最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

受賞本をコレクションする面白さ

2013年04月30日 | 古書





文学賞として芥川龍之介賞、直木三十五賞というふたつの賞が有名で大きな賞と言えますが、ほかにも菊地寛賞、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞、金沢市の泉鏡花賞(昭和48年~現在)、笠岡市の木山捷平文学賞(平成8年~16年度まで)など地方自治体がおこなう、地元が輩出した文学者の功績をたたえた賞、それに加えて詩歌、俳句、短歌や児童文学の分野まで含めると多彩な賞があります。最近では本の売り上げが減少傾向にあるために、何とかしなくてはということなのでしょう、書店員が選ぶ「本屋大賞」が話題になっています。それらをひっくるめると、賞と名がつくものが200ほどもあるそうです。

昔からコレクションの対象となってきた芥川賞、直木賞について、受賞した初版本を蒐集する面白さについて、思いつくままに書いてみます。そうは言っても、完蒐(文字通り、コンプリートのコレクションを完成させること)からはほど遠いところで挫折しているので大きなことは言えませんが、蒐集の面白さが伝わるかどうか……。初版本ブームに踊らされていた頃のことです。

芥川賞、直木賞は本の売り上げが落ち込む2月と8月、いわゆるニッパチに発表されます。選考委員会が開かれる10日ほど前にノミネートされた作品名が夕刊の文芸欄の片隅に小さく載ると、まず、既に刊行された作品があるかどうかをチェックします。芥川賞候補になっても、その作品が既に本になっている人はめったにいませんでした。文芸雑誌の○月号に掲載されているというのが当たり前でした。ところが、直木賞候補作品には、作品の雑誌掲載号が表示されている人に混じって、すでにどこかの出版社から本になっている人がひとり、ふたりいることがありました。それが大手出版社から出ていて刊行直後であれば、大きな書店を何軒かハシゴすれば見つけられるのですが、刊行から3か月ほど過ぎてしまうと、すでに返品されて書店店頭には並んでいないということになりますし、地方の小出版社から出版されたとなると、発行部数自体がごくわずかで、店頭に置く書店もほとんど無いということになります。(第69回直木賞受賞作品 『津軽世去れ節』長部日出雄著 津軽書房刊1972年 がそうでした)。出版されていれば受賞本としてコレクションの対象になるわけですから、候補作品としてノミネートされた作品が収録された本の初版(ノミネートされた段階で重版になっている作品もありましたが、それはよほど前評判の高かった作品です)が、どこの本屋に何冊あるかをチェックします。受賞作品の中に既に出版されたものがない時は、探す楽しみが無くなります。

今は夜遅くまで開店している書店は多いですが、当時、夜は6時、7時で店仕舞いする所ばかりでした。受賞のニュースが流れるのは早くても9時のニュースの終わりごろ、今のように番組のニュースの冒頭に、その日のニュースのメニューが一覧できるようなスタイルではありませんでした。もっともそうであっても、書店が閉まっているのですから、いち早く情報を入手しても、翌日の朝刊で見るのと変わりませんでした。
既に出版されている本が受賞した翌朝は、勤め先には午前半休と連絡して、書店開店の朝10時にチェックしておいた書店を効率よく回るルートを決めます。前日まで作家別の棚に並んでいても、気を利かせた店員さんがレジ脇の目立つ場所に並べ変えたりしますから、油断できません。特に書店が集まっている神保町などにはコレクターが集まるので、1秒を争うことになります。首尾よく手に入れられればいいのですが、どうにも間が悪くて、行く先々で先を越されてしまうこともあります。そういう時は潔く諦めて、午後からの仕事に精を出すのですが、終業時間が近づくと落ち着かなくなり、帰り道の駅ビルや駅近くに書店が数件集まっているようなところで途中下車して探すことになります。近郊の駅は意外と穴場で、都心で入手できなかった本を入手できたことも多々ありました。候補作品の発表後、受賞してからだと入手しにくいだろうと予想して、買ったこともありますが、当たったことは一度もありませんでした。候補作を含めてコレクションするというやり方もありますが、作品を読んで予想するという本道からすると、まるではずれた、まったくのゲーム感覚だったと言えます。

