サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

神さま狂いの友達がいました

2015-04-18 00:00:06 | 日記
ポニョ:この前、ブリンダヴァンで行われたヤグナに行って来たけれど、とても面白かったぜよ。最初、ヴァーダを唱念する時にたくさんの僧達が一度に唱え始めるので、音がバラバラなんや。でも、しばらくすると一番大きな声で唱念している僧の音にみんなが合わして行くようになって行くんや。

ヨシオ:最初に、この音で始めますよと言って、音叉とか何かで音合わせをしてから始めればええやないか。

ポニョ:おいらもそう思ったぜよ。面白かったのは、やっと、バラバラな音が揃い不協和音が無くなったって思っていたら、違う章に入った途端に、別の僧がまたもっと大きな声を出して違う音で始めるんや。それでみんなはまた、その僧の音に合わせて唱え始めないといけないんや。だからルッドラム一つ唱えるのに、いろいろ途中で音階が変わるんでめちゃ面白いぜよ。

ヨシオ:最初は不協和音やけれど、途中で自然に調和されて一つになって行くんやな。ええやないの、それって。でも、ババはヴェーダを唱える音は、その寺院に据え付けてある鐘の音に合わさなければならないって言っておられた講話を読んだ事があるな。

ポニョ:でも、寺院でないところやったら鐘が無いから難しいぜよ。

ヨシオ:そうやろな。でも、ポニョが事前にこの音で始めてくださいと言って、音叉か何かで音を取って皆に示せばええやろ。

ポニョ:おいらの問題じゃないぜよ。でも、おいらの育った家は血液型がO型ばかりで、何か家族で相談事やら揉め事があると、最後にはいつも必ず一番大きな声の人が勝つんや。それぞれの僧達が大きな声で、違う音階で最初唱念を始めた時、おいらは昔、自分の家族の中で言い争いしたことを思い出したぜよ。だから一番大きな声の人がヴェーダの唱念をリードされた時、それを思い出してお腹を抱えて笑ってしまったぜよ。

ヨシオ:ヤグナでそんなに笑っている人ってポニョだけやろ。それにインド人はO型が多いからな。ポニョの家族のような人がたくさん住んでいるんやろな。

ポニョ:おいらもそう思ったぜよ。だからおいらにとって居心地がええんやろな。もうしっかりとインドにはまってしまったぜよ。

ヨシオ:それより、もうすぐしたらババの四周忌やな。俺は遅くとも四周忌までにババが再降臨されるやろなと思っていたけれど、まだもうちょっと先のような感じやな。

ポニョ:四回忌か。来週に迫ったな。ババの再降臨が遅くなるほど、再降臨されてからのババの地球での滞在期間が短くなるから、早く出てきて欲しいよな。だって、2022年やったっけ。ババの96歳の降誕祭は。その年がババがこの地球に滞在される最後の年になるもんな。

ヨシオ:そうやな。インドでは数え年でとしを数えるからな。再降臨が早ければ早いほど、この世に長く滞在されることになるから、一日でも早く来て欲しいよな。

ポニョ:とは言っても、人々が心の底から神様を求める様にならないと、戻って来られないぜよ。何か世界にドンと人々が頭を打つような事が起こらないと無理やぜよ。誰もこの世界に、星やんのように神様を求めて泣く様な人はいないもんな。

ヨシオ:星やんは、神の恩寵を得るには、神様を求めて泣かないといけないんや。小さい赤子のように母親を探し求めて泣けるようにならないといけないんや。といつも言ってたな。

ポニョ:ババが四年前に肉体を脱ぎさられた時、おいらは、ババ特有の神様のお遊びが始まったと思って笑ってしまったけれど、でも肉体のババを暫く見れないと思うと、寂しくなって泣いてしまったぜよ。

ヨシオ:それとこれとちょっと話が違うやろ。星やんは、真の帰依者は神様をいつも心の中に持っていて、その神様の声を自身の良心の囁きとして聞ける人、いつも落ち着いていて、この世は幻と知っているので何があっても動揺せず、涙一つ流さない人って言うけれど、でもそうじゃないんや。本当は、例えそのように良心の囁きを常に聞ける人であっても、いつも心の中の神様と交流出来る聖者のような人であっても、神様を求めて泣ける人でなければならないんや。と言っていたな。

ポニョ:例え、そのような自らの心の内におられる神様の声を聞くことが出来、神様と交流出来る人であっても、その交流は常に永遠に続くわけでは無いもんな。一時的なもんやぜよ。

ヨシオ:それに、そういう神と交流出来た人っていうのは、神の甘露を味わった人で、一度その神の甘さを味わえば、世俗の楽しみなどは全て二義的なものに思えてくるんや。だから、常にその神の甘露を味わいたいという欲求が出て来るんや。でもそれが出来ないので、星やんの様に神を求めて人一倍泣いてしまうんや。

ポニョ:つまり、こういうことやな。神様と心の交流が出来る人は、別に神様を求めて赤子のようにビービーと泣かなくなるんじゃなくて、逆に神様の甘露の甘さを知っている分、それを知らない人より泣いてしまうっていうことなんやな。

ヨシオ:そういうことや。だから、星やんの持っているババの写真から金色のヴィブティが吹き出た時に、ババはゴールドの帰依心を持っている帰依者には、ゴールドのヴィブティが出るって言われたんや。

ポニョ:つまり、神さんから見たら、常に神さんを求めて心から泣ける帰依者が一番の帰依者ってわけやな。確かに、星やんの帰依心は尋常なものではなかったよな。おいらの知っている限り、そんな帰依の心を持っている人って誰も周りにいないな。本当に最高の帰依者やったな。だから、ババに呼ばれて早死にしたんや。

ヨシオ:あいつがまだ生きていたら、あいつのホンマもんの帰依心から、たくさんの人々が学ぶことが出来たのにな。

ポニョ:ババは、人が死んでも、次の生にそれまで培った帰依心を持って行くことができるって言っておられたけれど、本当に前世から持って来たものって大きいよな。

ヨシオ:人は、帰依心を培うのには、神様からの恩寵をたくさんもらえば培える。星やんの様にたくさんインタビューをもらったり、ババからいろんな物をプレゼントされたりすれば、ああいう帰依心を持てるなんて言っているけれど、実際は、帰依心があるからあの様な恩寵を得ることが出来るんや。帰依心が最初で、恩寵が次にやって来るんや。逆じゃない。

ポニョ:でも、どうやって帰依の心を培うことが出来るんやろうか?

