最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

星新一著作 完蒐

2024年03月02日 | 星新一

星新一さんの本の蒐集を始めたのは20歳の頃からですから、半世紀以上かかったことになります。最後の1冊となったのは、星さんが自ら発行元になって、小金井家ゆかりの方々だけに配った私家版の特製本『祖父・小金井良精の記』(市販本は河出書房新社から発行)です。

以下、入手までの経緯を、これまでに記事にした内容と重複する部分もありますが、整理してみます。

その本の存在を知ったのは、1978年7月に名古屋で開催された「第1回 星コン」と呼ばれるファンクラブの大会でした。その時に、星さんが大会運営費の足しにと、それまで存在すら知らなかった本を2冊提供してくれました。1冊は最初の創作作品集の『人造美人』(新潮社刊)の市販本をバックスキン装にした特製本(20部?)と、『祖父・小金井良精の記』の私家版特製本でした。オークションにかけられ2冊でしたが、『人造美人』は落札出来ましたが、『祖父・小金井良精の記』の方は、ライバルでもあった福岡在住のM氏に競り負けました。

その9年後の1987年の第9回「星コン」にも星さんが特製本『祖父・小金井良精の記』を提供してくださり、オークションにかけられたのですが、私は1985年の第8回大会を最後にファンクラブから手を引いたので、その会は欠席しました。福岡在住のM氏は、大会前夜に電話をくれて「またあの本がオークションにかけられるけど、代理で入札しようか」と言ってくれました。喉から手が出るほど欲しい本でしたが、意固地になっていたのだと思います。「出席しないと決めたのは、縁がなかったから」とM氏のご厚意を無下に断ってしまったのです。後から、「どこの馬の骨ともわからない人の手に、本が渡ってしまうのはまずい」と、自身2冊目となるこの本を落札したことを人づてに聞きました。

M氏は2019年2月に突然お亡くなりになったのですが、それまでの間、何度もお会いし、手紙や電話のやりとりもたくさんありました。でも、この本を話題にしたことは一度もありませんでした。頭を下げて「譲ってほしい」と一言いえば、快く譲ってくれるに違いないと思い続けているうちに突然、亡くなられてしまったのです。

そんな因縁だらけの本ですが、友人の名古屋在住の高井信氏が橋渡ししてくれたお蔭で手元に届いた本は、貼り函入り、貼り題箋、総革装、天金という仕上げになっていました。1974年の発行で、本体の表紙のモスグリーンの革は背の部分が残念ながら退色し、クロス貼りの函の布地はもっと鮮やかな青だったようで、こちらも退色しています。函のタイトルは貼り題箋で、函の背角に水濡れがあり、貼ってある題箋が浮いて波打っています。題箋の文字は金色だったと思われます。本体の各所に経年のシミや変色があり、総じて、あまり大切に扱われていなかったことが伺われ、ページをめくると、天金の部分がパリパリと音を立てるので、読まれもしなかったことがわかります。

 

奥付を見ると、著者/発行者が「星新一」個人名になっていて、河出書房新社が発行した市販本の発行日は1974年2月28日ですが、この本の発行日は3月30日と違っているので、市販本とは別の本として扱わなければなりません。星新一公式HPに掲載している「ホシヅル図書館」の全著作リストに、この1冊を新たに加えました。

 

この本を譲ってくれたO氏は、古書店で見つけて購入したそうですが、この本に本来付属しているはずの「小金井氏家譜」という家系図が載った冊子は、ついていなかったということです。

ところが、今回の譲渡話を橋渡ししてくれた高井信氏が、さかのぼること8年前の2016年5月に、「星さんの本が1冊だけが集まらない」という私の嘆きに同情してか、星さんから直接頂いたという、この「小金井氏家譜」をプレゼントしてくれていたのです。(ここで記事にしています) 


なんという縁でしょうか。

蛇足ですが、「完蒐」というのは、著作が世に出た時の姿(カバー、函、帯などが付属している)で、全部の単独著作を蒐集出来た時に使用する言葉ですので、かなり難度の高いものです。星新一を集め始めてから50数年、この本が刊行されてから50年、この本の存在を知ってから37年。それだけの歳月が流れたところで、私の手元に届いた1冊なのです。