サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

最後の言葉はありがとう❷

2015-04-10 00:00:25 | 日記
ポニョ:この世界で、おいら達が見たり聞いたりするもの全てのものは、実は元々おいら達の中にあるものが外の世界に投影されているだけやという話やねんけれど、まだちょっと分かりにくいぜよ。


どこにいても完全な調和をもって生きなさい。
決して憎しみに余地を与えてはなりません。
もし敵対する人に出くわしたら、愛をもって迎えなさい。
相手も反射的に愛をもって応じてくるでしょう。
なぜなら、全世界は、反動と、反映と、反響で満ちているからです。
あなたの心に不安があるとしたら、それは、外的要因によるものではなく、あなた自身の欠陥や欠点が、不安という形となって反映しているのです。1/3/03朝

ヨシオ:ババは不二一元のものの見方でお話をされるから、この「俺」と「俺以外のもの」という二元の世界に生きている俺たちにとっては、頭を調整しながら講話を聞かないとさっぱり理解出来ないんや。でも、一度そういう不二一元のものの捉え方に慣れてしまうと、逆にとてもシンプルで分かりやすく説明できるようになるんや。

ポニョ:そんなものかな?

もし神を見たいなら、自分は体ではないことを固く信じなくてはなりません。
自分を体と同一視することは、まさに幻想です。
学生たちはこのことを明瞭に理解しようと努めるべきです。
外側に見えるものはすべて単なる反映であり、実体ではありません。
皆さんはサイ ババを目の前に見ています。
皆さんはサイ ババを体と同一視しています。
けれども、私は体ではありません。私と皆さんは一つです。
一旦この真理をはっきりと理解すれば、どんな相違もなくなるでしょう。
もし誰かの頬を叩くなら、それは自分を叩いていることになります。
もし他人を罵倒するなら、それは自分を罵倒しているのです。
あなたは必ずや自分の行為の結果に直面することになります。
あなたの苦楽の原因はあなたです。
他人にはそれに対する責任はありません。
実際、他人などいないのです。すべての人は一つです。21/3/04

ヨシオ:ザックリ説明すると、ポニョは神さんやから実は全てのものを自分の内に持っているんや。その内に持っているものを外の世界に創り出したものが、俺たちが住んでいるこの二元世界なんや。その世界はポニョが自分自身を自分で見るために、自分を無数にし、全てに置き換えて創造したんや。ポニョが全てになったから、全ては愛で満ちているんや。だってポニョは自分の事を自分で愛しているやろ。

ポニョ:もちろんやぜよ。だから、神さんは愛そのものっていうわけか。

ヨシオ:ところがポニョが創造した世界にはいろんな人がいて、動物から生まれ変わったばかりの人はまだ動物的なエゴがいっぱいある獣性が残っているので、自分がポニョと同じなのにエゴが邪魔をして自分がポニョと認識出来ないんや。

ポニョ:エゴのために、おいらがおいらを自分と認識出来ないって悲劇やぜよ。

ヨシオ:そうやろ。だからババはいつもそういう俺たちに、いつも可哀想やなって慈悲の心を投げかけてくれるんや。それに困った事に、エゴの力が強いためにポニョが愛で創造した世界に生きているポニョは、全てが愛なのにおいらはこいつが好きだ。とかあいつは嫌いだとか言って自分の中で狭い世界を創り上げて行くんや。

ポニョ:おいらがただ、自分を自分で見るために、愛でもって創造した世界に住んでいるもう一人のポニョが、勝手にそういう世界を創り上げて行くんか?面白いぜよ。

ヨシオ:そうやろ。それが所謂霊界なんや。

ポニョ:ということは、一人ひとりの分だけ其々の霊界があるって事なんか?

ヨシオ:だから、霊界はこの物質的な世界より何億倍も大きいんや。

ポニョ:それって面白カルカルやぜよ。

ヨシオ:本当は全てが愛の世界なのに、その世界に生きているポニョは、自分の好き嫌いの思いを自分で創り上げた小さい世界に投影させ、それが、自分を取り巻いている世界って思っているんや。

ポニョ:ハハー。それってアホやぜよ。本当は愛だけで出来ている世界に住んでいるのに、自分で自分の世界を狭隘なものにしてるんや。アホなポニョやぜよ。

ヨシオ:それが今のポニョなんや。

外界はあなたの思考を反映します。
愛をもって世界を見るなら、世界は愛に満ちて見えるでしょう。
憎しみを持って世界を見るなら、すべてはあなたに敵対して見えるでしょう。
愛に満ちた目は、明るさと快活さで輝いています。
憎しみに満ちた目は、血走って恐ろしく見えます。
自分の思考が自分の善悪の行為を決定するのです。24/7/83


ポニョ:あのね。ということは、おいらはそのアホなポニョって言いたいのか?この愛で溢れた世界を自分のエゴのために、それを見ることが出来ない可哀想なポニョって、おいらの事なんか?

