雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

ぜつぼう/本谷 有希子

2008-10-30 | 小説
「絶望ォーーーーに身をよじれィ 虫けらどもォオオーーッ!!」

 とは、かの有名な『切り裂きジャック』(ジョジョの奇妙な冒険 三巻参照)のお言葉ですが、この小説とはなんら関係ありません。あしからず。


 で、本谷有希子さんの『ぜつぼう』ですが、一時まぐれで大ブレイクしたお笑い芸人『ピロチキ』(誰がどう読んでも、あの『猿○石』が浮かんでくる)の戸越。外国人の相方に逃げられ、それでも別の外国人をとっかえひっかえし、そのうちブームは過ぎ去り、仕事を干され、やがて引きこもりになるわ、睡眠障害に悩まされるわ、とずんずん絶望の果てへ陥っていきます。そんなある日、ひょんな出会いで田舎の農村へ行くはめに。そしてそこで出逢った女性シズミとの日々の中で真実の絶望の姿を模索しはじめる。

 ところどころ、いつもの本谷さんならではの笑える記述が見受けられるものの、今作はかなり純文学寄りに書かれている感じです。ナニかを狙っている感じです。

 同郷ということもあって、田舎の農作業の描写ではコチラの風景が見事に重なってきます。いや実際、農作業なんてしたことないんだけど、なんとなく雰囲気が。

 ラストはかなり印象的で、こういうの好きだなぁ、と思いました。

 やっぱ本谷有希子はスゴい!決して同郷贔屓などではなく、いや多少はあるけれど、とにかく、

「さすが本谷!俺たちに出来ないことを平然とやってのけるッ!
  そこにシビれる!あこがれるゥ!」

 と、そんなカンジです。(いやホント、まったくジョジョとは関係ない話だから)

信州紀行~古安曽

2008-10-29 | 旅行
 朝、ホテルをチェックアウトする際に、フロントマンに「上高地へ行かれるんですか?」とにこやかに訊ねられ、「いや、上田の方へ」と真逆の地域を言い放ち、フロントマンを戸惑わせた。
 どうやらこんな朝早くから松本を発つ旅行客は「上高地に向かう」のが定石のようだ。

 なので、何故私たちが上田方面の『古安曽』を目指すに至ったのかを、まずはお話しておこう。
 信州といえば「そば」、「そば」といえば・・・の件は今回の紀行文で多用してきたが、もうひとつ信州といえば!いえば?そう、『リンゴ』である。この時期、信州に足を踏み入れると、いたるところで紅々とした実をたずさえたリンゴの木にお目にかかる。そう、この時期、信州はリンゴ狩り真っ最中なのである。

 妻と今回の旅の計画を練っていて、私はとにかく「新そばだ。戸隠行って、新そばを喰う」を第一目的に挙げ、その次に「以前ゆっくり見られなかった松本城を見たい」を提案し、一日目の予定は概ねそんなところだろう、とした。
 それじゃあ二日目はどうする?妻に「どこか行きたいところはないか?」と訊ねると「リンゴ。無農薬のリンゴをその場で買って、食べたい」と言う。
 プチロハスな妻は『無農薬』だとか『有機栽培』『無添加』などの言語にことのほかハマっていて、添加物まみれのジャンクな食い物を嫌悪しているとてもめんどくさいヤツなのである。なので、「でも、ジャンクフードは美味いぜ」と言い切る私とは言い争いが絶えない・・・。いや、まぁ、それはとりあえず置いといて、せっかくの旅行計画、ここでまた仲違いしてもどうしようもないので、オトナな私は気前良く「ラジャー」と応対し、無農薬がウリの信州リンゴ農園を調べた。
 
 その結果、松本からわりと近いと思われる上田市古安曽にある『Sリンゴ農園』というところを見つけた。しかしそこはどうもリンゴ狩りとかはやっていない様子で、さらには直売もしていない様子。どうもネット販売だけのように見受けられるのだが、そこはそれ、大らかで臨機応変な性格『O型』の私である、「行けばなんとかなるだろ」ということで、その古安曽『Sリンゴ農園』に白羽の矢を立てたのであった。

 そんなワケで戸惑うフロントマンに「上田にはどうやって行けばいいんですかね」と訊ね、「ここからだと有料道路の三才山トンネルから行くのが一番近いですよ。一時間半か二時間くらいで着きますよ」と教えてもらった。
 
 そして朝の松本城、旧開智学校とハンパない冷え込みの中を見て歩きまわり、八時頃に松本を後にし、ご教授通り三才山トンネルへと向かった。

 朝の道路はとても空いていてスイスイと流れるように車を走らせられる。その有料道路は山々に囲まれた緩やかな峠道。周りには緑から黄色、黄色からうっすらと紅に変わる多様な葉を繁らせた木々が朝日を浴びて山々を彩っている。紅葉に染めつくされる前のその景観に、むしろ今のほうがカオスな自然の姿を感じられて良いようにも思えた。

 程なくしてトンネルに入り、そして抜け、地図と時折あらわれる道路標示に従っていくと、気付けば『古安曽』に入っていた。

 おおっ!ここだ、ここ。と、着いたのはいいのだが実はここからが問題で、目的の『Sリンゴ農園』がいったいどの辺りなのか、旅行者の私たちには見当もつかない。
 一応、その農園の住所は書き写してきたが、はてさてふふーん?