ヨシオ:もちろん、自分が思っている事と、言っている事、そしてやっている事が一つにならないといけないっていうのが基本やけれど、俺がこのブログでいつも言っている様に、全ての人や生きとし生けるものの中に神様を見るってとても大切なんや。そうすれば自分が接する全ての人や生き物に親切に対応出来るし、愛を持って人生を生きて行くことができる。誰に対しても嘘をつかなくなるし、傷つけることもなくなる。このように、全てのものの中に神様を見て人生を歩んで行けば、否応なく神様への帰依心が湧いてくるんや。


帰依の道から学ぶことで何よりも大切なのは、神を愛するだけで無く、生きとし生けるものすべてを愛すること、どの人も神様だと信じて接することです。
神をあがめながら人を傷つけているようでは、神を信じる心を持っているとはいえません。SGc3


ポニョ:そら、神に帰依しますと言っておいて、周りの人を傷つけていたらホンマの神の帰依者ではないよな。

ヨシオ:だから、最初は全ての中に愛そのものである神を見て、自分の中に埋れてしまっている愛を出来るだけ毎日の生活の中で顕現さすんや。

ポニョ:顕現さすって、つまりわかりやすく言えば、毎日の生活を愛で送りましょうってことやな。そうすれば帰依の心も湧いてくるってことなんや。そう言えば、星やんは愛がいっぱいで優しかったな。他人の心の中のほんの少しのエゴや嫌悪、嫉妬の心が見えたり感じただけで、めちゃ落ち込んでいたな。僕はこの世に生まれて一番辛いことは、エゴや欲望を持っている人と一緒に仕事をしたりすることです。って言ってたな。

ヨシオ:めちゃ繊細な奴やったな。そういう人の悪い心が読めて、自分が傷つくってところは、ババにとても似てるよな。星やんのように愛がいっぱいで、全てに愛を捧げれる様な霊的な段階まで行ったら、ほとんど神の化身と変わらんな。


思いのすべてに愛を込めてください。
そうすれば自然に心に真理が現れます。
すべての行為に愛を込めてください。
そうすればどんな行為にも自然に正義が現れます。
気持ちのすべてに愛を込めてください。
そうなれば、限りない平安を味わえます。
理解のすべてに愛を込めてください。
そうすれば誰をもにくむことも無く傷つけることも無いでしょう。
愛は心の平安を支えています。
愛は真理の生まれるところです。
愛は正義と非暴力のよりどころです。
だからババはいつも「愛は神であり、神は愛だ」と。
帰依の道の教えで何より大切なのは愛を育み実践することです。
愛を実践すれば広く大きな心を持つことになるでしょう。
そうやって内にある偉大なものを磨いていくのです。SGc8

ポニョ:あいつは毎日、おいら達と一緒に行動していたけれど、いつも口を開けば神様の話やもんな。それで、話が途切れると、いつも持ち歩いているカバンからタンバリンを出して来てバジャンを歌うんや。

ヨシオ:俺は、第一回サイババ全国大会が神戸で催された時に日本に戻ったんが日本に行った最後の旅やったけれど、その時に、星やんと比良山や琵琶湖や宇治の方を俺の友人を訪ねて一緒に車で行ったことがあるんや。最後は宇治の黄檗山で精進料理を食べたな。そう言えば、あいつ車に乗っている間中バジャンを歌っていたな。バジャンが終われば大きな法螺貝をカバンから出して来て、アラチをしながら耳のそばで吹きまくるんや。うるさいのなんのって、鼓膜が破れそうやったな。

ポニョ:星やんのカバンの中には、例の金のヴィブティが吹き出しているババの写真もあったな。その写真を祭壇に置き、バジャンをすると、写真がみるみるヴィブティで覆われるんや。しかもガラスと写真の間にヴィブティが出て来るから、ヴィブティの勢いに押されてガラスが割れたこともあったぜよ。

ヨシオ:そんな事もあったな。星やんがオーストラリアに来た時も、一日中一緒に行動したけれど、俺の人生でこれほど深く魂の交流が出来た人間はいなかったな。二人で一日中一緒に居ててもとても、快適で心が休まるんや。俺は、別に話すことなんて何もないけれど、あいつはサービス精神が旺盛やから、一人でいろいろと話してくれるんや。早死して惜しい事をしたな。

ポニョ:おいらは、葬式へ行ったぜよ。たくさん古い帰依者が来てたな。心の深いところで交流出来た良い友達やったんやけれどな。

ヨシオ:ババへ帰依する心がお互い深ければ深いほど、心の奥深くまで他の人と交流することが出来るんや。だって、俺たちは、その人は本当は他人ではなく、自分自身やってことがお互い知っているんや。

ポニョ:それって、本当に深いところで交わっていなければ経験出来ないし、言えない言葉やぜよ。そういう英知は、帰依の心が成熟しないと出て来ないんやろな。

ヨシオ:帰依心は霊的な段階で言えば、最初の段階なんや。その次が英知で、最後に全てが神だと分かって、自分の体も含めて、この世の何事にも執着しなくなる段階に入るんや。

帰依と、英知と、無執着は、霊的進歩を表す三つの段階です。
帰依とは、小学生の段階で、人を高校生の段階である神聖な英知へと導きます。
英知によってすべてのものがブラフマン、神と認識できるようになり、無執着の態度が確立されるのです。
それはアートマの教育においては、大学の段階といえるでしょう。サイラムニュースNo,99/2004

身体に対する執着を取り除きなさい。
聖典は、人とは神に帰依する者とあります。
帰依するとは何を意味するのでしょうか?
自分は身体であるという感覚から脱し、神を思うことです。
帰依するというのは、あなたの価値のない肉体や永遠のものでない財産を神に捧げることではないのです。
そのようなものを捧げても何の意味もないのです。SS4月96p96

追っかけは危ないで

2015-04-17 00:00:52 | 日記
ポニョ:昨日の記事は、少し将来を先取りしたような事を偉そうに書いてたけど、その頃にはおいら達はもうこの世にいないやろな。おいらは、神の神殿にいるようやし。

ヨシオ:あの世でポニョを尋ねようと思ったら神の神殿に行けば会えるんやな。

ポニョ:そこでおいらは多分、来客の食事係かなんかに任命されて忙しくしているやろな。

ヨシオ:ポニョっぽくってええやないの。神殿を訪れるのが楽しみやな。俺は多分飛ぶのんが好きやから、綺麗どころを集めた天女さんと一緒に神の神殿の空からの警備を担当しようかな?

ポニョそれって、不公平やないか。なんでおいらが食事担当で、あんたが綺麗どころと一緒に空をふわふわ飛んでる警備係なんや。

ヨシオ:綺麗どころっていうのは、うちの嫁さんの事やんか。

ポニョ:まあそれやったら許したるわ。やっぱりおいらは食べもんの近くに居てるのが合ってるな。ところで、昨日紹介し損ねたサイの学生さんの話やけど、名前も忘れたやんか。ええと…。

ヨシオ:マユールさんやろ。このあと、マユールさんはホワイトフィールドの学校を卒業して、ババから直接呼ばれてバンガロールにある大学に行きなさいと言われたんや。というのもホワイトフィールドの学校はまだその当時、大学として認められていなかったんや。

ポニョ:でも、バンガロールにある大学に入ろうとしたら、ババの学校と違っていろいろと金もかかるんと違うのか。

ヨシオ:そうやねん。それで、その指示をババがマユールさんにされた時に、ババはこの金を入学金の一部に使いなさいと言われて手を出されたら、その手に札束が現れたんや。

ポニョ:いきなりか。くるくる回さんとか?それって驚くよな。手からいきなり金が出て来たら。
ヨシオ:以前も記事にしたけど、イタリアの首相の息子がババのことを信じていなくて、インタビュールームに呼ばれた時も、わざと一番後ろに座り、その間ババがいろんな物を同じグループの人たちに物質化されているのを見ていても、ババが本当の神さんやったら、手をくるくる回さんでも、俺の欲しい腕時計を出せるやろ。と思った瞬間に、腕時計が自分の手首に出現したので、驚いて泣いたって話をしたよな。そのように、ババは別に手をくるくる回したりしなくても何でも出せるんや。俺がインタビューに呼ばれた時も、手のひらを上に向け、その手のひらの真ん中から銀のシルディババの像がニョキニョキとタケノコが生えて来るように出て来たな。

ポニョ:でも、それが出来るんやったら、どうして手をくるくる回したりされるんや。

ヨシオ:手をくるくる回したら、手品っぽく見えるやろ。ババの事を疑っている人たちに、ババがやっている奇跡は、やれ手品や、とかマジックや、とか言える機会を与えておられるんや。そうすれば、嘘を信じた人たちはババの元にやって来ないからな。

