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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

たまにはしっとりと

2024年05月10日 | JAPANESE

中島みゆきのカバー第一人者といえば研ナオコ。

彼女の名前を知ったのは1972年のシングル、京都の女の子。大ヒットにはならなかったけれど、当時小ヒットしたぐらいは売れたと記憶している。そして1975年の宇崎竜童が彼女のために書き下ろした愚図もよかった。

そしてその後彼女は中島みゆきの作品をカバーしていくことに。

本日は1978年に出た中島みゆきの作品のカバー集、Singer Naoko VS Writer & Composer Miyukiでも。

それにしても歌が上手いと思う。他のアイドル系歌手もカバーしていたけれどレベチだったね。

当時はテレビでコメディアンヌを演じお茶の間に笑いを振り撒いていたのをよく目にしていたのでこのアルバムを聴いて改めてそのギャップに驚く。

欲を言えば、このアルバムの後に出した中島みゆき作のシングル、ひとりぼっちで踊らせてが収録されていたら完璧だったのに。


Time Out!

2024年03月24日 | JAPANESE

1989年の6作目のイギリス録音のアルバム、ナポレオン・フィッシュと泳ぐ日と1992年の8作目の矢野顕子やヨーコ・オノ親子らがレコーディングに参加した話題作、Sweet16に挟まれ少々地味に感じられた佐野元春の1990年のアルバム、Time Out!。

世の中色々あって内向きになることも多々あるけれど、肩の力を抜いてやり過ごせばきっとBig Timeが訪れる。そう精神的にオイラも大人になった。

Time Out!

一回休みの癒しのアルバムですかね。


和物ロック

2024年03月15日 | JAPANESE

久々に尾崎豊の1990年の5枚目のスタジオ・アルバム、誕生(Birth)を取り出す。

今から34年前、彼が亡くなる2年前の24歳で作り上げたこの作品はCD2枚組にびっしり収録された結構なボリュームとロック・サウンドをバックにしたパワフルな歌唱は、オイラにとっては超ヘビー級な存在で今でも圧倒される。

ただ歌詞の内容からして歌っている本人も相当プレッシャー感じていたのかな。

あまりに繊細で神経すり減らしちょっと生き急いだ感はあるね。

たまにはオイラみたいにもっと能天気にふわっと生きて行くのもアリかも...

まあ、あんたはいつも能天気だったって言われそうだけれど...


オイラのニュー・ミュージック原点、その2

2023年12月18日 | JAPANESE

個人的に和物の原点となるアルバムと言えば荒井由美以外にこのアルバムも忘れてはいけない。

1973年の師走、ちょうど50年前の今頃に出たお化けアルバム、井上陽水の氷の世界。なんでもLPの売り上げが初めて100万枚を超えた記録を打ち立てた。

当時音楽好きの若者がいた家庭ではほぼ一家に一枚って感じで、そのためかどこの中古ショップでもよく見かけるアルバムでもある。

(陽水の変貌って帯に書かれたキャッチ・フレーズが目を惹く。)

(ロンドンでの一コマって感じの写真ですかね? 電話していないのにボックスに入ってかけてるポーズ、あるあるネタ)

過去の2枚のスタジオ・アルバムよりも曲によってはロック色が強まりオイラのアンテナにも引っ掛った。

井上陽水はビートルズを結構気に入っていた様で、このアルバムでも幾らかの曲をわざわざロンドンまで出向いて、あのビートルズやその他有名ミュージシャンが使ったトライデント・スタジオや別の著名なアドビジョン・スタジオなどで現地のミュージシャンとレコーディングしたそうな。

サイドAはアップ・テンポの“あかずの踏切”から2曲目の“はじまり”更にフォーク調の“帰れない二人”へとシームレスに繋がってゆき、4曲目ではワルツ調の“チエちゃん”のそしてロックな“氷の世界”へと目まぐるしく展開していく構成が芸風は違えどやっぱりビートルズを意識していたのかな?

 


オイラのニュー・ミュージック原点

2023年12月17日 | JAPANESE

60年代末から70年代初期の日本のフォークやロックって言えばテレビで一般ウケする歌謡曲寄りのアーティスト以外はまだまだアンダー・グラウンドって感じでたまにラジオでオン・エヤーされる程度だった。

洋楽を主に聴いていたオイラはそれほど和物には興味が無かったけれど、荒井由美のデビューによって徐々に日本のアーティストにも興味を持つ様に…

個人的に和物の原点となるアルバムと言えば、彼女のファースト・アルバムのひこうき雲も捨て難いが、やっぱり1974年のミスリムを推す。

(なぬ〜 秘技、幽体離脱?)