 などとバカみたいに探し回ってもしょうがないので、ちょうど見つけた交番で尋ねることにした。ちなみにここ、古安曽に入ってから、まだ住人はひとりも目にしていない。まわりにはとにかく、リンゴの木が乱立している。そんな、町(村?)だ。

 交番に入ると若い巡査が愛想よく対応してくれた。

「すいません、この『Sリンゴ農園』に行きたいんですけど・・・」
 おずおずと住所を書き写した紙を渡す私。

「えぇーっと・・・ちょっと待ってくださいねー」
 近隣地図とその住所を見比べる巡査。

「・・・・・・・・」
 どこがどこやら解からないくせに地図を眺めるバカ夫婦。

「あぁ、この住所だとこの辺なんですが・・・この『Sリンゴ農園』ってところは、出てないですねー。普通のお宅の畑なのかなぁ?」
 クルクルとその辺りを指でなぞる巡査。

 見るとその一帯、『S』姓の家がやたらはびこっている。どうも、その中のどれからしいのだが・・・・と、目を凝らしていた私はおもむろに、「あっ!これじゃないっすかね?」と指差した。そこには『S*** APPLE FARM』と銘うってある。

「ここですここ。きっとここでしょう」
 と、巡査も妻もたじろぐ勢いで独断的に確信の言を発した私は意気込んでそこまでの道すじを教えてもらい、巡査に礼を述べ交番を後にした。

 よし!目的地はもうすぐ、そこだ。いざ行かん!『S*** APPLE FARM』へ!

 それにしても、ネットだと『Sりんご農園』だったのに、地図では英語かよ!わかりづらいぢゃねーかよ、なぁ!

 などと、なんだかんだで笑顔のツッコミを入れつつ、私たちは美味しいリンゴを求めに向かったのであった。


 ・・・つづく・・・

 

  

暗色コメディ/連城 三紀彦

2008-10-28 | 小説
≪もう一人の自分を目撃してしまった主婦。自分を轢き殺したはずのトラックが消滅した画家。妻に、あんたは一週間前に死んだと告げられた葬儀屋。知らぬ間に妻が別人にすり替わっていた外科医。四つの狂気が織りなす幻想のタペストリーから、やがて浮かび上がる真犯人の狡知。本格ミステリの最高傑作。≫

 これは凄い。なにが凄い?それは本書がおよそ三十年前(1979年)に書かれたということ。三十年前の推理小説といえば、たしか横溝正史とか松本清張などの時代ではなかったか?そんな中でこれほど斬新なミステリ小説を(しかも処女長編)書き上げてしまうとは。
 なにが斬新かって?それは本書を読み進めるうちに、「ほんとにこれは推理小説なのか?」とだんだん不安になってきて、「ぐわんぐわん」と目眩のような感覚をともなってくる、にもかかわらず最後には完璧な論理的解決が導き出される、というところ。

 いや、でも、中には「ちょっとそれは無茶しすぎだろ」という推理もあるにはあるのだが、この時代にこれだけの異端推理小説を発表し、尚且つ今日に至っても全く色褪せることなく、いやむしろ未だに斬新さを保ち続けているというのが、もの凄い。

 連城三紀彦氏といえば恋愛小説でその名を馳せているが、実はデビューはミステリ作家という、お人。近年でも『白光』や『人間動物園』といったミステリも精力的に書いておられる。
 その人間心理を精緻に描写する筆力は『恋愛』にも『ミステリ』にも不可欠な要素であることは確か。そしてそれは、『恋愛』=『ミステリ』ということにも繋がっているのではないか?

 ともあれ、連城ミステリ作品『変調二人羽織』『六花の印』『私という名の変奏曲』等々、まだまだ多くの名作が残っているいうことが、私の胸を弾ませてくれている。


 

2008-10-27 | 雑記
「エレクトロニクス」「スカトロに喰いつく」に聴こえる。

 と、ボキャ天なみの無茶な発想を展開してみる、雨の日の午後。


 しかし、こうやって文字にしてみると「トロ」しかあってないぢゃねーか!

 と、ダメ出ししている、雨上がりの夜。


 
 にょいーんにょいーんにょいーん・・・・女陰。。。



 後日追記・・・あっ、よく見ると「トロニク」「トロに喰」ってあってる。こんだけあってたらやっぱ聴き間違えるわなぁ・・・(無茶ですか?

擬音

2008-10-27 | 雑記
 スーパーのお菓子コーナーで、男の子がなにやら奇妙な擬音を口ずさみながら悦に入っていた。

「にょいーん、にょいーん」

 と。

 それを耳にしながら私は心の中で、

「にょいーん、にょいん、女陰・・・」

 と変換し、悦に入っていた。

 すると横にいた妻が「なに独りで笑ってんの?気持ち悪い」と悪し様に言い放った。

 いつもなら多少の反論を試みるところだが、まるで心の中を見透かされたような思いに囚われ、「い、いや、別に・・・」と目を泳がせながらあっさりと引き下がった。

 それがまた、気持ち悪さに拍車をかけているとも気付かずに・・・・。

ランドマーク/吉田 修一

2008-10-23 | 小説
≪関東平野のど真ん中、開発途上の大宮の地にそびえ立つ、地上35階建ての巨大スパイラルビル。設計士・犬飼と鉄筋工・隼人の運命が交差するその建設現場で、積み重ねられた不安定なねじれがやがて臨界点を超えるとき―。鮮烈なイメージと比類ない構想、圧倒的な筆力で“現代”のクライシスを描く芥川賞・山本賞作家の傑作長篇小説。≫

