“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

松原・羽田2閣僚が靖国参拝 民主政権で初めて

2012年08月15日 17時00分00秒 | 臼蔵の呟き
 東京・九段北の靖国神社には15日午前、松原仁国家公安委員長、羽田雄一郎国土交通相の2閣僚が訪れ、参拝した。民主党政権になって閣僚が終戦記念日に参拝したのは初めて。野田佳彦首相は閣僚に参拝自粛を求めていた。閣僚の参拝は2009年の野田聖子消費者行政担当相以来となる。
 松原氏は午前8時に参拝。その後、記者団に「私的な参拝だ」と強調したうえで「臣松原仁」と記帳したことを明らかにした。政権の自粛方針の中での参拝について「一人の日本人として自分の信条に従った行動をした」と説明した。

毎年、終戦記念日前後で、政治的な議論になる問題です。2000年代初期の自民党小泉首相の公式参拝をめぐって中国、韓国などからの批判がありました。その当時の市民からの質問、靖国神社の軍事的、政治的な意味を解説した文書です。参考まで掲載します。

<靖国神社参拝とその政治的意味>

Q. 靖国神社とは何ですか
A.
 1869年(明治2年)に「明治天皇の深い思召(おぼしめし)によって」(靖国神社略誌)、東京招魂社として建立されました。靖国神社と改称されたのは明治12年です。戦前の国家神道体制においては陸・海軍省所管であり、天皇と国家のために死んだ戦没者を軍神として奉る軍事的宗教施設でした。現在は一宗教法人となっていますが国家護持を目指す法案が提出されるなど戦前体制の復活を目論む動きもあります。靖国神社の性格も基本的には戦前と変わっておらず、欧米ではその性格から「War shrine (戦争神社)」と呼称されています。

Q. 靖国神社は何を目的としているのですか
A.
●軍国主義普及と戦争推進の精神的支柱
●「戦争犠牲者の慰霊」ではなく「『英霊』の鎮魂と礼賛」
●「天皇陛下を中心に立派な日本をつくっていこうという大きな使命」(靖国神社ホームページより)を持つ
 現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。またそれは「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的であると言えます。それは戦前も戦後も一貫して変わっていません。
 この本質を正しく捉えれば「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」と言う小泉首相の発言はかなり的外れであり、むしろ中曽根元首相の「国に殉じた人を国民が感謝するのは当然のこと、さもなくばだれが国に命をささげるか」なる発言が本質を表していることが分かります。今後も国家が戦争を起こせば無条件で国家に命を捧げて戦う兵士を確保することが靖国神社の存在意義なのです。

Q. 誰が祀られているのですか
A.
●天皇と国家のために死んだ軍人・軍属
●「靖国神社に祀られている神さま方(御祭神)は、すべて天皇陛下の大御心のように、永遠の平和を心から願いながら、日本を守るためにその尊い生命を国にささげられたのです。」(靖国神社ホームページより)
 戦前、祭祀は軍によって「天皇のための名誉の戦死」とみなされたものが天皇の「裁可」を経て決定されました。戦後、靖国神社は一宗教法人となり神社自身で合祀者を決定していますが(ただし名簿作成には政府・厚生省などが協力・提供していた)、上にも示したように未だに「天皇」が重要なキーワードになっています。
 小泉首相は参拝前、「(A級戦犯が合祀されているからと言って参拝を反対されるが)死者に対してそれほど選別しなければならないのか」と述べました。しかし実態は靖国神社こそが死者を厳しく選別して祭祀しています。
 祭祀は「天皇(国家)に命をささげて戦った」ことが前提となっています。従って西南戦争で天皇の軍隊に歯向かったことになる西郷隆盛らは祀られていません。もちろん空襲などの犠牲になった一般国民も祀られません。さらに軍人であっても戦って死んだのではなく病気で死んだ場合、「特旨をもって合祀」となっていて、本来ならば病気で死んだのは犬死だから靖国神社の神さまになる資格はないのだが天皇の特別のお恵みをもって神さまに祀るのだとして差別されているのだそうです(参考サイト)。さらに被差別出身者への差別もあるそうです(参考サイト)。
 戦没者が「平和を願いながら」「日本を守るために」死んでいったという、先に挙げた靖国神社の説明が実体とかけ離れていることは明かです。このような詭弁によって人々を無為の死に追いやり「英霊」と祭り上げる悲劇を繰り返さないことが戦後の日本人の努めでしょう。

