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最終回文庫 ◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されない不具合があります。ご容赦ください。

私のコレクション 雑誌「貸本文化」

2025年04月30日 | 貸本
雑誌「貸本文化」

私が学生時代を送った昭和40年代までは、地元に貸本屋というものがあった記憶があります。なぜこの雑誌が手元にあるのか分かりませんが、おそらく「創刊号」というものに魅力があったのだろうと思います。創刊号から4号まで、3、4号が合併号なので3冊。
雑誌を出すということは、熱意をいくら込めて創刊しても、3号まで出すとどうしても息切れしてしまい、「3号雑誌」と言われるぐらいで頓挫してしまうことが多かったからだと思います。

で、この雑誌も3号どまりなのかと、調べてみると、その後の号もバラで古書店の目録に出ていました。「貸本屋」というもの自体が先細りの業種でしたから、この雑誌も同じ運命なのかと思いましたが、興味が湧いたので、国会図書館の所蔵を調べてみました。すると、終刊は2004年6月の第20号だったことが分かりました。創刊が1977年1月ですから、27年間も続いた雑誌でした。
創刊号

残念ながら、お名前に心当たりのある方がひとりもいませんでした。
裏表紙に表示してある書誌情報

2号

3・4号合併号「石子順造追悼号」
第3号になって、お名前だけは知っている石子順造、長友千代治の名が初めて出てきます。

3冊の表紙をスキャンした時点では、所蔵はこの3冊だけでしたが、冒頭に書いたように、何号まで出ていたのかを調べるうちに、古書店検索で、「創刊号、5号から18号までの揃い」という在庫があるお店を見つけて、ついポチっとしてしまいました。
20号が終刊だというのが分かったのはその後でした。ですから、あと19号と20号の2冊を調達出来れば、創刊から終刊まで揃うことになります。
手元に届いた「創刊号、5号から18号までの揃い」は状態がとても良かったです。




発行年順に並べていくと、増刊号(特集・貸本屋大惣)が1冊だけありました。

ここで、増刊号で特集された「貸本屋大惣」は、100円ショップで名を成したダイソーと関係があるのでは? と、ふと思って知らべてみましたが、「大惣」は、江戸時代後期から明治時代に名古屋にあった野屋 (おおのや そうはち)の貸本屋で、ダイソーは「大創」からきている名称で、まったく無関係でした"(-""-)" 

















私のコレクション 内田魯庵『讀書放浪』

2025年04月28日 | 内田魯庵
内田魯庵『讀書放浪』斎藤昌三・柳田泉/編纂 昭和8(1932)年4月3日 書物展望社/発行

最初は、昭和7年6月に「限定版」として1000部を刊行。それが僅かの間に売り切れたので、改訂増補を兼ねて、「普及版」として1000部を刊行したとあります。
限定版は天小口が藍染で、布袋に入っていたようですが、手元の「普及版」は函もジャケットも無い「裸本」です。
古書店の販売目録に載っている普及版は、ほとんどが「裸本」です。その訳は、普及版の本体は「輸送函」に入っていたために、函は捨てられてしまい、結果、裸本が多くなったと推測できます。

本書の装幀に使われたのは日刊新聞。

せっかくなので表紙全体を。
新聞紙そのものだと耐久性に乏しいので、工夫して、布以上の耐久性があるという加工法を発見して応用したという記述があります。

見返しは、内田魯庵の蔵書票2種で、右上は本名の「内田貢」、左下は木村荘八が描いた土俗玩具だそうです。


表題紙


目次の一部


奥付


刊行順で言うと、以前の記事で取り上げた『紙魚繁盛記』(昭和7年2月)と、前の記事、『續紙魚繁盛記』(昭和9年4月)が刊行される間に出版されました。

私のコレクション 内田魯庵『續 紙魚繁盛記』

2025年04月26日 | 内田魯庵
内田魯庵『續 紙魚繁盛記』斎藤昌三/編纂 昭和9年4月10日 書物展望社/発行



表紙

正編の天小口は「天金」でしたが、本書の天小口は銀色のような金属光沢があります。装幀に触れたところにも、天小口の装飾について書かれていません。

見返し

斎藤昌三が書いた「跋」に「『当世作者懺悔』を連載した「日本之少年」誌上に文芸滑稽欄があって、そこに挿絵とされたものがどうやら翁の好み、若しくは翁の関係あるもののやうに思惟されたので、翁の趣味の一端を生かす方便に応用して見た」とあります。