 吉田氏の小説を読むと、なにかしら気が重くなる。ボクシングで例えるなら、フックやストレートのような鋭い攻撃はわざと避け、ジャブ、ジャブ、肘当て(反則)ジャブ、蹴り(反則)ジャブ、ジャブ・・・・そして、ジャブ。そうやってジワジワとコーナーに追い詰め、なおも、ジャブ。それも全部、リバーブロー。
 やがて耐え切れず膝をつき明瞭な意識の中、苦しみ、もがきながらのカウントダウンを耳にする。

 試合後(読後)は気だるさの漂う中、呆然とその試合内容について思考を巡らせれば、辿り着くのは『自分』の愚かさ、弱さ、醜さ、汚さ。

 ただ、それが嫌なわけではない。それこそが、本来あるべき『自分』の『人間』の姿なのだろうから。だからといって、妙に納得したり、受け入れたりは、ちょっと難しいから、抵抗があるから、ときどき、こういう深いボディブローをくらって、普段忘れがちな『自分』を再認識しておきたい。

 なにが言いたいのか?自分でもよくわからないが、そういった気持ちにさせられた一冊でした。

信州紀行~松本、その三

2008-10-23 | 旅行
 普段、休日の朝といえば、前夜に痛飲した酒が残っていたり、夜更かしで寝不足もいいところな愚体を、ダウン寸前のボクサーさながらの状態でかろうじて起き上がる、というのがもっぱらスタンダードな休日の朝のスタートなのだが、この日(12日)の朝は、久方ぶりの熟睡によって実に健全な寝起きをむかえられた。

 前日はといえばAM5:00出発だったのでAM4:30起き。そこから長時間の運転。そして四六時中、妻と一緒。そんな過酷な一日であり疲れも溜まりまくっているにもかかわらず、これほど快適な朝を迎えられるとは、やはり旅先ゆえの昂揚感からか?はたまた四六時中妻の監視下に置かれているためにあまりやんちゃなことをしていないからであろうか?いずれにせよ、AM6:00にセットした目覚ましが鳴るまで爆睡していた。起きる少し前に妻の無遠慮なドライヤーの音を聞いた覚えもあるが、まだ目覚ましは鳴っていない、と、かまわず眠りにおち入れた。ようするに、それほどまでに疲れていたということだろう。

 さて、そうして爽やかに起きだして、そそくさとお湯を沸かしたりして、ジャスコで買ってきたインスタント味噌汁やパン、果物などで軽い朝食を済ませ、七時にはホテルをチェックアウトした。

 外に出ると、信州の朝は冷え込んでいた。「気温、一ケタだろ?」と長袖シャツに秋物ジャケットを羽織っただけの私はぶるりと身震いしながら車のエンジンをかけ、すぐさま暖房をつける。しかし、暖房が効く間もなく、ほんの二、三分で松本城に到着、すぐそばの100円パーキングに駐車させ、我々はクソ寒い中、松本城を目指す。

 さすがにこんな朝早くなので観光客の姿は見受けられないが、お堀の周りを散歩する人やジョギングする人など地元の方と思われる姿がチラホラある。

 松本城へは以前(五、六年前だったかな?)上高地に行ったとき、ついでとばかりに市内に寄り、その前を通り過ぎたことがあって、今度来るときはちゃんと見てみたいなぁ、中に入らなくてもいいから、と考えていたので散歩がてら、ゆっくりと外から眺めていればいいかな、と、お堀の周りを歩いていたら昨日に引き続き、というか連休いっぱいやっているらしい『そば祭り』の準備やなんやらで正門が開放されている。それとは関係なく、普段でもこんな朝早くから入れるのだろうか?まぁ、いいや。とにかく中に入れるようなので、入っていった。
「中」といってももちろんお城の中ではなくて、その外周広場。そしてその広場ではフェスティバルのテナントがひしめき合って立ち並んでいた。各テナント内では早くも準備に勤しむ人たちがあれやこれやと動き回っていた。
 
 そんな人たちを尻目に、とにかく松本城をカメラに収めていたら、あるテナントからそば職人風の人たちがぞろぞろと(総勢二十人くらい)がお城をバックに並びだした。その光景を「ポカーン」と見ていた私に、その軍団のおっさんが、「おおー、すいませーん。そこの人、カメラお願いできますかー!」と叫んできた。えっ、オレ?
 ふと、隣にはにこやかにデジカメを差し出すオネェサン。あ、あぁ、いいですよー。てへ。と、はにかみながらデジカメを受け取ると、「あっ、じゃあ、これも」「あー、これもお願いしまーす」「それじゃあ、これも」そんな調子で、あれよあれよという間に六機のデジカメを手渡される・・・。あ、あぁ、ハイ。突然のことにアタフタとしている私を見て、屈託の無い笑い声をあげる軍団。
 とにかく六機のうち五機を妻に手渡し、一つずつ片付けてゆく。

「ハーイ、撮りまーす!」を六回繰り返す。

 ちなみに私は観光地へ行くと必ずと言っていいほどカメラを頼まれる。妻が言うには、私はどうやら頼みやすい雰囲気を持っているらしい・・・。なんだ、それ?

