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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

サブタレニアンの住人から地上へと

2023年01月29日 | JAPANESE

1984年にでた中島みゆきの11枚目のオリジナル·アルバム、はじめましてでようやくその存在が地下から浮かび上がってきたような…

いつからこのアイデアを温めていたのだろうか?

それ迄の独特なフォーク或いは歌謡曲路線に、力強いロックのアレンジメントが加わった。まさしくディランのアルバム、サブタレニアン·ホームシック·ブルースの様な従来のフォークからフォークとロックが混在したアルバム構成へと。

これによってメリハリが効いて主張がさらにポジティブでストレートに伝わる。

80年代半ば頃からは御乱心の時代と称し、色々と模索し新たな取り組みをアルバム制作に取り入れ数多くの引き出しが増え進化してきた様に思う。

周りの出来事にあまり気にしても仕方がない。

自身が今この時を生きて行くことしか術は無い。

もっとポジティブに自分なりに明日を生きよう〜

ってメッセージですかね。


ノスタルジックな曲

2023年01月20日 | JAPANESE

フォーク・クルセーダーズが解散し、1969年そのメンバーだったはしだ・のりひこが中心になって新グループ、シューベルツを結成。そして同年6月ファースト・アルバム、未完成を出す。

作風はまだまだアマチュアぽく未熟さも残っていて、アルバム・タイトル通り未完成だったですかね。

しかしシングルでも発売されたはしだ・のりひこ節全開の“風”と”さすらい人の子守唄”はノスタルジーを感じさせ今でも心に残る名曲だと思います。

杉田二郎もメンバーだった。


聖なる夜に

2022年12月24日 | JAPANESE

カレンダーを眺めると、今日はクリスマス・イブ。

昔はクリスマスになると、ケーキ買ってきてお祝いしたような。

別にキリスト教徒ではなくとも、正月に連なるフェスティブ・シーズンの1日としてお祝いするのが楽しかった。

今でも懐かしい思い出。

しかしこの歳になるとクリスマスであろうが、正月であろうがそれ程ウキウキした感覚は無くなってしまい、いつしかクリスマスにケーキーを食べることも無くなった。

ケーキはなくとも聖なる夜をレコードでお祝いでも。

 


一味違うサントラ盤

2022年12月16日 | JAPANESE

ゴダイゴと言えばオリジナル・アルバムだけでなく映画、TV番組やCMにも楽曲を提供し人気があった。

その彼らが映画音楽のサントラを担当し1978年に出したのが、キタキツネ物語。当時映画はそこそこヒットしていた様だったが、その映画を見ていないのにも関わらず何故かそのサントラ盤が我が家にもある。

このアルバム、ゴダイゴが作曲と演奏も手掛けていて彼ららしい親しみの持てるサウンドで通常映画を補完するサントラ盤以上の出来。そしてボーカルはタケカワ・ユキヒデ、元ズー・ニー・ブーのリード・シンガーだった町田義人と牧ミユキの3名で分け合っていろいろなイメージを味わうことが... 

特に町田義人がハリのある声で歌った映画の主題曲、赤い狩人が当時TVで映画のスポット広告のバックに流れていたのを何となく覚えている。

因みに牧ミユキが担当したボーカル・パートは1972年ヒット曲、北国行きで有名だった朱里エイコが歌うはずだったそうだが、彼女の契約の関係で別のレーベルで歌うことが出来なかったために代わりの歌手が起用されたそうな。

朱里エイコ、一般的にはアメリカのアメリカのショー・ビズネス界で成功を収め、日本でもシングル・ヒットがあった程度の知識しか無いが、Wikiによると昨日ここで紹介したシカゴがライブ・アルバムを出したカーネギー・ホールのメイン・ステージに1976年日本人女性シンガーとして初めて出演したそうな。(男性歌手では1963年のアイ・ジョージ)。

後年何人もの日本人アーティストがカーネーギー・ホールのステージに立ってはいるが、70年代まだまだ日本人の影響力が少ない中でそのステージに立てたのは、本場アメリカのショー・ビジネス界で鍛えられた本当の実力派のシンガーだったからなのだろう。

