最終回文庫◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されないものがあります。ご容赦ください。

私のコレクション 気になる装幀者*田村義也さん(7)

2017年03月31日 | 気になる装幀者





田村義也さんが装幀した本のつづきです。順不同。


大庭みな子『幽霊達の復活祭』




大江健三郎『同時代と戦後』


大江健三郎『みずからわが涙をぬぐいたまう日』




多田道太郎『ことわざの風景』
 函


 表紙


多田道太郎『文章術』




椎名誠『全日本 食えばわかる図鑑』


椎名誠『インドでわしも考えた』




長部日出雄『醒めて見る夢』




中村きい子『女と刀』
 函


 普及版の表紙


 特装本の表紙




綱淵謙錠『幕末風塵録』



綱淵謙錠『歴史の海 四季の風』




寺久保友哉『蕪村の風影』





高森和子『母の言いぶん』




岡部伊都子『いのち明かり』




高橋揆一郎『悪党のトマト』




柴田道子『ひとすじの光』




高橋喜平『遠野物語考』





最後は田村義也さんと仕事を始めるきっかけになった本。全5巻+索引巻の完結までにほぼ10年を費やしたシリーズ。私の編集生活の大半--というよりは、ほぼすべてでした。その間(準備期間を含めると、もっと)、3人の編集委員が集まる編集委員会にも編集委員以外にこのシリーズに関わった再話、写真、挿絵などを担当した方々と共にご参加いただき、お付き合いいただいた年月はかなり長かったのです。

「いまは昔 むかしは今」第1巻『瓜と龍蛇』




「いまは昔 むかしは今」第2巻『天の橋 地の橋』




「いまは昔 むかしは今」第3巻『鳥獣戯語』




「いまは昔 むかしは今」第4巻『春・夏・秋・冬』




「いまは昔 むかしは今」第5巻『人生の階段』




「いまは昔 むかしは今」別巻『索引』




   田村義也さんの装幀本の紹介は、これでおしまいにします。

田村さんが装幀を手掛けた本は、ほかにもたくさんありますので、興味がわいた方は本を手に取ったら、表紙を開き、見返しをめくり、タイトルページの裏に装幀した人の名前が載っていますので、ちょっと気にしてみてください。装幀者の名前は、目次ページの最後や奥付に入っていることもあります。

本を手にするときは、テーマで選んだり著者で選びますが、ちょっと見方を変えて「装幀者」をキーワードにすると、また違った面白さが垣間見えてくる気がします。







私のコレクション 気になる装幀者*田村義也さん(6)

2017年03月29日 | 気になる装幀者





田村義也さんが装幀した本のつづきです。順不同です。

李恢成『流民伝』





矢島翠『ラ・ジャポネーズ』





野村進『海の果ての祖国』





本多勝一『中国の旅』





浜畑賢吉『ぼっけもん走る』





飯尾憲士『静かな自裁』





田村明『ヨコハマ物語』





藤本義一『いいたい放題』





八木義徳『夕虹』





金石範『往生異聞』


金石範『司祭なき祭り』





三浦清宏『長男の出家』





金達寿『対馬まで』





稲垣史生『考証 江戸を歩く』





吉本隆明『源氏物語論』




  次の記事「田村義也さん(7)」につづきます。







私のコレクション 気になる装幀者*田村義也さん(5)著者 北方謙三

2017年03月27日 | 気になる装幀者




北方謙三さんの著者はけっこう集めていて、署名が入ったものもたくさん持っていたのですが、東日本大震災の後に被災地の図書ボランティア団体に寄贈してしまったので、ほとんど残っていません。

『望郷』



『傷痕』



『牙』




*北方謙三さんの思い出*

星新一さんがショートショート1001編という偉業を達成された後、池袋西武デパートで達成記念のイベントが開催され、私のコレクション全点を展示したことがありました。そのときに出版社の営業担当者と知り合い、後日、神田神保町の東京堂書店で星新一さんのサイン会があるというお知らせをいただきました。
当時、勤め先が神保町にほど近い所にあったので、仕事を終えてからサイン会の会場に行きました。
サイン会が終った後、星新一さんと一緒に食事をするので、一緒にどうですかというお誘いをいただいたのです。担当者に連れられて行ったお店は、生ビールが美味しいことで有名な洋食屋でした。
席に着くと、星さんのテーブルに挨拶に見えた方がいました。それが北方謙三さんでした。
星さんは北方謙三さんをご存じなかったようで、北方さんが席に戻った後で「今の方はどなたですか?」と出版社の担当者に聞いていたのが印象に残っているだけで、何を話して、何を食べたのかまったく覚えていません (-_-;)

