最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

最終回文庫 名前の由来

2011年09月29日 | コレクション





「最終回文庫」として活動していたのは一時代前で、ネットなどない頃だったため、今、検索しても何も出てきません。
それではあまりに寂しいので、その歴史を簡単に記録しておくことにします。

1977年の創刊当時、素人が主宰する「古書の交換会」というものがありました。それは、不要になった蔵書を古本屋に売っても、たいていは二束三文にしかならないので、それなら古本屋の売価の5~6割程度の値段で、ほしいと思っている人に直接売ってはどうかということで始まったものでした。

当時の「古書の交換会」にはふたつあって、ひとつは盛岡で七木田麻蓑臣氏が主宰するもの、もうひとつは落語家の柳家金語楼を父に持つ山下武(異母弟はロカビリー歌手として一世を風靡した山下敬二郎)氏が主宰する「蚤の市」でした。

「最終回文庫」のスタートは、私個人の蔵書処分目録で、最初は名前も付いていませんでした。
「最終回文庫」と名付けたのは第3号(1977年10月22日発行)で、そろそろタネ切れで最終回になるということから名付けたものでした。
「古書通信」や「SFマガジン」などの雑誌の探究書欄に載せている人などに勝手に送りつけていましたが、他にも高名な方々にも送っていました。当時は個人情報云々はまったく配慮されておらず、住所は簡単に調べられました。
その中に、評論家、翻訳家、小説家として知られる紀田順一郎氏がいて、ある時、偶然お会いして自己紹介したら、「いいネーミングですね」と褒められたことで気を良くし、定期的に出そうと思い始めました。単純ですね。

1979年からは年会費350円で有料会員制とし、第8号(1978年12月 80部発行)からは、会員からの出品も載せるようになり、「古書交換会」の形になっていったのです。
コピーで会報を作っていたのを、経費節減のために9号からガリ版印刷に変えました。ガリ版と言っても知らない世代が多いかもしれませんし、「経費節減のため」にコピーではない方法を選ぶ方が高くつくのではと思われるかもしれません。当時はコピー代は高かったのです。

12号(1979年10月)は100部発行。1980年から年会費500円とし、会費未納者には送付を中止したため、13号(1980年2月)は、60部と発行部数が減少。
14号(1980年4月 60部発行)からは、出品を有料(1点10円)にし、B4判4枚ほどのボリュームで、年間4、5回は何とか発行していました。
17号(1980年12月)からは手書きオフセット印刷に変更し、1981年会費は800円。その代り出品料を1点5円に値下げ。
19号(1981年5月)はB4判7枚のボリューム。
20号(1981年8月?)はB4判5枚。原稿が手書きのため、この頃から出品の多さに悲鳴を上げるようになりました。
最盛期の発行は約200部。印刷から、折り、封筒詰め、宛名貼り(シール印刷)、切手貼り、発送という一連の作業はかなり大変でした。
その後、出品者からの手書き原稿を縮小してそのまま載せるようにして省力化しましたが、仕事が多忙を極めるようになると、次第に発行間隔が開くようになっていきました。以下は号数と発行年月。

21号(1981年11月)、22号(1982年3月)、23号(1982年5月)、24号(1982年8月)、25号(1983年1月)、26号(1983年4月)、27号(1983年6月)、28号(1983年9月)、29号(1983年12月)、30号(1984年3月)、31号(1984年5月)、32号(1984年8月)、33号(1984年1月)、34号(1985年3月)、35号(1985年7月)、36号(1985年9月)、37号(かろうじて延命号 1986年3月)、38号(1986年10月)、39号(手元に残っていません。この号から全文ワープロ打ちに変更)、40号(なんだかんだで10周年記念号 1987年5月)、41号(1987年10月)、42号(1988年4月)、43号(1988年11月)、44号(1989年5月)、45号(ひとまずお休み号 1990年3月)、46号(廃刊ではないのだぞ号 1993年5月)
46号で「廃刊ではない」とアピールしたものの、そのまま途絶して、現在に至ります。
1号からの現物を見ると(39号だけ抜けている)、よくもまあ続けてきたものだと思います。

