雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

筍の香りに

2010-04-24 | 雑記
 今日、友人から出産祝いのお返しとして筍を頂いた。あ、違う。出産祝いのお返しとはまた別に、彼の嫁さんの実家で採れた筍を頂いたのだ。これがまた、およそ30cmはあろうかという立派な筍であった。それを手渡された際、お調子者の私は思わず、「GWにはまた筍掘りを手伝いにいこうか」などと口走ったのだが、彼が「それは大いに助かります」と殊の外喰いついてきたので、気持ちが顔に表れる正直者の私は思わず面倒臭そうな顔を露わにしてしまった。
 実際、気持ちは半々なのである。彼が言うには、今年は去年と違いニョキニョキ群生しているそうだ。筍が。だが人手が足りない、らしい。
 ならばいかねばなるまい! さして戦力にはならないかも知れないが、多勢に無勢。
 しかしその反面、尻込みしてしまうのも確かなのである。一口に筍掘りと言ってもそうそう素人がレジャー感覚で行なえるものではない。そこは常に危険と隣合せの竹林、身体的な能力が要求されるのはおろか、精神面での能力も非常に大事なのである。なにしろそれは売り物となるのだから、素人がヘタに手を下すと碌なことにはならない。もちろんそういうときにはプロ(婆ちゃん)に頼べばよいのだが……などと、ごちゃごちゃ言ってみたが、詰まるところ面倒臭いだけのようだ。私という奴は。
 そんなわけで、筍掘りにはいくばくかの躊躇いを持っていたのだが、先程頂いた筍を早速茹でた際、そのなんともかぐわしい香りに身も心も虜にされ、自分は自分で思う以上に筍が好きなのだなぁ、と気付かされた。故に、
 ならばいかねばなるまい! いざ竹林!
 という心持ちに大きく傾いた次第なのである。

 本当に、迷惑でなければ今年もまた筍掘りを手伝おうと思う。
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オー!ファーザー/伊坂 幸太郎

2010-04-21 | 小説
 胸のすく小説。そんな小説を書かせたら、この人の右出る作家はいないだろう。張り巡らされた伏線がラストで悉く繋がる快感は何ものにもかえ難い。
 今回もまた、その技法を遺憾なく発揮せられ、前作『SOSの猿』や『あるキング』などの汚名返上か? と思われたが、よくよく「あとがき」を読んでみると実は今作の連載開始は『ゴールデンスランバー』の前ということ。即ち、作風を変えだした『モダンタイムス』などからいうに、第一期伊坂幸太郎最後の作品(本人曰く『ゴールデンスランバー』からが第二期。しかし『ゴールデンスランバー』はどうみても第一期の総決算的であろう)と、いうことである。
 これはもう、作者本人が「新しいものに挑戦したい」と言っているのだから、周りがとやかく騒いでもどうしようもないことではあるが、それは実に惜しいことであると永年の読者なら誰しも思うことであろう。今作を読めばそれは更に切実なものとなろう。まったくもって、この伏線と解決の妙技には今まで味わうことのなかった読書体験ができるのだから。
 しかし、この妙技を完全に封印するわけでもないのであろうが、それでも今までの作風に見切りをつけて、それが売れていないならいざ知らず、他の追随を許さない売れ方をしているにも限らずにだ、新しい作風に挑む、その心意気や天晴れ! ではなかろうか。
 とにもかくにも、どしどし新たなものに挑戦してゆくにしても、伊坂幸太郎なら大きな期待がもてるのだ。尚且つ、それらの売れ行きが芳しくなくって元の作風をチラチラ覗かせてくれても、それはそれで一向に構わない。寧ろ期待してしまうのだが、それはやっぱり、イケナイことだろうか?
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新約太宰治/田中 和生

