■2004年 香港/タイ 95分
■原題「THE EYE 2/見鬼2」
■2008.2.4 wowow
■監督 オキサイド・パン ダニー・パン
■出演
スー・チー (ジョーイ)
ジェッダーポーン・ポンディー (サム)
ユージニア・ユアン (ユエン) 《story》
「胎児を狙う悪霊」
不倫の相手に別れ話を持ち出されたジョーイは、大量の薬を飲んで自殺を図る。一命を取り留めたが、それからそれ以後死者が見えるようになる。そして不倫相手の子どもを身ごもっていることがわかる。ある日、列車に乗ろうとして列車に飛び込んだ女の霊と遭遇する。その女は不倫相手の妻で、ジョーイの胎児に転生しようとしていたのだ。ジョーイは、病院の屋上から飛び降りるが死ぬことができない。 お腹の中の赤ちゃんは
生まれる前に転生が行われるとしたら、生まれる前の赤ちゃんは何なんだ。生まれ変わるということがあるとしても、もしこのようなことが行われているとしたら、命の誕生が不気味になって仕方ない。どんな人間が入り込んでいるか考えただけでぞーっとする。自分も何かの生まれ変わりなら、こんな私で申し訳ない。もっと違った胎児に転生すればよかったのにね。本能にしろ、人間のように意識を持っているにしろ、命というものはすばらしいものだ。転生だとか、輪廻だとか、さまざまな命の姿を考えるだけでも、その想像力は尊敬に値する。いかに人間がいつも幸福を求めているかの表れかもしれない。今度こそ、今度こそと、人として、命あるものとして幸せな生き方を願う強い気持ちが表れているのだと思う。幸せな人生だったなら、満足して終えられる。満足できないからこそ、もう一度やり直したのだろう。満足できることはないけどね。the EYE1【アイ】はよかったが、2作目はイマイチ。3作目は途中で見るのをやめた。
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■2002年 香港/タイ/イギリス/シンガポール 99分
■原題「THE EYE/見鬼」
■2008.2.2 wowow
■監督 オキサイド・パン ダニー・パン
■出演
アンジェリカ・リー (マン・ウォン)
ローレンス・チョウ (ワ・ロー=カウンセラー医師)
キャンディ・ロー (マンの姉)
チャッチャー・ルチナーノン(リン=ドナー)
エドマンド・チャン (ロー医師)
ワン・スーユエン (リンの母)
コウ・インペン (マンの祖母)
ソー・ヤッライ (インイン=入院の少女)
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「見えたのは切ない恐怖」
「目をそらすな、この恐怖から」
2才のときに失明したマンは、20才になり角膜移植手術を受けた。手術は成功し、少しずつ視力が回復していった。病院内でのある夜、隣に寝ていたお婆さんが、黒い人影とともに病室を出ていくところを見かける。翌朝、そのお婆さんは死んでいたことを知る。退院したマンは、心理療法士のワ・ローの元に通い、アドバイスを受ける。しかし、マンは時折不可解な出来事に遭遇する。見覚えのない部屋の景色。通信簿を捜す少年。食堂に現れた親子。マンには死者が見えるのだった。療法士のワとともに、角膜のドナーの情報を探る。そして、ドナーの元を訪れた二人は、驚愕の真実を知る。
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この映画は2度目だ。しかし、何度見ても引き込まれる。人形は、大事に身につけていた物に心がこもってしまう話はよくある。角膜もや心臓は、なおさら元の人間の心を映し出すことはあるのかもしれない。明るい世界だけが見えるのであればよかったのに、人々の死の姿が見えることは、実は恐怖以上に切ないことなんだとわかった。ならば見えない方がいいのだろうか。見えない恐怖というものは、目が見えないだけではない。見えるのに見えていない恐怖というものがある。見えるというのは、脳が判断すること。光は目に届いていても、それを脳が認識しなかったら、見えていないことと同じ。今の私いは見えていないことが多すぎる。感じることができていないことが多すぎる。それでいて、恐怖だけは過敏に覆い被さるように感じてしまう。見えない恐怖ではなく、見えているもの見えていないもの、あらゆることを恐怖に思う恐怖。