受賞が決まると受賞作品として売れることが約束されているようなものですから、出版社にしてみれば「直木賞受賞!」と目立つ、新しい帯を付けます。売れ残ったものが返品されて出版社の倉庫にあると、大至急印刷した新しい帯に付け替えられて出荷されることになります。コレクターにとっては、「受賞」の文字が入っていない元々つけられていた帯(元帯)が欲しいのですが、帯を付け替えられてしまうと、奥付は初版でも後帯(受賞後の帯)になってしまいます。ところがこうした場合でも、必ず帯が付け替えられるかというとそうではありません。元帯を外して新しい受賞帯を付けるという2段階の作業を、元帯は外さずにその上から受賞帯をかける場合もあるのです。これは作業手順を指示した人によって違うのか、作業した人の判断によるのかもしれません。
先に別の文学賞を受賞した作品が元帯の上に文学賞の受賞帯をかけられ、その後に直木賞を受賞したものだから、さらにその上に受賞帯がかけられたという第27回文藝賞受賞、第105回直木賞受賞作品『青春デンデケデケデケ』(芦原すなお著 河出書房新社1991年)の初版を持っていたことがありました。まあもっとも、私が推測したような経緯で帯が三重に巻かれたわけではなく、帯コレクターの仕業なのかもしれませんが。

1961年以降、選考委員会を開く場所は築地の料亭・新喜楽と決まっているようですが、新喜楽の前に出向いて、待ち構える報道陣に混じって、いち早く受賞作を知り、ちょっと遅くまで開いている書店で受賞作品を他人に先駆けて手に入れるということを思い付いた人がいました。定職を持たない、せどり屋といってもおかしくない人でした。受賞がすんなり決まる時は6時ごろには早々とわかるらしいのですが、そのやり方を真似したいとは思わなかったので、実際にうまくいったのか、尋ねてみたことはなかったです。今にして思えば、ブームに踊らされていたのですが、受賞決定翌日に走り回る狂想曲とも言えるような騒ぎを楽しみにしていたところがあったのでしょうね。

受賞発表の翌朝の新聞を見てビックリ! ということもありました。ノミネート作品が発表された時には雑誌の○月号掲載だったはずなのに、受賞の喜びに笑みを浮かべた作家の手には受賞本が!  (ダラダラと つづく)

















回顧 初版本の思い出

2013年04月24日 | 初版・限定本





以前、別のブログに載せたものを改稿しました。

気に入った作家の作品を全部初版で揃えられたら……初版本の魅力というものがちょっとわかりかけて、現実に願望が叶えられるかもしれないと思い始めたのは、社会人になり、自分の収入で自由に本が買えるようになってからでした。折しも“初版本ブーム”というものが巻き起こりましたが、それはおそらく仕掛けた人がいたのでしょう。

週末にあちこちで開催される古書展が、たちまちその熱気の渦に取り込まれ、1冊の出品本に100人を超える人が申し込んだ(事前に出品目録が発行されて、申し込んだ人で抽選が行われるシステムがあります)―そんな話が日常茶飯になり、開場時に殺到した人で入口のガラスが割れてケガ人が出る騒ぎにもなり、デパートでの開催は催事場が7、8階にあるところがほとんどなので、エスカレーターを駆け上がって事故になることをおそれて、開場前に階段に並ばせるところもありました。

人気作家の初版本を発売されると同時に買い占めて、玄関から部屋の中まで積み上げているというコレクターの話がまことしやかに語られ、三島由紀夫の初版本コレクションで家を建てたという人まで現れたのもこの時期でした。

人気作家の初版本が軒並み値上がりし、それにつられて芥川賞、直木賞といった受賞本の価格も暴騰しました。受賞本の中には、受賞が決まった時には既に市販されていた作品や、私家版として少部数発行されていた作品、受賞発表後に受賞を辞退した作品などもあり、すべてを完全な形で蒐集するのを困難にしています。困難がつきまとうからコレクションは面白いと言えるのですが、それは万人が認めることではないようです。
年に2回発表される芥川賞、直木賞の受賞本のコレクションの面白さについては、長くなるので稿を改めます。

