最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

「銅版画の詩人 追悼 深沢幸雄展」 於:山梨県立美術館 ~会期終了~

2018年09月17日 | 深沢幸雄






ご招待をいただき、山梨県立美術館開館40周年記念 「銅版画の詩人 追悼 深沢幸雄展」のオープニング・セレモニーに日帰りで行ってきました。
千葉駅を朝6時38分に発車する「あずさ3号」に乗車。


平日なのにけっこうお客さんが多く、新宿駅からはさらにたくさんの人が乗って来て、席がなくて立つ人も。
「本日、指定席は完売しております」という放送があり、立川、八王子と、降りる人、乗ってくる人と、入れ替わりはあるものの満席状態が続き、大月を過ぎてようやく空席が目立つようになりました。


千葉から2時間半で甲府駅に到着。

平日にもかかわらず行きの指定席が満席だったので、帰りの指定券を取っておいた方が良かろうと券売機で指定券を買い、20分ほど待ってバスに乗り、目的地到着は10時。
山梨県立美術館は山梨県立文学館とともに芸術の森公園にありました。



公園内で虫撮りが出来るかとカメラを用意したけれど、「芸術の森」と呼ぶには森らしさは無く、手入れされた公園で、しかもバスを降りた時点で、歩き回ることを放棄したくなるような暑さ!! 

県立美術館と向かい合う山梨県立文学館に避難しました。


65歳以上は県外者でも常設展は無料! 美術館の常設展も無料で見られるチケットまでいただき、山梨県関連の文学者の紹介を見ながらクールダウン。


雲が多く、公園内からの富士山はかろうじて見える程度。



山梨県立美術館は「ミレーの美術館」として《種をまく人》《落ち穂拾い、夏》を始めとするミレー作品約70点を収蔵してその一部が常設展で展示され、バルビゾン派の作品や県ゆかりの作家の作品が並んでいました。深沢幸雄展のオープニング・セレモニー開始までは時間があったので、ゆっくり観ることが出来ました。

2時から講堂で深沢幸雄展のセレモニーがおこなわれ、会場前でテープカットの後、会場の中にいざなわれました。
展示は第1章「文学青年、銅版画家の道へ」、第2章「メキシコとの出会い」、第3章「詩画集と古代世界」、第4章「中南米へのさらなる旅」、第5章「人間を描き続けて」、第6章「多彩な表現」の全部で6つのパートで構成され、作品だけではなく、残されたノートやスケッチ・ブックなどの資料のほか、交流があった方たちからの書簡類など、興味深いものが並べられていました。

深沢幸雄作品が好きな方は必見の展覧会です。


あらためて開催日程など。
会期:平成30年9月1日~10月8日
(休館日:9/18、9/25、10/1)
開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
入館料:一般1000円、大学生500円(高校生以下と県内65歳以上
(要 健康保険証提示)は無料)



     ~会期終了しました~


深沢幸雄展のご案内 於:山梨県立美術館 ~会期終了~

2018年08月23日 | 深沢幸雄


     ~会期終了しました~

山梨県立美術館開館40周年記念 深沢幸雄展 
会期:平成30年9月1日~10月8日
(休館日:9/3、9/10、9/18、9/25、10/1)
開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時半まで)
入館料:一般1000円、大学生500円(高校生以下と県内65歳以上
(要 健康保険証提示)は無料)










前日の午後3時からオープニング・セレモニーがあり、ご招待いただきました。




私のコレクション オリジナルのワインラベル

2017年11月18日 | 深沢幸雄





10年も前の2007年10月、山梨県立美術館で
深沢幸雄—いのちの根源を謳う—」という展覧会が開かれました。
会期が始まる前夜にオープニングセレモニーが開かれ、
招待していただきました。




パーティーのテーブルにはワインが用意されていました。ワインは飲むと頭痛がしてくるので敬遠していたお酒でしたが、その時に飲んだ甲州ワインはとても美味しかったです。

そのワインボトルには、深沢さんのオリジナルラベルが貼ってありました。

     


宴が終わり、空になったワインのビンをいただいてきたのは言うまでもありません。









展覧会のご案内 追悼 深沢幸雄の歩み ~会期終了~

2017年11月10日 | 深沢幸雄


   ~会期は終了しました~


千葉県立美術館で追悼 深沢幸雄の歩み展が開催されています。




平成29年10月28日(土)~平成30年1月14日(日)
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
開館時間:9時~16時30分
入場料:一般300円、高校・大学生150円 65歳以上は無料








