東京・九段北の靖国神社には15日午前、松原仁国家公安委員長、羽田雄一郎国土交通相の2閣僚が訪れ、参拝した。民主党政権になって閣僚が終戦記念日に参拝したのは初めて。野田佳彦首相は閣僚に参拝自粛を求めていた。閣僚の参拝は2009年の野田聖子消費者行政担当相以来となる。
松原氏は午前8時に参拝。その後、記者団に「私的な参拝だ」と強調したうえで「臣松原仁」と記帳したことを明らかにした。政権の自粛方針の中での参拝について「一人の日本人として自分の信条に従った行動をした」と説明した。
毎年、終戦記念日前後で、政治的な議論になる問題です。2000年代初期の自民党小泉首相の公式参拝をめぐって中国、韓国などからの批判がありました。その当時の市民からの質問、靖国神社の軍事的、政治的な意味を解説した文書です。参考まで掲載します。
<靖国神社参拝とその政治的意味>
Q. 靖国神社とは何ですか
A.
1869年(明治2年)に「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、東京招魂社として建立されました。靖国神社と改称されたのは明治12年です。戦前の国家神道体制においては陸・海軍省所管であり、天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設でした。現在は一宗教法人となっていますが国家護持を目指す法案が提出されるなど戦前体制の復活を目論む動きもあります。靖国神社の性格も基本的には戦前と変わっておらず、欧米ではその性格から「War shrine (戦争神社)」と呼称されています。
Q. 靖国神社は何を目的としているのですか
A.
●軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱
●「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」
●「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」(靖国神社ホームページより)を持つ
現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であると言えます。それは戦前も戦後も一貫して変わっていません。
この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」と言う小泉首相の発言はかなり的外れであり、むしろ中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと、さもなくばだれが国に命をささげるか」なる発言が本質を表していることが分かります。今後も国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが靖国神社の存在意義なのです。
Q. 誰が祀られているのですか
A.
●天皇と国家のために死んだ軍人・軍属
●「靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は、すべて天皇陛下の大御心のように、永遠の平和を心から願いながら、日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです。」(靖国神社ホームページより)
戦前、祭祀は軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが天皇の「裁可」を経て決定されました。戦後、靖国神社は一宗教法人となり神社自身で合祀者を決定していますが(ただし名簿作成には政府・厚生省などが協力・提供していた)、上にも示したように未だに「天皇」が重要なキーワードになっています。
小泉首相は参拝前、「(A級戦犯が合祀されているからと言って参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べました。しかし実態は靖国神社こそが死者を厳しく選別して祭祀しています。
祭祀は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっています。従って西南戦争で天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていません。もちろん空襲などの犠牲になった一般国民も祀られません。さらに軍人であっても戦って死んだのではなく病気で死んだ場合、「特旨をもって合祀」となっていて、本来ならば病気で死んだのは犬死だから靖国神社の神さまになる資格はないのだが天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀るのだとして差別されているのだそうです(参考サイト)。さらに被差別出身者への差別もあるそうです(参考サイト)。
戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという、先に挙げた靖国神社の説明が実体とかけ離れていることは明かです。このような詭弁によって人々を無為の死に追いやり「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが戦後の日本人の努めでしょう。
Q. ひめゆり学徒なども祀られているそうですが?
A.
たしかに靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と誇らしげに書かれています。沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」、魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているそうです。しかしアジアの犠牲者はもちろん、空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではありません。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていません。
ひめゆり学徒隊が祀られたのは、犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ、名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたものです。しかし靖国神社の説明とは異なり、生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれます。最近では石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日)、「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声があがりました。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立って仕方がない」と話しています。
また日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されていますが、多くは遺族にも知らされず勝手に祀られたもので、合祀取り止めを求める訴訟が起こされています。
勝手な基準で、遺族の意志さえも無視し無断で合祀を行う靖国神社の行為は、死者をさらに傷つけるものです。
Q. 平和を願って参拝するのに問題があるのですか
A.
