最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私と庄野潤三作品との出合い

2013年02月27日 | 古書





別のブログに2009年10月に掲載した記事を再編集したものです。

2009年9月21日に敬愛する作家、庄野潤三さんが亡くなりました。この話は、私と庄野潤三作品との出合いから始まります。

大学入試で浪人していたとき、区立図書館(その頃は東京に住んでいました)に「受験勉強」と称して毎日通ったのですが、実際にはあまり勉強はしないで本を読んでいることが多かったのです。そのときに出会った作家に庄野潤三さんがいました。
その図書館に架蔵されている庄野作品はそう多くなく、数日で読み尽くしてしまったので、行き先を別の図書館に変え、そこで読み尽くすと、図書館で読めない昔の作品をもっと読みたくて、古本屋を覗くようになりました。今のように、蔵書目録の検索が自宅でできるような時代ではなかったのです。

ある日、思い立って、古本屋が軒を連ねているという神田・神保町に行ってみることにしました。
そうしたら、庄野さんの初期の作品を、ずら~っと棚に並べている古本屋を見つけました。店頭のガラスケースにも数冊並んでいました。棚の本を手に取って裏表紙を開くと……どれも定価に関係なく、数千円から数万円の値段シールが貼ってありました。
学生の身分で、そんな値段の本が買えるわけはなく、すごすごと帰ったのですが、中央線沿線の他の古本屋を回り、いろいろ調べていくうちに、「初版本」と呼ばれるカテゴリがあって、そのコレクターと呼ばれる人たちが存在していることを知りました。
新刊の本とは違って、古本屋は店独自の値付けをするので、神保町の有名古書店で高値のものが、別の店ではそれほど高くもなく売っていたのを見つけたり、店頭の数百円の均一本の箱で見つけたりで、古本屋を回って探す面白さに嵌まっていったのです。

話が庄野潤三さんから離れますが、「初版本」といわれる、コレクションの対象になるものについて簡単に説明しておきましょう。
初版本のコレクターというのは、コレクションの対象が切手であれば、裏の糊やミシン線を気にするのと同じように、微細なこだわりがあります。読むときに帯やジャケットが邪魔だから捨ててしまう方もいます。帯は店頭で外れたり、破けてしまうこともあります。箱入りの本の本体にはグラシンと呼ばれるパラフィン紙や、透明なセロファン紙がかかっているものもあり、立ち読みした人の扱い方によっては、シワが寄ったり、破けているのは普通のことだと思っていました。しかし、コレクターの心理としては、より綺麗なもの、より完全なものを求めるのです。
かけてある帯の幅が狭くて、はずれやすい場合や、出版された直後に賞をもらって、受賞したことをアピールする帯に付け替えられたりすると、元々の帯が付いたままの本の数は少なくなります。そうなると、元々の帯が付いているか、いないかというだけで、本の古書価よりも高い値段の差が生じることがあります。極端な例だと、こんなこともあります。
書店の店頭に並んでいるときは、ページの間に挟んであり、代金を払うときにレジで抜かれてしまう売上スリップというものがあります。書店はそれで売り上げ管理や棚補充をするためのものです。本が出来上がったときに、著者が知り合いやお世話になった人たちに贈呈することがありますが、そのほとんどの場合、売上スリップが入ったまま贈られます。
仮に、まったく同じ状態の「初版本」があったとして、一方にだけ売上スリップや挟み込みの読者カードが残っていたとすると、どうなるでしょう。そうなんです。帯や売上スリップ、読者カードの有無で、価値が変わるということになるのです。

古書店が発行する古書目録や、古書展のときに発行される出品目録というものがあります。そこで使われている用語には特別なものもあって、まったく興味のない方がご覧になると、意味不明という用語もありますので、少し説明をしておきましょう。

「カバ」とあれば、カバー(ジャケット)が付いているということ。
「函欠」とあれば、本来はある函が無いこと。
「元帯」とあれば、発行時に付いていた帯があるということ。
「受賞帯」とあれば、受賞が決まってからの帯があるということ。(元の帯ではないということ)
「帯欠」とあれば、付いていた帯が無いこと。
「元パラ」とあれば、発行時にかぶせてあったパラフィン紙があるということ。
「ムレ」とあれば、濡れたり湿気を帯びてしまったということ。「水クイ」という表現もあります。
「スレ」とあれば、擦れた傷があるということ。
『○○○○(書名)』 献署カバ帯 ××××(著者名) とあれば、
著者が誰かに署名を入れて献呈した本で、カバーと帯がついてますよ~ということになります。

宛名が入っているのを嫌う傾向がありますが、宛先が作家や評論家、有名人だと付加価値がつく場合もあります。そのために、贈呈された人が本を処分する場合は、宛名を墨で塗りつぶしたり、宛先だけを切り取ったり、署名のあるページをむしりとったりということがあります。サインペンによる署名よりは、筆によるものが珍重されます。献辞などがある場合がありますが、何が書いてあるかによって価値が左右されます。

本の状態を表すのには、綺麗な順に「極美」「美」「並上」「並」「並下」「汚」と現わされますが、主観の相違が生じやすい部分ですから、控えめに表示されることが多いようです。特にネットオークションでは、クレームを付けられることが致命的と考える出品者が多いため、汚れや傷を明示して、それでも良い人は入札してくださいという説明が目立ちます。
ネットオークション、ネット販売が普及したことによって、場末の古本屋を回っても、掘り出し物に出合うことが少なくなりました。しかし、BOOKOFFの全国展開で、経験の浅い店員でも買い取りが出来るようにシステム化された評価基準は、逆に掘り出し物を生み出している傾向があります。