表題紙

目次の一部


奥付


何気なくページをパラパラとめくっている時に、小さな朱印があり、あれっと思いました。

印の部分を拡大します。

どっかで見たぞ。それも、ちょっと前に。そう、前の記事で紹介した内田魯庵『紙魚繁盛記』のマエ見返しを紹介した時に見たものでした。

虫食いのある本の一葉を裏打ちして使用したものですが、そこに押してあった印と同じなのでは? その部分を拡大します。

右から読むとすると、「〇静昭太〇」でしょうか。ほとんど同じですね。

『紙魚繁盛記』と、この『續紙魚繁盛記』は神保町の別々の古書店で、別々の時期に購入したものです。どちらの本も神保町に流れてくる前は、大阪の古書店に並んでいたことが、それぞれの本の後ろ見返しに、難波の「十二段家」と阿倍野区の「土田書店」のシールが残っていることからわかります。
この朱印の主がどこかにからんでいて、今は2冊とも私の手元にあるという、不思議な巡りあわせがあるんですね。
朱印の主が『紙魚繁盛記』を購入してから押したのではなく、前見返しに使われた、虫食いがある和本の元々の所蔵者だったりしたら、もっとスケールが大きな話になりますね。




私のコレクション 内田魯庵『紙魚繁盛記』 

2025年04月24日 | 内田魯庵
内田魯庵『紙魚繁盛記』斎藤昌三・柳田泉/編纂 昭和7(1932)年2月10日 書物展望社/発行

内田魯庵(1868年5月26日~1929年6月29日)の没後に刊行されたもので、編纂者の斎藤昌三の造本のこだわりが、至る所にちりばめられています。

函貼りは砂糖袋の紙を使い、「粋と甘いを利かしてみた」そうです。

表紙(セロファン紙が貼り付けてあるので、そのままスキャンしています) 

かぶせたセロファン紙が糊付けしてあるので、表紙に使われている布の感触を直接触れたことがなく、色合いからビロードだと何となく思い込んでいました。
ところが、斎藤昌三の「あとがき」を見てビックリ。表紙に使われている素材は「酒嚢」。「酒嚢」とは何かを調べると、「伝統ある造り酒屋で、日本酒の製造工程で、もろみを入れてお酒を絞るときに使われた綿の袋」なのだそうです。その袋には強度が求められるため、手織木綿(帆布)を柿渋に漬けた布が使われます。長年使用することにより、日本酒の成分と柿の渋が絡み合い、独特の色とむらが生じるのだそうです。
それを表紙素材として選んだ斎藤昌三の見識が素晴らしいですね。

表題紙

内田魯庵の近影のページの後に、蔵書票の紹介


その次に限定部数の表示ページがあります

目次の一部

□魚 の項のページを開いてみると、「」が朱色で印刷されています。


奥付 限定部数がここには表記されていません

斎藤昌三の趣意はこれだけにとどまりません。表紙から開き直してみます。
まずは、本の天小口は「天金」です。

オモテ見返し (右ページの半分はセロファン紙がかかっています)


ウラ見返し(左側半分にはセロファン紙がかかっています)


オモテ見返しとウラ見返しに銀色の、和紙を食い荒らす「紙魚」が印刷してあります。それだけではなく、見返し紙には虫食いがある和紙を印刷したのではなく、実際に虫食いがある和紙を使っているのです。触ると、虫食い跡が分かります。見返し紙をこのようにするために、虫食い本を集めたのだそうです。――ということは、一冊ずつ見返しが異なるということになります。いやはや、恐れ入ります。

そんな手の込んだ本を「買って満足」と、ただ積んでおいたのでは、バチが当たりますね。


私のコレクション 『少雨荘蔵書集』(私刊)