ポニョ:つまり、霊的レベルを落としたくないんや。量より質って事なんやな。いつも人をテストをされるババらしいな。シヴァラトリの時も、昔は逆さ向けにしたツボをカスツーリさんに持たせて、そのツボの中を下から手を入れてツボをかき混ぜる様にしたら、たくさんヴィブティが出て来てシルディババの像がヴィブティで埋まっていたよな。

ヨシオ:そうそう、それを見て、ある人たちはこのマジックはカスツーリの袖からパイプを通してツボからヴィブティを出してるんや。とか言っていたな。

ポニョ:そのように、わざとトリックをしているように見せかけられるんやな。

ヨシオ:まあ、人を試すのがババの趣味やから仕方がないけどな。マユールさんの話に戻るけど、無事バンガロールの大学を卒業した後、プッタパルティのカレッジで教えなさい。とゴーカク副学長に頼まれたんや。でも実はババがゴーカク副学長を通じて頼まれたんや。というのもマユールさんはとてもホワイトフィールドのカレッジに執着していて、離れたくなかったんや。それで、ババが直接プッタパルティに行けと言うとマユールさんを傷つけるので、ゴーカクさんを通じて言われたんや。でもマユールさんはそれでも僕は嫌だ。ババから離れるのは嫌だ。と言ってだだをこねたんや。というのも、その頃ババはホワイトフィールドのカレッジの方によく顔を出されていたんや。それで、仕方が無いから直接ババがマユールさんを呼んでプッタパルティに行ってくれるか?と頼まれたんやけど、マユールさんは、それでもだだをこねて嫌だ。あなたから離れてプッタパルティに行きたくないと言ったら、ババはそれは執着心だから神である私のいう事を聞きなさいと言われて、こんな話をされた。全てを捨てて森に行き苦行をしていた苦行者が、ある時いつもの岩に座って瞑想しようとしたら、誰かがもうそこに座っていたので、そこは自分がいつも座って瞑想するところだから、そこをあけてくれと怒って言ったんや。君もこの苦行者と同じやないか。岩がホワイトフィールドで、それに執着してはいかん。と説得されたので仕方なくプッタパルティに行くことになったんや。

ポニョ:ババにだだをこねるって、聞いたことがないな。でも、ババがきちんと例を出して説得されたんや。そうか全てを捨てて苦行に励んでいる修行者でも執着心はあるんやな。身体は森にあれども、心は街にあるって奴やな。心のコントロールか。簡単ではないよな。

ヨシオ:人によって違うけど、普通の人は瞑想の時に揺れ動く心をコントロールするのは難しいやろな。マユールさんも、クンダリーニヨーガの本を読んで瞑想をしようと思ってるけど、心がさまようので、ババにどうすれば良いか聞いたんや。するとババは、子供がお母さんの手から抜け出したので捕まえようとして、子供を追いかけてもすばしっこくてなかなか捕まえることは出来ない。逆に、お母さんが子供を無視してじっとしていると、子供はお母さんが追いかけて来ないので退屈になってお母さんの元に戻ってくる。心もそれと一緒だ。と言われたんや。

ポニョ:そうか。心がさまよっている時に、それを無理に連れ戻そうとせず、無関心さを装えば自然に心はさまようのを止めるんか。そう言えば、ババは心をハンカチに例えて、ハンカチを持っているより放す方が簡単だ。と言っておられたよな。

ヨシオ:ババは、マユールさんに君は私と二人っきりの時の事を思い出しなさい。私が君にヴィブティをあげたり、私にパダナマスカ御足に触れる事をさせてあげたことを思い出しなさい。そしてそのシーンを心に浮かべるのです。そういう修行を毎日続けてして行けば、きっと私にいつか融合出来るようになる。と言われたんや。

ポニョ:そういう風にババからアドバイスをもらえてラッキーな人やな。

ヨシオ:マユールさんはババに、それをトライしてみますと言うと、ババはトライしてもドライになるだけだ。言われたことをやれば良いのだ。と言われたんや。

ポニョ:トライはドライになるって、つまりやってみます、ではダメで、必ずやります。と言わないといけないんやな。

ヨシオ:ババは人々がダルシャンに出る事がどれだけ意義があるのか分かっていない。と言っておられる。つまり、ババが神の化身として肉体をとって人々の間を歩き回るのを見れるというのは、何十年も森の中で修行を積んでやっと一瞬の間だけ神のヴィジョンを見るよりラッキーな事なんや。と言っておられる。「サイババと精神科医」という本を記されたサムさんは、ある時、車から降りてババと二人で通りを歩く機会があったんや。夕方遅かったのですれ違う車もババと気付かなかったんや。ババはサムさんに、今こうして君が私と二人で歩いている情景を心に刻むのです。君は、その事がどれくらい君の霊的進歩にとって良いのかまだ分かっていないけれど。と言われたんや。

ポニョ:つまり、ダルシャンに出たり、インタビューに呼ばれたりした時に、ババを見たりババと会話をしたりすることが、その人の想念の中に刻まれて、その情景が心に永遠に残るってことなんやな。

ヨシオ:だから、俺が瞑想中、ババとハグしてババと一つになる事をイメージしていたら、ババが夢に出て来られて、なんという素晴らしい瞑想の仕方だ。と言って褒めて下さったんや。

ポニョ:だから、大事なことは、自分の心の鏡にババを映し出し、それをいつでも思い起こせるようにして、瞑想をするって事なんやな。

ヨシオ:そして、それを続けて行けば自然とババと一体化出来るようになるんや。ある時、ババがコダイカナルに続くクネクネした山道を車で登っておられた時に、後ろから二人乗りのモーターバイクが追いかけて来たんや。ババと一緒にいた同乗者は、なんてあんな無謀な運転をするんや、あのバイクの若者は。きっと不良に違いないとか言ってたら、ババは彼らはそんな人達ではないと言われたんや。すると急カーブのところでそのバイクが転倒したんや。ババと一緒の同乗者は、それ見たことか。危ない危ないと思っていたらやっぱりひっくり返りよった。と言ってたら、ババが車を停めさせて、転倒したバイクの二人に駆け寄り、大丈夫かいと聞かれたんや。すると血を流して倒れたまま、その二人はババの御足に触れながら、僕たちのバイクが転倒したおかげで、今こうして神様を見ることが出来たばかりでなく、神様と話すことも出来、そして、その御足にも触れる事が出来ました。人としてこの世に生を受け、これ以上一体何を求めることがあるでしょうか?と言ったんや。

誰であれスワミの教えを完全な不動の信念で実践するものは、一瞬において神の直接のヴィジョンを得ることが出来ます。31/7/96
あなたにゆるぎない信仰と帰依があり、重ねてしっかりとした純粋なハートを持っていれば、あなたは神を自分の前に出現させることができます。22/7/02
神の御姿を完全に心の中でイメージしてそこに心をそそぎ込むようにすべきです。
神の御姿が、外界に見られる時、それは条件付き二元論です。
心の中で見れる時、それは条件付き一元論です。
神の御姿が、アートマに吸収された時、それは不二一元論となります。
外界で見れる神の御姿は、まず第一に心に吸収されて、次に魂に吸収されなければなりません。自分で選んだ神のイメージに集中して、他に心を揺らすべきではありません。
心を御姿の型に流し込むことによって、心が神の御姿になるのです。CWSSBJp117
愛を込めて神の御名を唱えなさい。
神は人の姿を愛します。
それだからこそ、化身は人間の姿をとって降臨しました。
人として守るべき本分の道を歩んでいるならば、あなたは神のヴィジョンを体験することが出来ます。SS8/89