それまでの歌謡曲にないメロディーやアレンジメント、更に彼女の初々しい歌唱が新鮮に感じた。

まさしくオイラにとってニュー・ミュージックだった。

ただ、次作のコバルト・アワー以降のアルバムは、確かにアーティストとしてのキャリアを重ねるごとに更に進化したのかも知れないけれど、それほど興味を持つことはなかった。

やっぱり初期の頃の初々しさからくる透明感を求めていたのかも…


アリスとの遭遇

2023年10月24日 | JAPANESE

先日、谷村新司氏が亡くなった。

アリスがレコード・デビューしたのは、ちょうど私が高校生だった頃。

ロックばっかり聴いていたので日本のミュージック・シーンには疎かった私だが、当時レコードの貸し借りがクラス内でよく行われていて、ニュー・ミュージック系フォーク全盛時代だった頃の拓郎、陽水とかアリスのLPレコードをレコード・ショップがくれる厚手の紙袋に入れてクラス・メートが大事そうに抱えていたのを横目で見ていた。

そう、クラス内ではカミング・アウトしない人を含めてもロック派は圧倒的にマイナーな存在で少々肩身の狭い思いがあったかな。

そんな私だったが、徐々に聴くジャンルを広げて和物も聴くように。

アリスは1976年の“今はもうだれも”や“遠くで汽笛を聞きながら”が収録された5枚のスタジオ・アルバム辺りから全国的に認知され、1978年の“冬の稲妻”で大ブレーク。テレビのヒット・パレードでよく見たっけ。

本日は1973年の彼らのセカンド、Alice IIでも。

(手持ちのLPは1975年の再発盤)

まだまだアンダー・グラウンドの時代だった彼らだが、それほど大仰な歌詞もなく素直で初々しさが残る作風は割とお気に入り。

ちょっと早過ぎたね、チンペイさん。

合掌。


懐かしのレコード

2023年09月08日 | JAPANESE

1969年、アメリカの女性フォーク・デュオとして日本デビューしたベッツイー&クリス。

北山修と加藤和彦コンビのペンによるシングル第一弾”白い色は恋人の色”は大ヒット。

辿々しい日本語での歌唱がより初々しさを感じさせる。

白い色って汚れのない色。何か忘れていたものを思い起こさせる。

オイラにもこんな真っ白い時代があったんだ。

(当時日本コロンビア系列のデンオン・レーベルから発売された。そのデンオン、今じゃデノンと名乗っている外資系の音響製品製造の会社だ。)

 


久保田早紀

2023年09月06日 | JAPANESE

80年代前半にかけてシティー・ポップ系のサウンドで人気のあったSSW久保田早紀。

1979年にアルバム、夢がたりでデビュー。シングル・カットされたオリエンタル・エキゾチックな香りを醸し出す異邦人が大ヒットし人気を博す。

因みに1984年の結婚後に久保田早紀としての活動を停止し、その後は本名久米小百合で教会音楽家として活動再開ってWikiに書いてあった。

我が家にも彼女の古いCDのベスト・アルバムがある。

CDジャケに1992年の日付が表記されていたのでもう30年ほど前に買ったものだろう。80年代当時、テレビのCMでよく聴いた異邦人とオレンジ・エアメール・スペシャルをもう一度聴いてみたいと思い多分買ったのかな…

買ったは良いけどほとんど聴かず放置していたCD棚から発見!

ヒット曲はもとより全体的にしっとりしていい感じ。

昔はよかったなんて言うとオジンの戯言って言われるかも知れないけれど、本当にいいんだから。


麻丘めぐみ、セカンド・アルバム

2023年09月01日 | JAPANESE

今はオジンの身であるオイラだが、こんなオイラにも他の人と同じ様に甘酸っぱい青春時代はあった。

ロックばっかり聴いていたわけではなく、流行りの歌謡曲やフォークソングなんかを時折を口ずさんだりしていたっけ。

1972年6月和物では演歌専門だったレーベル、ビクターからポップス歌謡第一号として麻丘めぐみがアルバム・デビュー。シングル、”芽ばえ”を引っ提げて一躍売れっ子アイドル歌手となる。

その6ヶ月後に第2弾のアルバム、”さわやか”が発売されてオリコン10位、シングルはアルバムから2曲カット。”悲しみよこんにちは”が6位、”女の子なんだもん”が7位とその人気を決定づける。

その後も継続的にアルバムやシングルを出し続けるが、彼女のピークはやっぱり1972年のデビューから1974年末の2年間に集約される。

アルバムには歌謡曲風の曲も収録されているが、やっぱり筒美京平作曲の軽やかなポップス系の曲が彼女にはフィットする。

久しぶりに聴くと恥ずかしながら楽しかったあの頃を思い出す。


平山三紀

2023年08月29日 | JAPANESE

1970年、ビューティフル・ヨコハマでデビュー。

真夏の出来事、ノアの箱舟やフレンズと立て続けにヒット曲を連発。

歌謡曲っぽいけれどハスキーでチッピリ蓮っ葉な歌いっぷりが当時の女性歌手とは一線を画す。

元々ジャズや洋楽ポップスをクラブで歌っていたらしく一味違うのも納得。

因みに後に彼女のアルバムを近田春夫がプロデュースしたり、久保田麻琴率いるサンディー&サンセッツらとコラボ・アルバムの制作するなどやっぱり歌謡曲のジャンルで一括り出来ないシンガーでしたね。

今回その彼女が日本が誇るヒット・メイカー、筒美京平の曲を全編に渡って歌うCDアルバムを久々に聴いてみる。

あの頃の懐かしさが蘇る。

ところで、真夏の出来事のエンディングでまさかの辿々しい英語での語り、I love you so much darling, but we’re part now! Goodbye!