2025年04月20日 | 斎藤昌三
『少雨荘蔵書集』(私刊)

古書肆で入手した本書は、個人の手製本によるアルバムで、斎藤昌三の書票が12枚貼り込んであります。書誌データを記したページはありません。


見開きで貼り込んであるページを何点か紹介します。


増えたときに続けて貼り込めるように、台紙6ページ分が余分に用意されています。

表紙と台紙として使われている和紙に、見覚えがありました。以前に紹介した、愛書票暦を年別に貼り込んだアルバム形式のものと同じ和紙、綴じる方式も同じで、どちらにも同じ古書肆の「納品書」が挟んでありました。
―ということは、同じ人が作成したものと考えてよさそうです。

私のコレクション 『野干の手柄』(平紙本)

2025年04月18日 | 縮緬本・平紙本
『野干の手柄(きつねのてがら)』日本昔噺第十二號 英國ヂエイムス夫人編述 明治20年1月/出版 出版人/長谷川武次郎 発行所/弘文社


見返しに描かれた輿の御簾部分は、左側にめくることが出来るようになっていて、めくると輿の中から子狐が顔をのぞかせるという仕掛けになっています。



そして、本文の始まりの ONCE の O の飾り文字の中に狸が描かれ、狸の視線が輿の中の子狐に向けられています。


同じ内容で縮緬本も発行されていますが、縮緬加工をして柔らかくなった紙はこの仕掛けに向かなかったようで、縮緬本にはこの仕掛けは採用されていません。
研究者によると、本書は今や「めったに見ることの出来ない 稀覯本」なのでそうです。

私のコレクション 斎藤昌三の著作(4)『書淫行状記』

2025年04月16日 | 斎藤昌三
『書淫行状記』 斎藤昌三/著 昭和10(1935)年1月31日発行 
発売所/書物展望社 限定500部筆署名落款入り 表紙/研ぎ出し布目漆塗り 菊判函入り 天金 奥付に著者蔵書票


表紙 研ぎ出し布目漆塗り
表紙が漆塗りということで、「げて装本」の仲間に入れても良さそうです。

表題紙と対向ページに献辞入り署名

奥付 検印紙代わりに著者の蔵書票貼付


※『少雨荘書物随筆』国書刊行会(2006/01/01/発行)で、本書を含む斎藤昌三の著作3冊(『書痴の散歩』『書淫行状記』『紙魚供養』)を読むことが出来ます。


私のコレクション 斎藤昌三の著作(3)『閑板 諸国巡礼記』

2025年04月14日 | 斎藤昌三
『閑板 書國巡禮記』 斎藤昌三/著 昭和8(1933)年12月29日発行 
発売元/書物展望社 限定1000部 菊版函入り

函 グラシン紙をかけたままなので不鮮明です

表紙
表紙の装幀に蚊帳(かや)が使われています。これも「げて製本」に加えても良さそうです。


表題紙

本文の中から「蔵書票の話」部分

『蔵書票の話』の限定、特製についての記載部分は、前の記事、斎藤昌三の著作(2)で紹介しました。

奥付

平凡社発行の「東洋文庫」で出版されているので、読むことが出来ます。
『閑板書国巡礼記』(東洋文庫639)



私のコレクション 斎藤昌三の著作(2)『蔵書票の話』

2025年04月12日 | 斎藤昌三
斎藤昌三は著作が多く、所蔵するのはその中の数点にしか過ぎないので、古いものから紹介します。

『蔵書票の話』展望社 昭和5(1930)年4月30日改版発行(書影画像と説明文を追加しました)


背革装ですが、革は経年劣化しています。

右側のページ「再版序」にあるように、最初の発行は前年の昭和4(1929)年に文藝市場社から500部の限定本として世に出たあと、内容を増補して500部を再版したとあります。初版を販売している古書店の目録によると、初版は「天金で背革、木版蔵書票二十五枚貼込」とありますが、本書は天金ではありません。



