某所にて閲覧したコメント、
「たくさんの人に見てもらいたいから検索トラバはしないわけにはいかない」
という言葉に対しての反応。
この方、ご自身のブログに対して「啓蒙活動的意義」があるとおっしゃる。
だから、そのことを広めるためにと、前述のことをおっしゃる。
おいおい、ちょっと待ってくれよ、と思う。
スパム的検索トラックバックをやっていては、「啓蒙活動」どころじゃない。
トラックバック記事以外の記事に対してまで、閲覧者から見た価値は下がる。
本末転倒、やらない方がずっといい。
本当に「啓蒙活動」をブログにおいてやりたいのならば。
「全ての記事において説得力を持つ努力をすること」だと、わたしは思う。
ブログは記事単位で閲覧され、他の記事を閲覧する意志を閲覧者に持たせるためには、まず最初に閲覧者が出会う記事の「力」が大きくものを言う。
ひとつのブログ記事に出会ったときに。
閲覧者は、たったひとつの出会いの記事で、そう簡単には啓蒙などされない。
あなたが「読まれた」と思っていても、それは「眺めた」だけのことも多く、記事自体に「啓蒙」の要素があったとしても、ひとつの記事との出会い程度では「こんなことを言っている人がいた」程度の記憶しか残らないのが現実だと思う。
たったひとつの記事に訪れた閲覧者が、別の記事を開くボタンをクリックするかどうか。
重要なのはそこなのではないかと思う。
検索トラックバックは、トラックバック送信により、送信先の管理者を、そのブログ内のたったひとつの記事に「閲覧に来させる」ことはできると思う。
「閲覧に来させられた」受信先の管理者が、そこに「検索トラックバック」の要素を見出したときに、「たくさんの人に見てもらいたいから」なんて可能性は簡単に崩壊する。
逆に言うと、「たくさんの人が自分のブログを訪れる可能性を失う」ことでもあると思う。
こんな「手段」に頼っていては、「啓蒙活動」なんてできるはずが無い。
その文章を記載するその個人を信頼するかどうかで、ブログの持つ力は左右されるのだから。
検索トラックバックとは、そうした「危険」を大きくはらんでいることを、検索トラックバッカーは知るべきだとわたしは思う。
(注:ここでの「検索トラックバック」は むだづかいにっき「越後屋的トラックバックの分類のメモ」に従ったものとして定義)
「たくさんの人に見てもらいたいから検索トラバはしないわけにはいかない」
という言葉に対しての反応。
この方、ご自身のブログに対して「啓蒙活動的意義」があるとおっしゃる。
だから、そのことを広めるためにと、前述のことをおっしゃる。
おいおい、ちょっと待ってくれよ、と思う。
スパム的検索トラックバックをやっていては、「啓蒙活動」どころじゃない。
トラックバック記事以外の記事に対してまで、閲覧者から見た価値は下がる。
本末転倒、やらない方がずっといい。
本当に「啓蒙活動」をブログにおいてやりたいのならば。
「全ての記事において説得力を持つ努力をすること」だと、わたしは思う。
ブログは記事単位で閲覧され、他の記事を閲覧する意志を閲覧者に持たせるためには、まず最初に閲覧者が出会う記事の「力」が大きくものを言う。
ひとつのブログ記事に出会ったときに。
閲覧者は、たったひとつの出会いの記事で、そう簡単には啓蒙などされない。
あなたが「読まれた」と思っていても、それは「眺めた」だけのことも多く、記事自体に「啓蒙」の要素があったとしても、ひとつの記事との出会い程度では「こんなことを言っている人がいた」程度の記憶しか残らないのが現実だと思う。
たったひとつの記事に訪れた閲覧者が、別の記事を開くボタンをクリックするかどうか。
重要なのはそこなのではないかと思う。
検索トラックバックは、トラックバック送信により、送信先の管理者を、そのブログ内のたったひとつの記事に「閲覧に来させる」ことはできると思う。
「閲覧に来させられた」受信先の管理者が、そこに「検索トラックバック」の要素を見出したときに、「たくさんの人に見てもらいたいから」なんて可能性は簡単に崩壊する。
逆に言うと、「たくさんの人が自分のブログを訪れる可能性を失う」ことでもあると思う。
こんな「手段」に頼っていては、「啓蒙活動」なんてできるはずが無い。
その文章を記載するその個人を信頼するかどうかで、ブログの持つ力は左右されるのだから。
検索トラックバックとは、そうした「危険」を大きくはらんでいることを、検索トラックバッカーは知るべきだとわたしは思う。
(注:ここでの「検索トラックバック」は むだづかいにっき「越後屋的トラックバックの分類のメモ」に従ったものとして定義)
せっかく良いことが書いてあったとしても、検索トラバという、トラックバックの負の使い方により、その記事が正しく判断される機会を失うでしょう。
件の人は、「最低限相手の記事やプロフィールを読んだ」と言うようなことを仰っていましたが、もしそれが事実だとしても、そのことを相手が感じ取ってくれなければ、何の意味も無いわけでして。
あ。
トラバ分類、アンカー入れた甲斐がありました。
検索トラックバッカーが、その行為の理由を自分に引き付けて作るというか。
そうした思考自体がスパムという行動につながっていくのだということを認識していただきたいと、わたしは思う。
いやしかし。
以前、某所で検索トラックバックに関しての批判コメントが続いたときに。
「検索トラックバックは藪の中のヘビをつつく危険がある」という意見がありまして。
つまり、闇雲に共通ワードのみで、ろくに相手の記事やブログ傾向を読まずにトラックバック送信をすると、どんな相手にぶつかるかわからない危険がある、といった主旨の内容で。
ねえ。
「えっけん」に、あのトラックバックは、なんというか、あなた。
ヤバ過ぎですよ。
怖い、怖い。
>トラバ分類、アンカー入れた甲斐がありました。
活用させていただいております。
今後もよろしく。
みたいな検索トラバを打とうと思ったら失敗してしまった…
この記事を読んで「じゃあ、どうやったら読んでもらえるんだよ」と思ったので、自分で続きを書いてみました。良い結論出ないですね。良い結論が出たら出たで、スパマーに利用されておしまいのような気がしました。
「ぎゃふん」は言えなかった。
ただ、テーマはわかる。
ちょっとわたしも考察してみたい「欲」をいただきました。
現在、トラックバックをする前提で構想中。
あと、わたし、「検索トラックバック」やったことあるんですよね。
それがスパマーだったかどうかは、受信先と閲覧者の方の判断にお任せします。
ちなみに「検索トラックバック」をやったのはこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/51a6e338f128a53eb62b8b946d650c42
そしてこの「検索トラックバック」行為に関して考察したのがこちらです。
http://blog.goo.ne.jp/satomies/e/e4f84c0b65ed7d1a989e71e71e87fc28