こうもあっさり別れを切り出されるとなす術なし。

 


レコード・ブームの裏で

2023年07月13日 | JAPANESE

昨今のレコード・ブームにはビックリ!

衰退した産業がまた生き返るのは良いことだけど、かって中古ショップなんかでも数百円で買うことの出来た掘り出し物のレコードも全く見かけなくなり、わざわざ遠くのショップまで出掛けて探すワクワク感は無くなった。

今日某通販サイトを訪れてみると日本のアーティストなんかも復刻版のレコードをガンガンと出していて、来月にはサディスティック・ミカ・バンドの写真本付きの4枚組LPボックス・セットが出るらしい。

買ってみたい気もするけれど、なんとお値段2万円に近い商品だ。せめてバラ売りしてくれればねぇ~

特に1974年に出たサダディスティック・ミカ・バンドの“黒船”はジャケのデザインが好みなのでLPサイズで味わいたかったね。

まあ中古もあるけれど、ジャケの白い雲にシミが結構目立つのが多いのが難点。

無い袖は触れぬと言うことでが、大昔に買った手持ちのCDで我慢、我慢。


久しぶりだね、おトミーさん~🎵、その2

2023年07月06日 | JAPANESE

時は1978年、世界がディスコ・ブームの真っ只中。

我が国でも、そのブームに乗り遅れまいと何か新しいネタはと躍起になっていた。

そこで登場するのがDisco Otomisan。

なぜか我が家にもシングル盤が….

春日のハッチャンの持ち歌を、ディスコのビートに乗せてエボニー・ウェッブなる黒人バンドに日本語で歌わせる無茶振り。

これぞ正真正銘のオー!トミーさん。

これが当時売れたかどうかは定かではない。


もう春です

2023年03月25日 | JAPANESE

本日は雨雲に覆われてあいにくの曇天の週末。例年と比べて3月初旬から気温が上がりあっという間に春模様。

この季節になると思い出すのはイルカが歌うなごり雪。

残念ながら今年はもうこの景色を拝めないね。

この歌って1975年に出て私が大学に入学した年だったので今でも結構印象に残っている。

今思えば、大学の入試は大変だった。

昨今のAO入試とかセンター試験なんてなく、全部一発勝負だったからね。

一応できる範囲はやったつもりだったけれど、全く予想もしない範囲からの出題やケアレス・ミスなんかでまぐれで受かった一校を除いて全滅、さらに周りの友人達は殆どが浪人に。なんだか喜ぶに喜べない雰囲気だった。

更に卒業時は第二次オイル・ショックで景気後退、あわや就職浪人しそうだった。

時がゆけば、未熟なわたしも~♪

大人になると、気づくのだろう~♪

学校は勉強しに行く所だと…

そんなこんなでこの時期になると当時のことを思い出し、

大人になってもカラオケでこの歌よく歌いましたね。


壊れた扉から

2023年03月05日 | JAPANESE

尾崎豊の1985年の3枚目のアルバム、壊れた扉からを聴いてみる。

学園物のテーマも前作で卒業、これからは大人の世界で揉まれることに。

全2作と比べると少々地味目に感じるかも知れないが、彼らしく内容はいいと思う。

(当初は10曲収録する予定だったそうだが、時間的な制約で全9曲でアルバムは発売された)

ただこのアルバムの制作時尾崎豊はまだ10代で、ツアーの合間に作詞・作曲、さらにレコーディングを進め20歳の誕生日を迎えるまでにこの3作目のアルバムを制作するという足枷があったため、結構プレッシャーがかかって精神的に追い詰められていたのではなかっただろうか? この後彼は一旦ブレークし癒しを求めて渡米。

音楽という芸術にコマーシャリズムが絡むと制作者の自由が奪われるのは避けられないのだが、もう少しゆっくり生きていって欲しかったね。

そうすれば壊れた扉を通ることもなかったのに…


7インチ・シングルでも

2023年02月12日 | JAPANESE

1970年と言えば、大阪で万国博覧会が開催され、その年の末注目の国際的音楽祭、第一回東京国際歌謡音楽祭も開催と相なった。

ようやく日本の音楽祭も世界に打って出ることに、そして第一回の栄えあるグランプリ受賞曲はイスラエル出身のデュオ、ヘドバとダビテが歌唱する”ナオミの夢”だった。

まだ生まれる前でこの曲を聴いた事のない人ならば、この曲のイントロがスタートすれば思わずワン、ツゥーとカウントし敏いとうとハッピー・アンド・ブルーのヒット曲“星降る街角”を歌い出すかも知れない様な親しみ易いビートに乗ったメロディーのこの曲は日本でもヒットした。

久々に聴いたら結構新鮮に感じ都合四回連続して皿回す事に...