   次の記事につづきます。

私のコレクション 気になる装幀者*田村義也さん(4)著者 安岡章太郎

2017年03月25日 | 気になる装幀者




前(2014年)に、田村義也さんの装幀本の記事を3つ載せた時に、ほかの装幀本をまとめて紹介しようと思っていたのですが、そのままにしていたのがずっと気になっていました。

  ※過去記事はこちら「私のコレクション 気になる装幀者 *田村義也さん」から始まる3つです。



その時にも書きましたが、田村さんと知り合ったのは、装幀の仕事をお願いしにお宅に伺ったのが最初でした。岩波書店で岩波新書の編集や雑誌「文学」の編集長をなさっていたことは後から知りました。
仕事場の壁に貼り付けてある進行中のさまざまな著者の装幀デザインを目にし、出来上がった本が並ぶ書棚を見て、装幀の奥の深さを実感しました。田村義也さんを知れば知るほど、その魅力に惹かれていきました。

書店、古書店巡りが好きなので、自然と「田村義也装幀本」が手元に集まってきました。その中から紹介していきます。

所蔵本の中でいちばん数が多いのは安岡章太郎さんの著書の装幀です。
所蔵本からの紹介なので、偏りがあると思いますがご容赦ください。順不同です。



『歳々年々』



『言葉のなかの旅』



『私説 聊斎志異』
 函


 表紙



『放屁抄』



『酒屋へ三里 豆腐屋へ二里』



『僕の昭和史』Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、対談









『流離譚』上・下




『僕の東京地図』



   次の記事につづきます。


 

画家 三芳悌吉さんの年賀状

2017年03月24日 | 気になる作家/画家




画家 三芳悌吉さんが亡くなられたのは平成12(2000)年9月10日。ご自分の生い立ちを描いた『砂丘物語』 Ⅰ、Ⅱを平成8(1996)年に刊行して、Ⅲに取り掛かっていたさなかのことでした。

『砂丘物語』は、大正時代、幼少期を過ごした新潟の庶民の暮らしを活写した画文集で、最終巻のⅢで、画家を目指すことになる切っ掛けとなる人との運命の出会いの場面にさしかかるというところでした。

     


装幀は田村義也さんで、次のⅢのタイトル書体、タイトル部分の色も決まっていました。
田村義也さんも鬼籍に入られました。タイトルの指定が書かれたものは、ご遺族のご了解をいただいて、思い出の品として手元に置いてあります。

今回紹介する三芳悌吉さんの年賀状は、購入した5点と私宛のものが3点です。
購入したものは、直木賞・芥川賞の候補にもなったことがある方に宛てたものです。

一番古いものは2円切手が貼ってあり、消印は判読できないませんが絵柄は寅のようですから昭和25(1950)年。




昭和45(1970)年。





昭和57(1982)年。





昭和58(1983)年。





昭和64(1989)年。





以下の3枚は私宛。
平成3(1991)年。






平成5(1993)年。





平成6(1994)年。








深沢幸雄さんの年賀状

2017年03月22日 | 深沢幸雄





これまでに深沢幸雄さんの年賀状を、私宛にいただいたもの、古書店、古書展等で入手したものを何度かに分けて紹介してきましたが、時系列に並べてみようと思います。


*一番古いものは1959年の肉筆で、某詩人に宛てたものでした。




*次が1963年、1959年と同じ某詩人に宛てたもの。




*1968年。




*1970年は3種類もあります。うち2通は某詩人宛です。






*1972年




*1979年。私宛にいただいた最初の年賀状。
「春」と「'79」は肉筆、絵柄は銅版画。

この年以降は私宛にいただいたものです。



*1980年。印刷。




*1981年。「春」「'81」は木版?。絵柄はエンボス。




*1982年。「春」「'82」は木版?。絵柄はエンボス。




*1983年。「春 YF.」「一九八三年」は木版?。絵柄は銅版画。




*1985年。「春 YF」は木版?。丑の絵柄は木版?絵柄は+エンボス。 




*1988年は喪中(お母さま)。

*1992年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*1994年。カラー写真印刷、金文字サイン「幸」は肉筆。