 市原湖畔美術館でも、「深沢幸雄追悼展(仮称)」が開催予定です。
 これまでここで紹介した私のコレクションの一部が展示されるかも。
 会期:来年1月6日(土)~2月12日(月)
 

『波』 川路柳紅 詩集 限定10部本と490部本 *深沢幸雄装画

2017年09月12日 | 深沢幸雄





川路柳紅の詩集『波』(昭和32年2月5日発行 西東社発行)は限定500部で、そのうち10部は厚手の用紙で印刷され、深沢幸雄さんの銅版画一葉が入っています。両方手に入ったので、前の記事を改訂します。

   限定10部本の「表紙」





   限定10部本の「奥付」





   限定10部本の「目次」



  「装幀及び装」とあるのは、
  「装画」の「画」の旧字体「畫」の誤植のようですね。


   限定10部本の銅版画の署名部分。
 



   計算すると限定490部となる本の「表紙」



   60年前の出版ですが、薄い紙に印刷された帯が残っていました。

限定10部本とは、表紙と本文紙がまったく違うのと、「奥付」の色が付いた和紙に「特」と書かれた検印紙のような紙片の貼付がないこと以外は誤植部分を含めて同じです。














*追悼* 深沢幸雄さんの色紙と書 

2017年08月31日 | 深沢幸雄





ネットオークションで見つけた深沢幸雄さんの色紙が手元に届いたので、額に入れました。
     

書かれているのは『梁塵秘抄』の中の一節で、1997年の年末に同じ一節を大書したものをお送りいただいていました。
     
表装せずに、お送りいただいたときのまま紙筒に入れありましたが、今回、取り出してみました。


丁寧なお手紙も添えてありました。




深沢さんもこの一節がお好きだったのか、好まれてお書きになっているようです。私が好きだと言ったことが切っ掛けだったなら、それはとても嬉しいことです。

深沢幸雄さんは今年1月に92歳でお亡くなりになりましたが、
私の人生の中で「師」と呼べる数少ない方のおひとりです。






深沢幸雄さんの年賀状

2017年03月22日 | 深沢幸雄





これまでに深沢幸雄さんの年賀状を、私宛にいただいたもの、古書店、古書展等で入手したものを何度かに分けて紹介してきましたが、時系列に並べてみようと思います。


*一番古いものは1959年の肉筆で、某詩人に宛てたものでした。




*次が1963年、1959年と同じ某詩人に宛てたもの。




*1968年。




*1970年は3種類もあります。うち2通は某詩人宛です。






*1972年




*1979年。私宛にいただいた最初の年賀状。
「春」と「'79」は肉筆、絵柄は銅版画。

この年以降は私宛にいただいたものです。



*1980年。印刷。




*1981年。「春」「'81」は木版?。絵柄はエンボス。




*1982年。「春」「'82」は木版?。絵柄はエンボス。




*1983年。「春 YF.」「一九八三年」は木版?。絵柄は銅版画。




*1985年。「春 YF」は木版?。丑の絵柄は木版?絵柄は+エンボス。 




*1988年は喪中(お母さま)。

*1992年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*1994年。カラー写真印刷、金文字サイン「幸」は肉筆。




*1995年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サイン「幸」は肉筆。




*1997年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サインは肉筆。




*2001年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サイン「幸」は肉筆。




*2002年。カラー写真印刷、金文字サイン「幸 '02」は肉筆。




*2003年。カラー写真印刷、金文字サイン「春」は肉筆。




*2004年は喪中(奥さま)。

*2006年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*2007年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*2008年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2009年。カラー写真印刷、銀文字サインは肉筆。

写真は氏が考案した、メゾチント技法の際に銅板に細かな筋を付けるベルソー(目立て)という作業を電動でおこなってくれる機械(「チンタラ一世」と名前が付けられている)を擬人化して、頭と手も付けられていました。


*2010年は喪中(お兄さま)。

*2013年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2014年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2015年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2016年。カラー写真印刷、白文字イニシャルサインは肉筆。




*そして最後となった2017年。白文字イニシャルサインは肉筆。




何年か抜けている年があるので、どこか別の場所にしまってあるかもしれません。
見つけたら記事を更新します。

前にアップした「深沢幸雄」「年賀状」のいくつかの断片的な記事は、削除しました。










追憶 深沢幸雄さん *記憶の曖昧さ

2017年03月13日 | 深沢幸雄





昭和53年8月10日の消印がある、私の住所氏名が記されたゴム印が宛先になっている返信用の封筒。
中には銅版画家 深沢幸雄さんからいただいた最初のお手紙が入っています。