インドの夏は暑いんど

2015-04-16 00:00:14 | 日記

ヨシオ:息子が面白い記事があるって紹介してくれた。これは、闘牛士のアルバノ ムネラさんが牛と闘っている時に、牛の優しさに触れて闘う気力を無くし、座り込んでしまったんや。それを見て牛が優しく気遣っているんや。写真もある。

ポニョ:ほんまや。なが~い角を持ってるなこの牛。もう既に、背中に何本か剣で刺されているやないの。

ヨシオ:これが、このプロの闘牛士であるムネラさんの最後の闘牛やったんや。

ポニョ:ムネラさんは、この牛から何かを感じたんやろな。昔、闘牛士になりたくて子供の時から憧れていた人の生い立ちを描いたスペインのドキュメンタリー映画を見たことがあるけど、闘牛士になるってめちゃ難しいねんで。それに、彼らは地元の英雄なんやで。

ヨシオ:でも、こうして観衆の前で膝を曲げて首を垂れて、闘う意思を無くしてしまったら、もう闘牛士としての生命は断たれたのも同然やな。

ポニョ:この牛も自分を殺そうとしている闘牛士を、気遣って近づいて来てるやないの。よっぽど優しい牛やったんやろな。プロの牛殺しの心を変えたんやから。

ヨシオ:ババは、愛より強いものはこの世界に存在していない。と言っておられる。今世界をぶっ壊そうと暗躍している輩もいてるけど、俺たちが出来るだけ毎日の生活の中で、自分達の周りから愛を広げて行けば、きっといつか世界が平和になる。

ポニョ:近い将来、ババが再降臨されて、地球の大掃除をされるけど、それを待たずとも、おいら達は、おいら達が出来る範囲で愛を広めていかなあかんよな。

ヨシオ:そういうことや。ババは私の生き様が私のメッセージだと言っておられるけど、俺たちも、俺たちの生き様がババのメッセージだと言えるぐらい、ババの教え通り生きていかないかんな。

ポニョ:おいら達の生き様が、ババのメッセージか。それじゃまず最初にしなくてはいけない事は、手をクルクル回して物質化する練習やな。

ヨシオ:アホやなポニョは。何を言ってるんや。

ポニョ:だって、ババはいつも奇跡は私の名刺やって言ってられるから、ババのメッセージを伝えるには、まず最初に名刺を用意せないかんから、奇跡の練習が大切やぜよ。

ヨシオ:はいはい。頑張ってね。ババのメッセージは愛を広げる事なんや。Love All Serve Allや。さっきの牛さんの例でも分かるように、愛があればどんな事でも可能やし、愛を持って立ち向かえば、恐れるものなんてこの世界に何も無くなるんや。

ポニョ:自分を殺そうとしているプロの闘牛士の心を、口が利けない手負いの牛が変えるって本当にすごい話やぜよ。

ヨシオ:感激もんやな。俺もお袋が亡くなる一時間ほど前に、二人で一緒に近くの公園のベンチに座っていたけど、そこでお袋の顔が突然ババの顔に変わって、その慈愛溢れる目でじっと俺の目を覗き込まれた。その目は、今思い出しても鳥肌が立つほどパワフルな愛に満ちた眼差しやったな。目だけでこんなに愛のパワーを人に伝えることが出来るってとても驚いたな。

ポニョ:目は口ほどにものを言う、やな。

ヨシオ:愛の力や。牛にでも、人の心を変えるほどの愛の力があるんやから、人間である俺たちも、毎日の生活を愛を持って送り、俺たちのハートの中におられる神さんの力を顕現させていかなあかんよな。

ポニョ:愛そのものであるババが、その良い例やな。あんたが紹介してくれたいろんなババの愛に満ちた行為は、人の心を変えることが出来るもんな。

ヨシオ:ババと一緒にいると、その一つ一つの言葉や行為が愛で満ち溢れているのがよく分かるんや。学生たちと一緒にバスに乗って旅をされている時も、道中で貧しい人たちを見つけると、バスを停めさせて、自ら下車して、その人たちに言葉をかけられることは珍しい事ではないんや。ウーティに行かれる途中に、道端で貧しい老女が裸足の孫を膝の上に置いて座っていたのを見つけられて、バスを停められ、バスから降りて声をかけに行かれたんや。

お婆ちゃん。この子はあなたの孫さんですか?
はいそうです。
お婆ちゃんは僕の事を知っていますか?
いいえ、あなた様にお目にかかった事は無いです。
そうですか、知らないの。でも、プッタパルティのサイババって聞いたことがあるでしょう。
はいありますよ。聖者さんでしょう。
そう。僕がそのサイババなんです。
あなたがサイババさんなんですか。ありがたい事です。御足に触れさせて頂いてもよろしいですか?もちろん良いですよ。孫さんにこのお菓子を食べさせて下さいね。お婆ちゃんにもこれをプレゼントさせて下さいね。
と言われて、お菓子と大枚のお札を物質化してプレゼントされたんや。お婆ちゃんは、涙を流しながら喜んでおられた。

ポニョ:本当にババは優しいな。愛がいっぱいやな。

ヨシオ:ババは愛の化身って言うやろ。でも、人はババが言われたりする事を誤解することが多いんや。

ポニョ:ババは、人が見れない未来まで先読みして人にアドバイスをされるから、そういうことが起こるんやろうな。

ヨシオ:未来だけではなく、過去も知っておられるからな。だから先日まで連載して来たヴィジャヤサイ君も、他の学生たちから嫉妬される程ババと親しかったけど、他の学生たちはヴィジャヤサイ君の過去生で積んだ良いカルマが、このように神の化身と親しくなるという結果を生み出していることを理解したんや。

ポニョ:みんな若いのに偉いな。そういう風に理解するって、なかなかおいらのように年をとっていても難しいぜよ。

ヨシオ:年をとったら頑固になるし、変なプライドも出来るから余計に難しいかもしれないな。ババのアドバイスで思い出したけど、こんな話もあった。ババはプッタパルティが暑くなる頃に、いつも涼しいホワイトフィールドに行かれるんやけど、プッタパルティのアシュラムにいるある帰依者の人は、ババがホワイトフィールドに行かれている間、ババに許可をもらって自分の故郷に毎年帰るんや。その年もいつものように、ババがホワイトフィールドに行かれるので、直接ババに聞いて、故郷に帰る許可をもらおうとしたら、ババは今年は帰ったらダメだ。ここに滞在しなさい。と言われたんや。その人は、ババがそう言われたらその忠告に従わなければならないって知っているので、その夏は暑いプッタパルティで過ごすことにしたんや。それで、ほとんどの人たちはババと共にホワイトフィールドに行っているので、幾つかの新しい建物を建てる工事人以外は人がいないアシュラムを散歩してたら、突然レンガが落ちて来て頭を直撃したんや。その人は、すぐに病院に運ばれ手当を受けたんや。幸い軽傷だったので三日後に退院出来たんや。その人は、もし郷里に帰っていたらこんな怪我をすることが無かったのに。とババの忠告に従ったことを後悔し始めたんや。でも、翌日の新聞の一面の見出しを見て驚いたんや。というのも、自分が乗るはずだった汽車が故郷の町の近くで事故を起こし、百人近くの乗客が亡くなったんや。その人は、一瞬でもババの忠告を疑ったことを後悔したんや。