16年間で会報発行の他、赤江瀑氏の文庫本『獣林寺妖変』、『ニジンスキーの手『花曝れ首』の改装本、『水谷昇昌 蔵書票集』(限定25部)の刊行、高橋啓介氏の文庫本『珍本古書』(限定12部)の改装本、「深沢幸雄 書票の会」を行なってきました。

深沢幸雄氏の書票は依頼者に取り次ぎは出来たものの、各作品をまとめた書票集としては、残念ながら自蔵の1部(画像は →こちら)しか作ることは出来ず、他に企画した『愛書狂』、『古書の楽しみ』などは頒布に至りませんでした。

これらのうち、『水谷昇昌 蔵書票集』と『珍本古書』の2点は、古書展・古書店の目録に、高値で出たことがあり、『水谷昇昌 蔵書票集』は買い戻すことが出来ましたが、オークション形式の販売だった『珍本古書』は製本を絶賛する説明がついていたこともあって落札できず、手元には戻ってきませんでした。

経年によるシミ、製本材料の劣化など、作った時は思いもよらないことが起きていましたが、今となっては、細かい作業に根を詰めることはとても無理でしょうし、造ろうという気力も湧いてきません。あの忙しさの中で、よくやっていたものだと思います。

今回は「最終回文庫」の歴史を簡単に説明しましたが、また思い出すことがあれば、画像とともに追記していきます。




私のコレクション 井上洋介(3) 『井上洋介漫画集ナンセンス展』

2011年09月28日 | 署名本





『井上洋介漫画集ナンセンス展』刊行は1966年、思潮社から。45年も前ですから、本文用紙もかなりヤケてしまっています。

 その表紙。




 その目次。




 見返しページに、見開きにわたってサインをいただきました。


定価900円は、当時としては高めの設定だったようです。




私のコレクション 井上洋介(1) 『サドの卵』(私家版)

2011年09月26日 | 署名本





絵本作家、イラストレーターとして、ユニークな活動を続けている井上洋介さんの漫画集『サドの卵』(1963年)私家版。

 その表紙。


 その奥付。


 表紙の折り返し部分に、サインをいただきました。     


内容に合わせたサインをしてくださいます。
これから後、いくつかの作品を紹介していきますので、その実際をお確かめください。





私のコレクション 星新一(13) 『気まぐれ体験紀行』(エヌ氏の会 配り本 限定25部)

2011年09月23日 | 星新一
1981年9月に開かれたファンクラブ「エヌ氏の会」主催の「星新一氏を囲む会」の参加者に配られたものです。


背表紙はこれ。講談社文庫をハードカバーに改装したもの。

表紙を開くと……

継表紙にしてありますが、使った和紙に経年のシミが出始めています。

サイン部分を拡大すると……


囲む会に参加したのは、全国から20名。
この本の作成部数は25部。すべて星さんのサインが入り、落款が押してあります。

ちょっと珍しいでしょ。












私のコレクション 星新一(12) 『跟踪』(台湾)

2011年09月20日 | 星新一
台湾で出版された星新一作品です。タイトル『跟踪』の意味は「ぴったり尾行する、追跡する」のようです。
「尾行」、「追跡」というタイトルのショートショート、あったかな?「追跡」だったら『ごたごた気流』に、「尾行」だったら『エヌ氏の遊園地』に収録されている作品です。 
内容が不十分でしたので、画像を追加して、9/21に文章も付け加えました。


表紙はイメージとかけ離れていますね(^_^;)