そんなことを知ると、このキタキツネ物語のサントラで彼女の歌唱をゴダイゴの演奏をバックに味わってみたかったと今更ながら思う。


チューリップ、1974年離陸の時

2022年10月27日 | JAPANESE

なんとかメジャー・デビューしたもののファーストとセカンドのオリジナル・アルバムの売れ行きが芳しくなかった。

70年代初期頃といえば、まだまだ日本人バンドによるフォーク・ロック系の音楽が一般大衆に浸透していない時代でかなり苦戦したように思えた。

何か決定的なヒット曲を出さねばならない状況に追い込まれたのだが、そのプレッシャーを跳ね返すが如く“心の旅”が起死回生の大ヒットとなり、続くポップで親しみやすいメロディーの“夏色のおもいで”や“銀の指輪”のシングルも立て続けにヒット。

ようやく一般的な人気を得て安泰の身となった。

そして、1974年ここからが彼らのスタートととも言える本領発揮の3枚目のスタジオ・アルバム、Take Off(離陸)が完成。

シングル盤とは方向性の違う、彼ら本来の音楽志向を重視したトータル・アルバム、即ち彼らが崇拝してきたビートルズのオマージュとでも言える作品集で、それらは単なる模倣ではなく彼らのオリジナリティーがしっかりと埋め込まれたものとなった。

バンド・メンバーの写真のコラージュされた大型ポスター(裏面は歌詞が記載)、ホワイト・アルバムのオマージュですかね。


久々にCDを新品で購入

2022年09月30日 | JAPANESE

山下達郎のレコードを買ったのは1978年のGo Ahead!で、そこからデビュー・アルバムのCircus Townまで遡り、新譜は1983年のMelodiesまで追いかけた。

個人的な空白の80年代というかその後は仕事が忙しくなってあまりレコードを聴く時間もなくなり、山下達郎のアルバムも買う事はなくなってしまった。

昨今の80年代の和物シティー・ポップを見直すような局地的ムーブメントがあり、それらの中古レコードがかなり値上がりしたようだ。特に山下達郎のアルバムはコンディションの良いものならプレミア価格がついておいそれと手が出ない事に...

彼の最新作、SoftlyのLPなんてあっという間に売り切れ、手に入れようと思うとそれを見越した転売屋から高額で買うしかないようだ。

てな事で、過去のおさらいと1983年のMelodies以降の代表的な作品が聴けるCD3枚組のベスト・アルバムのOUPSを遅まきながら買ってみた。

オン・タイムで聴いたCD-1の曲は非常に懐かしく感じ、CD-2と3に収められたそれ以降の私にとっては新曲の出来もなかなかよろし~

まあそれよりも、CD鑑賞だとノイズなしだし、レコード洗う手間が省けて楽チン楽チン。

ただ最近CD ・DVDレンタルの大手チェーン、GEOが中古のCD ・DVD買取辞めたみたいで、将来プレミアのつきにくい一般的なCD やDVDはゴミ箱行きになる可能性が高くなるのかと思うと、折角久々に買ったのにちょっと残念な気持ちになるね。


日本人50人に1枚のCDアルバム

2022年09月23日 | JAPANESE

購入すれば何らかの特典がつくようなギミックなしで200万枚売り上げがあったお化けアルバム。

米米クラブの人気絶長期のアルバム、Octaveでアルバム・タイトル通りの1992年の8枚目となる。

歌はうまいし演奏もカッチリ、隙のないアレンジに洒落っ気タップリ。

メロディアスで流れる様なポップソング、少々おふざけが混じったファンキーな曲にインスト・ナンバーなどなどバラエティーに飛んで飽きさせない構成で最後まで一気に聴かせる。

当時海外に在住していたので彼らの存在を噂でしか知らなかったが、一時帰国した時にCDを購入。

仕事でチョンボした時 “Eことあるサ” をカーステでよく聴いていましたね。

ところで最近何かEことありました?

自分は自宅の洗濯機の底に綺麗な百円硬貨1枚見つけ、報告せずに使わせていただきました。! 

キリッ


ガロ、 これも3枚目

2022年09月21日 | JAPANESE

チューリップを久々に聴いていると、このバンドも聴きたくなるのです。

1970年にバンド結成、1972年の3枚目のシングル、学生街の喫茶店が大ヒットしたガロ。

アコースティック・ギターと爽やかコーラスの3人組で和製CSN&Yなんて言われていたっけ。

ボーカル、トミーとマークでしたっけ。

(このCD買った経緯思い出せないけれど、1989年に出たCDであれからもう30数年経つわけで)

彼らのアルバムを聴いてみるとそれらの影響を受けた曲が端々に見受けられるし、コンサートでもCSN&Yのカバーを披露したらしい。YouTubeで別の音源だけれど日本のバンドとしては秀逸なCSN&Yのカバー聴かせてくれる。

アメリカのフォーク・ロック系をもっと追求した少々泥臭くさいサウンドだったら個人的にはもっと良かったんだけれど...

