最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 気になる雑誌 「書物展望」

2014年04月30日 | 気になる雑誌






雑誌の旧号を集めて、創刊号から揃えるまでに至ったことはありません。
次第に興味が薄れてきたり、面白味の少ない号が続いたりすると、興味が湧いた号だけ買えばいいやと思ったり、好きな作家の作品が掲載されている号だけでいいやと思い始めると、中途半端になっていきます。

新刊書店で出合って定期購読するようになり、さかのぼって創刊号から集め始めた雑誌に「季刊銀花」「版画藝術」「SFマガジン」などがありますが、どれも途中で集めるのを諦めてしまいました。

作品の初出誌を集めるというのも、星新一氏のように作品が多い作家は、とても集めきれないとすぐに挫折しました。ご本人に教えてもらわない限り、企業誌に書いたもの、匿名で書いたものまで、とても集めきれるものではありません。だからといって、著作だったら集められるだろうと思っても、市販されなかった著作もあるので意外にむずかしいのです。

そんな言い訳はさておいて、今日は数多く世に送り出されている「本に関する定期刊行物」について書いてみることにします。
書評が好きというわけではなく、今でいえば「本の雑誌」(本の雑誌社)のように「本の周辺の事」まで含めたものが好みなのです。
「本の雑誌」は手元に創刊号から揃っていました。2号から新刊書店で買っていましたが、創刊号はかなりたってから古本で買った覚えがあります。創刊号は500部しか作らなかったそうですから、限定本並ですね。どこかにまとめてあるはずなのですが、現物が行方不明なので、出てきたら画像を載せます。

以前、3号で終刊になった「書物と装釘」 (昭和5年5月~11月)を紹介しましたが、その流れから生まれたといっても良い「書物展望」(昭和6年7月創刊)を紹介します。手元にあるのは10冊ほどですが、中には表紙に蔵書票の現物が貼ってある号があります。

八木福次郎著『書痴斎藤昌三と書物展望社』(2006年1月 平凡社刊)によると、「書物と装釘」に執筆していた庄司浅水と斎藤昌三、東京堂の岩本和三郎、資本主として佐々木幸四郎、柳田泉の五氏で「書物展望」を創刊したものの、ひとりふたりと去り、5巻8号(昭和10年)からは齋藤昌三ひとりになったようです。


手元には表紙にオリジナル書票が貼ってあるものが2冊あり、古い方は第7巻第1号[通巻67号](昭和12年1月)。この年は丑年。貼付の書票は干支にちなんだもの。


編輯兼発行人は斎藤昌三、発行所は書物展望社となっています。
貼付の書票の作者は山内神斧、蔵書印は硯友社。

目次に名を連ねている三十数名の中で、名前を知っている方だけ挙げると、片山敏彦、土岐善麿、矢野峰人、小塚省治、恩地孝四郎、斎藤昌三ぐらいでした。タイトルで興味をひかれるものは「書物と印刷の話」「むかしばなし」「丑にちなむ蔵書票」「装本現在未来」「昭和拾一年度限定版顧望」「装釘界大観」「装釘匠の夢」。

現在では「装丁」「装幀」と表記されることがほとんどですが、この時代は「釘」の字が使われています。実際に釘を使って綴じていた時期があるために、この字が使われているようですが、使用例を年代で調べると面白そうです。
※ 手元にある「書物展望」の別の号の目次を見ると、昭和7年8月の第2巻第8号に「詩集の装幀」と題した長田恒雄の文章と「歌集の装幀」と題した熊谷武至の文章が載っていました。昭和18年3月の第13巻第3号[通巻141号] には木村荘八の「装幀異変」と題する一文が載っているので、「装釘」や「装幀」という使用する漢字は書き手(版元も)に委ねられていたと言えるのかもしれません。


表紙にオリジナル書票が貼ってあるもののもう1冊は、第12巻第5号[通巻131号](昭和17年5月)。


貼付の書票の作者は池田木一、蔵書印は山縣有朋。斎藤昌三の連載「続銀魚部隊(15)」に、上に出てきた小塚省治が亡くなったことが書かれています。小塚省治は日本蔵書票協会の会長で、40歳を超えたばかりでした。


その2冊より古い号で、蔵書票の特輯が組まれたものがあります。
第5巻第3号[通巻45号](昭和10年3月)。


オリジナル作品の貼付はありませんが、特輯記事は16本あって、壽岳文章、田中敬、斎藤昌三、織田一磨、恩地孝四郎、式場隆三郎、さとうよねじろう、中田一男、小塚省治などが蔵書票について語っています。









私のコレクション 最終回文庫の書票

2014年04月30日 | 書票 蔵書票
見出しは大野隆司作の最終回文庫の書票(蔵書票)






手元の書物誌のうち、どれかを取り上げて紹介しようと思いながら、それがどういう歴史的背景のある雑誌なのかもわからずに書くのは、ちょっと無謀だということに気づきました。
書物誌の歴史を紐解くにはあまりにも奥が深く、断片的な知識しかないので、一誌ずつ、わずかな側面を紹介することでお茶を濁そうと……。
そう思って、オリジナルの版画作品が貼付されている「書物展望」から始めようとして眺めていました。
そうしたら、「最終回文庫」の会報にオリジナル作品を貼りたいと、いろいろ計画していた時期があったことを思い出しました。