その奥付。

奥付には挿絵画家名の表示がまったくありません。


でも、各ショートショートのタイトルページには、挿絵があります。
この本のタイトル『跟踪』と同名のタイトルページの挿絵です。

この絵は、あきらかに和田誠さんです。

角川文庫版『ごたごた気流』に収められている「追跡」のタイトルページがこれです。

まったく同じです。

角川文庫では目次ページに、挿絵画家名が表示してあります。

ところが、台湾版『跟踪』には、挿絵画家の表示がどこにもありません。

おかしなことに台湾版の冒頭には、こんなページがあります。

「授権書」とあります。中国本土を意識したものなのかもしれません。

この出版社は、著者に同意の署名をもらったことで、すべての権利を委譲されたと誤解したのではないでしょうか。
著者が挿絵も描いているとでも思ったのでしょうか。日本では考えられないことです。

……ということは、挿絵の和田誠さんには、著作権使用料は支払われていないのでは??




私のコレクション 赤江瀑(2) 『詩世紀詩集 1955年版』(限定300部)

2011年09月19日 | 赤江瀑





たくさんの著作がある赤江 瀑氏ですが、いちばん最初の本となると……おそらくこの本が最初だと思います。

『詩世紀詩集1955年版』 限定300部 あかね書房刊
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     右はジャケット。

     その奥付。
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定価350円とあります。本名:長谷川敬(はせがわ・たかし)名で発表した詩3編が収録されています。

この本には「特製版」があり、その奥付には「定価 350円」の脇に「特製版 定価 700円」と並記されています。限定部数については、どちらも上部に300部とあるだけです。
限定版も特製版も300部ずつ作られたのか(そんなにたくさん作るわけはないとは思います)、限定300部のうち、わずかな部数、特製版が作られたのか(ふつうに考えたら、そうでしょう)……古書店で入手した特製版の写真をアップなさっている方にお尋ねしたら、店主は「特製版には函があったようだ」と言っていたとおっしゃっています。

赤江瀑氏は「詩世紀」の同人だったので、同人誌にも詩が掲載されていますが、その全容は明らかになっていません。数日前から探しているのですが、手元に数冊あるはずの、その旧号が見つかりません…(^_^;)
ご存知の方は、ぜひご教示ください。

2014年4月 追記しました。→ こちら









私のコレクション 赤江瀑(1) 『獣林寺妖変』

2011年09月19日 | 赤江瀑

コレクション・シリーズの星新一篇は、ひとまず終わりにして、次からは赤江瀑です。妖艶な雰囲気を醸し出す作家として表舞台でよく目にしたお名前でしたが、最近は文芸誌、中間小説誌の広告でお名前を見ることもほとんどありません。寂しいですね。

この作家をご存知の方は、ほとんどいらっしゃらないのではないかと思いますので、受賞歴を並べてみます。
1970年「ニジンスキーの手」で小説現代新人賞、1974年に「オイディプスの刃」で角川小説賞で映画化、1983年に「海峡」「八雲が殺した」で泉鏡花文学賞を受賞しています。
以下は、「病膏肓」に属する、かなりマニアックな内容になります。

『獣林寺妖変』(1971年)は、強烈な印象が残る作品でした。


講談社から昭和46年に刊行されました。これは初版本。

本は売れ行き良好だと、重版します。その2刷本。

     
帯の色が黄色に変わりました。それとともに変わった部分があります。

製本方法が、角背から丸背になっています。

     
下が初版本、上が2刷本。

小口側から見ると…。

     
右が初版本、左が2刷本。 初版本にホコリが溜まっていますね(^_^;)
この違いを指摘する方はこれまでもいましたが、3刷本を比べると、さらに相違点が出てきます。

3刷本。



帯に相違点があります。

     
左が2刷本、右が3刷本。

2刷では白ヌキで「赤江瀑 処女作品集」としてあった部分がスミ刷りに変わり、使用されている書体が変更になっています。気合を入れて?新たに作り直しています。
ただ、3刷本に付ける帯をその時から変えたわけではなく、2刷用に作った帯の在庫があったためか、3刷本でも2刷用の帯が掛けられているものがあります。

