“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

グロバリゼーションの中でどう生きるか!

2012年08月14日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
法政大学教授の田中優子さんが、岩波講座で講演をした内容が報道されています。

江戸時代(田中優子教授は江戸文化の研究者)に、日本はすでにグロバリゼーション(地球規模の経済活動)の中に巻き込まれていました。当時の人は何を基準に、切り抜けてきたのでしょうか。それは、日本を見つめること、「足元」を見つめることにありました。しかし、明治時代以降の近代化は、「遠くのありえない世界」を見てきたのであり、私たちはいつも「坂の上の雲」を目指し、成長しようとしてきたことに間違いがあるように思う。明治期、昭和の戦後も、それが開かれた社会だと思い込んできた。そして、足元を見つめてこなかった。そのことに気づかなければならない機会が、11年3月11日でした。

足元とはまず、日本の国土です。江戸期も、現代も国土は変わっていない。江戸時代にも地震はありました。日本にいる限りは周期的地震の活動期が来ることを受け入れ、そうした、自然、国土とどう付き合い、共に生きてゆくのか大事であり、足元を見つめることでもありました。江戸時代は、国土にある有限なものをうまく活用して、効率的で無駄のない社会、仕組みを作り上げ、それをどう美的なものに出来るかを考えた。大変成熟した、持続可能な社会であった。

そんな江戸時代が出来たのは、グロバリゼーションにさらわれそうになり、国力が落ちていたからなのです。銀の暴落、豊臣時代の朝鮮出兵の敗北などで、国力は落ち、どん底に落ち込んだ結果でした。江戸時代の社会は、海外との交流しつつも、グロバリゼーションには巻き込まれず、国内の自立的な経済を作ろうとした。綿花の栽培、織物の製造、巨大な市場を作る、綿花工業の全工程を国内でやって来た。

江戸時代の人々が自前の国を作り上げようとしたことを、私たちは思い出し、まねをしなくてはならない。足元を見つめ直すことが、その早道だと思いますと結んでいます。野田、民主党政権に聞かせたい講演内容です。
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寄り道が許される社会に

2012年08月14日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
益川敏英(ノーベル物理学)さんが教育に関して寄稿文を寄せています。その中で、今の日本の教育「受験のための教育」では「教育本来の目的がゆがめられ」理科、数学離れが進み、教育がだめになってしまうと述べています。

教育は、いろいろなことに関心が持てるようにすることであり、子供が自らの意思、興味、関心を抱き、動き出したらそっと見守ることが重要である。子供が何でもよいから好きなこと、夢中になれることを見つけてほしい。

研究も人生も、成果が出るかどうかは分からないが、寄り道してこれを調べたてみたい、やってみたいということを許される社会のほうがいいと思う。そのほうが面白いし、成果もでる気がします。と結んでいます。

アメリカ、日本、イギリスなどの格差社会は、格差が固定化し、貧困層がますます増え、一部の富裕層が社会の富を独り占めする社会と言われています。その格差を解消するために教育制度、教育を受ける権利の保障、教育のあり方はその社会の活力を作り出す上でも非常に重要な役割を持っているように思います。親の収入に応じた教育しか受けることが出来ない社会ではなく、誰もが等しく教育を受け、学ぶことができる社会を作り出すことが必要です。そのことが日本社会の10、20年後の発展、安定を作り出すことにつながることになると思います。

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