ポニョ:頭の怪我は、ババがカルマを取られたんやろうな。でも、神さんへの信仰心が無ければ人生は後悔だらけになるやろな。逆に昨日も言ったように、神さんを信じて、おいら達一人ひとりが神様を幸せにさす行為をすれば、その行為は神さんを通じて世界中の人々を幸せにする力を持っているんやな。世界中の人々がお互いをいたわり合って愛に満ち溢れた世界になるのが、ゴールデンエイジなんや。早くそんな世界にならないかな。待ちきれないぜよ。

ヨシオ:本当やな。全ての人々が神を愛し、お互いを兄弟と呼ぶ日が来るんやもんな。でも、ババと一緒にいる学生たちは、そのような体験をカレッジでもうしているんや。どの学生たちに聞いてもサイカレッジに在籍している時が、人生で一番充実していたと言っている。

ポニョ:神の化身が75%の自分の時間を学生たちのためにさいておられたんやから、そら当たり前やな。

ヨシオ:それだけではなく、テストの時にはもう準備が出来ている学生が、他の学生たちに僕はこの科目は得意やから、教えてあげようか?とか言って助けてくれたり、いつもトップの成績を取っている学生が全然偉そうにせず、謙虚に他の学生たちを助けたり、スポーツをやっている時も昔の中国もそんなスローガンを掲げていたけれど、友好第一、試合第二の精神でするので、とても楽しいと言っていたな。

ポニョ:そういう環境で学んだら、本当の友人関係が出来るやろうな。

ヨシオ:同窓会の活動もとても盛んなんや。面白いのは、同期の学生たちだけではなく、先輩や後輩のことも良くお互いに知っているんや。だから、昨日の記事で日本に留学した三人の学生がお互いによく知っているので、上手くヴェーダを手分けして広めることが出来たんや。

ポニョ:聞いてたら、本当にゴールデンエイジを先取りしてるような学校やな。

ヨシオ:もちろん、学生たちはお互い助け合いもするけれど、ババの恩寵を少しでもたくさん受けたいので、ババの車を見つけたら走って行って追いかけたり、競争をするんや。また、一部の学生がババと個人的に親しくなっているのを見て、嫉妬心が出てくるのは当然や。

ポニョ:でも、神さんを追いかけたり、お互い神さんの事で嫉妬したり、競ったりしてもカルマを作らないって聞いたことがあるな。

ヨシオ:全ての行為を神に捧げれば、カルマを作らないんや。だから神さんの事で競い合うのは良い事なんや。

ポニョ:神さんの事で競い合うと神さんの事をいつも考えたり思ったりするから、頭の中はいつも神さんになるもんな。


人間として生まれた目的は何でしょう?
それは神の愛を体験することです。
神の愛を受け取った人だけが、世界に変革をもたらすことが出来ます。
現代社会は不安と悲しみに満ちています。
どこを見ても悲しみ以外何もありません。
洪水などの自然災害の多くは、大変な惨状を引き起こします。
これらは神によって引き起こされるものではありません。
人間の苦しみの原因はすべて人間にあります。29/10/09
世俗的な愛は彼の執着する心の反映でしかないために、月日が経つに連れてだんだん冷めてくるものなのです。
しかし神の愛は、絶えることなく不変です。
それは、永遠にして神聖、無私のもですが、誰でもこれを理解できるというわけではありません。
人は自分達の欲望が満たされなければ、この愛を誤解し、神を非難さえします。17/7/97

愛に満ちたヴィジョンを持つ人は、全宇宙に絶対実在(ブラフママヤム)が浸透しているのを見ます。
肉眼で世界を見るならば生まれてから死ぬまで世界は惨めの束と見えます。
神への愛は、惨めさから逃れる唯一の道です。
神への愛が無い人は、少なくともこの瞬間から神への愛を培いなさい。4/4/92

欲望とむさぼりを戒め、いつも満ち足りていて、神の愛を受け取ることが出来るように努める。
ただ神様を愛しているだけでは足りません。
どうすれば神様から愛されるか。
どうすれば神の恵みを得られるか。
どうすれば神の愛をじかに得られるか。
それを良く理解せねばなりません。
神は自分のものだと言って泣いたり叫んだりしても何もなりません。
おまえは私のものだと言ってもらうように願うべきです。SGc23



世界が全て愛に見えるメガネが欲しいな

2015-04-15 00:00:42 | 日記
ポニョ:この前は、せっかく乗ってきたのに途中で話が切れたけど、霊力の話題やったな。

ヨシオ:霊力というのは想念の力と結びついているんや。その想いがきれいで純真な心から出てようが、悪い思いから出てようが関係ないんや。霊力ってまるでナイフみたいなもので、お医者が持てばメスとして使われたり、シェフが持てばそれを使ってポニョが好きな美味しい料理を作ってくれる。でも悪意を持った人が使えば悪魔儀式のようなものに使って、人を呪い殺したりすることが出来るんや。

ポニョ:以前も記事にしたけど、ブラックマジックとホワイトマジックの違いやな。バリ島のサヌアという村やったかな、そこでホワイトマジックの行者の元で修行していたオーストラリアの女性が、自分の身体から魂を抜け出している間に、その行者と敵対関係にあるブラックマジックの行者に魂を豚の中に入れられて元の身体に戻って来れなかった話やったな。

ヨシオ:その事件は新聞にも載ったし、結構当時は有名な話やったな。人は誰かを陥れたい時、ブラックマジックの使い手に頼み、マジックをかけられた人は、それを防ごうとしてホワイトマジックの使い手に助けてもらうんや。このように霊力って道具みたいなもんやな。

ポニョ:ヒラニヤカシブも人類きっての霊力の持ち主やったんやろ。だって地球の自転のスピードを変えれたし、北極星まで行くことが出来たんやもんな。

ヨシオ:神さんが創られた創造のドラマでは彼は何度も生まれ変わって、カムサなどの神に敵対する悪役を演じているけれど、本当の彼の仕事は天国に入ってくる魂が、天国に入るのに相応しいかどうかをチェックする天国の門番やったんやで。

ポニョ:ああそうやったんや。だから、それだけのパワーを持ってるんやな。でもなんでそんな素晴らしい仕事をしてたのに悪もんになってるんや。

ヨシオ:ああいう仕事をしていたら、自分も早く神さんのところへ行きたいと思うのが人情やろ。だから神さんが門番に、私の元にたどり着く為に、私の敵になり悪もんの役になって少なく生まれ変わるか、良い人で普通の人生を歩んでたくさん生まれ変わるか、どっちを選択するか聞かれたんや。それで、悪者になっても神さん自身に殺されるんやったら嬉しいです。早くあなたのところに行きたいって言ったんや。

ポニョ:それで、神さんの創られた劇の中で悪もんの役をしてるんか。本当に、この世界は全て神様がお創りになられた劇なんやな。

ヨシオ:だから、この世界は本来は全ては善なんや。全てが愛、愛、愛で出来ている。一見恐ろしい事件や、おぞましい出来事が起こっているように見えるけど、全てはなるべくしてなっている、起こるべくして起こっているんや。

ポニョ:世界が全て愛、愛、愛で出来てるって見るのんて難しいよな。そんなメガネが有ったらええな。いつもかけて歩きたいな。でも最近、久々にあるニュースを聞いてカリが来たんでツイートしたんや。それは、イギリスのモンサントの社員食堂に出入りする業者は遺伝子組み換え食品を提供してはいけないんやて。それにその会社の前CEOは自分の子供にオーガニックミルクを飲ませているけど、モンサントが開発した飼料を食べさせて、二割多くミルクが出ている牛のミルクを飲まさないんやて。腹が立って、こんな世界においら達は住んでいるんや、腹立つ。みんな怒ろうぜ!とかというツイートをしたけど、後で落ち着いてよく考えたら腹立ったらいかんな、クール アンド カームで行こうと思って削除してしもたわ。
でも、ビルゲー出るツや、グロエリの宣伝売女ガガがやってる例のバケツで水をかぶるキャンペーンも、悪魔の洗礼の儀式やろ。ガガが持ってる洗面器はバケツと違って底が丸いやろ。あれは洗礼で使う容器と一緒の形なんや。それにそのキャンペーンで集めた金のほとんどは最終的にその難病を治療する薬を開発している会社に行くんやろ。
その会社は、胎児から採った細胞を使っていろんな薬を開発してる悪魔の会社やで。腹立てへんか?

