雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

倉橋由美子の怪奇掌篇/倉橋 由美子

2009-11-29 | 小説
 再読。といっても、もう十五年ほど前に読んだきりでその存在すら忘れていたのを、先日ふと本棚から引っ張り出して読んでみた次第だ。当時読んだときの感想は記憶していないが、それでよかった。
 今、改めて読むとそのクオリティの高さにただただ感嘆のため息が漏れる。二十篇ある掌編、短編、そのどれもが秀逸でまったく隙がない。あるときは皮肉に、あるときは残酷なまでに冷淡に、あるときはウィットなユーモアに溢れ、そしてまたペーソスすら感じさせる。本当に、飽きることなく全編を読み耽ってしまえる。
 読んでいるうちにいくつかの話は思い出すに至ったが、やはり昔とは全然違った読み方、感じ方を味わえた。
 
 名作というのは、どれだけ齢を経ても、いかなる時代になろうとも、鮮烈な感動を与えてくれるものである。
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精子の踊り喰い

2009-11-28 | 雑記
 って、ようするに


 口内射精

 だよな。

 ごっきゅん
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とにかく陸橋を作れ!

2009-11-27 | 雑記
 うちのすぐ傍を走る線路。随分昔から北陸新幹線計画が建ちあがっていて、最近ようやく手をつけ始めた様子で着々と工事に取り掛かっていた。そんな様子を見ながら、この前、妻に冗談で「なんかコレも、八ッ場ダムみたいに計画中止とか言われるんじゃね? 前原に(笑)」などと言っていたのだが、どうも冗談ではなくなったような様子。
 今日、ニュースでちらっと聞いただけだから詳しいことはよく判らないけれど、前原さんが「こんな、人口減少してるとこに新幹線なんていらねーんじゃね?」みたいなことを言ったらしい。まぁ、最近あちこちで色んな事柄が見直しされているし、それもしょうがないと思うが……。

 こちらとしては新幹線なんて、まあ、どうでもいいっちゃあどうでもいい。ただ、駅手前にある踏切。これだけはなんとかして欲しい。とにかくイラつく。

「駅で停車しているだけなら踏切上げろや! ゴラッ!」

 朝のラッシュ時など、客の乗降を車の中で踏切待ちしながら見ていると、いつか遮断機に突進していきそうになる自分が恐い。

 森でも前原でも鳩山でもなんでもいいから、とにかくここに陸橋作れ! 地下道でもいいから! 新幹線なんていらねぇから、な。頼むわ。
 
 気狂いがなんかしでかす前に。
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無理/奥田 英朗

2009-11-27 | 小説
 これぞプロの文章だと思った。

 人間を描くことに徹底すれば、自ずとストーリーが紡ぎだされるというお手本のような群像劇。
 きっとすぐ隣にいるような、いないような、そんな人たちがそれぞれの生活を送り、それぞれの夢や悩みを抱えて生きている。まったく接点の見当たらない五人が交わる場所。それが彼らの住む町を象徴するかのような場所。こんなラストが待ち受けているとは誰が想像するだろうか! まさに登場人物たちが自ら動いてそこに至った、そんな感じ。でもやっぱり、裏には緻密なプロットが存在してのこと。もはや神の所業といってもよいくらいの奥田文学。もちろん笑わせるところはきっちり笑わせて(女子高生拉致の男の妄想に悶絶した)、下ネタも滞りなく差し込んで(ここ重要)、完璧な一冊に仕上がっている。

 直木賞作家の看板は伊達じゃねぇ。
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謀略

2009-11-27 | 雑記
 半年前、奥歯の銀冠が取れたので歯医者に行った。

 先日その歯医者から定期検診を促す葉書が届いた。行こうか行くまいか迷っていたら、昨夜その医者に付けてもらった銀冠が見事に取れた。

 思わず、半年で取れるように細工してあったのではないか? と疑ったりもしたが、とりあえず予約の電話を入れるよりほかなかった。
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最近、心から笑っていない君に

2009-11-27 | 雑記
下ネタ漫才



 最後マジ、酸欠で死にそうになった。
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ソレは決して恥ずべきことではないのだよ

2009-11-14 | 雑記
 朝起きたら寝癖がとんでもなくひどかった。もう、直す気にもなれないほどだったのでキャップを被って出かけた。

 何年か振りにキャップを被っての外出に道行く人の視線が気になった。それは、この齢(35歳)でキャップを被っていると「あいつ、ハゲてんだろ」と思われてるような気がして。たぶん、いやきっと、私のいつもの被害妄想に過ぎないのだろうが、っていうか、まだかろうじてハゲてないし被害もクソもないのだけれど(ここで強調すると本当はハゲてんだろ? と思われかねないので難しいところだが、まあ好きにしろ)なんだか落ち着かない気分。