*1995年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サイン「幸」は肉筆。




*1997年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サインは肉筆。




*2001年。カラー写真印刷、絵柄の金文字サイン「幸」は肉筆。




*2002年。カラー写真印刷、金文字サイン「幸 '02」は肉筆。




*2003年。カラー写真印刷、金文字サイン「春」は肉筆。




*2004年は喪中(奥さま)。

*2006年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*2007年。カラー写真印刷、金文字サインは肉筆。




*2008年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2009年。カラー写真印刷、銀文字サインは肉筆。

写真は氏が考案した、メゾチント技法の際に銅板に細かな筋を付けるベルソー(目立て)という作業を電動でおこなってくれる機械(「チンタラ一世」と名前が付けられている)を擬人化して、頭と手も付けられていました。


*2010年は喪中(お兄さま)。

*2013年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2014年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2015年。カラー写真印刷、金文字イニシャルサインは肉筆。




*2016年。カラー写真印刷、白文字イニシャルサインは肉筆。




*そして最後となった2017年。白文字イニシャルサインは肉筆。




何年か抜けている年があるので、どこか別の場所にしまってあるかもしれません。
見つけたら記事を更新します。

前にアップした「深沢幸雄」「年賀状」のいくつかの断片的な記事は、削除しました。










梶山俊夫さんからの年賀状 1991年~2008年

2017年03月15日 | 気になる作家/画家




2015年6月に亡くなられた画家梶山俊夫さんからいただいた年賀状。
過去記事2つをまとめて、年賀状をいただいた年の順に並べ替えました。
画像のサイズが揃っていませんが、ご容赦ください。





いちばん古いのは平成3(1991)年でした。この年の干支は「未🐏」。

  




平成4(1992)年。この年の干支は「申🐵」。

  




平成5(1993)年。この年の干支は「酉🐓」。

  




平成6(1994)年。この年の干支は「戌🐶」。

  




平成7(1995)年。この年の干支は「亥🐗」。

  




平成9(1997)年。この年の干支は「丑🐄」。

  




平成10(1998)年。この年の干支は「寅🐯」。

  




平成13(2001)年。この年の干支は「巳🐍」。

  




平成14(2002)年。この年の干支は「午🐎」。

  




平成15(2003)年。この年の干支は「未🐏」。

  




平成16(2004)年。この年の干支は「申🐵」。

  




平成17(2005)年。この年の干支は「酉🐓」。

  




平成19(2007)年。この年の干支は「亥🐗」。

  




平成20(2008)年。この年の干支は「子🐀」。

  


   卯🐇と辰🐉の年が無く、十二支が全部揃ってはいません。





梶山俊夫さんからの年賀状の記事を一つにまとめましたので、過去記事は削除します。












追憶 深沢幸雄さん *記憶の曖昧さ

2017年03月13日 | 深沢幸雄





昭和53年8月10日の消印がある、私の住所氏名が記されたゴム印が宛先になっている返信用の封筒。
中には銅版画家 深沢幸雄さんからいただいた最初のお手紙が入っています。





話は作家 星新一さんのお宅を緊張して訪問した時にさかのぼります。


玄関に入って最初に目に留まったのは、壁に掛かった大きな版画作品でした。どこかで見たことがある……



大きさは違えど、ハヤカワ文庫版 星新一『宇宙のあいさつ』の表紙と同じものでした。

その時は誰と一緒に伺い、星さんとどんな話をしたのか、まったく覚えていませんが、もっていった著書にサインをしていただき、ずうずうしくも玄関に掛かっている版画作品の作者宛に、紹介状代わりに星さんの名刺に一筆書いていただき、版画の作者名とご住所まで教えていただいたのです。
帰宅後、すぐに手紙を書き、折り返しいただいたのがこのお手紙です。
後日、県内のご自宅に車で伺い、額装していただいた「星の門」を手にしたのです。