 ともかく、全てを撮り終わり、軍団の人たち数人にやたらテンション高めなお礼を述べられ、終いには「おにぃさん、ここの蕎麦食べにきてよ。ご馳走するから」「おおい、みんな、顔覚えとけ、顔」とか言っておっさんたちに見つめられる始末。いやはや・・・なんとも・・・。

 なんといっていいのか、まぁ、よくわからないままその場を後にしようとすると、中でもひときわイカツイ顔をしたおっさんが「これ持ってきな、これ」と言ってなにやらパンフレットのようなものにスタンプを三つ押したものをくれた。

 そんな手厚いムードに見送られながら私たちは歩き出し、しばらく行ったところで「ふぃーっ」と一息ついた。 

 何気に貰ったパンフレットに目を通す。てっきり、このフェスティバルのパンフだと思っていたのだが、よく見ると「茨城県」の県民便りであった。どうやらあの軍団は茨城蕎麦軍団であるようだ。

 無料で食える蕎麦は魅力的だが、如何せん私たちはもうすぐ松本を発ち、次の目的地、『上田市古安曽』に向かうので、残念ながら茨城蕎麦軍団とは二度と会うことはないのであった。

 そういったわけで、私たち夫婦はせっかくの茨城蕎麦を食い損ない、身体は冷え込んでいたが、気持ちはなんだかあったかく、次の目的地へと車を走らせたのであった。


 ・・・つづく・・・

ぽろぽろドール/豊島 ミホ

2008-10-19 | 小説
 これまた三十過ぎのオッサンが持ち歩くにはいささかメルヘンちっく過ぎる装丁の、人形にまつわる六つのお話を収録した短編集。

 しかし、そのメルヘンちっくな外観とは裏腹に、内容は結構えげつない。

「愛しさ」ゆえの「残酷さ」、もの言わぬ人形に対しての「安心感」そして「不満」。普段は表面化することを躊躇われる「自分では気付かない、気付きたくない」感情を『人形』という媒体によって曝け出させ、暴き出し、描き出してゆきます。ある意味、恐ろしい小説です。

 その対象物である『人形』を『人間』に置き換えてみてると、おのずと人間本来の汚さ、脆さ、いじましさ、がつきつけられ、また、その反面、素直さ、柔らかさ、そして優しさ、などが見えてきます。

 青春小説ばかりかと思っていたら、こういう「鋭く抉って鈍い痛みを残す」小説も書いてしまうんだなぁ、豊島さんは。いや、でも、彼女の描く青春小説は、概ね「痛みを感じる」から、そのスタンスは変わりないんだな。

 それにしてもまだ二十代半ばの作者。きっとこれから、どんどん化けていくだろうと思います。

信州紀行~松本、その二

2008-10-17 | 旅行
 荷物をホテルに置いて、私たちは早々に晩飯を食べにいくことにした。ホテル近辺はわりと飲食店が多いらしく、観光がてら辺りをウロウロしつつ何を食うか決めようぜ!
 そんな勢いでホテルを後にするも、とっぷり日の暮れた蔵の並ぶレトロ中町は思いのほか冷え込んでいて、自然と足早になる。腹も減ってくる。観光どころでは、ない。

 まず通り沿いにあったのが小料理屋。なんだか高そうだ。やめ。
 お次は小粋なイタリアン。いや、ここでイタリアンって・・・昼間のうるさい小娘を思い出してしまう。やめ。
 オムライスの店。美味そうだが、ここまできてオムライスは・・・やめ。
 ぐるりと路地をまわるとカレー屋が。店の前はとてもいい匂いが漂うも、やはりここまできてカレーは・・・やめ。
 そのまま裏手通りを歩くと、でた、そば屋。うむ、やはり信州といえばそば、そばといえば・・・昼間食べました。やめ。
 その後も、焼き鳥屋、割烹、韓国料理(焼肉だ)など色々発見するのだが、どれも、あれだ、なんだか、なぁ、とスルーしまくり、結果、もうなんでもいい!とにかく寒いし、なんかあったかいもの、を望む。

 鍋焼きうどんでも食いたいなぁ・・・ふと、そんな提案が飛び出るが、さすが信州とでもいうべきか?そもそも、ここ信州には「うどん」という概念が無いのか?(いえ、ちゃんとあります。少ないけれど)圧倒的にそば一筋です。

 で、ホテル近辺を「ああでもない」「こうでもない」とぐるり一周した結果、始めに見つけたそば屋で温かいそばを食おう、ということに。やはり、信州旅行はそば三昧だろ!と無茶な理屈をつけつつ暖簾をくぐる。

 細長い店内には、やはり観光客と思しき家族連れ一組と中年夫婦が一組。ふつうに入りやすい趣きで、ちらほらと有名人のサインなども飾られている。
 
 いつもなら私は、温かいそばなら決まって鴨南そばを頼むのだが、壁に貼られた毛筆メニューに『当店のお薦め 桜そば 桜うどん』とあるのが気にかかった。
 そこで注文を受けにきたおばさんに「桜そばって、なんですか?」と訊ねると「温かいおそばに馬の肉を煮込んだものが入ってるんです」ということ。ふーむ、馬肉かぁ・・・。
 自分は未だ、馬刺しだとかなんだとか、馬肉は未経験であったので(でもたぶん、コンビーフとかで喰ってるだろう)せっかくの旅行だ、いっちょう食ってみるか、「じゃあ、桜そばひとつ」と、先程の「うどん云々」など意に介さず、注文。
 妻は温かいそばといえば決まって「きのこそば」とか「山菜そば」など、とかくヘルシー嗜好である。今回も結局「山菜そば」である。だって、昼間「きのこそば」を食べたから。うん、そうだね。