ヨシオ:ポニョはすぐに感情的になるもんな。俺も熱くなりやすいけど。

ポニョ:話は戻るけど、そういう霊力を得たいがためにドラッグを使うのが一時期流行ったよな。その事も記事にしたっけ。

ヨシオ:ババはそういうのは良くないって言われているな。その事についての過去記事を少し引用してみよか。


ポニョ:霊的体験をするのにドラッグを使ったり、天才ばかりを集めて交わらせて優秀な人類を創るとか、特殊な染色体を持ったものだけで特別なグループを作るとか、そういう血統を持っているものだけで世界を征服するとかは全てイルちゃんが実際やってる事なんや。
ヒットラーのやってた優生学とか聞いたことがあるやろ。そんなことも全て繋がってるんや。
これらは全部、昨日説明した事、つまり霊が肉体や物質世界をコントロールしているという霊的法則の大原則を無視して、それとは反対の、ドラッグとか、血筋とか、染色体とか、松果体とかをなんとかすれば霊的な体験をしたり霊的な力を得ることが出来るという危険な考えと結びついとるんや。
こういう間違った思想を元にして、全く霊的な法則のABCを分かっていないイルちゃんたちが、世界を混乱に陥れているんや。
昔、スタニスラフ・グロフという人がLSDを使って至高体験を得る方法というのを研究し、それに感銘を受けたニューエイジ世代と言われる若者が影響を受け、薬の力を借りて霊的な体験をするということが、一時期ヒッピーなんかを中心に拡まったんや。
インドでもハッシッシのようなドラッグを使って、霊的体験をさそうとするヨギもいてるけれど、これはさっきも言ったように、身体の機能を感覚をマヒさせ、霊体が肉体から出易いようにするだけの話で、霊性修行によってなし得る行為を、薬物によって同じ体験をさそうとするものなんや。
そのため薬物を使えば誰でも肉体から半分抜け出ることが出来るので、霊的体験をしたように感じ、いわゆる至高体験の大安売りになってしまったんや。
ヨシオ:サイババさんは、これらのドラッグを使って得られる霊的体験は良くないと言っておられるよな。というのも霊性修行によって五感をコントロールすれば、自分は肉体ではないということが実感出来る。それは霊性修行における自然のプロセスなんや。

ポニョ:ところが、ドラッグを使って、まだ感覚のコントロールも出来ていない人が、例えば性的欲望の強い人の霊が身体から離れてしまうと、周りにウジャウジャいてる、その人と同じような欲望を持っている霊的レベルの低い霊たちの波動の中に、自分が取り込まれてしまう事になるからとても危険なんやぜよ。

ヨシオ:たとえ、肉体から離れることによって霊界を垣間見れたとしても、その人が持っている低いレベルの欲望を持っている低級な霊がやって来て悪さをされるか利用されるだけやろな。
というのも、そういう欲望をいっぱい持っている低級な霊たちは自分の欲望を満足さそうとして、似たような欲望を持っている人の身体を乗っ取ろうといつもチャンスを伺ってるから。
このような体験は真の霊的体験とは程遠いことなんや。
みんなは間違って霊的能力をつけるということは、テレパシーとか、浮揚力とか、トランスポーテーションとか、予知能力とか、マインドリーディングとかの能力をつける事だと思っているけれど全然違う。本当の霊的体験とは神を体験することなんや。瞑想も一緒。神を体験することが瞑想なんや。

ポニョ:それにドラッグなどを使って、自分は霊的体験をしても、次からドラッグを使わないとそういう体験は出来なくなるから、結局その人の霊的進歩を遅らせてしまうことになるんや。

ヨシオ:そういう事や。また正しい方法で霊性修行をしてる人でも、五感をコントロールし、霊性修行が進むに連れていろんな霊的能力が自然に身についてくるけど、これらの霊的能力を無視しないと、終着駅つまり神さんの元にたどり着く前にこれらの霊的能力に魅了されてしまい、そこに留まってしまって途中下車をしたのと同じことになってしまうんや。
霊性修行を正しくしている人はそういう超能力と言われているものに興味はないし、得たいとも思っていない。彼の唇は、神の御名を唱えるのに忙しいんや。
だから、ラーマクリシュナパラマハンサはそういう霊的能力を用いて奇跡などをするグルから離れておきなさいとアドバイスをしたんや。つまり、その修行によって奇跡をする能力を身に付けたグルたちは途中下車した人たちやから。

ポニョ:だから、ラーマクリシュナの信者の人は奇跡をするサイババさんのことを、そういう類のグルだと勘違いしている人が多いんやろな。
でもサイババさんはそうでは無いもんな。神の化身が執り行う奇跡は修行によって得られたものではなく、生まれながらにして持っている生得のものやから。それは、神が化身として降臨された時にくっついて来るもんなんや。

ヨシオ:だから、神の化身であったクリシュナが村を守るために大きな岩山を持ち上げたり、ナラカという地球に衝突することになっていた小惑星を破壊したりしたこと、そういう事全てが、人類のために神様がお遊びでやっておられることなんや。
さっきも言ったように、霊的な能力とは、日々の生活で如何に愛そのものである神を体験でき、そして、その体験した愛を自分の周りの人々に広めて行くことなんだけれど、そうすることによって自分自身の神聖さがどのようなものか、つまり本当の神の愛を体現しているかが自らの行為によって試されるんや。
そういうことが出来る人、自分が体現した神の愛を周りの人々に与える能力を持った人のことを、霊的能力が高い人と言うんや。
つまりその人の見かけは普通の人やけど、神の化身と一緒なんや。
その人は生き神さんになったんや。
神さんと融合するのに身体を脱ぎ捨てるまで待つ必要は無い人なんや。
そういう人は、いろんな霊的能力を持っていても、決して見せびらかしたりしないし、それを自分のためには使わない。
そういう人の毎日の生活の一つひとつが、愛で溢れているし神を顕現しているんや。
また瞑想をしていても、瞑想の後に嫁さんと口喧嘩したり子供を怒鳴り散らしてたら瞑想をしてる意味がない。
愛がいっぱいで、いつもポジティブな生き方をし、ニコニコ顏の似合う人になりましょう。

"[strong]真の瞑想とは、あらゆる場所{や人}の中に神の存在を認め、その意識を、私たちの行う小さな一つ一つの仕事の中にまで、表現することです[/strong]。PN"

お命頂戴に上がりました

2015-04-14 00:00:59 | 日記
ポニョ:最近の記事で、世界中からインドと71カ国の代表者が参加した国際セヴァ大会での、ババのアメリカ人への講話を紹介したけれど、とても大事なことを言っておられるぜよ。特に核実験とガンとの関係について言われた部分が興味深かったぜよ。

