雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

満ちて欠けて、また満ちる

2011-03-25 | 雑記
 仕事が深夜に及ぶので、いつも何気なく夜空を眺めてしまう。そんなとき、目を惹くのはやはり「月」だ。その日の体調、というか疲労の度合いなどもあるのだけれど、その存在に畏敬を抱くときもあれば、その妖しさに不穏を覚えるときもある。
 たとえば満月。ふと見上げた夜空に、その満ち満ちた月光の猟奇的な神秘さなどを見つけたときは、血液が揺らぎ、身体はうち震える。
 たとえば半月。その無垢なあどけなさに、平凡の中の潜在的な畏れを喚起させられる。
 そして三日月。その冷徹な微笑にも似た姿を眺めるには、とりわけ覚悟を要してしまう。
 だがいつも、こんな歪な感覚で月を眺めるわけではない。その神秘性に魅了されるときもあれば、月光を浴びて心和むひと時だって、ある。

 
 このところの月は、無表情のように思える。その無表情はしかし、冷たいわけではなく、ただここに、いつものサイクルとして満ち欠けている……そんな感じを、受ける。

 時間は速くもなく、遅くもなく、いつだって均一に流れている。その流れの中でどれだけのことができるか、どれほどのことができるのか。
 少しずつでも、満ちてゆくこと。またそれが、ようやく一回りしたところで欠けだすようなことになっても、また一回り、もう一回り。
 限界の先には、少なからずの緩みを見つけ、暮らしに折り合いを重ねてゆく。
「惰性」というほど落ちぶれているわけでもなく「一所懸命」というほど必死ではない。そこには当たり前の空気が流れ、世も知れず満ち欠けする月がある。
 
 ふと、生きていることへの焦燥めいたものにとらわれそうになる。それはとてもあやふやな感覚で、今(現在)の世間の状況が、そうさせているのは明らかだ。そんなとき、中途半端に、満ちているのだか、欠けているのだか、わからないような曖昧な月が浮かんでいるのを見上げたら、ささやかな落ち着きを取り戻せた、ような気がした。
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なんか書こう

2011-03-10 | 雑記
 なんか書こう、と思った。最近、めっきり文字を書く(ってか、打つ)ことから遠ざかっているので、かなり劣化しているみたいだ。
 それというのも、先日、友人の嫁さんに、やたら気の早いホワイトデーのお返しを渡して、その後に送られてきたメールに対し返信した自分の文章が明らかに成っていない感じで、愕然としてしまったが為。(でもそのまま送ったけれども)
 
 文章というのは、やはり、書き続けていなければ劣るものなのではないかと思う。
 よく、文章の練習として、とにかく毎日、日記を書き連ねるということがあげられる。また、それが他人の目に触れると心すれば尚一層効果的とか。
 してみるとブログというものは文章鍛錬においてはこの上ないツールではないかっ!(ということはみなさん二百も承知だぜ)

 いやとにかくこれはイカン……ともかく最近は書くこともそうだけれど、(マスカキのほうも)読むほうもなかなかままならない。だいたい、最近の愛読書は「うる星やつら」だ。
 
 このままうっかりしていては、いずれはもう、支離滅裂なことしか書き連ねられなくなりそうな気がする……というか、ただでさえ徒然としているのにこれ以上スジが通らなくなっちまったら、ヤ・バ・イ・ZE!

 というわけで、とりあえず書いて(打って)みた次第であるが、一体にナニを求め訴えているのか、よーワカラン。

 おっぱい。
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