2010-04-17 | 小説
 作家太宰治についての作家論文。と、簡潔に言ってしまうには些かもったいないと感ぜられるくらいに、今までの作家論に比べると、善く言えば斬新な、悪しく言えば逸脱した、読み物と思える。得てして、作家研究に於いてはとりもなおさず作品について、また日記や書簡、或いはその作家の知人などの話を総合的にまとめ上げ、己の意見を論ずるといった具合であろうが、本書は「新約」と冠するだけあって、新たな試みに挑んでいる。と、言ってももちろん、前例に倣って作品、日記、書簡、太宰を取巻く人々の証言等々多様されている。ではなにが斬新な試みか。それはこの作者、作家本人、即ち「太宰治」を本書に登場させようとする。その試みは成功か失敗かは読む人の心づもりであるが、作家研究という分野に於いては大きな飛躍をもたらせたことだけは確か。
 況や、太宰治という偉大な作家は、その小説のみならず私生活に亘っても興味の尽きない、論じるにはうってつけの素材である。これまでにいったい、幾人の間で語られ論じられてきたかは計り知れない。その中には大きく的を外しているものも多々あろうし、また鋭く本質を抉りきっているものもあろう。そこにはきっと本物の太宰治が在るであろうし、また虚構の果てに、津島修治という名を失った作家が頬杖ついて薄ら微笑っているはずである。
 従って本書に登場せられる虚構の太宰もまた、太宰である。
 作家の嘘を見破るのも、嘘に騙されるのも、読者次第である。もとより小説に真実なんぞ求むべからず、だ。だが、本書は、あくまで作家論なのである。そういうところに斬新さを見たという次第である。
 最早亡くなった作家についてあれこれ詮索するのも道義的にはどうかと思われればそれまでだが、しかしそれは、最早亡くなってしまったからこそその作家について論ずるのであって、また研究するに値する魅力に溢れているからこそであり、我々残された者たちの傲慢で敬虔な戯行であると思って大目に見てもらいたい。
 
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百随筆Ⅰ/内田 百

2010-04-15 | 小説
 私の敬愛する川上弘美さんが敬愛する百先生の随筆集。これがまた、すこぶる面白い。いったいに、百鬼園先生の借金の多すぎること甚だしく、しかしそれに関する機智にとんだ記述がなんとも可笑しい。それにどう考えても屁理屈としか思えない考察も、読んでいくうちに「あぁ、そうかも」などといつの間にやら筋が通っていきそうな具合でまた愉快。まったくもってこの先生、我儘で偏屈に思われるのだが、不思議と愛らしさを覚えてしまいその魅力に惹かれずにはおられなくなる。
 そしてなんといっても『東京日記』は圧巻の一言である。なるほど、川上ワールドの突端を垣間見た。そんな心持ちにあった。
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世界クッキー/川上 未映子

2010-04-14 | 小説
 独特の名調子が冴え渡る、川上未映子2007年後半から2009年真ん中あたりまでの約二年間の文章のあれこれを集めたエッセイ集。その裡なる世界は共感せられるものから、考えすぎだろ、と思われるものまで色とりどり。果たしてこの娘は(といっても三十路過ぎか)どういう経緯をもってして芥川賞作家に至ったのか、ということがわかるようなわからないような。ああ、そういえばまだ受賞作『乳と卵』は読んでないな。
 どうにもちょっと、この人の文体はクセになる。思わず調子が引っ張られるので、よろしくない。
 
 さて、書かれていることは割合、至極まっとうなことで、特別真新しいことでもないと思われるが、やはり文体のリズムがいいのだろう。するするするする読みこなせてしまい、読書という観点から言えばたいそう気持ちよい。そしてこの人は言葉に対しても並々ならぬ思い入れと親しみを持って書いておられる様子で、また、よい。

 何より、東京で初めて訪れた場所が三鷹の太宰治の墓所というのが、自分と同じであったので嬉しく思えた。何故にこの人に共感を覚えたのか、うっすらと気付いた次第である。
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そのノブは心の扉/劇団ひとり

2010-04-09 | 小説
 劇団ひとりの、事実を元にしたフィクションエッセイ。
 ともかく痛快である。あのベストセラー小説「陰日向~」は未読だが、芸人としての劇団ひとりには常々興味があるので、エッセイということもあって読んでみた。
 いやはや、やはり、この人は頭のいい人だなあ、とつくづく感心させられた。と同時に、こいつ本当にバカだなぁ(笑)、とも。
 ふつうのエッセイではない。もう、ネタとしての色が濃い読み物だ。随所垣間見られるユーモア溢れる言い回し。散りばめられた伏線の末の巧みなオチ。書いてあることを鵜呑みにしてしまうと、いったい劇団ひとりのひととなりというか性根を疑いかねないが、あくまで芸人の書いた少し大げさなエッセイとして読むと、まったく感心させられる。でもたぶん、七、八割くらいは事実と思われるので、やはり性根は疑ったほうがいい。だがそれでも、堪らなく惹き込まれ共感すら覚えてしまうので、どうやら自分の性根も疑ったほうがよい様である。
 とにかく自意識の在り様がハンパではない。でもそれも「ああ、わかるわかる」なのだ。情けないことに……。たいがい、好意のある人物と共感せられたならば、嬉しいはずなのに、彼に至ってはそれが恥ずかしいのがなんとも可笑しい。
 自虐の一歩手前とでも言おうか、自尊心だけは甚だ大仰なのに厭味などさらさら感じない、清々しいまでに痛快なエッセイであった。
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あるようなないような/川上 弘美