こんなイメージだったんです。
「書物展望」第15巻第2号(復刊2号 昭和23年)表紙には木版の書票が貼り込んであります。



何人かの作家に書票作成を依頼したことは覚えていましたが、書票をまとめてある箱を開いてみると……4点出てきました。 
その4点を紹介します。


水谷 昇雅さんの作品は、前に最終回文庫で出した書票集として紹介したことがあります。
(お名前の表記は、当時「水谷 昇昌」でした)



関根 寿雄さんの作品。



見出しに載せた作品の作者は大野 隆司さん。



原 美明さんの作品。(私の名前も入っているため、部分修正してあります)



しかし、書票を貼り込んだ会報を実際に発行することはありませんでした。









私のコレクション 気になる雑誌 「詩世紀」(3)

2014年04月21日 | 赤江瀑






以前買い求めた「詩世紀」のバラが所在が不明になっていたのですが、捜索の結果、段ボール箱から出てきました。
その何冊かを紹介します。(作品名は旧漢字が使われていることが多いため、表記通りになっていないことがあります)


「詩世紀」48号。表紙


その目次。掲載作品は「古典のうづ」



49号表紙。


その目次。掲載作品は「觀念にみる不穩な話」


50号表紙。


その目次。掲載作品は「悲戀 <では 夜のガスパールと云う奴は…>」



56号表紙。


その目次。掲載作品は「卒塔婆センチメンタリズム」



70号に作品の掲載はありません。(画像略)


74号表紙。


その目次。掲載作品は「星月夜の悪にまぎれて」



99号表紙。作品の掲載はありません。



100号表紙。表紙に棟方志功、目次カットは利根山光人と豪華です。


その目次。掲載作品は「ディステンパーの犬」


この雑誌も「当初の使命を果たした」と、100号(昭和35年8月)が終刊号になっています。


これまで3回にわたり、手元にある「詩世紀」における長谷川敬の名で発表した詩作のタイトルを紹介してきましたが、ここにまとめておきます。

21号 「断崖」
22号  掲載なし
23号  掲載なし
24号 「假睡」
25号 「蒼い死の仮面 ―シューベルトの小夜曲に―」
26号 「主題を「男色」にとる挿話」
29号 「奈落の水」
31号 「超の抒情」
48号 「古典のうづ」
49号 「觀念にみる不穩な話」
50号 「悲戀 <では 夜のガスパールと云う奴は…>」
56号 「卒塔婆センチメンタリズム」
70号  掲載なし
74号 「星月夜の悪にまぎれて」
99号  掲載なし
100号 「ディステンパーの犬」










私のコレクション  『詩世紀詩集 1955年版』 (限定300部) 追記

2014年04月07日 | 赤江瀑




私のコレクション 赤江瀑(2) で書いたこと以上に新たな発見は無いのですが、同人誌「詩世紀」数冊が入っていた段ボール箱をようやく見つけたので、発行当時、この本に関する記述があるのではないかと……。


「詩世紀」56号の表2(表紙の裏)の広告。



限定300部とも、特製版があるという説明もありません。


謎は深まるばかり……。








私のコレクション 赤江瀑関連資料

2014年04月06日 | 赤江瀑






1991年にモーリス・ベジャール演出・振付による「ニジンスキー 神の道化」公演は8月16日の東京公演を皮切りに、大阪、京都、名古屋、熊本、福岡、東京、富山、秋田、仙台と巡り、10/6の北海道を最後とする38回に及びました。演じたのはジョルジュ・ドン、シーペ・リンコフスキー。
といっても、そのときのプログラムにそう書いてあるだけで、バレエのことは全くわかりません。


見出しに掲げたその時のパンフレットはA4判より少し大きいので両サイドが切れています。




このパンフレットに赤江瀑氏が「魔法の禱り」と題した一文を寄せています。





対向ページにはジョルジュ・ドンの姿が。肖像権も著作権もあるので、モザイクをかけてます。


私のコレクション 気になる雑誌 「詩世紀」(2)

2014年04月01日 | 赤江瀑



赤江瀑氏が本名の長谷川敬で詩作を発表していた同人誌「詩世紀」の21号から26号、29号について調べることが出来ました。

1952年3月号(21号)蒲原有明哀悼號





断崖 という15行の作品が掲載されています。


1952年4月号(22号)には作品の掲載はありません。



「波沈子」による前號寸評があり、その最後に 「断崖」長谷川敬に刮目する。 とありますが、毎号、前號寸評が載っているかというとそうではなく、前號寸評が載っている号はほとんどありません。


1952年5月号(23号)に作品の掲載はありません。




1952年6月号(24号)




假睡 と題した作品が載っています。










1952年7月号(25号) 表紙は24号となっていますが、25号の誤植です。


谷川俊太郎の「朝・留守」と題した詩が掲載されています。当時、『二十億光年の孤獨』を出版したばかりの新人でした。



目次には作者名しか載っていませんが、
 蒼い死の仮面―シューベルトの小夜曲に―  と題した作品が載っています。


1952年8、9月合併号(26号)



主題を「男色」にとる挿話 と題した作品が掲載されています。



目次にルビはありませんが、作品の掲載ページでは、主題には「テーマ」、挿話には「エピソード」とルビがついています。


1953年1月号(29号)





奈落の水 と題した作品が掲載されています。