ヨシオ:その通りや。ポニョが見ているのは元々は愛で創造された世界。それをエゴがいっぱいのポニョの頭の中で創り上げている世界は、元々の世界とは似ても似つかぬ悪魔の様な裏社会の連中がゴロゴロいてる世界を創り上げているやろ。だからポニョがいる世界は、ポニョの想念の反響、反応、反映なんや。だから、俺は以前から口を酸っぱくして言っているけれど、ポニョの様に、この世界の全てが神と見れない、愛の世界として見れない人は、食べ物とかワクチンさえ気を付けていたら、あの裏社会の連中の事は無視した方がええと言っているんや。

皆さんは、良かれ悪しかれ、自らの感情の反映、反応、反響という体験に束縛されているのです。あなたが他者の中に悪いものを見たとすれば、それは自分の悪い感情の反映に過ぎないのです。自分自身の過ちを無視して他者を非難することは誤りです。
まず最初に、あなたの感情を清めなさい。
あなたが邪悪だと見なしている人々さえも愛しなさい。
実際、この世に邪悪な人間などいないのです。9/10/02

ポニョ:おいらはちょっと深入りしすぎたかな。


皆さんはそのように神聖で慈悲深いハートをもっています。
それなのになぜ、悲しみにおぼれているのですか? 
一切の悲しみは、あなたの内面 の感情の反射であり、反作用であり、反響なのです。
皆さんは朝早くに新聞に目を通 します。
紙面のどこを見ても、誰かが誰かを殺したとか、憎しみや、嫉妬や、怒りなど、不穏な記事ばかりです。
こうしたニュースのすべてが、あなたを非常に悲しい汚れたムードにしてしまいます。
夜ぐっすり眠ったあとでベッドから起き上がったとき、心は穏やかな状態でなければなりません。そうして初めて、あなたの生活に悲しみが入り込む余地はなくなります。
早朝からすぐに平安で幸せな生活を送らなければなりません。
あなたは不幸や苦境に陥っているかもしれません。
しかし、それらは来ては去り行く雲にすぎません。
実にあなたはそうしたものに悩まされるべきではありません。
そうしたものをハートに引き入れて、それに固執しているときにのみ、あなたは苦しむのです。
それらを無視してしまえば悩まされることはなくなります。 1/3/03朝

ヨシオ:俺も昔、ポニョの様に、この世界の様々な悲劇的な戦争や事件などを見聞きして、憤慨していた時期もあったけれど、ババの事を知ってその教えに触れてから、全てはババにお任せしましょうという気になって、とても平安な気持ちになった。もちろん、この世界で抑圧、弾圧されている人々や、人に食されるために殺されて行く動物達のことを思うと心が乱される。でも、ババはそういう悲劇的な事を全てお許しになられて、次の一手を打たれる準備をされているんや。要は忍耐や。ババがこれだけ世界中でダルマが蹂躙(じゅうりん)されているのをジッと我慢されて見ておられるんや。このままでは絶対済まん。人類全体にいつか大きなしっぺ返しが来るんやろうけれど、ババは、全てを愛で持って見守っておられる。俺たちも神様の様な大きな愛の心を持ってこの世界を見守って行けば、心を掻きむしられる様な、いろんな凶悪な事件に接しても平安な気持ちでいられるんや。

ポニョ:おいらが見聞きする全ての物事は、おいらの反響、反応、反映か。神様の様な大きな心で愛の心で世界を見れば、全てが愛として見れるか…。難しいぜよ。少し分かった様な気はするけれど。

