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【小倉百人一首】60:小式部内侍

2014年07月18日 01時55分56秒 | 小倉百人一首
小式部内侍

大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

和泉式部と、最初の夫である橘道貞の間にできた娘。母と同じく藤原彰子に仕えた。
藤原道長の五男・教通との間に二人の子をもうけている。ただし小式部内侍は20代の若さでなくなり、それを悲しんだ和泉式部が詠んだ

 とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり

は名歌として知られる。

ちなみに教通は兄・頼通から摂関を次いで籐氏長者となっているが、この時代の天皇である後三条(71代)は藤原氏を外戚にもたなかったため、延久の荘園整理令を施行して不法な荘園を整理し、藤原氏の力をおおいに削いだ。そして接収した荘園は逆に天皇家のものにして天皇家の勢力興隆をはかり、それが次代の白河院政の土台となる。

この歌のエピソードは非常に有名で、ある時、藤原定頼(藤原公任の息子)から「母からの手紙(歌の代作)は届きましたか?」とからかわれた時に詠んだ歌。
意味は、「大江山を越えた生野にも入ったことがないから(母のいる丹後の)天橋立には足を踏み入れたこともないし、母の文もきてないです」といった内容。読めばわかるとおり、「いく野」は「行く野」と「生野」の掛詞になっており、「ふみ」が「踏み」と「文」の掛詞である。これを瞬時に詠んだのだからその才能は母から濃厚に受け継いでいたといえる。ちなみに和泉式部が丹後にいたのは再婚相手の藤原保昌(この時代の武人として非常に高名)の赴任地がそこだったから。




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