2010-04-08 | 小説
 川上弘美さん初期エッセイ集。川上さんは、小説もファンタジックであるが、その人となりがもう、ファンタジックである。だもんで、川上さんにかかると身の回りの徒然が、途端に魅力的なものに満ちていく。だが基本、エッセイというものは小説と違って「うそばなし」はあまり望ましくない。しかし川上さんはすこぶるファンタジックな性質なので、読んでいるといつしか幻影へと滑り出し、現(うつつ)からはみでる。それがあまりにも些細で自然すぎて、ついつい信じてしまいそうになるのがくすぐったい。川上さんに取り込まれるような感覚が、いい。
 いわんや、それは夢でしょう、ともなるが、ならばそれはそれで現実なのだな、と思える。川上さんが見たものを書く。それが夢でも現でも、そこに現れた世界は現に在るのだから。
 と、こんなことを書いているとなんだかお伽噺みたいなエッセイか? と思われてはいけないので、きちんと言っておかなければならない。
 個人的に印象に残っているのがそういった類いのものなのであって、実際は日々の細々や、周囲のあれこれを自分の想いにそって小気味よく語っておられる、たいへん良質なエッセイ集なのである。その文章文体からは、取りも直さず作家川上弘美のあどけない姿が匂いたってきて、たいへん心地好くさせられるのだ。
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猥談/岩井 志麻子

2010-04-07 | 小説
 野坂昭如、花村萬月、久世光彦。アクのお強いこのお三方との、これまたアクの強い岩井志麻子の対談集、いや猥談集。
 自分も相当、猥談には造詣が深いと自負していたが、いやはや、野坂昭如畏るべし。それに怯まぬ岩井志麻子たるや、エロの権化。もう、腹かかえて笑った。
 花村萬月とは、主に出版についてのどぎついあれこれを話している。にもかかわらず、やっぱり話題は猥談へ。猥談交えの出版倫理論。これまた可笑しい。
 流石に久世光彦とは、いたって真面目に文芸のあれこれを語り合う。が、岩井作品を語れば自ずと猥談になってしまう。まったく、面白い。
 要するに、岩井志麻子にかかればなにがなんでも猥談に流れていくということだ。
 そんな、とても素敵な性質の岩井志麻子と大御所作家の猥談は、助平で愉快、そして含蓄に溢れたものである。
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ヘヴン/川上 未映子

2010-04-06 | 小説
 いじめを題材にした小説は、これまでに何人もの作家や知識人たちが数多く書いてきている。きっと、書きやすいテーマ、というと語弊があるが、書きたい、書かなければ、書くべきである、そういった衝動に突き動かされやすいテーマなのだと思う。そこにはやはり、人間の度し難い精神の昏闇を否応なく浮かび上がらせることができるからだろう。が、しかし、その数多ある作品群の中に果たして「いじめ」という問題に解決を見出せるものがあるだろうか? 答えは、「NO」だ。もちろん、そうはいっても人の感じ方、捉え方は千差万別である。自分はこの本によって勇気をもたらされた、という人もいるだろうし、この本によって自らの行為に愚かさを覚えた、という者もあるかも知れない。それはそれで素晴らしいことではあるが、小説というものの本来の趣旨からは遠い。所詮、小説などは単なる物語に過ぎず、現実のそれに照らし合わせてもまったく意味のないことである。
 ある小説の主人公は、いじめに打ち勝ち明るい明日を手にする。またある主人公は、いじめに耐え切れず自分を抹消することで永遠の安らぎを手にする。ある主人公は、悟りとも諦念ともつかない想いを抱え、これからの日陰の人生を選び歩いてゆく……。
 いじめ小説に於いて、希望や救いや明るい未来というのは甚だ鼻白む。現実問題として、そんな生易しいものでははいからだ。リアルタイムでいじめられている者などからすれば尚のことそう思うであろう。では、死ぬか? 逃げるか? それらもやはり、末路としては小説に於いても現実に於いても理不尽すぎて受け入れ難い。詰まるところ、正しい落としどころや解決策など、ない。
 だが、それでも、いじめについての本は書かれるし、読まれる。そこにはきっと、「人間の本質」が潜んでいるから。それを曝け出すことが、それを見出すことが、とても大事なことと思えるのだ。