ヨシオ:ババは世界で引き起こされる残虐な事件でさえも、全て裏に理由があると言われた事がある。原爆投下を正当化してるなんて言われるかもしれないけれど、敢えて誤解を生むことを恐れずに言うと、あの日本に落とされた二つの原爆でさえ、ババはそれによって日本はカルマを支払ったと言われたことがある。俺たちは、その原爆によってたくさんの罪のない人が亡くなったやないか、と思うけれど、神さんの目から見れば、その場所に、その時間に、その人がいたという偶然なんて無いんや。その原爆で亡くなった方達は、生まれる前から死ぬ時は、そこでその時間に原爆によって身体を離れるって知っていて、この世に生まれ変わってきている人達なんや。この世界には何の偶然も無いんや。霊的な事を少しかじれば誰でもその事が分かるんや。

ポニョ:以前、そういう事を記事にしたよな。硫黄島でたくさん兵士たちが亡くなったちょうど同じ日に、ババは長い間身体から離れて戻って来られなかったって。多分、霊界でたくさんの兵士達の霊を慰められていたんやろうって話やったよな。

http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/dc2a7b134dfe19e5f48e1f809627a728
ヨシオ:俺は昔、神様に意識を集中していた時に、自分の意識がとても深く深く神様の方に向かって行った事があったんや。そして、俺の過去の人生の一コマ一コマが走馬灯のようにクルクルと目の前に展開し始めたんや。そしてその時、俺の人生におけるいろんな出来事は、全て神様が俺のためにと思って俺に体験させているって分かったんや。それは、もちろん楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや苦しいこと、それだけではなくて、人に嫌味を言われたり、辱めを受けた事でさえ、俺のエゴを減らすためや、俺のプライドを低くするために神様が、俺の人生に関わっていた全ての人の姿を取って、俺の為にされていたんやという事が分かったんや。俺が体験した全ての事は、神様の愛、愛、愛で包まれていたんや。俺の周りは実は全て愛だけだったんや。それに俺が気づかなかっただけで、愛の神様が、俺がエゴや世俗的な欲望を無くして神様の元に帰って行けるように、様々な試練や体験をさせてくれていたって事に気付いたんや。俺が夜、外に出て夜空を見上げた時に見える、優しい光を発しながらまたたいている満天の星々。そして、頬を撫でる心地よい風。そしてその風に乗って匂ってくるユーカリの木の香ばしい香り。気持ちを鎮める虫たちの鳴き声。それら一つ一つが実は、神様が俺のために事前に仕組んでくれていた恩寵だって分かったんや。俺は、それを悟った時に神様に対してありがとうございました。という言葉しか口から出て来なかったんや。その時に、俺は、人の魂が神様に融合すれば、もう言葉さえ発することが出来ないって聞いていたけれど、もし、解脱する前に一言、最後に言葉を発することが出来るんであれば、その時の俺のこの世での最後の言葉は、神様、ありがとうございました。という言葉やなって思ったな。人は生きている間にいろんな経験をするけれど、どんな嫌な体験や苦しい経験をしても、「神様、この様な苦しみや困難を戴いてありがとう御座います。」という言葉だけを唇から発して生きていかなければいけないんや。神様はいつも、エゴを持っている俺たちには100%理解出来ないけれど、神様が考える最善の方法で、俺たちが神様の方に歩んで行くように導いておられるんや。それは時には近視眼的にしか人生を見れない俺たちにとっては不都合で、苦難に満ちたもののように見えるけれど、本当は、それらは神様からの俺たちへの最善の贈り物なんや。それなのに、俺たちは人生においてそういう苦難や困難に出会うと、神様に対して信仰心を失い、神を罵り始めるんや。神様は俺たちを無条件に愛しておられるんや。それも、この世で俺たちを愛してくれている嫁さんやお袋の愛より何千倍も強い愛なんや。だって、さっきも言ったけれど、実は全ては神さんなんやから。

何を見ようと、誰に出くわそうと、すべての姿を神の顕現に他ならないものと見なしなさい。「私」と「あなた」という相違に付け入る隙を与えてはなりません。
神の創造物の中に何を見ようとも、すべては反動、反映、反響です。
皆さんは鏡をのぞき込み、自分は鏡の中にいると言います。
実際は、あなたは鏡の中にはいません。
鏡の中に見えるのはあなたの反映にすぎません。
山の向こうに行って「おーい!」と叫べば、すぐさま同じ大声で誰かが叫び返してくることに気づくでしょう。
実のところ、その声は他の誰のものでもなく、あなたの声にすぎません。
このように、今日、人は誤った印象に耽っています。
外で見るものは何であれ、自分の内なる存在の反映にすぎません。
皆さんは一体性を多様性と見なして過ちを犯しています。
不幸なことに、今、人々は自分自身の本性を理解することができずにいます。21/3/04