野に咲く花の風情に勝るものはないと、
思っています。
秋の野に薄の穂が揺れる季節ですが、
夕日が当たると黄金色に輝き、
周りの景観にとけ込んで、
極楽浄土に見えるではありませんか!
美しい自然風景や四季折々咲く花、
画像、映像はネット上に溢れています。
けど、
その現実の風景に出合わない限り、
自分がそこにいない限り、
感動は得られない。
自分の目で、心で、五感で、
自然を捉えるからこそ美しい。。。。
しかし、
しかしですよ、
それぞれの人の感性によるもので、
好きなもの、
そうでないものに分かれます。
今津の浜の松林の下に彼岸花が群生しています。
只今、真っ盛り。
あの毒々しい赤い花を見に、
たーくさんの人が、
カメラを持って撮影に訪れています。
日が当たらず薄暗い松林の彼岸花群生、
不気味に思ってしまうんですがね。
澄んだ秋の空、
赤トンボが飛んでいて、
黄金色の稲穂の田んぼの畦に、
彼岸花が咲いているのは、
秋の風情もあろうと思うけど。
花を活けることも、
花は野にあるように、
自然に従う活け方の法則があると思って、
そのように活けています。
野の花を少しだけ部屋に活ける。
それだけで季節感も自然観も存在します。
会場装飾、演壇の花は、
どっかーんと、
自然を、野山を、季節を再現します。
あるがままに活けさせてもらいます。
最近は行きませんが、
過去には、
生け花やフラワーアレンジメントの、
作品展示会に行くと、
会場に入る前から、
植物の悲鳴、不協和音が聴こえるような、
息苦しさを感じてしまうのです。
しかも、
フラワーアレンジメントで大量に切花を使うと、
花の匂いではなく、
かすかに農薬の臭いが漂っている。
(笑い事ではすまないのよーん。)
活ける人は、
そうしたことに全く気付かないのでしょう。
活け方のテクニックとして、
葉っぱをもぎ取り、
ワイヤーでカタチを変え、
花が無残な姿を晒すことも厭わない。
植物素材は作品の表現素材としてしかなく、
自然の法則などはお構いなし。(花イジメやわ。)
やってる人は、
フラワーアーチストや、
生け花の資格取得に大金を払って、
大作に挑むのでしょうね。
人それぞれ、花それぞれ。
こんなお天気続き、
ぜひ、
野山にお出掛けくださいまし。
思っています。
秋の野に薄の穂が揺れる季節ですが、
夕日が当たると黄金色に輝き、
周りの景観にとけ込んで、
極楽浄土に見えるではありませんか!
美しい自然風景や四季折々咲く花、
画像、映像はネット上に溢れています。
けど、
その現実の風景に出合わない限り、
自分がそこにいない限り、
感動は得られない。
自分の目で、心で、五感で、
自然を捉えるからこそ美しい。。。。
しかし、
しかしですよ、
それぞれの人の感性によるもので、
好きなもの、
そうでないものに分かれます。
今津の浜の松林の下に彼岸花が群生しています。
只今、真っ盛り。
あの毒々しい赤い花を見に、
たーくさんの人が、
カメラを持って撮影に訪れています。
日が当たらず薄暗い松林の彼岸花群生、
不気味に思ってしまうんですがね。
澄んだ秋の空、
赤トンボが飛んでいて、
黄金色の稲穂の田んぼの畦に、
彼岸花が咲いているのは、
秋の風情もあろうと思うけど。
花を活けることも、
花は野にあるように、
自然に従う活け方の法則があると思って、
そのように活けています。
野の花を少しだけ部屋に活ける。
それだけで季節感も自然観も存在します。
会場装飾、演壇の花は、
どっかーんと、
自然を、野山を、季節を再現します。
あるがままに活けさせてもらいます。
最近は行きませんが、
過去には、
生け花やフラワーアレンジメントの、
作品展示会に行くと、
会場に入る前から、
植物の悲鳴、不協和音が聴こえるような、
息苦しさを感じてしまうのです。
しかも、
フラワーアレンジメントで大量に切花を使うと、
花の匂いではなく、
かすかに農薬の臭いが漂っている。
(笑い事ではすまないのよーん。)
活ける人は、
そうしたことに全く気付かないのでしょう。
活け方のテクニックとして、
葉っぱをもぎ取り、
ワイヤーでカタチを変え、
花が無残な姿を晒すことも厭わない。
植物素材は作品の表現素材としてしかなく、
自然の法則などはお構いなし。(花イジメやわ。)
やってる人は、
フラワーアーチストや、
生け花の資格取得に大金を払って、
大作に挑むのでしょうね。
人それぞれ、花それぞれ。
こんなお天気続き、
ぜひ、
野山にお出掛けくださいまし。