S嬢のPC日記

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「交流」

2005年10月02日 | インターネット雑記
カウンタというものがつかないブログが多くなり、「キリ番ゲット」という言葉を見なくなった。
個人HP時代に流行りだった「キリ番ゲット報告」というものは、ロムラーに口を開かせるためのひとつの手段だったという要素があると思う。

インターネットで生まれる「交流」というもの。
口を開き、掲示板やコメント欄で自己を名乗り、会話を投げかけ、関係を成立させていく。
最近思うのは、それだけが「交流」ではないんじゃないかということ。
ブログというものが存在として維持されている限り、「交流」というものが動いているんではないかと思う。

わたしはロムラーとして、継続して閲覧しているブログがある。
その中には、自己を名乗りコメントをするという「登場」をしていないものもあり、それでもわたしはロムラーとして、そのブログの文章と「交流」する。
その文章と向かい合い、書いた相手とその内容と自分の思考が「交流」する。
相手に伝えていない「交流」というものは、「伝わらない交流」なのだろうか。
「伝わらない交流」は、意味の無いものだろうか。

わたしはそうは思わないんですよね。
そのブログが存在する上で、「読者を持っている」という認識があるのなら、それはそこに「交流がある」ということなんではないかと最近思うようになったというか。
その「見えない交流」というものは、いつか「見える交流」に変化していく軌跡なのかもしれないし、ずっとそのまま「見えない交流」のままなのかもしれない。
でも、見える交流だけを追いかけていくのは、何か違うんではないかと思う最近です。
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13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
伝えるか伝えないかの見極め (メノウ)
2005-10-02 13:12:42
こんにちは。



>相手に伝えていない「交流」というものは、>「伝わらない交流」なのだろうか。

「伝わらない交流」は、意味の無いものだろうか。



私もあなたと同じでそんなことはないと思っています。

私にも読むだけでコメントを残さない場所は多くありますから。

ですが、時々、相手の方が日記で書かれることに、これは自分の事ではないかなと思われる言葉を残してくださる事があるのです。

それはただの思い込みかもしれませんが、それでもいいと私は思っております。



ただ、伝えなければならない方には伝えるようにしています。

疑心暗鬼に囚われる方も中にはいますので。

それの見極めも大事かなと思っております。
Unknown (S嬢)
2005-10-02 20:42:11
うすうすわかっている存在との「交流」ではなく、ひとつの記事、ひとつのブログをはさんで「全く見えない相手」との「交流」というものの存在があるんではないか、と思った記事でした。



訪問するブログの管理者は、見ているわたしの存在すら知らない。

わたしのブログに訪問してくださる方で、わたしが相手の存在すら知らない人というものが実は存在する。

そんなブログの持つ「不思議」というもの、かな。
それは (メノウ)
2005-10-02 22:16:22
交流とは言えないように私には思えますが。

交流とは僅かながらも相手にも此方の存在が分かっているのならば納得できる言葉だと思います。

もし、相手にも伝わっているような気がするとしたら、それは思い込みのような気がしますね。私の友人がよく陥る状況ですが。(苦笑)

ですから、あなたの言われる流れは単流と言う物ではないでしょうか。如何でしょう?
Unknown (S嬢)
2005-10-02 22:38:57
>交流とは言えないように私には思えますが。



個人の感じ方は人それぞれなので、それでいいんではないでしょうか。

わたしはこの記事上で書いた、



>その文章と向かい合い、書いた相手とその内容と自分の思考が「交流」する。



ってことに、なんというか「存在」を認めたい気がしたんですよね。

「思い込み」とは、わたしにとってはちょっと違うと思うのですよ。

わたしがロムラーとして閲覧するブログで、わたしはそこに書かれた思考と自分の思考がシンパシーを感じ合ったりすること自体、とても興味深い。

まあそういうものの一部をはてブに入れたりしていますから、書かれた人がわたしのはてブに気がつけば、それはそれで「見える交流」の一部となっていくのかもしれませんが。



そういう「存在」を認めたいと思う「交流」が、メノウさんにとって「単流」ということ。

要はそういうこと、かな、と。
そうですね (メノウ)
2005-10-02 23:19:48
私はどうあっても好ましいと思う相手とは何らかの形で交流をしたい、心を通わせたいと思ってしまう人間なので、それもあってあなたの言われる事を理解は出来ても少々寂しさを感じたのだと思います。

ただ、この寂しいという感情も言葉にして出してしまえば相手にとっては押し付けになってしまうのでなるべく口外はしないようにしようと思ってきました。

今回はつい口をついて出てしまったのですが、後悔はしていません。

時にはブログで読んでもらうだけでなく、直接このように相手の方との対話をしてみたいと思う時もありますから。



私はあなたの言われるシンパシーというものをそれほど感じるという事がありません。全くないわけではないのですが、どうしても相手の方が言われる事と反対の想いが浮かび上がってくるからなのです。

何かが違う、私はそうは思わないという、そういう気持ちが常にあるのですね。

たとえその考えに99人が賛同したとしても、私にとっては最後の一人として「何かが違う」と思ってしまうようなのです。

友人の一人は、そんな私を天邪鬼だなと笑っていますが。
Unknown (S嬢)
2005-10-02 23:54:46
個人の感じ方や、考えること、浮かぶこと、

全て人それぞれだと思うので、それでいいんではないかと。

わたしは、読んで別の思考が生まれることも、発端が「読んで」なら、そこで「思考の交流」というものが存在すると思う。

そしてそれがまず生まれないと、発展もしないよなと。

天の邪鬼ということで言えば、わたしは「自分を知って欲しい」という意志やエネルギーが、その文章の思考より強い場合は、ちょっと敬遠気味になりますね。

書かれたひとつの思考を通して個人が見える、って方が好きかな。



ま、そんなものも含めて、人それぞれということで。
ではお聞きします (メノウ)
2005-10-03 00:06:16
>書かれたひとつの思考を通して個人が見える、って方が好きかな。



私の書く物を読んで私という個人が見えるでしょうか?

あなたの目には私がどう映っているのか知りたいと思いました。
Unknown (S嬢)
2005-10-03 07:56:08
迷ったのですけれど。

こういう内容は「聞かれて答える」というものでもないし、わたしの勝手な感想を出して、その言葉が一人歩きをしていくことに責任を取りきれないということもあるので、「ご想像にお任せします」というところにしたいです。

ご期待にそえなくてごめんなさい。
Unknown (Unknown)
2005-10-03 11:03:12
 最初のキリ番話は、えっけんさんが好みそうな話題。交流の話になって「読み手が黙ってても、何かを感じていれば、そこに交流があったと言うことだよなあ」と思い、最後の「見えない交流」を求める、というところではうーむ、と思いました。

 ブログ上では意見(コメント)が目に付きやすいために、コミュニケーションが安直になる、ということもあるかも知れません。
Unknown (LSTY)
2005-10-03 11:03:42
↑上の、私です。すいません。

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