話は作家 星新一さんのお宅を緊張して訪問した時にさかのぼります。


玄関に入って最初に目に留まったのは、壁に掛かった大きな版画作品でした。どこかで見たことがある……



大きさは違えど、ハヤカワ文庫版 星新一『宇宙のあいさつ』の表紙と同じものでした。

その時は誰と一緒に伺い、星さんとどんな話をしたのか、まったく覚えていませんが、もっていった著書にサインをしていただき、ずうずうしくも玄関に掛かっている版画作品の作者宛に、紹介状代わりに星さんの名刺に一筆書いていただき、版画の作者名とご住所まで教えていただいたのです。
帰宅後、すぐに手紙を書き、折り返しいただいたのがこのお手紙です。
後日、県内のご自宅に車で伺い、額装していただいた「星の門」を手にしたのです。

———と、記憶していたのですが、どうもそうではないようで…………。

この時の星さんの紹介状代わりの名刺は、大事な宝物でもあったので、訳を言って返していただいたはずと探していた時に、ファイルしてあった星さんからのお手紙を見たら、かなりの部分が思い違いだったことがわかりました。

深沢さんのご住所を星さんに教えていただいたのは、ご自宅に伺った時ではなく、星コンと呼ばれていたファンとの集いがあった後でした。

星さんの肉筆原稿を紹介した過去記事で、肉筆原稿をプレゼントしていただいたときのことを書きましたが、原稿に添えられたお手紙に深沢さんのご住所が書いてありました。

———ということは、星さんのご自宅にお伺いしたのは、ファンとの集いの打ち合わせのためで、ファンクラブの会長ほか数人が一緒で、そのときは玄関の壁に飾られた、ハヤカワ文庫の表紙になっていた大きな版画、作者名も作品名も知らずに、ただ「同じものが欲しい!」と思ったようです。
そしてファンの集いの時に星さんに名刺に一筆書いていただき、深沢さんの連絡先はあとで教えていただいたというのが事実でした。記憶を訂正しないといけないですね。

その名刺がこれ。




ともあれ、このときから深沢さんにはご厚誼をいただくようになり、個展のご案内をいただいたり、折々にお手紙をいただいたり、探してほしいと頼まれた詩集を見つけて、お送りしたこともありました。

蔵書票というものを説明した上で、星さんの銅版画の蔵書票を作っていただき、そのあとで自分の蔵書票も3点、作っていただきました。

ある時は和紙の巻紙に、『梁塵秘抄』に載っている歌を墨書したものをお送りいただきました。
軸装しようと思いつつも、まだそのままにしてあります。
 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ 
 遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ



最初は星新一さんの本のジャケットになった銅版画作品を切っ掛けに知り合ったわけですが、不思議なご縁がありました。

深沢さんの経歴の中で、1963年に外務省所属の機関からメキシコで銅版画技法の指導を依頼され、3か月間メキシコシティに赴いたことがあります。そのときから画風が大きく変わりました。
ある時、そのメキシコでの経験についての講演会を聞きに行ったところ、そのメキシコ行きには助手として画家のI氏が同行したという話をなさいました。
私が編集部に異動して前任者から引継いた仕事の一つに、画家のI氏が名画を模写しながら絵の魅力について語るという企画がありました。打ち合わせをして何点か模写が進行していたときに、行倒れ状態で突然お亡くなり、企画が頓挫したという不幸な出来事がありました。
奇しくも私が企画を進めていたI氏と、深沢さんの助手としてメキシコに同道したI氏とは同一人物だったのです。
講演会後、そのことを深沢さんにお話したら、離婚後、身寄りがなかったI氏の葬儀では、僕が葬儀委員長をつとめたんだよとおっしゃっていました。


深沢さんは銅版画のほか、書、陶芸、ガラス絵など、多彩な才能を発揮した方でした。

そういえば、深沢さん作の盃がどこかにあったはずと探すと、棚の奥に木箱がありました。




箱の蓋



箱と蓋裏





勿体なくて、まだ一度も使ったことがありません。



ご厚誼をいただくようになってから40年近くが経ちます。
記憶の曖昧さが加速度を増してきたので、断片的にせよ、思い出すことを書き留めておかないといけないですね。




額とマットは取り換えたものの、今も我が家の玄関に「星の門」を飾っています。







追悼 深沢幸雄さん *過去の展覧会の案内状

2017年01月07日 | 深沢幸雄
いくつかまとまっていた深沢幸雄さんが過去にひらいた展覧会の案内状の一部分を、古い順に紹介します。まだまだたくさん取ってあったはずなので、それが見つかったらまた紹介します。