次の掲載記事(4/14)で紹介する『閑板 書國巡礼記』(書物展望社 1933年発行)に「蔵書票の話」として、『蔵書票の話』の出版の経緯が記してあります。引用します。
(旧かな、旧漢字は新かな、新漢字に改め、漢字を平仮名に、句読点を追加したところがあります)

梅原北明が出版した最初の『蔵書票の話』は、実際は三種出ているのだ。一般には茶色の総革のであるが、背文字のエキス・リブリスに誤字があったので、邦文の題字のものを張り付けたのが大半である。次はオリーブ色の総モミ革にしたのが二十部出た。以上が初版の五百部である。
 この時、外国蔵票の内、検閲のむつかしそうなのが二十余面あって、右の限定版に遠慮したのであったが、そのまま葬るのも惜しいと考えて、それを増補したもので十部製作した。これは仔牛の純白な総革で、この革代だけでも一冊八円というのを使用した。これが特製版である。売価二十円で、出来上がった際、一冊は刑事が持ち去り、著者に一部を取ったので、世上に出たのは結局八冊であったと思う。古書目に特製とあるのは上製のことで、真の特製は未だ書目に出たことがないと、自分は断言する。
 その後、印刷所と製本屋から、初版の印刷代も製本費も支払い未納になっていると聞いて、著者としての自分は非常に気の毒に思った。初版は好評で売り切ってしまったらしいから、再版しても大丈夫だというので、判を四六判から菊版に改め、本文の二色刷りを一色にして、五百部の再版を許したのであった。すなわち三百部を売って、その利潤で印刷所と製本屋の初版からの諸費用の一部を、北明に代って著者が支払ったことになったが、著者としては良い功徳をしたと思っていた。しかし恩に馴れた製本屋は、類焼を奇貨として、保存を託した百余部水喰い本を手入れして、五部十部と二、三回に古書肆に払ったことが判ったので、犯人を一時刑事に引き渡したが、将来を慎めて開放すると共に、市上に出た格安品は不正品である旨、当時の「書物展望」で報告しておいた。
 この再版について特に一言したいことは、初版と再版とは根本的に比較にならぬものであるが、木版だけは初版に見られない、はるかに優れた出来栄えであった。色彩から摺りから再版を見た眼には、初版の調子はかなり低級であったことが判る。だから、木版の分だけを前者と後者と交換すれば、かなり理想的なものになると思う。

本書は、再版が出た後の改訂版です。冒頭の画像の「再版序」には次のようにあります。
日本固有の木版は、今度は藤浪吟荘翁自ら摺ってくれたので、前のよりは優って居るつもりで居るし、新意匠になるものも二三種差加へたので、前版に比し趣きの異って来たものも勿論ある。 慶應3(1867)年5月 向島寺島村生まれ。木版錦絵手刷師)
 

改訂版に貼り込まれた木版蔵書票は26枚ありますが、どれが新たに加わったものかはわかりません。
そのうちの1枚

奥付は随分と簡素で、しかも後から貼り付けてあります。


「買って満足」し、積みっぱなしにしてある本が多いのですが、きちんと目を通してみると、やっぱり本はいいと、つくづく感じます。

※ 同じ斎藤昌三の著書『日本の古蔵票』は、以前の記事「私のコレクション 1枚の書票をめぐって」で、紹介しています。

私のコレクション 内容ではなく、装幀で買った本

2025年04月10日 | ルリユール
本文はフランス語なので、読めもしないのに、表紙と見返し、三方小口がマーブル装で挿絵はありません。背革、5段マウント、コーネル装。1862年発行ですから、163年も前の本です。
挿絵を見て楽しむでもなく、タイプフェイスが気に入ったわけでもなく、マーブルだらけという理由で買ったものです。買った値段を書いたメモ用紙がはさまっていましたが、けっこうなお値段でした。