肉を食べるのは非常に悪いことです。なぜ皆さんは肉を食べたいのですか?
肉にはビタミンやたんぱく質が含まれているから、自分は肉を食べる必要があるのだと考えているのですか?
カード(凝乳、ヨーグルト)や豆類を食べること、牛乳を飲むことで、たくさんのたんぱく質を摂取することができます。
これらを食べるよりも、肉を食べたほうがよいたんぱく質が得られると思っているのですか?
今、私は皆さんに、ある秘密を聞かせましょう。
シンガポール、マレーシア、ドイツといった国々では、核実験による核爆発のせいで海水が汚染されています。
そのために、その水に住む生物はその毒(核汚染物質)を食べています。
そのような生き物を食べれば、あなたもその毒の一部を摂取することになります。
それは癌を引き起こします。
そのせいで、シンガポールやマレーシアといった国々では、子供までもが、頭や他の部分に癌を患っています。
世界には多くの汚染食品が存在します。
そして、それが人を害しています。
現代の医者たちは、「近ごろ、癌の発見件数が増えたのは、診断器機がよくなったおかげだ。昔は癌になっていてもわからなかった」などと言います。
彼らは、単に自分たちは正しいと主張したいがために、そう言っているだけです。
以前も癌にかかる人はいましたが、これほど流行ってはいませんでした。
当時は、それを腫瘍と呼んでいました。しかし、昨今では、小さな腫物ができると、誰もが、医者さえもが、これは癌かもしれないとおびえます。
人々は、癌をなくすために何でも検査したがります。
もしあなたが清らかで神聖な食べ物を食べていれば、癌はあなたに寄り付かないでしょう。
癌患者が増えているのは、大気と水と食品の汚染のせいです。
ひとたび癌が定着してしまったら、治すのは不可能です。ですから、病気を予防して健康で幸せな生活を送るために、よい食べ物を食べなさい。27-7-2002

ヨシオ:食べ物についてや癌についてのババのお話は、今までも詳しく紹介したよな。

ポニョ:今回の講話でおいらが面白いと思ったのは、ババは「私は皆さんに、ある秘密を聞かせましょう。」とわざわざ前置きを言われてから、核実験とシンガポールとマレーシアにおけるガンとの関係について言われたことや。どうして、わざわざそんな前置きを言われたんやろか。別に秘密にしなくてもこういう話やったら、みんなに公開しても悪くないって思うんやけど。

ヨシオ:ババがこの手の話をされたのはこれが初めてではないんや。ニュージーランドのグループにもそういう話をされたことがあるんや。

ポニョ:ニュージーランドと言えば、フランスの領土である南太平洋に浮かぶニューカレドニアの近くで、フランスが核実験したよな。ニュージーランドのすぐ近くやぜよ。

ヨシオ:ババはインタビュールームでニュージーランドから来たグループに、こんな事を言われやんや。

幾度か行われた太平洋での核実験のつけは、ニュージーランドにおいて特に顕著に現れるであろう。
人々が海産物を摂ると、食物連鎖の結果、心臓麻痺や身体のあちこちに癌を発病することになる。
7千万トンもの魚が毎年捕獲された結果、魚の量が減り、魚による海洋浄化が進まなくなった結果、海洋を不健康にして汚染度を増大させている。SSALp,46

ポニョ:それって恐ろしいよな。食物連鎖ってだんだんそういう有害なものが、蓄積されて行くって事やろ。それでその頂点に立っている人間に一番影響を及ぼすんや。おいらが好きな海産物と言えば昆布やもずく酢やけれど、やばいかな?だって今日本の周りの海は、福一の影響で放射能だらけやぜよ。

ヨシオ:もう俺たちは還暦を過ぎているから細胞分裂も活発じゃないし、それほど心配しなくてもでも大丈夫や。それに、ポニョに好物を食べるなって言ってもやめられないやろ。

ポニョ:ピンポーン当たりですね。よくご存知で。でもさっきも聞いたけれど、そういう事をどうして秘密にされるんやろな。

ヨシオ:全てに内在し、全てをコントロールし、全てを見通しておられる宇宙の創造主が人の姿を取ってこの俺たちの世界に来られたんや。それ自体が、人類全体にとっての大きな福音なんや。このブログでいつも、この世に起こっている全ての事は、なるべくしてなるって言っているけれど、フランスの核実験で魚や海産物が汚染され、それらを消費した結果人々がガンになって死んでいってその生を終える。ということはもう想定済みで、どの人がどのようにして生を終わるのかは、もう神様のレコードには織込み済みなんや。だから、それを敢えて事前に公表されないんや。

ポニョ:だから、秘密やって言われたんか。でも帰依者達に、ちょっと秘密を聞かせてあげようとと言われたんやな。ババはお人好しで、ちょっとええ格好しなんかもしれんな。

ヨシオ:そうじゃないやろ。逆にその全知、全能で全在の神さんが人の姿を取られてこの世界に来て、そういう秘密をちょこっと漏らされるって、人類全体に対する恩寵なんや。

ポニョ:本当は、想定通り身体を放射能漬けにして、癌になって肉体を離れましょうという想定なんやな。でも癌で死ぬなんて嫌やな。抗ガン剤は増ガン剤やぜよ。

ヨシオ:俺が、インタビュールームで床に座っていたら、ババが俺の目の前に立って他のグループの人と長い間話をされていたことがある。俺は、目の前にババの蓮華の御足があるので、この機会にしっかり独り占めして触らせてもらおうと、両手をババの足の上に長い間置いて、その温もりや、神の霊的波動を楽しんでいたんや。

ポニョ:神の霊的波動って、足の指の先からが一番出ているって聞いたぜよ。心臓から送り出された血液が足の指先まで流れると、その指先でくるっと反転して元来た方に戻って行くやろ。だから、その反転する足の指先や手の指先からオーラが一番出るって言ってたぜよ。

ヨシオ:そうなんやろな。俺は、ババの御足に触れながらなんて小さい綺麗な足なんやって感心してたんや。だって、ババは一日中裸足で地べた歩かれているのに、足の皮膚はツルツルでテカテカやし、歩きすぎると普通やったら、豆が出来たり、足の皮膚が硬化したりするけれど、とても若いおなごの足みたいに柔らかくて綺麗で手入れが行き届いているんや。

ポニョ:若いおなごの足って、あんたが言えばエロ親父の戯言に聞こえるぜよ。

ヨシオ:じゃか~し!それってポニョの思いが反映しているだけやないか。それで、俺は、長い間足の上に手を置いておく事に飽きてきたので、ババのローブをめくってババのすね毛がどれだけ生えているか調べようと、ローブをめくって遊んでいたんや。

ポニョ:あのね、君、神の化身で遊ぶなって。普通の帰依者やったら、ババの御足にちょっと触れることが出来ただけでも随喜の涙を流して喜ぶんやで。考えられへん事するな、あんたは。

ヨシオ:ババは俺にとっては本当の親父やし、息子が親父の足のすね毛がどれくらい生えているか知ろうとしたらあかんのか?

ポニョ:あのね、ローブまでめくり上げて足のすね毛を見るってやっぱり異常やぜよ。ところで、ババのすね毛は濃いかったか?

ヨシオ:ほら、ポニョも知りたがってるやないか。ところが、ローブをめくっても、次のローブが出て来るんや。何枚かめくってもまだローブが有ったな。なんでやろうか?

