サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

地上の天国って何処にあるの?

2015-04-29 00:00:56 | 日記
ポニョ:昨日は毒蛇に噛まれそうで、肝っ玉がビビリマン トラックの話を聞かせてもらったけれど、今度チャンスがあれば、おいらもゆっくりと走破する気になったぜよ。

ヨシオ:ビブルマン トラックやって言ってるやろ。

ポニョ:まあ、あんたら夫婦も五人の子供を育て上げたし、お袋さんの介護をして最後まで看取ったし、あとは神様だけを見て余生を過ごして行くだけやもんな。なんか全ての人生での義務を果たし終えて余裕があるよな。

ヨシオ:でも時々、もっとお袋にこうしてあげたら良かったなと思うこともあるんや。俺が子供の頃、お袋は、毎晩俺が寝付くまで子守唄を歌いながら、俺の手を握りしめてくれていたんや。俺は今でもその時のお袋の手の温もりが忘れられずにいて、お袋が末期の認知症になった時に、その恩を返そうと毎晩お袋が寝付くまで手を握ってあげてたんや。その頃はもう俺のことを誰か分からないぐらい認知症が進んでいて、介護の兄ちゃんと思っていたんや。それで、寝付くまでの間、俺に自分の息子や娘の自慢話を始めるんや。いつも同じ話やったけれど、目がその時はキラキラと輝いていて、とても幸せそうに話してくれるんや。俺は介護の兄ちゃんになったつもりで、相槌を打ちながら話を聞いてあげるんや。でも、最後にいつもこう言うんや。あのね、お兄さん一つだけ頼みがあるんやけれど聞いてくれますか?うちの息子はとても優しい子やから、私がこんな風に人様に世話になっているって聞くと、一目散にやって来て私の面倒を見に来てくれるから、それだけはして欲しくないのです。だから絶対私があなたに世話になっているってあの子には秘密にしておいてくださいね。私がこんなにガタガタになっているって知ったら、あの子はとても悲しみますから。どうかお願いしますね。二人だけの秘密にしておいてねって言うんや。その時、俺は、お袋にこれ程愛されていたのかって思い知らされて、泣いてしまったこともあったな。そのうちにお袋は話疲れて来て、とても幸せな顔をしながら、俺の方を優しい目で見ながら、静かに目を閉じて眠るんや。俺は一瞬やけれど、そのお袋の幸せそうな表情を見るのが毎日楽しみやったんや。でも時々藪用などで手を握ってやれなかった事があって、今でもそれを時々思い返すと、後悔の念が湧いて来るんや。だって、こんなにも早く、いきなり逝ってしまうと思ってなかったからな。
お袋とサイババさん

ポニョ:おいらは、あんたはもっとクールやと思っていたけれど意外と感情的やねんな。

ヨシオ:俺は、子供の時にお袋にとても世話になったので介護を通じてそれを返しているつもりになっていたんやけれど、お袋の話を聞いて分かったんは、お袋の俺に対する山のような愛情と比較すると、俺がお袋にお返ししているつもりの愛情は砂粒より小さいって事や。俺はまだまだ人や生きとし生けるものを、もっともっと愛していかなければならないって思ったな。

至福を体験するためには、もっともっと愛を培うことです。
愛を育てれば育てるほど、あなたはますます至福を体験するようになります。
至福(アーナンダ)は、愛がなければ得られません。
実際、至福という形をとっているのは、愛に他ならないのです。 28/7/99


ポニョ:母の愛は偉大なりやぜよ。

人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。
母の愛にはつねに私心がありません。
私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか? そんなことは出来ません。
ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。6/5/05

ヨシオ:俺はババの教え通り、夫として、父親として、息子として、男としての義務を果たそうとしているんやけれど、やはり人間やからいろいろと間違いも犯してしまう。もっとお袋にいろいろやってあげれる事があったなと反省しているんや。

ポニョ:肉体をまとった人間である以上、誰でも間違いの一つや二つは犯すぜよ。それが普通やないか。

多くの人は、恩寵と、愛と、信愛と、謙虚さを熱望しています。
これらはすべてアートマ(神我)の姿です。神と信仰は異なるものではありません。
信仰と神は同一です。
愛は神です。
信愛は神であり、それぞれ異なる存在ではありません。
信愛とは何を意味するのでしょう?
信愛とは、信者の内なる視覚の中で、未顕現の神聖原理が自らを顕現できるようにするものです。
そうなったとき、その信者にとって神以外何も存在しなくなります。
その段階に達するためには絶えず心に永遠の存在を保ちながら自分の義務を果たさなくてはなりません。
皆さんは、小さな舟の助けを借りて俗世という広大で深い海を渡り、実体である無限の神性を享受することができます。その舟とは神の御名です。30/3/87


