最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション *庄野潤三さん 84歳の時の肉筆原稿

2017年10月21日 | 肉筆原稿





庄野潤三さんがある機関誌に執筆した原稿を手に入れました。

その書き出し部分。原稿用紙に鉛筆書きです。



脳内出血で倒れ、左半身が不自由になった後ですから、原稿を書くのも大変だったのではないかと思います。


  機関誌の同じ部分。



職業意識が芽生えて、原稿と読み比べてみたら、1ヶ所誤植を見つけてしまいました。赤の傍線を入れた部分、原稿をごらんいただくとおわかりですが、「丘の上」ではなく「山の上」ですね。







単行本に収録されるときに、機関誌に印刷されたものを元原稿にしてしまうと、違ったままになってしまいます。







甲斐信枝さんとの思い出

2017年10月18日 | 気になる作家/画家

昨年11月にNHKで放送された「足元の小宇宙 絵本作家と見つける生命のドラマ」をご覧になった方も多かったのではないでしょうか。今年4月には「足元の小宇宙Ⅱ 絵本作家と見つける“雑草”生命のドラマ」が放映されました。そこに登場していたのが絵本作家の甲斐信枝さんです。

甲斐さんの代表作のひとつに『雑草のくらし』という絵本がありますが、私と甲斐さんのお付き合いが始まったのが、その本が出版された時でした。

   


その本を担当した編集者に、自分の趣味――牧製本の社長さんのお宅に週1通って、手製本の手ほどきを受けていること――を話したことがあり、この本が出来るときに何部か表紙を替えたものを作れないかと相談されました。デザイン等は全部任せるからというので、3冊だったか5冊分の刷り出し(表裏を印刷しただけのシート)を預かって、折り、帳合(ページ順に並べる)を取って、糸でかがり、仕上げ立ち(本の大きさに合わせて端を裁断する)して、クロスを貼ったボードを表紙にして、1冊ずつデザインが違うものを作り上げました。判型が大きいこともあって、なかなかうまくゆかず、不出来だと思われたものも含めて「こんな程度にしかできなかった」と担当者に渡しました。

表紙のデザインのうち、丸の部分はいろいろな革をポンチで丸く打ち抜き、クロスを貼った後の表紙も同じ大きさのポンチでクロス部分を打ち抜いてそこに革を埋め込みました。曲線は革をカッターで細く切って、表紙のクロスもその形に合わせてカッターで切り取り、埋め込んであります。当時、会社にファクシミリといって原稿を回転させて読み取り、ガリ版印刷と同じ方式で原紙を作れる機械があったので、タイトル文字を読み取らせて、シルクスクリーンの原理で表紙に緑と白のアクリル絵具を使い、少しずつずらして印字しました。

   


背のタイトルは、廃棄されていた和文タイプ活字の文字盤からタイトル文字を拾い出して、熱を加えて製本用のホットペン用の色箔を使って箔押ししました。

     


会社は幼稚園の卒園記念などに本に文字を箔押しするため、箔押し業者と深いつながりがあったのですが、業者には頼らず、自分の力だけで仕上げました。

後日、甲斐さんは、自分では一番良くできたと思った1冊に私宛のサインを入れてプレゼントしてくださいました。不出来な中でも一番良くできたと思うものは、当然、甲斐さんの手元に残るものと思っていたのが、なんと、自分の手元に帰ってきてしまったのです。

   

本が出版されたのは昭和60(1985)年で、当時はまだ編集部に籍を置いておらず、甲斐さんにお目にかかったこともなかったのです。

時が過ぎ、編集部員になってから、他の担当者の取材にくっついて京都に行き、初対面を果たしたあとは何度もお目にかかりました。けれども退社するまでの間、甲斐さんの本の編集を担当したことは一度もなかったのです。

それなのに、年に何度か電話で話したり、互いにどうしているのかと気になったころに、どちらかから手紙が届いたりという不思議なつながりが未だに続いているのです。

【2021年12月 追記】
この話を電話でご本人とする機会があり、作ったのは3冊だったということが確認できました。私は一番よく出来たと思ったものが自分の手元に帰ってきてしまい「こりゃ参ったな」と思ったと言うと、「あの時は、いちばん出来の良いのを製作者に返さなければ」と思われたそうで、「今だったら、そうは思わないわねぇ」とおっしゃっていました(笑