Q. ひめゆり学徒なども祀られているそうですが?
A.
 たしかに靖国神社ホームページには「軍人ばかりでなく、女性の神さまが57,000余柱もいらっしゃいます。みなさんと同じくらいの少年少女や生まれて間もない子供たちも神さまとして祀られています」と誇らしげに書かれています。沖縄の「ひめゆり部隊」「鉄血勤皇隊」、魚雷攻撃で沈没した対馬丸に乗っていた疎開に向かう700人の小学校児童などが祀られているそうです。しかしアジアの犠牲者はもちろん、空襲で亡くなったり原爆の犠牲になったりした戦争犠牲者の大多数が祀られているわけではありません。靖国神社に合祀される人とされない人の選別基準はあいまいで説明されていません。
 ひめゆり学徒隊が祀られたのは、犠牲者の名簿を作成し厚生省に遺族年金を申請したところ、名簿が靖国神社に渡され「陸軍軍属」として合祀されたものです。しかし靖国神社の説明とは異なり、生き残ったひめゆり同窓生からは「『国のために潔く散っていった』のとは絶対に違う。本当はみんな最後まで生きたかった」との声が聞かれます。最近では石川護国神社に「大東亜聖戦大碑」と刻んだ石碑が建てられ(2000年8月4日)、「少年鉄血勤皇隊」「少女ひめゆり学徒隊」の名が勝手に刻まれたことに抗議の声があがりました。ひめゆり同窓会の理事は「まったく聞いていなかった。あの戦争が聖戦などというばかげたことをなぜ主張するのか。腹が立って仕方がない」と話しています。
 また日本の植民地支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されていますが、多くは遺族にも知らされず勝手に祀られたもので、合祀取り止めを求める訴訟が起こされています。
 勝手な基準で、遺族の意志さえも無視し無断で合祀を行う靖国神社の行為は、死者をさらに傷つけるものです。

Q. 平和を願って参拝するのに問題があるのですか
A.
●靖国神社参拝は、本人がいくら平和を願うつもりでも、結果としてすべての戦争犠牲者を冒涜する行為です
 戦争犠牲者を悼み、平和を誓うことに異論がある人はいないでしょう。しかし靖国神社がそもそも戦争犠牲者を悼んだり、平和を願う場所としてふさわしくないことは「何を目的としているのか」でも述べたとおりです。
 靖国神社は現在でも「避けられない自衛のための戦争だった」「アジア解放の聖戦だった」「アジア全体の繁栄を目的としていた」といった戦前と同様の歴史認識を持った人たちの拠り所となっています。侵略戦争推進の政治的責任者であるA級戦犯についても「東京裁判は勝利国側の報復であり、A級戦犯は存在しない」(靖国神社パンフレットより)としています。このように靖国神社は侵略戦争を美化しているわけですが、そこへ参拝しておいて「第2次世界大戦を美化したり、正当化するつもりはない。非難する心情が分からない」という小泉首相の発言はあまりにも認識が足りません。
 靖国神社の主張や性格がどうあれ、小泉首相は平和を願って参拝したのだから良いではないか、という意見があるかもしれません。しかしただ戦争犠牲者を悼んだり平和を願いたいのならば、無理に靖国参拝という形にこだわる必要はないはずです。それでもこだわりたいと言うのならば、「靖国神社がどういう性格を持つか」という形にもこだわるべきです。
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北海道大学山口二郎教授 最近若者の変化

2012年08月15日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
民主党、自公の三党合意による政治混乱、政治経済の閉塞状況はこれ以上ないレベルまで来ていると思います。各種世論調査でもそのこと(国民の怒り、苛立ち)が数値となって現れています。高校生、大学生は卒業しても、就職できないことが広範囲に、常態化しつつあります。
次の世代を背負わなければならない学生、青年層が、日本の未来、展望を持てない社会。政治の責任といわざるを得ないと思います。アメリカ、日本、フランス、EU財政危機に見舞われた多くの国家は、大学、高校卒業した青年層が就労できず、社会問題となっています。
多くの企業は、利益を出すために海外生産、海外進出、自国労働者の賃金引下げ、正規労働者の削減を追及しています。企業が社会的役割、責任を自覚し、雇用を創造し、自国労働者の待遇を改善するように政治がその役割を発揮すべきです。
<北海道大学山口二郎教授 最近若者の変化>
大学の教師を25年以上続けてきて、最近若者の変化を感じる。バブルの余韻が残るころまでは、私の大学でも適当に単位を取って適当に就職するという若者が大半であった。しかし、この1,2年、社会の閉塞に加え3.11という国難に遭遇し、若者は自分の生や社会の在り方について、深く考えるようになった印象がある。
 先週は、1年生の政治学入門の試験を採点した。民意と政治指導者の関係、民主政治における自由と平等という基本的価値について論じる問題を出した。中には、アリストテレスやルソーなどを援用しながら思索を展開する答案もあり、正直なところ驚いた。高度成長の末期に若者だった私よりも、はるかに必死で政治の在り方について考えていることをうかがわせる。社会乱れて志士が出現するということか。

 大学改革の議論では、英語が喋れるグローバルな人材の育成が叫ばれるが、何とも的外れな話である。欧米でも、大学の基礎教育は歴史と哲学が中心である。安直なハウツーを身に着けるのではなく、答えの出ない問題を必死で考え続ける知的基礎体力を持った人間を育てるのが大学の仕事である。