 私たちのそばが出てくる間にひとつ席の離れた家族連れの元に注文の品が運ばれてくる。チラリとそれに目を遣ると、なんだかハンパねぇ大きさのかき揚げが見えた。

「ハーイ、かき揚げそば、お待ちどうさまー」おばさんの軽快な声を聞くや、ぼそりと妻に「くそぅ、オレもかき揚げにすればよかった」と愚痴る。妻もそのかき揚げの大きさに面食らうも、あくまでヘルシー嗜好、「自分は山菜で充分」といったすまし顔をしてやがる。

 そんなこんなだが、程なくして「桜そば」と「山菜そば」が運ばれてきた。いただきまーす。

「どう?馬肉?」妻が訊ねる。

「ん?まぁ、馬肉?」要領を得ない私。

「美味しいの?」再度訊ねる妻。

「うむ。可もなく不可もなく・・・しいて言わせてもらえば、鴨南そばにしとけばよかった・・・いや、かき揚げそばも捨てがたい」ちょっぴり不満をもたげる私。

 結局、これといって特に斬新な味でもなく、かといって不味いわけでもなく、なんだかおざなりな感じの晩飯であった。妻の山菜そばも、そんな感じであった。

 物足りなさを感じて店を後にした私たちは、先程ぐるりと探索した先で見つけたコンビニに寄り、ビールと軽いつまみを買ってホテルに戻った。
 
 ホテルには時間で男女入れ替え制の『ラドン温泉』があり、ちょうど『男時間』だったのでいってみる。ちなみに普段はビジネス客が多く利用するホテル。『ラドン温泉』などと謳っていても高が知れているだろう、といってみるとまさに期待を裏切らない浴場であった。もちろん、誰もいやしない。私ひとり、ポツネンとぬるい湯に浸かる。とっととあがって酒呑んで寝よ。
 いそいそと身体を洗って、部屋へ戻る。

「どうだった?」部屋の浴室でシャワーを浴びた妻が訊ねる。

「うん、『ラドン温泉』?なめんな、こら、ってカンジ」

 そんな愚痴を交えつつも、ビールを呑み、つまみを喰い、信濃で買ったワンカップを呑みつつ、今日の旅のおさらいと、明日の予定などをたてていると、次第に眠気が襲ってきた。

 明日も早いし、さて、寝るか。そう言って疲れをまとった夫婦二人はPM10:00には就寝の体におちいっていたのであった。


 ・・・つづく・・・

ジャージの二人/長嶋 有

2008-10-16 | 小説
 夏も終わりの軽井沢。しかしそこにはオシャレな避暑地のイメージはなく、父と息子、大の大人が古着の小学校ジャージ姿でだらんだらんと日々を費やしている。
 けど、それが、避暑地での本当の有意義な過ごし方だろうと思える。実に、羨ましい。

 その「だらんだらん」感とともに、とってもゆるく話は進んでいくのだが、ときおり心に引っ掛かる父のセリフや息子の父に対する想いが、いい。

 親子というよりは友達感覚の二人のやりとりは、ほのぼのとしてしまう。実際、こんな父親はあれだけど、こういう関係が保てるのなら、いいなぁ。ふつうあり得ないだろうけど。

『ジャージの二人』ではとりあえず、このゆるい設定に慣れてもらって、同時収録の『ジャージの三人』で、もう少し突っ込んだお話になるので、そこからこの作品の本質が読み取れる、ような気がする。
 でも、とくに、そんなに小難しく考えずに、ジャージのおっさんたち同様、ゆる~りと読むのがオススメ。

 人間には、休養が大切なんです。

信州紀行~松本

2008-10-15 | 旅行
 松本に着いたのはPM3:00頃。とりあえず松本城近くの駐車場に車を止め、松本城を目指しつつ午後のティータイムでもしようと喫茶店を探す。

「んー、ここはイマイチ」「ここは、ちょっと高そう」「おっ!ここなんか良さそうぢゃん!・・・あっ、閉まってる」

 などと選り好みしているうちに、すぐ目の前に松本城。それにしても、やはり一級観光地で尚且つ三連休初日。とにかく人、人、人でごった返している。

 とにかくコーヒーを飲むぞ!と、すでに選り好みしている余裕もなく、松本城手前の喫茶店に入った。

 店内はいたってフツウの、ごくありふれた喫茶店。そして、当たり前の如く、観光客でいっぱい。それでも二、三席の空席もあり、すんなり座り、すんなりコーヒー二つ注文。
「ふいーーー」としばしの落ち着きを取り戻そうとするも、隣に座っていた親子(二十代前半とおぼしき娘とその両親)の娘のほうが怒濤の如く喋くりまくっている。両親たちは少々お疲れ気味の体でニコニコと娘の弾丸トークに耳を貸し、相槌を打っているだけなのだが、娘、マジうるさい。氷だけになったコップのストローを吸い込み「ジュコジュコ」音をたてたり、「やっぱ旅行は国内のほうがいいよー。あっ、でも、イタリアとかはやっぱ行ってみたーい」などと大声でほざいてやがる。