まあ日本で一般大衆に受けるには、どうしても歌謡曲寄りの綺麗な曲作りになってしまうのがロック・ファンとしては少々残念ですかね。

ただ学生街の喫茶店はいつ聴いてもよく出来た永遠の名曲だと思う。

でも、あの頃の古いスタイルの喫茶店は今じゃスタバなんかに代わっていて...

かってはタバコふかしながら一杯のコーヒーをちびちび飲みながら友と語り合ったけど、時は流れた〜♪ 

そして、オジンになった〜♪ ですかね?


これもやっぱり3枚目?

2022年09月20日 | JAPANESE

1972年、魔法の黄色い靴でアルバム・デビューし、セカンド・アルバムも同年の年末に約6ヶ月のインタバルで発売するも思ったような成果が出ない。

もう後がなくなり、次の曲がヒットしなければ店じまいと言う覚悟で出したシングルが1973年4月に出た心の旅。

背水の陣として、メロディアスなフォーク・ロック調の曲のボーカルには若き女性リスナーのハートを射止めようと少年ぽい甘い歌声が魅力の姫野達也を起用し、曲のアレンジもインパクトのあるサビのコーラスを曲の頭に持ってきて勢いを出させるなどの工夫を施し準備完了!

制作側がこれは行けると感じたのか、発売した2ヶ月後に一気に畳みかけるが如く心の旅を含むベスト盤を出すことに。

それがチューリップのベスト・アルバム、心の旅。

ジャケのデザインは同じピンボケ気味の写真を両面に使うなどちょっと手抜き感溢れるやっつけ仕事の様ですが、中身は当時のチューリップの魅力満載ですかね。

因みに、それまでの2枚のアルバムの代表曲、シングル曲そして新曲4曲を加えた計12曲を収録したベスト・アルバムと称されたが、まあ新曲4曲が収録されているので3枚目のセミ・オリジナル・アルバムとでも言えるのかな。

ヒットしなかった2枚のオリジナル・アルバムからベスト物を制作するのは結構リスクがあって普通例を見ないが、その後シングルの心の旅が思惑以上でオリコン1位の大ヒットとなり、チューリップの覚醒をアシストしたアルバムとなった。

やっぱり3枚目はスゴイ!

まあ、実際の所オリジナル・アルバムを制作するには新曲が足りなかったのかな? 

ただ過去に出した曲もこのアルバムで再評価されこれはこれで良かったと思う。

知らんけど...


3枚目シリーズは更に続く

2022年09月19日 | JAPANESE

3枚目ってオイラのこと?

いえいえそうではありません。

ミュージシャンのサード・アルバムって結構代表作になる場合があるのでちょっと検証してみようってシリーズ...

アルバムが中島みゆきの1978年の3枚目のアルバム、あ・り・が・と・う。

このアルバムは確かに彼女にとって転機になったアルバム。それまではレコード会社かプロデューサーが差配したバックバンド(確かエジソンってバンド)によって曲のアレンジが施されてきたようで、彼女はどうもそれがお気に召さなかったそうで。

このアルバムからは、アレンジャーに吉野金次と福井峻らを起用し共同作業で曲作りがされたので風通しが良くなり彼女の音楽を通して表現したかった事が形となったのでは…

因みにキーボードには、坂本龍一も登場している。

このアルバム聴いたことがなく、当時大学生だった知り合いからコレ良いよって教えてもらった。彼は地方からやってきてオンボロ・アパートに下宿して学校に通っていた。

バイトでびっちり冬休みが埋まってしまい年末の帰省が叶わぬ時、”ホームにて”を寒く薄暗い下宿先の部屋で一人で聴いてしまうと多分泣いちゃうよね。

実家から通学していたオイラの目にも何故か涙が...


明日もお休みで、少々夜更かし

2022年09月18日 | JAPANESE

1枚目は初々しさ。

2枚目は迷いの2枚目。1枚目が成功したなら2枚目も同じでいく? それとも、2番煎じは嫌だとちょっと芸風を変えてみる?