ヨシオ:最近、お袋の家に行って少し片付け物をしてたんや。すると久しぶりにお袋とコンタクトが取れたんや。俺はポニョが言ったように、もう俺の今生での義務は終わったし、あとは神様の事だけを思い、自分自身の事をしっかり考えて生きていかないかんなと思っていたら、お袋が突然、俺の思考の合間に入ってきてこう言ったんや。「世潮、あんたの嫁さんは、私の事を本当に身を粉にして介護してくれたんやで。食べ物からしもの世話まで嫌な顔を一つしないで良く世話をしてくれたんや。あの子があんたと一緒になってから、大学で薬剤師になるための勉強をしながら家の商売も手伝い、大学を卒業したと思ったら次から次へと五人も子供を産み、ずっと今まで子育てで忙しかったんや。その間一言も文句を言わずに、私のような潔癖症で気難しい姑に仕えてくれた。お前は自分の事を考える前に、もう少し嫁さんの事を考えておやり。もっともっと、大事にして愛しておやり。」と言われたんや。その話を聞いた時、俺はそう言えば嫁さんの幸せって何かな?どんな時に嫁さんは幸せって感じているんやろか?と考えたんや。でも、俺の嫁さんはいつもニコニコしているから、いつ嫁さんが本当に幸せを感じるのかが分からんかったんや。俺は自分の嫁さんの事をよく知っていたつもりやったけれど、本当は知らないことの方が多いんじゃないかな、まだまだ嫁さんの事をしっかりと理解していないんじゃないかなって思い始めたんや。

結婚前は彼も、彼女も半身でした。
女性は左半分で、男性は右半分です。
今、結婚して一つの身体になりました。
これからは、夫の悩みは妻の悩みとなり、妻の悩みも夫のものとなります。
身体の一部が麻痺したら、他の部分もそれを感じられるのと同じことです。
ですから、それぞれの痛みをお互い感じ合わなければなりません。
二つの痛みはスワミによって取り除かれるでしょう。
二人のどちらにもスワミがいます。
夫は妻を、妻は夫を助けなければなりません。
時に、怒りやエゴ、短気や緊張が生まれるのは自然なことです。
夫婦は譲り合い、理解し合わねばなりません。
まず、理解し合うことです。
それから、解決することです。
九割の夫婦はまず問題を解決しようとすますが、順序が逆です。まず、お互いをよく理解しあうことが大切なのです。Divine Memories of Bhagavan Sri Sathya Sai Baba

ポニョ:あんたらが知り合ったんは、ずっと昔やろ。何年前やねん。

ヨシオ:俺が始めて嫁さんと出会ったのは16か17歳の頃やったな。だからかれこれ45年前やな

ポニョ:それだけ長い間一緒に居てるのに、まだ分かり合えてない部分があるって面白いよな。

ヨシオ:お袋にそういうことを言われて俺は嫁さんに聞いたんや。どんな時に一番幸せだって感じるかって。そうすると嫁さんは、毎日の単純で平凡な生活の繰り返しの中で、時々胸の奥深いところから、幸せな気持ちが湧いてくる時があるって言ってたな。

ポニョ:以前、あんたの従兄弟さんが幼い二人の子供を残して癌で亡くなられる前に、台所で食器を洗うという平凡な主婦の暮らしがどれほど幸せに満ちたものであるか気が付いたと言われた話を記事にしたよな。

ヨシオ:そんな話もあったよな。俺たちは夕陽が地平線に沈む時に、毎日二人で太陽に手を合わせてガヤトリを唱えながら拝むんや。「今日も一日、この身体を使ってあなたに奉仕する機会をいただいてありがとうございました」って。その時が一番幸せって言ってたな。神様を身近に感じるって。
嫁さんとサイババさん


ポニョ:毎日の単純な暮らしの中に幸せを感じるか。別に贅沢もせず、何処か海外旅行に行ったり、パーティや宴会やショッピングや映画に行ったりしなくても、日々の何気ない暮らしの中に幸せを見つけられたらええよな。おいらが、あんたの家に一緒にいた時も、あんたの嫁さんは一度もあんたに言い返したりしなかったな。しっかりとあんたの事を信じてついて行っているなってよく分かったぜよ。

ヨシオ:嫁さんや子供に信じてもらってしっかりとついて来てもらうには、夫が夫としての義務をしっかり果たさないといけないんや。ネットのアダルトサイトを見ていたり、嫁さんに何か隠し事をしていたり、子供達から見ても正しく理想的な親にならないと、嫁さんからも子供からも信用されないんや。そのためには、自分というものを毎日の生活の中で一番最後に持ってくるんや。それが、家族が幸せになれる秘密なんや。