●靖国神社参拝は、本人がいくら平和を願うつもりでも、結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為です
戦争犠牲者を悼み、平和を誓うことに異論がある人はいないでしょう。しかし靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり、平和を願う場所としてふさわしくないことは「何を目的としているのか」でも述べたとおりです。
靖国神社は現在でも「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった戦前と同様の歴史認識を持った人たちの拠り所となっています。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても「東京裁判は勝利国側の報復であり、A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としています。このように靖国神社は侵略戦争を美化しているわけですが、そこへ参拝しておいて「第2次世界大戦を美化したり、正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」という小泉首相の発言はあまりにも認識が足りません。
靖国神社の主張や性格がどうあれ、小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか、という意見があるかもしれません。しかしただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば、無理に靖国参拝という形にこだわる必要はないはずです。それでもこだわりたいと言うのならば、「靖国神社がどういう性格を持つか」という形にもこだわるべきです。
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松原氏は午前8時に参拝。その後、記者団に「私的な参拝だ」と強調したうえで「臣松原仁」と記帳したことを明らかにした。政権の自粛方針の中での参拝について「一人の日本人として自分の信条に従った行動をした」と説明した。
毎年、終戦記念日前後で、政治的な議論になる問題です。2000年代初期の自民党小泉首相の公式参拝をめぐって中国、韓国などからの批判がありました。その当時の市民からの質問、靖国神社の軍事的、政治的な意味を解説した文書です。参考まで掲載します。
<靖国神社参拝とその政治的意味>
Q. 靖国神社とは何ですか
A.
1869年(明治2年)に「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、東京招魂社として建立されました。靖国神社と改称されたのは明治12年です。戦前の国家神道体制においては陸・海軍省所管であり、天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設でした。現在は一宗教法人となっていますが国家護持を目指す法案が提出されるなど戦前体制の復活を目論む動きもあります。靖国神社の性格も基本的には戦前と変わっておらず、欧米ではその性格から「War shrine (戦争神社)」と呼称されています。
Q. 靖国神社は何を目的としているのですか
A.
●軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱
●「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」
●「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」(靖国神社ホームページより)を持つ
現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であると言えます。それは戦前も戦後も一貫して変わっていません。
この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」と言う小泉首相の発言はかなり的外れであり、むしろ中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと、さもなくばだれが国に命をささげるか」なる発言が本質を表していることが分かります。今後も国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが靖国神社の存在意義なのです。
Q. 誰が祀られているのですか
A.
●天皇と国家のために死んだ軍人・軍属
●「靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は、すべて天皇陛下の大御心のように、永遠の平和を心から願いながら、日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです。」(靖国神社ホームページより)
戦前、祭祀は軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが天皇の「裁可」を経て決定されました。戦後、靖国神社は一宗教法人となり神社自身で合祀者を決定していますが(ただし名簿作成には政府・厚生省などが協力・提供していた)、上にも示したように未だに「天皇」が重要なキーワードになっています。
小泉首相は参拝前、「(A級戦犯が合祀されているからと言って参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べました。しかし実態は靖国神社こそが死者を厳しく選別して祭祀しています。
祭祀は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっています。従って西南戦争で天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていません。もちろん空襲などの犠牲になった一般国民も祀られません。さらに軍人であっても戦って死んだのではなく病気で死んだ場合、「特旨をもって合祀」となっていて、本来ならば病気で死んだのは犬死だから靖国神社の神さまになる資格はないのだが天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀るのだとして差別されているのだそうです(参考サイト)。さらに被差別出身者への差別もあるそうです(参考サイト)。
戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという、先に挙げた靖国神社の説明が実体とかけ離れていることは明かです。このような詭弁によって人々を無為の死に追いやり「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが戦後の日本人の努めでしょう。
Q. ひめゆり学徒なども祀られているそうですが?
A.
たしかに靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と誇らしげに書かれています。沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」、魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているそうです。しかしアジアの犠牲者はもちろん、空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではありません。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていません。
ひめゆり学徒隊が祀られたのは、犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ、名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたものです。しかし靖国神社の説明とは異なり、生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれます。最近では石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日)、「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声があがりました。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立って仕方がない」と話しています。
また日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されていますが、多くは遺族にも知らされず勝手に祀られたもので、合祀取り止めを求める訴訟が起こされています。
勝手な基準で、遺族の意志さえも無視し無断で合祀を行う靖国神社の行為は、死者をさらに傷つけるものです。
Q. 平和を願って参拝するのに問題があるのですか
A.
●靖国神社参拝は、本人がいくら平和を願うつもりでも、結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為です
戦争犠牲者を悼み、平和を誓うことに異論がある人はいないでしょう。しかし靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり、平和を願う場所としてふさわしくないことは「何を目的としているのか」でも述べたとおりです。
靖国神社は現在でも「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった戦前と同様の歴史認識を持った人たちの拠り所となっています。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても「東京裁判は勝利国側の報復であり、A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としています。このように靖国神社は侵略戦争を美化しているわけですが、そこへ参拝しておいて「第2次世界大戦を美化したり、正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」という小泉首相の発言はあまりにも認識が足りません。
靖国神社の主張や性格がどうあれ、小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか、という意見があるかもしれません。しかしただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば、無理に靖国参拝という形にこだわる必要はないはずです。それでもこだわりたいと言うのならば、「靖国神社がどういう性格を持つか」という形にもこだわるべきです。
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