 あぁ、もの凄くツッコミたい。

 その想いが顔に出ているのであろう、妻は私の瞳を見てニッコリ微笑む。私も妻の瞳を見て、嘲笑う。お互い、心の中で隣の娘に罵詈雑言を浴びせているのが伺い知れる。以心伝心とでも言おうか、夫婦とは、かくあるべきである。

 コーヒーは美味かったが雰囲気ぶち壊しのティータイムを終え、それじゃあ松本城へ、行く?という段になったのだが、とにかく三連休、尚且つ、なにやら場内庭園では『そば祭り』だとかなんとかのイベントが催されている様子で、城下町はハンパない人、人、人。そう、私たち夫婦は人混みが苦手です。

「お城は、明日の朝早くに見たほうがいいだろ」

「うん」

 私たちはクルリと踵を反し、ここ松本でのもう一つの目的地に向かうことにした。
 そのもう一つの目的地というのは、松本城から少し南下したところに流れる「女鳥羽川」沿いにある「縄手通り」というレトロタウン。そこにある『三○屋』というお店なのだが、そこには昔ながらの大きなかまどで焼き上げているという名物の焼き芋あるという。(るるぶ調べ)
 その名物焼き芋を頬張りながら、レトロ丸出しの城下町をそぞろ歩こうではないか!というのが夫婦の目論見であった。

 が、しかし・・・

「ここ、だよな・・・」

「うん、『○松屋』って書いてある・・・」建物上看板を見上げる妻。

「閉まってるな・・・ってか、つぶれてるよな・・・」

「・・・・・・マジで」

 店の前には、ここ、縄手通りの歴史を紹介するべく、白黒の古い写真が何枚か飾られていて、その後ろには錆付いたシャッターが物悲しく店舗の現状を表していた。

「その『るるぶ』いつの?」

「えぇ~っと・・・三年前・・・」

 かなりの打撃を受けた私たちは、とりあえずそのショックから立ち直るべく、斜向かいにある、これまた昔ながらのスタイルを守り続けているたい焼き屋さんで、たい焼きを一枚買った。店の前のベンチに腰かけ、二人で一枚のたい焼きを分け合う。なんとも仲睦まじい光景ではないか。そしてこのたい焼きも、流石『るるぶ』に載っているだけあってめちゃめちゃ美味い。(そば屋を探しているときと言っていることが違うね、とかはどうでもいい)
 とにかく皮がパリパリで、しかも頭から尻尾まで餡がギッシリ。その餡も程よい甘さで、普段甘いものを食べない私でも「もしゃもしゃ」喰らいついた。だが焼きたてなのでめちゃめちゃ熱い。

「美味しいねー」

「美味しいねー」

「焼き芋、残念・・・」

「でも、たい焼き美味しいー」

 結果オーライだ。

 そんな『縄手通り』そぞろ歩きをしていたら、ふと川向いに今夜泊まるホテルが見えた。おお、こんな近くにあったのか。
 それじゃあぼちぼち車をとってきてチェックインしようか、まだまだ止まぬ人混みかき分け駐車場までいく二人。そして車を出したはいいが、ここが城下町の恐ろしさとでも言おうか、一方通行がやたら多くて、それに加え、明日の朝食を買うためジャスコなどにも寄り道したため、すぐそこにホテルが見えるのに、なかなか辿り着けないという状況に陥ってしまう。

 そんなこんなで日も暮れかかるころ、なんとか私たちは無事、ホテルに到着したのであった。


 ・・・・つづく・・・・

ほんたにちゃん/本谷 有希子

2008-10-14 | 小説
≪90年代。東京。クリエイターになりたくて上京し、写真専門学校に入学したほんたにちゃんは、生まれた時点ですでに手遅れ、自分の感性をうまく周囲にアピールすることができず、痛い勘違いを繰り返しながら、ジタバタと脳内で悶絶する毎日を送っていた。そんなある日、飲み会で出会ったカリスマ・アーティストに、作品のモデルになってほしいと頼まれたが―――それが死闘の幕開けだった≫

 これは、イタイ。いや、イタ過ぎ。何がイタイって?それはほんたにちゃんの過剰すぎる自意識が、そっくりそのまま自分に当てはまっちゃうから・・・。

 これほどまでに自分を曝け出せるって、スゴイです。いや、これが本当に自伝だったらの話ですけど。全部が全部本当ではないとして、話半分だとしても、その内面に渦巻く、もはや自分ひとりではどうしようもない葛藤には、したくないのにシンクロしてしまう・・・。

 謎めいた女を演出するために『綾波』にこだわったり、脳内親友(もうひとりの自分)に『アスカ』と名付けたり・・・ダメだ、この人、オモシロすぎる。

 何かを目指している人って、大なり小なり、その自意識に乗っかっちゃうか押し潰されちゃうかだけど、この人は『べちょ』っていうか『ぐちょ』っていうか自意識まとわりついちゃってる。でもそのどうしようもなくまとわりついてる自意識をも作品に乗っけて、というか、それこそ本谷作品の礎としてしまっている。いうなれば痛すぎる自意識を完全に作品として昇華させてしまっている。素晴らしい。

 この作品を読んで、ようやく気付いたことですが、この過剰な自意識を曝け出す姿は「太宰治と一緒ぢゃねーか」と。あぁ、だからオレ、この人にこんなにも惹かれるんだなぁ・・・って。

 この作品は特に文学賞とか狙ってるわけではなく、本谷女史当時19歳のときにHPで発表したものを改稿したものらしいので、ラストの展開はまさに抱腹絶倒必至です。えぇ、下ネタです。

