法政大学教授の田中優子さんが、岩波講座で講演をした内容が報道されています。
江戸時代(田中優子教授は江戸文化の研究者)に、日本はすでにグロバリゼーション(地球規模の経済活動)の中に巻き込まれていました。当時の人は何を基準に、切り抜けてきたのでしょうか。それは、日本を見つめること、「足元」を見つめることにありました。しかし、明治時代以降の近代化は、「遠くのありえない世界」を見てきたのであり、私たちはいつも「坂の上の雲」を目指し、成長しようとしてきたことに間違いがあるように思う。明治期、昭和の戦後も、それが開かれた社会だと思い込んできた。そして、足元を見つめてこなかった。そのことに気づかなければならない機会が、11年3月11日でした。
足元とはまず、日本の国土です。江戸期も、現代も国土は変わっていない。江戸時代にも地震はありました。日本にいる限りは周期的地震の活動期が来ることを受け入れ、そうした、自然、国土とどう付き合い、共に生きてゆくのか大事であり、足元を見つめることでもありました。江戸時代は、国土にある有限なものをうまく活用して、効率的で無駄のない社会、仕組みを作り上げ、それをどう美的なものに出来るかを考えた。大変成熟した、持続可能な社会であった。
そんな江戸時代が出来たのは、グロバリゼーションにさらわれそうになり、国力が落ちていたからなのです。銀の暴落、豊臣時代の朝鮮出兵の敗北などで、国力は落ち、どん底に落ち込んだ結果でした。江戸時代の社会は、海外との交流しつつも、グロバリゼーションには巻き込まれず、国内の自立的な経済を作ろうとした。綿花の栽培、織物の製造、巨大な市場を作る、綿花工業の全工程を国内でやって来た。
江戸時代の人々が自前の国を作り上げようとしたことを、私たちは思い出し、まねをしなくてはならない。足元を見つめ直すことが、その早道だと思いますと結んでいます。野田、民主党政権に聞かせたい講演内容です。
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江戸時代(田中優子教授は江戸文化の研究者)に、日本はすでにグロバリゼーション(地球規模の経済活動)の中に巻き込まれていました。当時の人は何を基準に、切り抜けてきたのでしょうか。それは、日本を見つめること、「足元」を見つめることにありました。しかし、明治時代以降の近代化は、「遠くのありえない世界」を見てきたのであり、私たちはいつも「坂の上の雲」を目指し、成長しようとしてきたことに間違いがあるように思う。明治期、昭和の戦後も、それが開かれた社会だと思い込んできた。そして、足元を見つめてこなかった。そのことに気づかなければならない機会が、11年3月11日でした。
足元とはまず、日本の国土です。江戸期も、現代も国土は変わっていない。江戸時代にも地震はありました。日本にいる限りは周期的地震の活動期が来ることを受け入れ、そうした、自然、国土とどう付き合い、共に生きてゆくのか大事であり、足元を見つめることでもありました。江戸時代は、国土にある有限なものをうまく活用して、効率的で無駄のない社会、仕組みを作り上げ、それをどう美的なものに出来るかを考えた。大変成熟した、持続可能な社会であった。
そんな江戸時代が出来たのは、グロバリゼーションにさらわれそうになり、国力が落ちていたからなのです。銀の暴落、豊臣時代の朝鮮出兵の敗北などで、国力は落ち、どん底に落ち込んだ結果でした。江戸時代の社会は、海外との交流しつつも、グロバリゼーションには巻き込まれず、国内の自立的な経済を作ろうとした。綿花の栽培、織物の製造、巨大な市場を作る、綿花工業の全工程を国内でやって来た。
江戸時代の人々が自前の国を作り上げようとしたことを、私たちは思い出し、まねをしなくてはならない。足元を見つめ直すことが、その早道だと思いますと結んでいます。野田、民主党政権に聞かせたい講演内容です。
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