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硬直

2006年01月23日 | 介護日記 -
「へろへろ~~」 そんな一日だった。

昨夜、深夜の二時半ごろだっただろうか。
「お~い」という声が響いて、父の元に駆け下りた。

「どこに、いっとったん?」(何処へ行っていたのか)
私が出かけたことを訊いている。
不安を抱えた父に、あったかいミルクにハチミツを入れて飲んでもらって、
就寝したところで、自分も布団に入る。
この数日間の疲れで、どっぷりと意識が堕ちていく・・・。


明けた「今日」は、ご迷惑をかけたYさんとTさんに、お礼の挨拶に出向く。
泥ねぎ、ごぼう、長いも、椎茸、などの野菜や、ジャムクッキーなどを手に、
簡単なお礼を言って、あらためて昨日の様子を訊いてみた。
Tさんによると・・・
父は足が悪いので、階段の途中で歩けなくなって座り込んでいたらしい。
助けてほしくて、「誰か来てくれ~」と大声で叫んでいたということだった。
家の中に入れてあげると落ち着いて、冷蔵庫のジュースを勧めたりして・・・
「ふつーの人になったわよ」ということらしい。

  ※雪の上で座り込んでいた父の衣服は、その後
   ヘルパー資格を持っている「隣家のYさん」が着替えさせてくださったらしい。



ご迷惑をかけて、お手数をかけてしまったにもかかわらず、私は・・・
とっても、とっても申し訳ない“本当のこと”を、このブログに吐き出すことにする。

今の私は、繊細で、感じやすい精神状態にある。
だから、ちょっとした言葉に、過剰に反応してしまう自分を感じたのだ。
率直に言うと、Tさんの言葉には、冷水を浴びせられたように固まってしまった。
  「お父さん、やっぱり田舎がいいんじゃないの?」
  「一人で置いといて、大丈夫なの?危ないんじゃないかしら」
  「あなた一人で看るのは、無理じゃないの?」
  「お父さん、“まだらぼけ”よねぇ~。びっくりしちゃったわよ」
  「毎日、どういう生活しているわけ?」
  「何の仕事しているの?お給料はどうなのよ?」
  「あなたは、毎日何時ごろ帰るの?聞いておかないと・・・ねぇ」
一つ一つの問いかけが、とても息苦しかった。
私の生活(選択)に疑問を投げかけられているような気がして、心地良いとは言えない
窮屈な感覚に包まれてしまった。
それでも、一つ一つに答えて、状況を報告して、今の自分の気持ちも説明して・・・
“勝手な思い込み”や“相手の誤解”を解きながら、
ただ“わかってほしくて”一生懸命に話しているうちに・・・
気がついたら、Tさんの前で“泣いていた”。
「まずいぞ!」と思ったので、すみやかに失礼して車を走らせたが、
駐車場までのほんの数分で、私は大声をあげて“泣いた”。
泣くほどのことでもない会話のはずが・・・無性に泣けてきた。
本当に辛かったから。
きっと、この数年数ヶ月の状況と想いを、端的に振り返り“言葉にした”ことによって、
走馬灯のようにかけめぐったのだろうと思う。
Tさんにはとてもお世話になって、そのことには非常に感謝しているのだが・・・
何故か責められているような気分になって、どうしても辛い気持ちはぬぐえなかった。

しっかし、
今日の“アレ”は、子どもの時以来かなぁ~と思えるぐらいの大声だった(笑)。
「号泣」ってやつだね、たぶん。
でも、すっきりしたから、よかった。
声に出すってことも、たまには必要だ。
いつもは、声を押し殺して、ただ“苦しい息遣いで泣くこと”が多いからネ。

きっといつもなら、あんなに号泣したりはしなかっただろう。
私は、疲れていた。
精神的にも(ゆる~い時間が持てないことで)張りつめていたし、
日常の中でリラックスできる瞬間などは無縁になってしまっている。
その上、ショートステイの件やヘルパーさんの件、度重なる「ドタキャン」の連続、
それに何よりも、今朝の父の身体的状態もショッキングだった。
初めて、トイレの中での排泄(小さくないほうデス)を失敗したのだった。
オムツや洗濯などとは全く違う“排泄処理(掃除)”が、かなり厳しい現実だったりした。
こういうふうにして、どんどん日常生活に影響してくることを(あからさまに)
認識させられたような感じだった。
ショートステイの担当者の心無い電話を再三受けたことも、また過度のストレスをためる
きっかけになったようにも思う。
そういう“あれやこれや”が、一度に重なり・・・・・私の張りつめていた心は、
崩れてしまったのだろう。

でも、我慢する必要なんてないんだと思う。
歳なんて関係ない。
泣きたい時は、泣こうと思う。
今までもそうだったし、これからも・・・。
少しでも吐き出して、処理していくことを念頭に置いて、とにかく迎合することなく、
「自分」を貫いていこう・・・・・と思う。
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