話を元に戻して……需要に対する供給が伴わないわけですから、当然のことながら値が上がり、文学作品の初版本であれば、発売直後の新刊書に定価以上の古書価が付くといった珍現象まで生じました。この特需ともいえるブームに出版社も便乗し、純文学の限定本(部数は数百部、価格が2万円程度)が量産され、予約で満席になる盛況ぶりが見られました。数千部ほどだった市販本の初版発行部数も、ひと桁多くなったのではないでしょうか。比例して、作家に支払われる印税が増え、高額納税者に名を連ねる作家が増えたのもこの時期でした。
世の中すべてがバブリーな時期だったのです。作家にとっては、沢山の読者に読まれて部数が伸びるのではなく、投資の対象として、読まれない、死蔵される部数がいくら伸びても、喜べないという複雑な心境だったのではないかと思います。

文学作品の初版本ブームの次は漫画本のブームでした。
手塚治虫の初期作品に何十万という値がつき、汚れた貸本にも高値が付くという異常な熱気が充満していました。
これにも仕掛け人がいたのでしょうが、「トキワ荘」に代表される創成期の漫画家の初期作品は、今もなお高値がついているのが、ちょっと違っています。

文学作品初版本の「にわかコレクター」の熱が冷めるに伴い、古書価の下落が始まり、下落すればさらに熱も冷めるということで、沈静化を通り過ぎて、一気に冷めた市場になりました。当時、予約するのさえむずかしかった純文学の限定本の中には、数百部と限定本としては発行部数が多かった粗製濫造のものは、作家の署名が入っていても、経年変化で表紙や本文にシミが出て、見栄えが悪くなっていることもあって、インターネットオークションに安値で出品され、それでも買い手がつかない状態です。

とは言え、1冊へのこだわりを持つコレクターは多く、その執念にまつわる話は、今となっては伝説化しています。
インターネットなどなかった時代のことですから、郵送で届く古書店からの目録や古書展の目録に目指す本が載っていると、夜行列車(これもなつかしい響きの言葉になりつつありますが)に乗り込んで夜討ち朝駆けでお店に駆けつけたり、電報(今や慶弔だけのためにあるようなものですが)を打ったりと、涙ぐましい努力をした話は枚挙にいとまがありません。その時代を知る人にとっては笑い話にもなる身につまされる話なのですが、知らない人たちにとっては「なんのこっちゃ」と笑い話にもならないでしょう。          (つづく)













再録 私が好きな作家 庄野潤三

2013年04月17日 | 古書





順番が逆の方が良かったのでしょうが、2007年1月に別ブログに載せたものを、一部手直しして再録します。

好きな作家といえば、一番最初に挙げたいのが庄野潤三さん。

名前をご存知の方は、そう多くないと思うので、ちょっと簡単に紹介しておきましょう。
庄野潤三さんは「第三の新人」と呼ばれる作家のひとりです。第三の新人と呼ばれる作家には、吉行淳之介さん、安岡章太郎さん、三浦朱門さん、曽野綾子さん、阿川弘之(阿川佐和子さんの父君です)さんたちがいます。
教育者で帝塚山学院の創立者を父に持ち、お兄さんは児童文学者の(故)庄野英二さんです。『星の牧場』が代表作です。

私の宝物から……庄野潤三さんの最初の作品、『愛撫』。もちろん初版です。



しかも、この本は献呈署名本なんです。誰に献呈したかというと、なんと私が好きな作家なんです。
その作家は既に故人になっていますが、多少の差し障りがありますから、名前は出せませんが……。

次に紹介するのは、1955年に芥川賞を受賞した作品。


『プールサイド小景』。
この本も献呈署名本。上の『愛撫』と同じ作家に宛てた署名が入っています。

表紙を開いて、署名があるところを紹介します。ただし、宛名は見えないように、写真を加工してあります。