 それにしても、弱冠19歳でこれほどまでに自分の内面を掘り下げ、発表できる人は、そうそういないと思われます。もの凄い才能と自意識の持ち主です。
 
 上っ面だけ読み取ると、バカですけど・・・。突っ込んで読むと、その才気溢れる人間味に、惚れてまうこと間違いないなしです。

 

信州紀行~戸隠、信濃

2008-10-13 | 旅行
 11日土曜日。早朝(AM5:00)から妻と二人、車で信州へ向かった。

 新しく開通した東海北陸自動車道、は、通らずに、昔ながらの北陸自動車道から上信越自動車道ルート。

 まずは腹ごしらえ、ということでAM6:30ころ富山のとあるPAでうどんとかやく飯をかっ喰らい、いざ最初の目的地『戸隠村』へレッツラゴー!
 
 なぜ戸隠へ?それはこの時期、紅葉はもちろん、そう、新そばの時期でもあるから。信州といえば「そば」。そばといえば「戸隠」。そういうことだ。

 事前に下調べした結果、須坂長野東ICでおりて『戸隠バードライン』を通っていけば鮮やかな紅葉も拝めてベストらしいので、そのルートを。

 で、着実にそのルートを通ったのだが、どうも紅葉満喫にはまだ早かったようで、ようやくちらほらと彩づき始めた模様の木々を横目にひた走る。
 しかし途中、ある一部の場所だけは紅々と彩りを見せた絶景ポイントとなっていて、車を止めて写真を撮る人や優雅に眺め入る人たちでごった返していた。私たちも車を止めてみようか、とも思ったのだが、如何せん私たち夫婦は人だかりというものに辟易としてしまう性質(たち)なので、「うわー、ここはすげぇなー」「ホントだー」とカルく流して走り抜けた。実にもったいない性質である。

 まぁ、紅葉はさて置き(一応、目的のひとつなのに)そばだよ、そば。新そば。そんなわけで戸隠に入ったのだが、昼飯にはまだ少し早いのでどこかでティータイムと洒落込もう、とペンション等が並ぶ辺りをウロウロと。
 しばらく走っていると路傍にポツン立つ『カフェ↑』の看板を発見。ここにするかとその看板の矢印に従って進んでいくが、なかなか見当たらず・・・四苦八苦しながらも、かなり奥まったところにポツンとある小洒落たカンジのその店をようやく見つけ店内へ・・・入ろうとすると玄関口でたむろしていた四匹の猫たちが興味津々でこちらを見つめてくる。

「おー、チッチッチッ」と歪んだ笑顔をたたえながら屈み込んで手を伸ばすと、一定の距離を保ちつつ逃げ惑う四匹ども。人に慣れてるんだか慣れてないんだかよくわからない反応を示す四匹ども。「撫でたかったなー」と思いながらも、その感情を猫どもに悟られるのはなんとも悔しいので「ふん、どうでもいいやー」という体(てい)を取り繕う私。

 中に入ると小さなコンポからウィリー・ネルソンが心地良く鳴り響いている。その「いかにも」なBGMに少々苦笑いしながら、客は私たちだけという閑散さに少々たじろぎつつも、窓際の席に腰をおろし、私はコーヒー、妻は何を粋がっていやがるんだか自家製ハーブティーなどを注文する。

 注文の品を待つ間、窓外を眺めると、そこは時期を過ぎてうすら寒さ漂うハーブ園、らしき一帯。時折、うろちょろとする作業服姿のジィサン。窓枠には寒さで動きが鈍った蝿が二匹、うろちょろ。無駄にだだっ広い店内は、とにかくうすら寒いのであった。
 外観は「大草原の小さな家」をイメージさせるも、細かいところに天然の『和』の風情が漂っていて、これまた苦笑い。

 そうこうするうちに上沼恵美子似のおばさんがコーヒーとハーブティーを持ってきてくれた。コーヒーはかなり酸味が強かった。ハーブティーは、美味かったらしい。それは、よかったね。

 ようやくそこで一息つくと、なんだか腹が異常に減ってきた。

「よし。いざ、新そば」

 意気込んで店内からでると四匹の猫がまたもや玄関口に集まって日向ぼっこ。可愛い・・・しかし、私たちの姿を認めるとまたもや一目散に飛び散る。なんとも、可愛げのない・・・。


 そこから少し車を走らせると、すぐに戸隠村中心部に入った。時間は十一時半くらいだったが、腹も減ったし、早めに入ったほうが空いていていいだろう。
 かくして私たちはそば屋選びを行うのだが、なんにせ、そば処「戸隠」だ。村には三十軒あまりのそば屋が軒を連ねている。こんな中からどれを選べば?