 さて、本書『ヘヴン』に於いてもご他聞に漏れず、リアリティーという観点からいけば、いささか疑問を覚えざるを得ないが、小説、物語、または寓話としては申し分はない。
 読んでいる間中、そのせつなさに、遣る瀬無さに、何度も涙腺を潤ませた。読みやすさもまた、結構なもので、以前読んだ同作者の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』に於いての個性的な色は排除され(それはなんだか淋しくも思われたが)まっとうな文章で終始綴られており、テンポのよい展開と相まって読む手を止めさせぬ。
 いじめの小説など、やはり読んでいると昏くて痛ましいものが多い。しかしその先にある、「光」もしくは「ヘヴン」を誰もが望んでやまないのであろう。
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旧友へ

2010-04-04 | 友人
 そいつとは、かなり古い付き合いだ。もう、出逢ったのが保育園の頃。そこからいくらかの間を置いたりはしているが、いうなれば、友人の中でいちばん古い付き合いだ。
 今日は、そいつの36歳の誕生日だったので、お祝いのメールを送った。住んでいるところが少し離れていることや、互いに所帯じみてしまっているせいもあって、今ではもう、ほとんど年賀状と、互いの誕生日に「歳とったなぁ」と言い交わす程度のやりとりだが、しぶとく繋がっている。
 毎年のことながら、とりたてて大きな問題もなく、元気でやっていることだろうと思い、こちらも相変わらずさを示そうと、バカ丸出しの下ネタメールを送りつけてみたら、程なくして返信がきた。
 いつもみたいに、とりたてて言うほどのことでもない近況が記されていると思っていたが、今年はちょっと違った。
 そこには「二月末に会社が倒産した」ことや「十数年ぶりに就活した」などと、屈託なく書かれていた。
 今のご時勢、そうそう珍しくもないことだが、やはり驚いた。かく言う自分も現在の状況はといえば芳しいものではない。倒産一歩手前の休職中の身。それでもいくらかは手当ては貰えるし、いくらか身が軽い。
 そいつには、かわいらしい娘がひとりいる。今、いくつであっただろうか? たぶん小学校低学年くらいだと記憶しているが、ともあれまだまだかわいい盛りの子供がある。時代がかった言い方ではあるが、一家の大黒柱としての気構えや責任たるや、自分の比ではない。自分なんぞはオナニー癖がまだまだ抜けていない(精液はたっぷり抜いているが)無責任男である。
 そんな男に心配されても片腹痛いだけであろうが、やはり古い付き合いだ。その身を案じてしまう。
 しかし、メールには「次の職場の勤務が4月20日から」と、すでに就職先があるようなので、すぐに胸を撫で下ろした。
 それでもやはり、古い付き合いなので気にかかるところもある。そいつは自分に負けず劣らず、気性が荒いのだ。この歳で再就職ともなると、それこそ年下の奴に頭を下げなければいけないこともあるだろうし、また年上の人間にしてもままならない部分が多く目につくこともあろう。とにかく、やっかいな年齢であるとともに、やっかいな気質を持ち合わせているのだ。だがしかし、そうは言っても、もうあの頃みたいに全てに唾を吐いて盗んだバイクで走り出すほどの若さと愚かさは、ない(あったら困る)。なにより今、そいつには「妻」という心強い支えのもとに、「娘」そして「家族」というかけがえのない存在を「守らなければならない」という気概に満ち溢れていることであろう。きっとそうだ。
 自分は、そいつとはかなり古い付き合いだ。だからこれは、決していい加減な言葉にはならないはずだ。
 そして確信をもって、言えるのだ。

「何があろうと、オマエは絶対に大丈夫だ」
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大好きな本 川上弘美[書評集]/川上 弘美