ポニョ:それって、ドロウパティがカウラヴァーズ兄弟にサリーをめくり剥がされる時に、クリッシュナの恩寵でサリーが無限に出てきた話と似ているぜよ。

ヨシオ:俺が見たのは、ローブの中に巻いておられるドーティかもしれんな。それで、結局すね毛は見れなかった。

ポニョ:ところで、これは何の話やねん。ガンの話はどうなったんや。

ヨシオ:そうこうしているうちに、ババはシンガポールグループの中の一人の若い男の帰依者を呼ばれたんや。その青年はお土産物屋さんで買ったアルミニウム製のババのペンダントが付いたネックレスをしてたんや。それで、ババはその青年に、これは安もんやな。と言ってそのネックレスを取り上げられ、口でフット吹くとその安もんのネックレスが白金の重たそうな高価なネックレスに変わったんや。もちろんペンダントも立派な物に変わったんや。俺はその青年の目が涙で濡れて行くのをニコニコしながら見てたんや。そして、ババはその青年の首に自らネックレスを手を回して付けてあげてたな。俺は、ババの足を触りながらそれを見ていたんやけれど、自分の事みたいに嬉しくなったな。

ポニョ:まだ、あんたは御足に触れてたんか。

ヨシオ:そして、インタビューが終わり外に出るとそのシンガポールの青年がやって来て、あの~良かったら、あなたの住所を教えて頂けませんか?と言って来たんや。俺は、何でやねん。と言うと、いや、あの~。僕は白血病で、余命三ヶ月と宣告されたんです。それで、死ぬまでに是非ババにお会いしたいと思い、こうして医者や家族の反対を押し切って来ました。それで、あなたの目の前でババがネックレスを物質化し僕に下さいました。今日という日は僕にとって生涯最良の日なんです。そして、その日にあなたがその証人のように立ち会って下さった事が、僕にとってはどうしても偶然のように思えません。これから、シンガポールに帰ってもあなたに手紙を書きたくなると思うので、是非教えて下さい。と言って来たんや。俺は、余命三ヶ月の青年の願いを断る理由は無いので、俺の住所を教えたんや。すると、その年の終わりにその青年から、クリスマスカードが届き、インタビューでの思い出が記してあったんや。俺は、もう三ヶ月やのにまだくたばっていないんやな。と思って返事を書いたんや。

ポニョ:君の事は良く覚えていますよ。一緒にインタビューに呼んでもらった白血病の青年やね。余命三ヶ月って言っておられたのにまだ生きているんですか。往生際の悪い人やね。って書いたんか?失礼やないか。

ヨシオ:そんな事を書いてないっちゅうに。それで、それ以来毎年のように青年からカードが届き、俺は、ババがこの青年の白血病を癒されたと思って内心とても喜んでいたんや。ところがある年を境にカードが届かなくなったんや。俺は、あれ~、もうあの青年はくたばったんかなと思って、ちょっと心配してたら一緒にインタビューに呼ばれたシンガポールグループの代表の方が三人、俺の農場にわざわざシンガポールから来られたんや。俺は、そのインタビューの前の日にババが俺の夢に来られて、明日お前たち家族と一緒に、シンガポールグループをインタビューに呼ぶが、その時、三人のシンガポール帰依者の頭を叩いて祝福するが、お前も一緒にして欲しいか?と聞かれたんで、祝福してくれるんやったら大歓迎です。ついでにお願いします。と言ったら、当日、俺の横にシンガポールグループの人が座り、三人の頭を順番にババが叩いて祝福されたんや、そしてついでに、俺の頭も叩いてくれたんや。俺は、ババは決して無駄な事を言われたり、されたりしないのを知っているので、いつか何処かでこの三人のシンガポール人たちと会うことになるな。と思っていたんやけど、俺の農場に来た人たちはその三人やったんや。俺は、人の顔を覚えられなくて、その三人が俺と一緒にインタビューに呼ばれた三人だとは気付かなかったんや。でも、ババの話をしている時に、そのうちの一人がインタビュールームで面白い日本人がいてて、ババのローブをめくったり、やけに親しくババと話していたりしていた人を知っているという話を始めたんや。俺も、最初は面白がって聞いていたんやけど、その面白い日本人はひょっとして俺のことを言ってるんじゃないかと気付いたんや。それで、それは俺や。と言うと三人共飛び上がってびっくらこいてたな。

ポニョ:そらびっくりするやろ。偶然ってないよな。ところでその三人は、どのようにしてあんたの事を知ったんや?

ヨシオ:その当時、俺はテレビ雑誌、新聞に取り上げられていて有名やったんや。だから、毎日、何人もの人が突然俺のところにやって来てたんや。それで、俺はそのシンガポール人たちに、気になっていた白血病の青年の話を聞くと、その青年はその後三年間生き延びて、ババから頂いたネックレスを大事に握りしめながら、家族に看取られて亡くなったと言ってたな。

ポニョ:三年間、ババの恩寵で寿命を延ばされたんやな。

ヨシオ:その三年間、青年はババのことだけを思い、毎日の生活を神聖化しながら、嘘を付かず、正しく生きるように努力して、残りの人生を送られたと言っていたな。自分が毎日弱って行っているのにも関わらず、自分の身体が元気な間に困った人々に対して奉仕し、死ぬまでに出来るだけたくさんのカルマを返すんやと言ってたらしい。そして、ひと時も時間を無駄にしたらいかんねん。と言って、優しい言葉を周りの人にかけ、いつも微笑みを絶やさず、決して怒らず、決して自惚れず、決して落ち込まず、愛に満ち溢れた天使のように生き、まるで、神さながらのような立派な人生を残りの三年間送って大往生されたんやて。俺は、その話を聞いて、自分自身の生き方を振り返り、あの青年と一緒にインタビュールームで知り合った後の三年間、どれくらい自分の人生をあの青年のように神様の方に近づけることが出来たかな、と考えたんや。俺はまだ死ぬまで何年もあるし、ゆっくりと神様のことを思って生きて行けばええやんか、なんて軽く生きてきた自分に恥ずかしくなったな。もう人生に後が無い青年のように、毎日、真剣に神様のことだけを思って生きていかなくてはだめだって反省したな。だって、明日の朝、俺はベッドの上で心臓麻痺で死んでいるかもしれないんやで。死は突然やって来るんや。家族にも、もうすぐ俺は死にますからさようなら、と最後の別れの挨拶も出来ないで往ってしまうんや。

ポニョ:死神は、宅急便の兄さんみたいに、今日は、お命頂戴しに来ましたよ。印鑑を持っていますか?ここに押してくださいね。さあ、今から冥土に一緒に行きましょう、なんて言ってくれないもんな。そういう意味で、その白血病の青年はラッキーやったぜよ。

ヨシオ:今から振り返ると、ババが俺にその青年に引き合わせたのは、このブログでその青年の記事を書いて、人々に紹介するためやったのかなぁと思う。

運命に従って、起こるべきことは何であれ起こるのです。
ならば、どうしてそのことを気にしたり、悲しんだりするのですか?
生死は自然なことです。
生死はすべてのものに共通であり、特にこの人にはあるが、あの人にはない、というものではありません。
ですから、人は平然と運命の審判に向き合い、何が起こっても落ち着きをもって受け入れなさい。
人は運命のせいで苦しむのではなく、欲望と執着のせいで苦しむのです。
もし、この世のものへの執着があるなら、あなたは必ず喜びと悲しみを交互に体験することになります。
苦楽は二元的な世界の切っても切れない部分なのです。
すべてのものごとは神の意志によって起こります。
神が望むものを、神が望むときに、神は与え、神は取り戻します。
皆さんは気づいていないでしょうが、体がこの世に送られてきたとき、体に返却日が押されます。その日が来れば体は元の場所に戻っていく――それだけです。
このように、生があれば死もあります。
二つが自然な一組を形成しているのです。
ですから、人は死のために悲しみに道をゆずるべきではありません。23/5/2000