 とりあえず持参した「るるぶ」を見るも、「こんな雑誌に載っているような店はダメだ(偏見です)」と私は言い募り、村入り口にあった観光案内所へ戻り、簡素な什器に差し込んであるパンフレットを何枚か取り出す。その中から、ひねくれた私が選んだのは、他店の金をかけたパンフレットとは違い、慣れないパソコンで「自作しました」「コピー、ちょっとズレてますけど」感あふれているお店『し○の屋』というお店を選びました。
 そして、いざ、そのお店を目指すも、ちょっと奥まったところにあるらしく、わかりずらい地図を見ながら、またもや四苦八苦の体でなんとか辿り着きました。

 店構えはいかにも「手打ちでっせー」という風情をたたえていて、中に入ると、「眺めのいい二階席へどうぞー」と快く案内された。お客は中年の夫婦が一組。実に、落ち着く。
 メニューを見ると、どうやら昨日から『新そば』を出しているということ。なんとも絶妙のタイミング。
 やはり新そばは「ざる」で味わなきゃな、と私は天然の山菜とおろしきのこの付いた「おろしきのこそば(冷)」を頼む。妻は「寒いから」と言って「山きのこそば(温)」を頼む。まったく、『粋』というものをナメてやがる。
 それは、まぁ、しょうがないとして、そばを待つ間、なんとサービスとして『野沢菜漬け』と『そば団子』が運ばれてきた。うひょー。

 これがまた、なんとも美味い。野沢菜はもちろん、そば団子がまさに絶品!どうやらそば粉を丸めて軽く揚げ、そのまわりに甘辛いタレをつけてあるのだが、とにかく美味い。二人してホクホク顔で喰らいついてた。

 やがて注文のそばがきて、とにかく、すする。噛む。呑み込む。美味い。新そばだとかなんとかはよくわからんが、とにかくヅルヅルと美味くてしょうがない。こうなると温かいのも食べてみたくなるので妻に「ちょっとそっちもくれ」と言って、こっちのざるとトレードしながら食を進める。
 これがまた、「妻よ、温かいのを頼んでくれてありがとう」という気持ちにさせてくれる美味さ。『粋』も時には邪魔になる、ということを学習する。

 腹も心も満たされた私たちはしばし放心しながら、「美味かったなー」「美味しかったねー」を繰り返す。

 さて、この後は宿をとっている松本に向かわなければいけない。私たちは幸せ感を引き摺りながらお勘定をしにいった。
 そこで姿を現した気の良さそうなジィサンに「いやー美味しかったです」というと「えぇ、うちはちょうど昨日から新そばを出してましてね。いつもよりちょっと美味しいです」と謙虚なのかなんなのかよくわからないコメントを笑顔で言い放ち、私たちも笑顔でそれに応えた。ごちそうさまー。


 さて、では行こうか、次なる目的地『松本』へ。と、その前に名所『鏡池』へ行ってみないか?と提案し、妻も承諾したのでそちらに向かって車を走らせた、つもりだったのだが、どこで道を間違えたやら?気付けば「信濃」についていた。あらま。
 また戻るのも面倒なので、ここから高速にのって松本へ行こう。まぁ、せっかくだからここ信濃の地酒『松尾』(ワンカップ)でも買っていくよ、と、道の駅でそいつを購入。しかしこれだけだとなんだかアル中のオヤジみたいだよなぁ・・・と妻に言うと、「たいして変わんないし」とあしらわれた。

 そうして、何も反論できない私を尻目に、仲睦まじい夫婦は松本に向かうのであった。


 ・・・つづく・・・

カウントダウンノベルズ/豊島 ミホ

2008-10-13 | 小説
 青春小説の名手が贈る、カウントダウンミュージック青春小説(?)

 ようするに・・・Jポップチャート(架空の)一位から十位までの十組のミュージシャンたちの悩みや葛藤をそれぞれに描いた短編集。話はもちろん十篇分かれているけれども、ちょこちょこと違う話のミュージシャンやバンド名が登場してリンクしているので一興。

 たぶん、音楽と青春ってとても近い関係にあるんだと思う。っていうか、音楽=青春だったり青春=音楽だったり。そういう人ってけっこうたくさんいると思う。例えば青春時代によく聴いてた音楽を聴くと懐かしくなるのもそうだし、今はもうギターは押入れの肥やしになっちゃってるよ、っていう人も青春時代は音楽に溢れていただろうし、「俺たちの青春はバンドだった!」って、たぶんバンドやってたヤツはほぼそんな感じだろうし、「昔描いた夢なんて、もう色褪せちまったよ・・・」なんてニヒルに呟きながらも音楽を演り続けてるオジサンオバサンたちなんかは今でもきっと気持ちは青春だろうし・・・・だから、青春小説の名手、豊島ミホがミュージシャンを描くのは必然なんだろうな、っていうか豊島さんが単に音楽バカだから、か?

 いずれにせよ、アーティストという過酷な位置に立っているミュージシャンたちのお話なので気分的な清々しさは少ないけれど、ちゃんと明日に向かって歩いてゆく人たちの姿に、勇気づけられることは確かです。

 音楽を愛する人は、永遠の青春の中で生きてゆけます。

人として

2008-10-10 | 雑記
 今日、仕事の帰りに100円ショップに寄ったら、ホットパンツでフトモモ丸出しの中学生らしいショートヘアのカワユイ女の子と三十代後半くらいのこれまたお綺麗な茶色いサラサラロングヘアーの母親が仲良く、私の前を通り過ぎてゆきました。

「あー、これ、どっちでもいいなー。いや、どっちともヤリてーなー」

 と、自分では心の中で呟いただけだと思うんだけど、もしかしたら微妙に声に出してたような・・・。

 まぁ、それはいいとして(よくはないだろうけど)そんな仲睦まじい美人親子を、買い物を済ませ、駐車場へ行き、車に乗り込み、その場を立ち去るまでの間、視姦し続けた僕は、人としてどうなんだろうか?と自分を振り返ってみて、思う。