なるほどと、なんというか医学的概要はわかった。
でもそこに例として出てくる情報は、なんというか「大げさ」な感じがして、「生きた人間の具体的なナマの情報」では無い。
責任を持つ情報提供としては、当たり前か。

でも「生きた人間の具体的なナマの情報」って、大きいよね。
「あるあるあるある」って言いながら、インド料理を食おうぜを強行したあの日のように。
そういう「生きた人間の具体的なナマの情報」ってのが、生きた言葉で展開されているのが「ブログというものが発する情報」なのかもしれない。

ソーシャルブックマーク

2005年09月01日 | インターネット雑記
ツール使いたがり、です。
はてブ、始めました 「S:BOOKMARK
すでに使っているソーシャルブックマークサービスの「Smemo」と併行稼働。

違い、ですが。
Smemo」は、考えるクリップ。
S:BOOKMARK」は、感じるクリップ。

まあ、自分の中では(コレはこっち)みたいな明確な判断はあるんだけど、端から見れば漠然とした線でしょう、きっと。
過去、「Smemo」に入れたものは、これは自分のひとつの履歴であり、整理せずそのままにします。

感じるクリップといえば、過去読んだものに関して「アレを」とすぐ思い出すものがある。
それをわざわざまた掘ってクリップしようと思うと作業が大変になるので、これは「思いつき」ですすめるつもりでいます。

と、ここまで書いて(ああ、そうだったアレがあったアレが)とすぐ思いつくものがあり、クリップ。
ひとり語りは面白いのかどうか、について。 / 不倒城
これは名文ですね。
なんというか、クリップなどしなくても、わたしの頭の中に長く「クリップ」され続けている。
長文読みが苦手な人だって、太字にされた次の行を追うだけ、それだけでも漠然と大意はつかめると思う。
「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。
「自分が読む自分の文章」と、「他人が読む自分の文章」は完全な別物である。
自分が自分で読む程には、自分の文章は面白くないのだ。

もちろん、これは是非、本記事に飛んで全体を読んでいただきたい。
けして損はしないと、勝手に強く推薦。

さて、「Smemo」と「S:BOOKMARK」。
わたしにとってはとてもおもしろいクリップ集なのですが(当たり前だ自分で選んでるんだから)、上記名文から言葉を借りれば「自分が自分で読む程には、自分のクリップは他者には面白くない」かもしれない。
でもまあ、「一度のぞいてみてください」。
と言いたくなるのが、ソーシャルブックマークの「ソーシャル」たる部分なのでしょう。

誰かに手渡していくURL

2005年08月22日 | インターネット雑記
人力検索サイト「はてな」にこんな質問。
おすすめのブログあるいはテキストサイトを教えてください。
条件として、アンテナ登録数が50以下のまだあまり有名ではないものをお願いします。テーマがはっきりしていて読みやすく、マニアうけしそうな内容が理想です。

おもしろいですねえ、はてな。
こういう質問もあるんですねえ。

と、のんきにかまえる余裕は実は無い。
紹介、されてました。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/d/20050811
S嬢のPC日記:2005年8月11日
常に「生と死」や「命の尊さ」についてかかれているような気がします。
このサイトを拝見するたびに、個々の魂の輝きを偏見で決め付けてはいけないと実感させられてしまうのです…。」』
すごいなあ、
こんな風な印象に見えるんだなあ、と。
すごいなあ、
こんな風な印象に見えると、そういう風に人に紹介してもらうのって、ありがたいなあ、と。

ちょっと過去のことになるんですが、こんなものもありまして。
[教えて!goo] ダウン症に関する本
ダウン症という障害について説明している本やダウン症児の教育や子育てに関する本をご存じの方がありましたら,教えて下さい。

回答:ダウン症に関する書籍はたくさんあると思いますがこのサイトで紹介されているものはどうでしょう?
参考URL:http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/153065b5178166...
すごいなあ。
過去記事を「情報」として、役立ててくださる方がいるんだなあ、と。
この「教えてgoo」の投稿、6月なんですが、いまだにこのurlからくるアクセス、ちょこちょこと、途絶えないんですよね。

わたしもこんな風に、自分が見つけたブログやサイトをいい形で紹介したいなあと、
どなたかにいい形で受け取ってもらえたらうれしいなあと、
今日もふむふむといろいろな方の文章を読んだりするのでした。

「はてなブックマーク」に思う

2005年08月18日 | インターネット雑記
以下が、わたしのブログから「はてなブックマーク」でピックアップされたものの一覧です。

http://blog.goo.ne.jp/satomies の人気エントリー

肯定・否定、入り混ざったピックアップだと思うのですが、このピックアップの一覧を見て思うことは、わたしのブログに限って言えば「ピックアップの視点が一定している傾向があるかな」ということです。
ニュースサイトにピックアップされる傾向の高い記事というものが存在するように、はてなブックマークでピックアップされる傾向の高い記事というものが、どうやら存在するようにも思います。