 しかし何故このような被害妄想が湧き上がってくるのかというと、自分がそういう、中年男性でキャップ姿の人を見ると断定してしまうからだ。
 妻に「あいつ、ハゲてんだろ」と哀れみとも嘲りともつかぬ物言いで同意を求めるからだ。
 すると妻は、「やたらハゲに過敏だよね。やっぱ心配なのか?」と痛いところをついてくる。
 そう言われると、私はこう応えざるを得ない。「ばかやろう。たかが髪の毛がなんだっていうんだ」
 妻はさも可笑しそうに、「だから、そうやって過敏になってること自体が執着してる証拠」などとのたまう。
「うるせえ。ハゲのどこが悪い! ハゲは決して恥ずべきことではないのだ!」
「なに必死にハゲかばってんの? 実はヅラか(笑)」

 ひどい女だ。ハゲを嘲笑うものはいずれハゲの報復を被ることであろう……あっ! ということは私もいずれ……。
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ゆれる/西川 美和

2009-11-14 | 小説
 私個人の暫定邦画ランキング№1が『ゆれる』

 その小説。ふつうだったら読まないけれど、なんせ監督・脚本の西川美和女史が自ら小説化したものだ。
 この前、『名作はいつもアイマイ』という西川美和編集の書評エッセイを読んで、ああこの人は監督だけではなく文章も巧い人なのだな、と思い、俄然読む気にさせられた。

 いやぁ、それにしても凄い。てっきり映画のストーリーをなぞってる感じの小説かと思いきや、映画とは違って色々な人物の視点から描かれていて映画とはまた別の感嘆を覚えた。一人一人の感情の「揺れ」を物の見事に描ききっている。まあ、自分で脚本書いて自分で撮った映画なんだから、全てを把握しているのも当然といえば当然なんだろうけれども、これだけ色んな人物の想いを描写できる筆力に、なんという多彩か、と、ただただ感嘆させられる。

 映画を観たあとなので、やっぱり読んでるとどうしても登場人物はそれぞれの役者さんが頭の中に浮かんでくるけれど、それでもいい。それでいい。
 
 昨今は、やたら流行っている漫画だとか売れている小説などを原作に映画化されているけれど、やっぱり監督自ら原作・脚本を手がけたものがとても好い。それがいちばんしっくりくる。
 だからこそだろう、映画でもラストシーンは涙が溢れ、小説でも同じシーンで涙ぐんだ。

 これからも、原作・脚本・監督を貫き通して欲しい。
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後悔と真実の色/貫井 徳郎

2009-11-14 | 小説
 貫井徳郎、久しぶりの警察小説。著者曰く「ここのところ難しい社会問題をテーマにした作品がたまたま続いてしまいましたが、今回は久しぶりに難しいこと抜きのエンターテインメント性重視の作品です。」とのこと。
 しかし、ネット上での書き込みやそれらに付随する近年の犯罪化などを問題にしている記述などを読むと、やっぱり「社会派貫井」だな、と思う。
 ストーリー的には、「指蒐集家」なる連続殺人魔を追いかけるという、まさに王道っぽいものだけれど、そこはやはり「驚愕の貫井」。今回も読者を欺く仕掛けが丁寧に施してある。素直に読んでいけばわりと早い時期から犯人の目星はついてくるんだけど、そこには大きな疑問があって、それが明言されたときのカタルシスといったら、もう言うことなしの驚愕。

 警察小説といえば、雫井脩介を思い出してしまうのだが、雫井の後半やっつけ仕事的な作品とは違い、後半に全力を注いで読者を驚かせよう、楽しませようとしてくれる貫井徳郎は、やはり最高のエンターテイメント作家なのだろう。

 前作『乱反射』は直木賞候補になったが惜しくも逃した。個人的には今作より『乱反射』のほうが好みなのだが、今度こそ直木賞を獲ってもらいたい。
 絶対に、もっと評価されるべき作家なのだ、貫井徳郎は。
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だからぁ、ネタがないんだってば

2009-11-12 | 雑記
 あの『ザーメン殺し』から、三年……独自のオナニーの呼称を考え続けてきたワタクシが、満を持して発表する新たな呼称。

 この三年余り、来る日も来る日もオナニーに明け暮れたのは、ひとえに、この名を手に入れるためであった。
 ああでもない、こうでもない、ああっ、もうちょっと我慢して…… む? こうしたほうがより快感を得られるぞ、と、寝る間も惜しんで、ひたすらコキ続け、頭を捻らせ、チンコも捻らせ、それはそれは過酷な歳月であった。

 そしてその、過酷で手コキな日々が、私に教えてくれたのは、

「オナニーは闘いだ!」
 と言うことだ。

 オナニーは慰めなんかじゃねぇ、闘いだよ、自分との闘いなんだよ、おっつあん……。

 そこから導き出された新名称が、コレだ!