翻訳ソフトに著者名とタイトルを読んでもらうと、ロジェ・ド・ボーヴォワールの『聖ジョージの騎士』。著者名で調べると、作曲家のようです。



前後の見返しはマーブル紙、天小口、前小口、地小口もマーブル染めです。
天小口はヤケて模様が目立たないので、地小口を

こんなのを1冊ぐらい持っていてもいいかなと思ったのでしょうね。


私のコレクション 『産業美術』

2025年04月08日 | ポスター
カッサンドルがデザインしたポスターに魅了された時期に購入したものと思われます。うしろ見返しには神保町で有名な、美術書を扱う2軒の古書店のシールが貼ってあります。

 『産業美術』昭和15(1940)年6月20日発行 編輯兼発行者/日本廣告倶楽部 別冊で「里見宗次稿 世界産業美術史」というタイトルの小冊子が付いています。元々は函付ですが、本書はそれが失われています。

表紙 里見宗次装幀。
小冊子

世界各国の代表的なポスター作品図版は、色刷りのページは貼り付けになっています。
カッサンドル 作

里見宗次 作

カール作

本書は紀元二千六百年を紀念して、東京府美術館において開催された「世界ポスター美術展覧会」にあわせて刊行されました。出品のポスターのほか、以下の各氏の論文も掲載され、当時の広告宣伝界の集大成になっています。
和田三造「ポスターと色彩」、杉浦非水「日本ポスター発達史的概観」、北沢楽天「ポスターとユーモア」、多田北烏「ポスターとその印刷」、野元伊太郎「ポスターと経済統制」、里見宗次「廣告に就いて」(仏文) 

私のコレクション "HAND-MADE PAPER OF JAPAN"

2025年04月06日 | 壽岳文章
3月20日の壽岳文章の本の記事に続けて、同じ著者の本を紹介します。

"HAND-MADE PAPER OF JAPAN" (日本ノ手漉紙)
壽岳文章/作 TOURIST LIBRARY39
昭和17(1942)年4月15日  財団法人 国際観光協会/発行 発売所/教文館


表題紙

壽岳文章の献呈署名



手漉き和紙の実物を貼り込んであります。

奥付

部分拡大

奥付を除き、本文は英語で表記されています。
壽岳文章の和紙に関する著作は、のちほど紹介します。

私のコレクション 柳屋29号「蔵票の巻」

2025年04月04日 | 書票 蔵書票
柳屋29号「蔵票の巻」大正15(1926)3月20日発行 柳屋画廊/発行

これまでに紹介してきた所蔵する国内における蔵書票の資料は、ほとんどが昭和の時代に入ってからのものでした。これは大正末年で、以前に紹介した「愛書趣味」5号の刊行年と同じですが、刊行された月がこちらの方が早いので、一番古いです。これ以上古い資料は持っていないと思います。日本における蔵書票の黎明期で、斎藤昌三らの蔵書票の啓発活動の苦労が述べられています。

表紙 「柳屋」の題字は斎藤昌三


裏表紙



冒頭の見開き







柳屋の蔵書票(実物貼り込み) 木村荘八/原画 藤浪陶老/手摺


私のコレクション 斎藤昌三の著作(1)『藝天(げて)雑誌之話』

2025年04月02日 | 斎藤昌三
本を収めるかぶせ箱には『齋藤昌三 藝天(げて)雑誌之話』とあります。

本の表紙の表記は『げて雑誌の話』となっています。

裏表紙は「青園荘私版」

表紙、裏表紙とも、中央に金属板の題簽がリベットで止めてあるという、紙と金属という、相反すると思われる素材が使われています。

本文はオーナメントが印刷された和紙に、活版印刷と凝りに凝っています。
装画/関野凖一郎 造本/内藤政勝
署名は名乗っていた「少雨荘 」。「荘」の字ではなく、号として使っていた「少雨叟」。

序文

奥付

本文は厚手の和紙2つ折りで23枚。ざっくりした和紙なので、掲載された写真の再現は良くありません。


「げて」で思い浮かぶ「げて装本」に、この本があります。

『相模女好色考』斎藤昌三/著 限定300部 紙帙付 表紙の題字肉筆
表紙に実物の蝶を漉き込んであるのです。
この蝶は台湾に生息しているメスシロキチョウのようです。

「げて装本」「斎藤昌三」は、他にもあるので、稿を改めます。