最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 『年を歴た鰐の話』

2014年03月08日 | 初版・限定本






『年を歴た鰐の話』は平成15年9月、翻訳者の山本夏彦(2002年10月23日逝去 享年87歳)の一周忌を前に文藝春秋社から復刊されました。
復刊から10年近く経つ2014年2月時点で、新刊としての購入は既に出来なくなっているようです。

AMAZONに載っていた復刊本の解説には「昭和17年初版の作品が、昭和22年の再版を底本として新たにふりがなを加えて遂に復刊」とありますが、手元の初版(桜井書店版)の発行年月は昭和16年7月ですから、このデータベースには誤りがあります。

桜井書店版 昭和16年の初版。残念ながらカバー欠です。
標題紙 

奥付 

本文 

文藝春秋社から復刊されたものは横判なので、底本にした昭和22年版は横判なのではないかと推測していたら、ネットオークションに昭和22年の4版が出品されているのを見つけました。
画像を見たら、はたして横判でした。その本はカバーも無く、綴じ糸もほつれかかっていて状態が悪く、誰も入札していませんでしたが、出品価格は驚きの5万円!


文藝春秋社刊の復刊本。 
トンネル函 

表紙 

巻末には吉行淳之介の文春文庫『読書と私』所収の「幾つかの『一冊の本』」からの抜粋、久世光彦の山本夏彦著『私の岩波物語』(文春文庫)の解説を転載したもの、徳岡孝夫の解説(新稿)が載っています。

吉行淳之介は昭和22年版を、定価30円という当時にしたら高価だったのを新刊で購入しているんですね。
久世光彦によれば、 「昭和十六年初版のこの訳本は、とうの昔に絶版になっていて、所蔵している人が数えるほどしかいないので、今やいわゆる《知る人ぞ知る》本と言われているらしい。」 なんだそうで、私が初版を所蔵していることを知っていた知り合いの編集者を通して、某有名作家に貸したことがあります。

「年を歴た鰐の話」の初出は昭和14年4月1日発行「中央公論」春季特大号(通巻619号)。手元に初版があるのだから、初出誌もあってもいいかなと検索してみたら、ヒットした古書価は4500円! うーん、雑誌で4,500円かぁ……まあ無くてもいいやということにしました。


初版から40年近くが経過した1986年、新たに訳者を出口裕弘にして刊行したのは福音館書店でした。
装丁デザインは堀内誠一。「ショヴォー氏とルノー君のお話集(全5巻)」の第1巻、『年をとったワニの話』というタイトルで刊行されました。

函オモテ 

函ウラ 

表紙 

この単行本のシリーズも残念ながら「品切れ・重版未定」ですので、現在、新刊で入手可能なのは、福音館文庫版の『年をとったワニの話』(本体価格735円)だけです。

表紙 

「ショヴォー氏とルノー君のお話集」の本書以外の4冊は以下です。(本体価格は2014年3月現在)
『子どもを食べる大きな木の話―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈2〉』(683円)
『名医ポポタムの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈3〉』(788円)
『いっすんぼうしの話―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈4〉』(630円)
『ふたりはいい勝負―ショヴォー氏とルノー君のお話集〈5〉』(788円)





回顧 初版本の思い出

2013年04月24日 | 初版・限定本





以前、別のブログに載せたものを改稿しました。

気に入った作家の作品を全部初版で揃えられたら……初版本の魅力というものがちょっとわかりかけて、現実に願望が叶えられるかもしれないと思い始めたのは、社会人になり、自分の収入で自由に本が買えるようになってからでした。折しも“初版本ブーム”というものが巻き起こりましたが、それはおそらく仕掛けた人がいたのでしょう。

週末にあちこちで開催される古書展が、たちまちその熱気の渦に取り込まれ、1冊の出品本に100人を超える人が申し込んだ(事前に出品目録が発行されて、申し込んだ人で抽選が行われるシステムがあります)―そんな話が日常茶飯になり、開場時に殺到した人で入口のガラスが割れてケガ人が出る騒ぎにもなり、デパートでの開催は催事場が7、8階にあるところがほとんどなので、エスカレーターを駆け上がって事故になることをおそれて、開場前に階段に並ばせるところもありました。

人気作家の初版本を発売されると同時に買い占めて、玄関から部屋の中まで積み上げているというコレクターの話がまことしやかに語られ、三島由紀夫の初版本コレクションで家を建てたという人まで現れたのもこの時期でした。

人気作家の初版本が軒並み値上がりし、それにつられて芥川賞、直木賞といった受賞本の価格も暴騰しました。受賞本の中には、受賞が決まった時には既に市販されていた作品や、私家版として少部数発行されていた作品、受賞発表後に受賞を辞退した作品などもあり、すべてを完全な形で蒐集するのを困難にしています。困難がつきまとうからコレクションは面白いと言えるのですが、それは万人が認めることではないようです。
年に2回発表される芥川賞、直木賞の受賞本のコレクションの面白さについては、長くなるので稿を改めます。

話を元に戻して……需要に対する供給が伴わないわけですから、当然のことながら値が上がり、文学作品の初版本であれば、発売直後の新刊書に定価以上の古書価が付くといった珍現象まで生じました。この特需ともいえるブームに出版社も便乗し、純文学の限定本(部数は数百部、価格が2万円程度)が量産され、予約で満席になる盛況ぶりが見られました。数千部ほどだった市販本の初版発行部数も、ひと桁多くなったのではないでしょうか。比例して、作家に支払われる印税が増え、高額納税者に名を連ねる作家が増えたのもこの時期でした。
世の中すべてがバブリーな時期だったのです。作家にとっては、沢山の読者に読まれて部数が伸びるのではなく、投資の対象として、読まれない、死蔵される部数がいくら伸びても、喜べないという複雑な心境だったのではないかと思います。

文学作品の初版本ブームの次は漫画本のブームでした。
手塚治虫の初期作品に何十万という値がつき、汚れた貸本にも高値が付くという異常な熱気が充満していました。
これにも仕掛け人がいたのでしょうが、「トキワ荘」に代表される創成期の漫画家の初期作品は、今もなお高値がついているのが、ちょっと違っています。

文学作品初版本の「にわかコレクター」の熱が冷めるに伴い、古書価の下落が始まり、下落すればさらに熱も冷めるということで、沈静化を通り過ぎて、一気に冷めた市場になりました。当時、予約するのさえむずかしかった純文学の限定本の中には、数百部と限定本としては発行部数が多かった粗製濫造のものは、作家の署名が入っていても、経年変化で表紙や本文にシミが出て、見栄えが悪くなっていることもあって、インターネットオークションに安値で出品され、それでも買い手がつかない状態です。

とは言え、1冊へのこだわりを持つコレクターは多く、その執念にまつわる話は、今となっては伝説化しています。
インターネットなどなかった時代のことですから、郵送で届く古書店からの目録や古書展の目録に目指す本が載っていると、夜行列車(これもなつかしい響きの言葉になりつつありますが)に乗り込んで夜討ち朝駆けでお店に駆けつけたり、電報(今や慶弔だけのためにあるようなものですが)を打ったりと、涙ぐましい努力をした話は枚挙にいとまがありません。その時代を知る人にとっては笑い話にもなる身につまされる話なのですが、知らない人たちにとっては「なんのこっちゃ」と笑い話にもならないでしょう。          (つづく)