最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 気になる装幀者 *田村義也さん(1)

2014年06月24日 | 気になる装幀者




最初に取り上げるのは、旺文社文庫版の内田百閒(うちだひゃくけん)作品。このシリーズは1979~1990年にかけて39冊が刊行され、すべて田村義也さんが装幀しています。

全冊揃えているわけではないので、手持ちの表紙を並べます。














内田百閒は夏目漱石門下のひとりで、最後の門下生として1971年に亡くなりました。
生涯において単行本が何冊出たのか把握していませんが、随筆を読んでいると、借金をしにあちこちに行っている感があります。

単行本とは別に全集や作品集が出ていたはずだと、記憶をたどると……古書展で函がヤケて茶色くなっている端本をときどき見かけたのは、版画荘版『全輯百閒随筆』(全6巻 1936~1937年)。全集は講談社版『内田百閒全集』(全10巻 1971~1973年)と、福武書店版『新輯内田百閒全集』(全33巻 1986~1989年)がありました。

……と書きながら、そういえば、六興出版からシリーズで出ていたことを思い出しました。
漏れがあるかもしれませんが、1980~1984年に刊行されました。
『サラサーテの盤』『青炎抄 内田百閒創作全輯』『たらちをの記』『内田百閒短編全輯』『大貧帳』『定本阿房列車 全』『居候匆々』『比良の虹』『狐の裁判』『王様の背中 絵入りお伽噺』『猫の耳の秋風』『鬼苑乗物帖』『定本 阿房列車』『阿房列車の車輪の音』『阿房の鳥飼』『贋作 吾輩ハ猫デアル』『百鬼園言行録』。
ずいぶんたくさん出ていたんですね。

文庫判で出たのは……
新潮文庫から『百鬼園随筆』『第一阿房列車』『第二阿房列車』『第三阿房列車』
中公文庫から『御馳走帖』『ノラや』
岩波文庫から『冥途・旅順入城式』『東京日記』……。
福武文庫から1990年~1994年にかけて出た30冊の装幀は、田村義也さんが手がけていました。
ちくま文庫の「内田百閒集成」シリーズもありました。『百鬼園写真帖』を入れて2002~2004年の間に24巻が刊行されました。

旺文社文庫に戻って……
39巻の完結を記念して発行されたのが『百鬼園寫眞帖』(1984年)。
サイズは文庫本ではなく、単行本です。


ジャケットを見ると、画題は「鬼の三味線引図」と呼ばれる、大津絵の中でも人気の高い絵柄です。この版画、誕生した頃は庶民のものだったのが、かなり早い時期から日本国内にとどまらず、コレクションの対象になっていったようです。その大津絵を素材にして、コピーで拡大縮小、濃淡の強弱をつけながら作業を繰り返し、ホワイトで修正を加えてスミの版下を作り、そこに色指定をして入稿原稿を作っていったのだと思います。
 
「店頭ではっきり書名が読めなければならない」というのが持論で、どのジャケットを見ても、まず書名が目に飛び込んできます。この書体も選んだ写植の書体から扁平率を変えたり、線を書き加えたり削ったりしながら作り上げていくのです。写植をベースにせずに、ご自身の書き文字という場合もあったに違いありません。

帯は装幀者にとっては表紙のデザインが一部分隠れてしまうので、やっかいな存在に違いありません。しかし営業的に見れば、いかに内容が素晴らしいかをアピールするためのものでもあります。

帯を外した状態。


帯がかけられることを前提にデザインされていることが分かります。
帯は破れてはずれてしまうこともあるので、帯が無くても間が抜けないように考えられているのです。

しばらく田村義也装幀本を紹介することにしますので、お付き合いください。

国会図書館の蔵書検索で調べましたが、巻数に誤りがあるかもしれません。お気づきの点はご指摘ください。


   












私のコレクション 気になる雑誌 「孔版」

2014年06月08日 | コレクション





「孔版」と言うより「ガリ版」と言ったほうが、ある年代から上の方々にはなじみがあると思いますが、「孔版」が版画技法のひとつの名称で使われることがあるのに対して、「ガリ版」は死語に近いのではないでしょうか。