2010-04-02 | 小説
 川上弘美さんの約10年間に及ぶ新聞各紙の書評連載、また文庫本あとがきや解説文を集めた144冊分の書評集。書評集に対して書評めいたものを書くのもなんだが、人生稀にそういうこともあろう。
 自分は殊に、書評やら選評といった類いが好物であるようだ。ともすれば、小説本編なんかよりも、あとがきや解説のほうに面白味を感じたりもする。それはとりもなおさず、その人本来の持つ人間臭さが垣間見えるからであろう。特にこれが作家などにいたっては、小説世界では見られない「素」の考察が窺えるので、とても近しくその人を感じられて、ときめく。エッセイが好きな理由も、概ねそんなところだ。
 やはり好きな作家さんの嗜好には寄り添いたくなるものである。その寄り添うものが、他ならぬ「本」なのだからたまらなく嬉しくもなる。そして著者がいとしい川上弘美さんである。もうまるで、ストーカー的思慕にも似た想いで、最後まで川上弘美を堪能した。出来ることなら、本書で紹介された144冊の本を全て読み尽くしたいとも思うが、流石にそこまで気持ちは及ばない。そこが、かろうじて偏執的なストーカーと一線を画すところである。
 それでも何冊か、いや何十冊か、これは是非とも読みたい、読まなければというものがでてきて、嬉しい悲鳴をあげている。
 もちろん、本書の主旨は「こんないい本があるのです。どうぞ読んでみてくださいね」というところで、それはもう十二分に魅力的な筆致でもって達成されているのだが、それ以外にも、自分は本書を読んで思うところがあった。
 ひとつは、書評のなんたるか。軽妙かつ魅力的な言葉選びは川上さんの小説でも得意とするところだが、「この本いいんですよ!」という想いがそうさせるのだろう、小説以上にその言葉選びは慎重かつ大胆にもたらされ、その本の魅力を存分に伝えてくれる。
 もうひとつは、小説のなんたるか。小説とはいったいなんだ? それは今もってしても明瞭に答えられたものではない。しかしながら、数多の選評や書評を読んでいるうちには、おぼろげにではあるがその輪郭、または断片などが捉えられることがある。それらはずっと体内に沈澱されることもあれば、にべもなく蒸発していくこともある。またその都度その都度、上書きされたりもして、まったく不安定なものであったりする。故に「小説とは?」の答えはままならない。が、本書には少なからず「小説とは」或いはそう、川上さんの小説論みたいなものが著されている。それが即ち「小説の正体にあぐねいてる自分」にとってはひとつの指針となったことは確かだ。そのような上でも充分に為になった一冊である。

 大の本好き、川上弘美さんならではの、本に対する親しみや慈しみをつめ込んだ、素敵な本である。
 
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ボーダー&レス/藤代 泉

2010-04-01 | 小説
 率直に、いい小説だなあ、と思った。
 
 もう、読み終えた後これくらいの、というかこの感想がいちばんしっくりくるので、他に書きようがない、そんな「いい小説」である。しかしそれでは宿題の読書感想文などでは×がつくだろうし、なにが「いい」のか書きなさいとか言われちゃうだろうし……なのである。
 では、なにが「いい」ってゆうのを書こうとすると、自分の拙い文力では、なんだかお為ごかしになってしまいそうで書きづらい。いやなんかそう言ってる時点で欺瞞だ。
 とにかく思うところがある。でもその思うところを公に言い募れるほど自分は強くもないし、偉くもない。でもそんなこと言ってちゃ、もう何にも言えなくなるだろう。でもそんな言えないことにも意味はあるのに。意味は表に出なければ意味にはならないのか? そうでもないだろう。他人と共有、もしくは衝突することばかりが意味ではなく、己の裡に宿った思惑、衝動、観念etc……それらが無意味になるものか! 従ってこの本を読んだがために我が身に湧き起こるそれらを殊更曝け出す必要があろうか? ない。
 いや、「ない」などと言ってしまっては元も子もなかろう。ただ、その他の言が見つからないのだ。
「いい小説であった。」
 それだけでもいいではないか。それだけでいいではないか。それだけでいい。が、まがりなりにも書評めいたことを主とするものならば、せめてあらすじくらいは書いておいたほうがよいと思われるが、それもまた、ここまできたらなんだか無粋に思われるので、よしておく。

 さて、もしもここまでくどくどとしたコレを読まれた方にはお解かりいただけると思うが、まったくもって、今回読んだ本書については書かれていない。それはとりもなおさず、拙者の力不足に他ならないのであって、本書にはなんら罪はない。罪どころか、本当に、いい小説なので、自分の拙い言葉で貶めたくないという言い訳を、今思いついた。

 とにかく、自分の想いや考えを率直に表に出すのは、とても勇気のいることだし、軽率に言い募ることではないな、と。ただそれでは意思の疎通もままならないので、ある程度の思慮でもって、自分の考えを表さなければいけない。そんなことを思い巡らされた一冊である。
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