そして3枚目でようやく方向性が固まるって感じですかね。

荒井由美と井上陽水の3枚目に続くのは、このお方の3枚目のアルバム。

1980年の竹内まりやのサード・アルバム、Love Songs。

自作曲以外に安井かずみ作詞、加藤和彦作曲による不思議なピーチパイなど豪華メンバーによる楽曲の提供もあって充実した内容。

キャンパスから抜け出して、ちょっぴり大人になったね。


ウイーク・エンドはいかがお過ごし?

2022年09月17日 | JAPANESE

台風が近づいているのか、天気は下り坂。

台風が上陸すれば強風で大雨を伴いそれはそれで大変だが、今の所空は雲に覆われ気温は下がり窓から吹き込む風も涼しく感じ連日の猛暑から一息ついた。

今日は週末、久しぶりに邦楽でもと取り出した2枚のレコード。

荒井由美、1975年の3枚目のアルバム、コバルト・アワー

井上陽水、1973年の3枚目のアルバム、氷の世界

ただすぐにターン・テーブルに置いて聴くことはしない。やっぱりレコードの大敵は表面に傷がなくとも静音部で気になるチリパチの雑音。

レコードに帯電した静電気とかレコードの溝の奥深くにこびり付く目に見えないしぶといカビや埃カス。ベルベットのレコード・クリーナーで一拭きしたぐらいでは雑音は取れない。

特に長い間手入れをしていない70年代に買った古~いレコードを聴くには、コットン・パフに含ませた中性洗剤で拭いた後水洗い、完全乾燥後に帯電防止・乾性潤滑剤を吹きかけ、ここでベルベットのクリーナーで一拭きという一連の儀式を経た上でようやくターンテーブルに。

(ナガオカのStat-Ban562を使ってます。昔からいまだに売っているのでソコソコ効果あるんじゃ?)

ここまで約1時間くらいですかね。

マニアの方々ならレコード・ショップで売っている高価なレコード洗浄グッズ、水洗いなら蒸留水、更には超高額な超音波洗浄装置など利用するらしいが、まあ4流コレクターなら中性洗剤を使った水洗いと帯電防止・乾性潤滑剤のスプレーの合わせ技で十分ですかね。

雑音がかなり低減されて、2枚のレコードをストレス無しに聴くことが出来た。

ありがたや~

とは言え、もう少しで夕方。

オイラは朝から一体何をやっていたんだ?と思わないでもないが、まあ好きなことをやっている時って時間が過ぎるのが早く感じるってことね。


Be My Friendって?

2022年08月30日 | JAPANESE

Be My Babyって言えば、ヒット・メーカー、フィル・スペクター作曲(共作)・プロデュースでロネッツが歌い1963年にヒットした曲。

Be My Friendって言えば?

そう、日本の歌謡界のヒットメーカー、筒美京平、作曲・編曲で南沙織が歌い1972年に3枚目のシングルとしてヒットした曲。曲のタイトルは“ともだち”だがジャケを見ると英文でBe My Friend(友達になって)って書いてある。

あの頃はまだ中学生でテレビなんかでみるアイドルは眩しかった。

もちろんテレビに出ていたアイドル・クラスの娘なんて学校には皆無だったけれど、ちょっと気になった女の子はいた。ただ引っ込み思案で“友達になって”なんて恥ずかしくってこの歌詞の通りにはとてもじゃないけど声に出して言えなかったね。

もし言えたとしたら人生かなり変わっていたかもしれないけれど、途中で色々あったけれど今の人生もまあなんとか無事でここまでやってこれたのでよしとしたい。

あの時どうすれば良かったのかって思っても後戻りはできないし、今更人生を結果論で語るのもね…

ただ当時言えなかった気持ちを代弁してくれた一枚でした。


あの時君たちは若かった。

2022年08月11日 | JAPANESE

1978年、ゴダイゴの3枚目のオリジナル・アルバム、Magic Monkey(西遊記)が出た。

テレビ番組のオリジナル・サントラ盤てな記載も帯にはあったが、このアルバムでは歌詞がガンダーラも含めて全編英語で歌われていてちょっと違った印象を受ける。

とは言えこれを聴けば、レギュラーで出演していた若かりし頃の堺正章、夏目雅子、岸部シローと西田敏行らが蘇る。

今じゃ白髪もそこかしこのオジンになってしまったけれど、あの時はオイラも若かった。