ヤスリの上に蝋紙を置き、鉄筆で一字一字書いて完成させたものを謄写版にセットし、インクを付けたローラーを転がして、一枚一枚印刷する方法は学校教育の現場で教師の配布物、児童生徒の文集、遠足の歌集など、ごく当たり前のもので、いくら上手に印刷しても指はインクで真っ黒になるのが常でした。

一枚一枚おこなう手刷りだったものが、そのうちに手回しの輪転機、さらには電動のものが出現して印刷時間が格段に短縮されるようになりました。
印刷する原理は同じでも、印刷したい原稿を光学的に読み取り、回転する胴に蝋紙に相当するシートを装着して版下を作り、高速印刷する機械が勤務先に導入されたときは、画期的だと思いました。

一方、家庭でも同じ原理の印刷機を簡単に使えるようにしたのが、プリントゴッコでした。年賀状といえばプリントゴッコというぐらい、毎年作りましたねぇ。ところがワープロが出現して、家庭でも印刷の真似事が出来るようになり、PCが普及するに至っては、そんな前近代的な印刷機を使う人が激減し、ついには製造中止に追い込まれてしまいました。

今や家庭で印刷するのは当たり前。3Dプリンターで拳銃を作ることだって可能なんですから。時代は変わりましたねぇ。


前記事『魔法の鳥』の著者、若山八十氏【(やそうじ)1903~1983年】が昭和21(1946)年11月に編集・発行したのが、この「孔版」です。
これは再刊の第1号で、その「あとがき」を見ると、最初の「孔版」は昭和19年8月号の休刊までに24冊発行したそうですが、見たことがありません。

表紙。


目次。



オリジナル作品が3枚収められています。上2枚は貼り込み。
「日本最初の謄写版店之図」


「河童有情」


「イソップ絵話 人間と狐」



升目に綺麗に収まる活字のような字を書きたいと、練習したことを思い出します。











私のコレクション 軽い本

2014年06月07日 | コレクション




軽い本といっても、読んでいても肩が凝らないという意味の内容が軽い本ではなく、この本自体がひじょうに軽いのです。

『魔法の鳥』若山八十氏/著 青園荘(内藤政勝)/刊 
昭和41年6月1日発行 限定180部 内著者本80部 著者署名入り
 

本文用紙はスチロール製のシートに孔版で印刷してあります。
ちなみに本の重さは53g。スチロール製のかぶせ函の重さを加えても65gしかありません。


本文。


奥付。



1985年10月に坂本一敏氏から12,000円で譲り受けたというメモが入っていました。

坂本さんは商売するために必要な古物商の鑑札を取って、古書店「雨亭文庫」として「古書通信」に販売目録を載せていた時期がありました。
1985年と言えば、前に紹介した「雨亭通信」を始めた年でもあるので、お宅にお邪魔したときに譲り受けたか、あるいは「雨亭文庫」の販売目録で購入したのだったか……
う~ん、記憶が定かではありません(^_^;)





私のコレクション 気になる雑誌 「書窓」 特輯号

2014年06月05日 | 気になる雑誌






「書窓」第5巻第4号 通巻28号昭和13(1936)年 アオイ書房発行。



この号は創作蔵書票の特輯で、巻頭に4葉のオリジナル蔵書票が貼ってあります。


アオイ書房蔵票(武井武雄/作)


松村市太郎蔵票(平塚運一/作)


西川満蔵票(逸見享/作)


志茂太郎蔵票(恩地孝四郎/作)



奥付ページを見ると、創刊号から27号までの発行年月と定価の一覧が載っています。
昭和10年4月の創刊号が50銭、号によって定価が変わり、一番高かったのは23号、紙の研究特輯で2円50銭。

オリジナルの書票や和紙の見本を貼り付けた号は、手間がかかる分、定価を変えていたのでしょう。


この「書窓」28号は、1986年12月24日に神保町の田村書店で12000円で購入したというメモが挟んでありました。


※文中、「蔵書票」「蔵票」「書票」と用語が混在しています。使用された使い方そのままに表記したり、現在、多く使われるようになった「書票」と表記したり不統一ですが、同義ですのでご了承ください。