プライベートとして、ユーザー名が公開されていない方のピックアップも多いです。
これは多分、同じ人のいくつかのブックマークが表示されているということかな、と思われます。
ピックアップの傾向として、1人ないし2人によるものではないかというのが、わたしの認識です。
このパターンは、「自分のブックマークを他者に見せる」ということではなく、自分のためのブックマーク一覧を作るためにピックアップされているのではないかと推測されます。
そして、わたし自身の「好み」というのは、こちらに類する方の方と、近いかもしれない。
単純に言ってしまえば、ピックアップのユーザー数の「数」自体よりも、「宛名の無い手紙」の一票が、わたしにはうれしかったりします。
最近では「8月12日」の一票も、わたしにはうれしかったですね。これは一軒家@メモ帳でも被リンク(てとさん、ありがと)。
だから、わたしが今後、はてなのブックマーカーになったとしても、多分、自分だけの「一票」になるものをこつこつと積み上げていくものになるような気がします。

それが、わたしの、わたしのブログに限って言えばの「はてなブックマーク」というものに対しての感想です。

一枚の写真

2005年08月17日 | インターネット雑記
「わ~い」と思ったこと、
そして、いかにも「ネタになる」と思ったこと、
人は何日、これを「口に出す」ことを我慢できるのでしょうか。

と、いう一例。
わたしは一週間だったようです。

一週間前、ある方からメールをいただきました。
このブログに載せた写真を、あるイベントのHPに使っていいだろうかと。
「ど~ぞ、ど~ぞ、お使いくださいませ、
 ブログからのダウンロードではなく、元ファイルを添付しますね」と、お返事。

たうら大道芸
出演者紹介というコンテンツの中の「一枚」です。

出会うということ

2005年08月16日 | インターネット雑記
ブログを始めていろいろな人と出会っているけれど。
ネットを始めて、Gaiaxに登録して、そこでもいろいろな人と出会った。
障害児の母親という、出会うきっかけが明確な人もいたけれど、実生活では絶対に出会えなかっただろう大事な人間関係も生まれたと思う。
特に大きかったのは、この3人。
40年前そして10年後
学習塾のサカイ
OUTER HEAVEN
特に下二人は、その生活の変化が大きく、その変化をずっと見てきたという感慨もあるなあと。
1人は出会った頃は「24歳の車好きの男の子」だったのが、今は「30を目前にした経営者」になってる。
1人は出会った頃は「18歳の大学一年生」だったのが、今は「先を迷う悩み多き23歳」になってる。
奇遇なことに、この二人は同じ誕生日でもある。

最近おなじみになってきたまなめさん、
まなめはうすで1月にピックアップした「既卒の就活」というOUTER HEAVENの中の一記事。
この記事に、わたしが長文のコメントを入れているってこと、知ってる?って思う。
まなめはうすでは、赤文字つけてこの記事を推薦するコメントを入れていたけど、それでも日々膨大なニュースを記録していけば、過去ログは風と共に記憶から消え去るのかしら。

OUTER HEAVEN8月15日 完成? で「夏休み特別企画まとめ」がアップ。
都内のあっちの方から都心を抜けて多摩川超えて神奈川に入り、箱根の山を登る、自転車で。
その内容の大半は、彼を知らなくてはおもしろくないかもしれないけれど、クライマックスは山を下りるところだと思う。
上ったからこそ、行動したからこそ、見える瞬間というものがあると思う。
こうして「思考と行動の記録」が残る。
閲覧者のためだけでなく、もちろん自分のために。
そして、その自分のための「思考と行動の記録」にこうして立ち会えること、それもまたインターネットの楽しみだと思う。

ブログと「出会う」

2005年08月15日 | インターネット雑記
ここのところ、BUMP OF CHICKENの「プラネタリウム」を繰り返し、聞いている。
BUMP OF CHICKENといえば、その魅力のひとつに「歌詞の世界の充実」があると思う。没頭すれば、共感が欲しくて、ネット上で個人のレビューなんぞを読んでみたくなる。
検索で出してくればそれでいいのだけれど、「海」の中からシンパシーを感じるものをさがすことをゼロから始めるのは、なんだかあまりにも大変なような気もしてしまう。
相手の感性を感じる別の話題に共感を見るところに、そんな共感を探したくなる。
それでちょくちょくページを開いてしまうのが ぬるまトンネルBUMP OF CHICKENカテゴリ
ここで出てくるBUMPの曲を聴きながら、このカテゴリの文章を読むのも楽しい。

この ぬるまトンネル との出会いは、差別?それとも反差別? という記事が、わたしが登録しているライブドアの「未来検索」で出てきたこと。
この方がこの記事のたった一箇所に「ダウン症」と入れたこと、それがこの記事との出会い。

この記事の問いかけるものに対しての感想は、人間関係というものはひとつのルールでなんか、簡単にはくくれはしないということ。
自分とちがう部分を持った人間の前で、どれだけ相手を「そのまま」に受け取り、また相手の存在が持っている個性に耳を傾けることができるかということかもしれない。
それが充実されれば自ずとタブーははずれていくし、タブーを最初から取り上げてしまえば、人間関係は最初から限界が生まれるよな、と。

そんなことを思ったと、
伝えようかと、いやそのままでいいかと、そんなことを思いつつ。
でも、この人の BUMP OF CHICKENカテゴリ の更新を追っているわたし。

最初に関心をもったきっかけの記事と、今楽しみにしているカテゴリの記事と、全く関連が無い。
でも、人との出会いの偶然が呼ぶうれしい副産物があるように、ひとつのブログとの出会いにそんな副産物があるということも、またインターネットの楽しみのひとつかもしれない。

ぬるまトンネル の、差別?それとも反差別? にトラックバック。