ポニョ:自分のやりたい事を後回しにして他の人のために時間やエネルギーを使えって事やな。ババも、人が至福を体験するためには、毎日の生活を送る上で、まず神様の事を優先し、そして社会や家族、そして最後に自分の事をしなさいと言ってられるな。でもおいらの周りは、自分中心の利己主義人間ばかりやぜよ。

自分のパティ<夫>を自分の命と考えて、ひたすら夫をよりどころとするものが、パティヴァラター(貞女)です。
夫に言い返さないものがパティヴァラターです。
そのような女性には、ほんの小さな欠点さえ無くなるでしょう。
パティヴァラターは、自分本位な望みは何も持っていません。
パティヴァラターがすることは全て夫のためです。
パティヴァラターは、自分の夫以外の男性の顔を見ることすらありませんでした。
こうした女性だけが真のパティバラターと呼べるのです。
ところが現代の女性達は、自分の夫に従いません。
夫の言うことを聞きません。
妻が夫に従い、夫が妻に従い、夫と妻が調和を持って生活を送るなら、国全体が平安と繁栄を得るでしょう。
夫と妻の不和と家庭内の分裂の為に、国は次から次へと困難に見舞われるのです。
夫と妻は互いを理解し合い、共に相手に合わすべきです。
夫の言うことを厳格に守るパティヴァラターには何でも出来ます。
もしパティヴァラターが塩辛い海の水を使って夫の為に料理をこしらえたとしても、その水は真水に変わるでしょう。
もし妻が夫の言うことを守り、夫が妻の望みをかなえるなら、その家庭の将来は安全で確かなものとなるでしょう。
もしそれとは反対なら、その家庭は大きな困難に陥るでしょう。
~妻が夫に従い、夫が妻に従う時その家庭には大いなる幸福があります。
自分の家庭がそのような一体性と調和を得るように努めなさい。
そうすればあなたの一生は何の心配事もない幸せで平安に満ちたものになるでしょう。
あなたの心配事は全てあなた自身が作っているのです。
心配事は神から与えられたものではありません。
神は、離れた場所にいるのではありません。
神はあなたの内にいます。
この真実へのゆるぎない信念を持ちなさい。
そうすれば、個人だけではなく、社会にも幸福が訪れるでしょう。
純粋な心は神の社です。
ですから、あなたの心に愛を育てなさい。
そうすれば、人生で何事でも成し遂げることが出来るでしょう。
夫と妻が同じ見解を分かち合っていたら、家庭に平安と幸せが訪れるでしょう。22/11/2010

ヨシオ:嫁さんは俺と一緒になった頃、味噌汁も作れなかったんや。でも今では俺が一切外食をしないということもあるんやけど、食事を作るのがとても上手なんや。その特技を生かして人に奉仕をしたいなって言ってたな。自分が作った料理を、子供達が美味しそうに食べている顔を見てる時の嫁さんが一番幸せそうやな。俺はお袋に言われたように、自分の事は後回しにしてもっと嫁さんを大事にして生きて行こうと思っているんや。だから人混みが嫌いな俺やけれど、我慢して嫁さんがショッピングに行く時は出来るだけ一緒に付いて行って買い物袋を持ってあげたり、車の運転をしたりするようにしてるんや。最近、嫁さんも少し老けてきたしな。俺たち二人の年を合わせると、もうすぐ120歳になるんや。お互い老けるはずや。今まで、文句一つ言わずに俺を信じてここまでついて来てくれて、本当に心から感謝している。世界一素晴らしいお袋と嫁さん。そして子供達に囲まれて、毎日が天国にいるような気持ちになるな。俺はそのような素晴らしい愛に満ち溢れた家庭を与えて下さった神様に、毎日ありがとうと言っても言い尽くせないほど心から感謝しているんや。

ポニョ:珍しいやないの。あんたがこれ程嫁さんの事を褒めるのは。

ヨシオ:実は今日、嫁さんの誕生日なんや。

ポニョ、ヨシオ:ハッピーバースデー!!

献身的で信仰心の篤い従順な妻は、夫を神への道と神聖な徳の実践に導くことが出来ます。
一方妻や夫が、それぞれのパートナーを神への道から引き離し、霊性から感覚のレベルに引きずり降ろすなら、それは家庭と呼ぶことは出来ない、亡霊や悪霊が大騒ぎしている地獄です。
夫と妻が偉大な理想のもとに、生涯を送る家庭、共に神の御名の栄光を歌い、良き行為に時間を使い、真理と平安と愛が行き渡っていて、毎日欠かさず神聖な書物が読まれ、感覚を支配し、あらゆる生き物は基本的に一つであるということを認識して、万物を平等に扱う家庭は、地上の天国です。DVJp34