2作目の『罪喰い』(1973年)で直木賞候補となりましたが、この時の受賞作は長部日出雄「津軽世去れ節」「津軽じょんから節」と藤沢周平「暗殺の年輪」の2作でした。選考委員は9人、司馬遼太郎、柴田錬三郎、石坂洋二、水上勉、川口松太郎、源氏鶏太、村上元三、今日出海、松本清張というそうそうたる面々で、高評価したのは源氏鶏太ひとりだけでした。
2年後の1975年にも「金環食の影飾り」で、ふたたび直木賞候補になりましたが、この回は「受賞作なし」で、選評は良くありませんでした。

『獣林寺妖変』の2刷は1976年8月、3刷が同年の10月で、3刷で重版中止になりました。(4刷本を目にしていないので、そう思っています) 初版から5年の時を経て2刷を出し、その2か月後に帯を作り直して3刷を出したのは何故だったのでしょうか。時を空けての再刊の場合、「読者からの要望が高まって」とよく言いますが、再刊を希望する手紙が山ほど編集部に届くなんていうことはごく稀なことですから、出版社側の事情、著者側の事情など、なんらかの事情があったんでしょう。それをあれこれ考える(妄想する)のも、面白いですね。
この作品が文庫化されたのは、1982年。単行本の初版から実に11年後のことでした。それも出版各社の文庫本戦略と絡んでいたのでしょうから、そういった面からとらえてみるのも面白いかも。

この作家、マニアックなファンが多く、凝った造りの限定本が多いのが特徴です。それらの本については、おいおい紹介していこうと思っています。


私のコレクション 星新一(11) 『殺し屋ですのよ』(限定版)

2011年09月19日 | 星新一

今日紹介するのは、出版された時から「限定版」とされていたものです。『殺し屋ですのよ』というタイトルで1969年に未来プロモーションから刊行されました。


ジャケットに透明ビニールカバーが付いています。段ボール製に題箋を貼った外箱が付いています。

1冊ごとに署名が入っています。署名には何種類かありますが、同じ言葉でも少し違っています。たとえば……

 

 

 

他にも。

 

 







実際に何部刊行されたのかはわかっていませんが、完売できずに返品も多く、一部はゾッキ本として処分されたようです。
定価は800円。当時としても手が出ないほど高価というわけではなかったはずですから、販売方法にでも問題があったのかもしれません。
この本、古書展やネットオークションにたびたび登場するので、発行部数は1000部以上はあったのではないでしょうか。製本してからページをめくって署名するのは大変ですから、紙に署名したものを製本段階で綴りこんだようです。

通常の印税率10%では1部あたり80円ですから、×1000部では8万円にしかなりません。別に署名代が数十万円支払われたとしても、署名に要した手間と時間に見合うだけの報酬は得られなかったと思います。


私のコレクション 星新一(10) 『酒の本棚』(特製版非売品)

2011年09月19日 | 星新一
星新一氏の作品が含まれているアンソロジーです。
サントリーが発行した『酒の本棚』の特製版非売品で、表紙が木の板です。酒樽に使う、ホワイトオーク材が表紙になっています。

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この本には、ご署名をいただいています。
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非売品とはいえ、同じ内容の四六版のソフトカバー装の普及版は古書店でちょくちょく目にしますし、この特製版も古書展に出品されることがあります。でも、署名入りは、ちょっと珍しいでしょ。



私のコレクション 星新一(9) 紙芝居「あーん あーん」

2011年09月19日 | 星新一






「原作」なので、純粋な意味での作品ではありませんが……。

紙芝居「あーん あーん」
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そのケース。

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著作者名が表示された部分の拡大。

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1場面目のテキストは最終場面の裏に印刷されています。

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奥付の部分。

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最終場面。

手に入れたのが、お亡くなりになってからでしたので、署名はありません(^_^;)


この話の正式なタイトルは「あーん。あーん」ですが、
この記事のタイトルは紙芝居の奥付表記に従いました。





私のコレクション 星新一(8) 『気まぐれロボット』(理論社版)

2011年09月19日 | 星新一
「私のコレクション」星新一篇も、しつこく8回目になります。

星氏の著作の中で、いちばん判型が大きいんです(紙芝居は別にしての話です)。
子ども向けの本として、理論社から童話シリーズの1冊として刊行されました。シリーズには庄野英二さんの名作、『星の牧場』も含まれています。

装幀と挿絵は、コンビを組むことが多かった和田誠氏です。
まずはその箱。
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次に表紙。
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遊び紙に、おふたりの署名をいただいています。
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おふたりの署名が入っているのが、ちょっと珍しいでしょ? 