前回「せどり」について書いたことに関連して、商売として成立する可能性について、ちょっと書いておきます。
「せどり」を生業にしている人は、安く売っている本を見つけて、専門の古本屋に高く買ってもらうというのが基本でしたが、安く手に入れたものを自分でネットオークションに出品して利ざやをかせぐ人たちが出現してきました。BOOKOFFがその仕入れ場所のひとつになっているようです。中古衣料やオマケ、非売品など、身の回りの品、あらゆるものがオークションで売買されていますから、本に限ったことではありません。
私が先日中古で手に入れたカメラも、それを出品した人は中古を扱う店で買ったものを出品したものでした。私の落札価格は、出品者が買った値段より5000円ほど高かったことが、送られてきたカメラに入っていたレシートからわかりました。オークションで、どれほどの需要があるのかが判断できれば、落札予想価格を下回る値段で売っている店から買って、それを出品して利ざやをかせぐことが出来るのは、同じ経済原則です。
新品をネットオークションで売買している人もいるようです。量販店では購入の都度ポイントが付くので、量販店を上手に利用すれば、たまったポイントを商品と交換することで利ざやを稼ぐ程度なら、理論的には「商売」も可能です。自分で在庫を持たずに「商売」できるわけですから、賢いやり方とも言えます。
ネットオークションは、競る相手がいれば値段が上がっていくので、だいたいどのくらいの値段で売買されているものかを把握せずに参加すると、つい熱くなって、「相場」以上で落札してしまうこともありますから、心構えと市場の価格調査が欠かせません。

話題が庄野潤三さんから逸れてしまいましたが、もともとまとまりのある話を書こうとしているわけではないので……。
次に私のタカラモノ、庄野潤三作品を紹介します。



















私のコレクション 梶山季之『せどり男爵数奇譚』

2013年02月25日 | 古書





2009年3月に別ブログに書いたものを再編集して載せます。

『せどり男爵数奇譚』というタイトルの本があります。今は亡き作家、梶山季之の作品です。

1974年桃源社刊

先日放送された「ビブリア古書堂の事件簿」にも、この本の元版が登場していました。
元版が絶版になったあと、河出文庫、夏目書房、ちくま文庫からと版元の変遷を重ねていますが、現在も読むことが出来ます。

タイトルにもなっている「せどり」がどういう意味なのかというと、古書の世界の用語で、セリで競り取るから「競取り」という解釈もありますが、価値がわからずに安く売っているお店から買って、その本の価値を認めているお店で高く買い取ってもらい、その差額で生活している「せどり屋」と言われる人たちの行為を、本の「背」(書名)で抜き取ることから、「せどり」と言っています。

最近はスペースの問題からか、ボリュームのある全集はひところに比べると、かなり安くなりました。全集は、毎月刊ないし隔月刊という配本パターンで、完結までに時間がかかるというのが一般的でした。買い始めたのはいいけれど……と、最初の方に配本された巻は発行部数も多いのですが、次第に買い揃えるのをやめたり、忘れたりで、売れ行きが落ちてきます。それに合わせて発行部数を減らさざるを得なくなります。最終回の配本は、最初に比べると、かなり部数が落ちることがあります。
それを後になってから、全巻揃いで買わずに、1冊ずつ買い集めていくのは、古本屋巡りの楽しいところでもありますが、最終回配本の巻の数が少ないわけですから、探しても見つけにくいのは当然です。その探しにくい巻を「キキメ」と呼びます。

全集で読もうと思って全巻揃いの値段を見て、あまりに高いので、その隣に「○巻1冊欠」という、揃っている全集に比べると、かなり安いものがあったときに、「1冊ぐらいあとから探せばいいから、安いほうを買おう」と、つい思ってしまいます。
ところが、その欠けているのが「キキメ」だと、せどり屋が鵜の目鷹の目で探しているわけですから、よほどの幸運に恵まれない限り、見つけることは出来ません。
せどり屋が狙うのは全集のキキメだけではなく、有名作家が無名時代に別のペンネームで出版した本、いったんは世に出たけれども、さまざまな理由で回収あるいは発売禁止になった本、市販本とは別に何かの記念で配られた本など、世の中に出回る絶対数が少ないものがありがたがられる傾向にあります。情報に精通すればするほど、面白く、奥行きのある「仕事」ですね。



















私のコレクション 深澤幸雄著『現代版画の視点 深澤幸雄の版画対談』

2013年02月13日 | 深沢幸雄





昨年米寿をお迎えになられた深澤幸雄さんの新刊著書を紹介します。

季刊誌「版画芸術」(阿部出版)に1988年から掲載されてきた「版画対談」(全15回)に2回分の新連載を加え1冊に纏めたものだそうです。
対談のお相手は、畦地梅太郎、萩原英雄、笹島喜平、清宮質文、北岡文雄、品川工、利根山光人、小林ドンゲ、吹田文明、岡本省吾、栗山茂、堀井英男、高橋力雄、浜田知明、渡辺達正、相笠昌義と錚々たる顔ぶれです。



対談の他にそれぞれの方の作品がカラーで紹介されています。故人となられた方も11人いらっしゃるそうです。
2013年1月20日 阿部出版株式会社/発行 定価2500円+税

深澤さんから、私ごときにもお送りいただきました。ありがたいことです。

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