こちらがその気になって刺激すれば、若者は自分で本を読み、考えるものである。むしろ、教える側の見識が問われていると思う。
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終戦の日で各党が談話

2012年08月15日 13時00分00秒 | 臼蔵の呟き
終戦の日で各党が談話

 与野党は15日の終戦の日にあわせ、党首らの談話を発表した。
各党の終戦の日の談話です。この短い談話の中にもその政党の本質が現れているように思います。過去の戦争にどのように向き合い、現在、どう感じ、政治に向き合おうとしているかが分かると思います。

 民主 日本国民の平和への理念と強固な意志に支えられた外交を柱に国際社会と手を携えて、恒久平和の実現に向けて全力でまい進する。
 国民新 自らの伝統文化と歴史を継承し、国を守る意志を明確にすることで、国際社会からの尊敬と協調を勝ち取る。
 自民 過去の歴史と真摯に向き合い、先人が守り伝えてきたわが国の歴史・伝統・文化を尊重し戦没者の方々に対する畏敬の念を伝え続ける。
 たちあがれ日本 首相は堂々と靖国神社に参拝し、英霊に対して心からの感謝の誠をささげるべきだ。 
生活 自立と共生の理念のもと国際社会の責任を全うできる日本を目指し、諸外国と協調して世界の平和を創造する。
 共産 憲法の平和・民主の原則にそって、国民本位の政治、世界の平和に貢献する新しい政治を実現するために戦い抜く。
 社民 過ちを二度と繰り返さないよう願う人々とともに、多くの犠牲を払い獲得した平和憲法を堅持し世界中に広げていく。
 みんな 来る総選挙で、戦時体制の下で完成された官僚統制・中央集権体制に風穴を開けるべく大覚悟で臨む。
 公明 断固たる決意で核廃絶に取り組む。世界の平和と人類の繁栄に貢献する平和国家・日本の国づくりに全力を尽くす。
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終戦67年    戦争の惨害繰り返さぬために

2012年08月15日 10時58分25秒 | 臼蔵の呟き
 アジア・太平洋戦争が日本の敗戦によって終結した1945年から67年を迎えました。
歴史認識をめぐって、韓国、日本での竹島領有権、従軍慰安婦問題が報じられています。戦後67年たってもなぜこのような国家指導者同士の認識の違いが発生し続けるのでしょうか?このことが非常に大きな問題だと思います。それは、中華人民共和国と日本との関係でも同じだと思います。靖国神社の国家指導者、閣僚の参拝問題はあいまいなまま経過しています。今年は民主党政権になり初めて、羽田、松原大臣の靖国参拝があります。
ドイツは、ナチスドイツのユダヤ人迫害をめぐり、歴史的事実を歪曲したり、なかったと主張し、扇動することが犯罪として訴追されます。また、当時のナチス指導者は現在もその責任を追及されています。ドイツと日本の戦争責任、戦争犯罪に対する基本的な政治姿勢の違い(政府、司法、政治指導層)が現在の国家指導者、国家間の戦争犯罪に対する歴史認識の相違、国家間の係争につながっています。
侵略した国と侵略された国で、戦争をどのように見るかが大きく違うことは当然のことと思います。しかし、戦争犯罪、災害、事実は1つであり、異なることはありません。南京事件をめぐって、名古屋河村市長が「なかった」と発言し、外交問題ともなりました。このような発言が侵略された国家、政治指導者、国民から批判されることは当然のことです。
日本政府、政党、政治家が、侵略戦争の犯罪行為、犯罪事実を否定し、ことさら戦争被害を小さく、歪曲すれば、侵略された国家、指導者、政治家、国民が「怒り」「抗議する」ことは正当な行動だと思います。
第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争など争いが耐えません。戦争をする理由があったとしても、侵略する側に戦争行為が正当化できるのだとの主張は容認できないと思います。
ベトナム戦争のように、フランス、アメリカが「共産主義の封じ込め」を理由として、南北ベトナムに強大な軍隊を派遣して、南北ベトナム人を大量に殺戮しました。結果は、ベトナムの勝利、南北ベトナム統一、アメリカ軍の撤退でした。このように、歴史の事実と発展は、言われなき侵略行為、戦争で他国を植民地化、支配することを、世界各国は「許さず」、「自国の解放・独立」が世界の流れとなっています。今後も、この流れは変わることはないと思います。また、その流れは自然になるものでもなく、世界の多くの国、政治家、市民が平和を望み、戦争を否定し、戦いとってきた成果でもあると思います。歴史的事実を歪曲せず、侵略を謝罪し、二度と侵略行為を行わないことを宣言することこそが他国、侵略されたアジア各国との関係を作り上げる基本的な道であると思います。
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