私のコレクション 星新一(7) ホシ胃腸薬

2011年09月19日 | 星新一
SF作家の大御所、小松左京氏が7月26日80歳でお亡くなりになりました。筒井康隆氏、星新一氏とともにSF作家界の御三家と呼ばれていました。ご冥福をお祈りします。

「私のコレクション」としてこれまでに6回、星氏の署名本を中心に紹介してきましたが、星新一(本名:親一)氏が亡くなったのは、13年半前の1997年12月30日、享年71歳でした。その日、星氏の担当編集者から星氏の訃報のお電話をいただきました。今もそのときの状況を、ありありと思い出すことができます。

星新一氏が星製薬の御曹司だったことはよく知られています。父の星一が創業した星製薬の社訓に「切第」があり、親一という本名は、その社訓から取られているそうです。

これまでの「コレクション」紹介の中で、「病膏肓」と書きましたが、実は、こんなものまであるんです。
当時の星製薬が販売した「ホシ胃腸薬」。紙筒入で定価50銭。
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     ハングル文字が並記されています。
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これはネット・オークションで手に入れました。


父親の星一氏は渡米中に亡くなり、急遽、星新一氏が社長に就任しましたが、経営が怪しくなってきたころのことで、会社の権利一切を引き継ぐ手続きをした後、作家としての道を歩み始めるのです。
……その経緯については、ご自身の『人民は弱し 官吏は強し』や、最相葉月さんの労作『あのころの未来 星新一の預言』で、うかがい知ることが出来ます。

ミーハーなファンだったので、お会いした時に、当時購入した缶入りの「ホシ胃腸薬」にサインをお願いをしましたが、今になって思えば、ご自身の心中は穏やかではなかったかもしれません(^_^;)

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星新一氏の祖父は小金井良精という著名な解剖学者、人類学者で、その奥さんが森鷗外の妹、小金井喜美子という家系だということは、あまり知られていません。

タイトルに「署名本」とつけておきながら、本ならぬ缶が登場でした(^_^;) ちょっとしたカン違いということで、ご容赦を。


私のコレクション 星新一(6) 『花とひみつ』(私家版)

2011年09月19日 | 星新一
星新一さんのコレクターにとってだけでなく、イラストレーターの和田誠さんのファン垂涎の本と言えば、この本だと思います。
ここまでくると「病膏肓に入る」と言われてしまいそうです。

『花とひみつ』私家版400部限定本です。
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     縁あって、手元にやってきました。


その標題紙。
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星新一氏にご署名をいただいたのは、ショートショート1001篇を達成なさったときでした。
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和田誠氏にご署名をいただいたのは、それから10年以上経ってからでした。
「星さんのサインは、僕だって持っていないよ」とおっしゃっていました。

和田誠氏の私家版絵本は全部で7冊あります。その全冊を持つことは不可能に近いですが、谷川俊太郎氏との『しりとり』(限定500部)は持っています。

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     標題紙。トリミングしてあります。

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谷川俊太郎氏と和田誠氏両者のご署名をいただいているのですが、私への宛名が入っているので写真は載せません。

この『しりとり』は1997年にいそっぷ社から復刻版が出ています。それはまだ入手可能のようです。

この2冊を含めて、私家版絵本全7冊が復刊ドットコムで、今月末にセット販売(分売不可)されます。
オリジナルではとても持てないけど、手元に置きたい方は、ぜひ予約を! 18900円と、ちょっとお高いですが(^_^;) 
   → http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68319548