———と、記憶していたのですが、どうもそうではないようで…………。

この時の星さんの紹介状代わりの名刺は、大事な宝物でもあったので、訳を言って返していただいたはずと探していた時に、ファイルしてあった星さんからのお手紙を見たら、かなりの部分が思い違いだったことがわかりました。

深沢さんのご住所を星さんに教えていただいたのは、ご自宅に伺った時ではなく、星コンと呼ばれていたファンとの集いがあった後でした。

星さんの肉筆原稿を紹介した過去記事で、肉筆原稿をプレゼントしていただいたときのことを書きましたが、原稿に添えられたお手紙に深沢さんのご住所が書いてありました。

———ということは、星さんのご自宅にお伺いしたのは、ファンとの集いの打ち合わせのためで、ファンクラブの会長ほか数人が一緒で、そのときは玄関の壁に飾られた、ハヤカワ文庫の表紙になっていた大きな版画、作者名も作品名も知らずに、ただ「同じものが欲しい!」と思ったようです。
そしてファンの集いの時に星さんに名刺に一筆書いていただき、深沢さんの連絡先はあとで教えていただいたというのが事実でした。記憶を訂正しないといけないですね。

その名刺がこれ。




ともあれ、このときから深沢さんにはご厚誼をいただくようになり、個展のご案内をいただいたり、折々にお手紙をいただいたり、探してほしいと頼まれた詩集を見つけて、お送りしたこともありました。

蔵書票というものを説明した上で、星さんの銅版画の蔵書票を作っていただき、そのあとで自分の蔵書票も3点、作っていただきました。

ある時は和紙の巻紙に、『梁塵秘抄』に載っている歌を墨書したものをお送りいただきました。
軸装しようと思いつつも、まだそのままにしてあります。
 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけむ 
 遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ



最初は星新一さんの本のジャケットになった銅版画作品を切っ掛けに知り合ったわけですが、不思議なご縁がありました。

深沢さんの経歴の中で、1963年に外務省所属の機関からメキシコで銅版画技法の指導を依頼され、3か月間メキシコシティに赴いたことがあります。そのときから画風が大きく変わりました。
ある時、そのメキシコでの経験についての講演会を聞きに行ったところ、そのメキシコ行きには助手として画家のI氏が同行したという話をなさいました。
私が編集部に異動して前任者から引継いた仕事の一つに、画家のI氏が名画を模写しながら絵の魅力について語るという企画がありました。打ち合わせをして何点か模写が進行していたときに、行倒れ状態で突然お亡くなり、企画が頓挫したという不幸な出来事がありました。
奇しくも私が企画を進めていたI氏と、深沢さんの助手としてメキシコに同道したI氏とは同一人物だったのです。
講演会後、そのことを深沢さんにお話したら、離婚後、身寄りがなかったI氏の葬儀では、僕が葬儀委員長をつとめたんだよとおっしゃっていました。


深沢さんは銅版画のほか、書、陶芸、ガラス絵など、多彩な才能を発揮した方でした。

そういえば、深沢さん作の盃がどこかにあったはずと探すと、棚の奥に木箱がありました。




箱の蓋



箱と蓋裏





勿体なくて、まだ一度も使ったことがありません。



ご厚誼をいただくようになってから40年近くが経ちます。
記憶の曖昧さが加速度を増してきたので、断片的にせよ、思い出すことを書き留めておかないといけないですね。




額とマットは取り換えたものの、今も我が家の玄関に「星の門」を飾っています。







【展覧会のご案内】井上洋介没後1周年 大誕生会 ~会期終了~

2017年03月03日 | 気になる作家/画家


     ~会期は終了しました~




井上洋介さんが亡くなられてから、1年が過ぎました。

3月3日から12日まで、新宿大京町にあるアートコンプレックスセンターで
「井上洋介没後1周年 大誕生会」が開かれています。
6日月曜日は休み。入場料600円が必要です。