1993年11月8日~11月20日 番町画廊 
  「深沢幸雄 新作銅版画展」








   1998年5月18日~5月30日 番町画廊 
  「深沢幸雄詩版画集展」 中原中也「汚れつちまつた悲しみに……」








   2000年1月15日~23日 サンプラザ市原2階プラザホール 
  「深沢幸雄展 —半世紀の歩み—」








   2000年9月18日~9月30日 番町画廊 
  「深沢幸雄 新作銅版画展」








   2001年4月14日~28日 番町画廊 
  「深沢幸雄ガラス絵展」









   2010年6月5日~7月11日 岡山県笠岡市立竹喬美術館 
  「銅版画の名手 深沢幸雄の軌跡」








   2010年7月31日~8月29日 東大阪市民美術センター 
  「銅版画の名手 深沢幸雄の軌跡」








   2016年5月28日~7月18日 佐倉市立美術館(過去記事でご案内しました)
  「深沢幸雄—銅版画の魅力」
  地元、千葉での展覧会で、自筆(コピー)のお手紙が添えられていました。






出身地の山梨県立美術館でも2007年に大きな展覧会が開かれ、
会期前日のオープニングセレモニーに招待されて出向いたこともあり、
それらの案内状も、お手紙などと一緒に保管してあるはずです。



お通夜に参列するので、開始時間の18時に合わせて予約投稿しておきます。













収蔵作品展 深沢幸雄―銅版画の魅力 ~会期終了~

2016年06月22日 | 深沢幸雄


          ~ 会期は終了しました ~

場所:佐倉市立美術館  http://www.city.sakura.lg.jp/sakura/museum/
会期:2016年5月28日~7月18日(休館日:月曜日 最終日は開館)
開館時間:10時~18時 
入館料:無料
駐車場:近くに佐倉市駐車場(無料)






浜口陽三、池田満寿夫、清原啓子の作品も、あわせて展示されています。 



佐倉市立美術館の近くには他にも美術館、博物館があります。
☆「塚本美術館」 http://www.city.sakura.lg.jp/0000000650.html (休館日:土曜日・日曜日・月曜日、祝日、年末年始 ※祝日でない第3土曜日は開館 入館料:無料)※佐倉出身の実業家、塚本素山(つかもとそざん)氏のコレクションをもとに設立された日本刀専門の美術館

☆「国立歴史民俗博物館」 http://www.rekihaku.ac.jp/  (休館日:毎週月曜日)


私のコレクション 深澤幸雄著『現代版画の視点 深澤幸雄の版画対談』

2013年02月13日 | 深沢幸雄





昨年米寿をお迎えになられた深澤幸雄さんの新刊著書を紹介します。

季刊誌「版画芸術」(阿部出版)に1988年から掲載されてきた「版画対談」(全15回)に2回分の新連載を加え1冊に纏めたものだそうです。
対談のお相手は、畦地梅太郎、萩原英雄、笹島喜平、清宮質文、北岡文雄、品川工、利根山光人、小林ドンゲ、吹田文明、岡本省吾、栗山茂、堀井英男、高橋力雄、浜田知明、渡辺達正、相笠昌義と錚々たる顔ぶれです。



対談の他にそれぞれの方の作品がカラーで紹介されています。故人となられた方も11人いらっしゃるそうです。
2013年1月20日 阿部出版株式会社/発行 定価2500円+税

深澤さんから、私ごときにもお送りいただきました。ありがたいことです。

AMAZONでのご購入は こちら 。



















私のコレクション 深沢幸雄銅版書票集 (限定1部)

2012年07月11日 | 深沢幸雄




銅版画家の深沢幸雄さんに作成していただいた銅版書票(蔵書票)8点を収めた自作、手作りの1部本です。

表紙。マーブル紙はティニ・ミウラ女史の作品。革は爬虫類系ですが、なんだかわかりません(^_^;)
     


その見返し。深沢さんにご署名をいただきました。
     


個人の書票ということは、依頼主のお名前が入っているわけですから、全部アップするのはいろいろと差し障りがあります。


故人の有名人ということで、前にも紹介した星新一さんの作家活動25周年を記念して制作を依頼した作品です。
     


深沢幸雄さんにとっての初めての書票作品です。



深沢さんがカタログレゾネをお作りになるときに、書票作品が全部集めてあったので役立ちました。