「自闘」 (じとう)


 す、素晴らしい……これぞ、熱き男勃ちの日々を如実に表す言葉ではなかろうかっ! なにより、音の響きがイイっ! なんか「ジト~~~」って感じで、男勃ちの陰鬱さを物語っているようではないか。

 さらに、この呼称の利点として、頭に「自問」をつけることによって女性の前でも平然と言い放つことができるのだ。

「オレさぁ、昨夜、自問自闘し過ぎちゃって寝不足気味なんだ」

 などとアンニュイに言い募ってみよう、女性はきっと「ああ、この人は悩みに暮れる理知的な人なんだわ、素敵」と、あわよくば恋心までをも誘発してしまうであろう。

 そんな素敵な言葉、「自闘」


 さあみなさん、ご一緒に、「自闘」


「自闘」 「自闘」を、よろしくお願いいたします。


 これからは「オナニー」なんて日和った言い方すんじゃねーぞ。男なら、いやさなら、闘え! 必死コイて、闘えよ!

「自闘」しろよ! わかったなっ!







 でもちょっとは自重しろよ。 
 
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蜘蛛の糸・杜子春/芥川 龍之介

2009-11-07 | 小説
 さて今回は、少年文学を集めたものということで、いってみよー! 
 ひとりよがりの感想文。


【蜘蛛の糸】
 やっぱコレだよな。芥川といえば。で、子供の頃コレを読んだ私は「そうか、クモさえ殺さなきゃ、極楽に行けるんだー」と鼻水垂らしてバカ全開、芥川も呆れ果てたことであろう。
 現在、なんとなく世の理が解かってきた、と思われる私は、ようやく芥川の伝えたかったことが解かりかけてきた、と思われる。
 たぶん、自分のことしか考えてないような性根の腐っている野郎は、いくらチャンスをやっても地獄に堕ちるんだよ、というようなことでしょう。要するに「他人を思いやれ」と。そういうことなんだと思います。
 っていうか、きっと授業ではそう教えているんでしょうが、如何せんマトモに教師の話なんぞ聞いてやしなかったもので、バカな解釈のまま大人になってしまったんだな。


【犬と笛】
 ファンタジー色溢れる作品。それにしても犬の名前が「嗅げ」「飛べ」「噛め」って……。そのまま命令だし。まあ童話だからな。


【蜜柑】
 こーれは好きだなぁ。完璧、大人向けのエッセイだ。なんでこの本に収録されてんだ? 解説を読んだら作者の実体験とあった。やっぱり、自分はつくづく私小説が好きなようだ。


【魔術】
 魔術師のミスラ君。きっと君は魔術を教える気など毛頭なかったんだろ? と穿った見方をしてしまう私は、けっきょく子供の頃から進歩していないただのバカなんだと思う。でもこのお話の顛末は好きだな。


【杜子春】
 オチ的には前の【魔術】と同じだが、そこに表された寓意は異なっている。端的に言えば「最後に愛は勝つ」と言ったところだろうか。
 それにしても、ここで描かれた地獄の責め苦は、何気に書かれているがかなりおぞましい描写。子供の頃に読んだなら、きっとトラウマになったであろう。
 ラストは爽やかで好いのだが……。


【アグニの神】
 これも広義においてミステリに属する類いだと思われる。そういう仕上げにしたのか? それとも、文学とはミステリアスなものなのか? ともあれ大正の時代、すでに文芸ミステリといったものが確立されていた証拠である。


【トロッコ】
 これも最早、年少者向けというより、むしろ大人のためのお話だと思う。この恐ろしさ、悲しさは、誰もが少なからず経験していると思う。大人にとっては大したことではないことでも子供にとっては押し潰されるような不安と恐怖を感じる。しかし、悪いのは結局オマエだろ。とかも思ってしまう自分はやっぱりただのわからず屋さんなんだろう。


【仙人】
 正直、呆気にとられる話ではあるが、なんだか好き。きっと最後に報われたところにホッとしたのだろう。私もまだまだ甘ちゃんだ。


【猿蟹合戦】
 みなさんご存知、と思われるあの復讐劇『猿蟹合戦』のその後を描いた、なんとも生々しく世知辛い作品。
 最後の「君たちも大抵蟹なんですよ」という訓辞が身に沁みる。


【白】
 「白」というのは犬の名前なのだが、そしてまた、ここでは犬が人語を理解しているという設定なのだが、その「白」の言い回しが、なんとも好い。 
「お嬢さん! あなたは犬殺しを御存知ですか? それは恐ろしいやつですよ。坊ちゃん! わたしは助かりましたが、お隣の黒君は掴まりましたぜ」
 なんか、愛嬌がある。
 ストーリー的には感動の結末なのだが、最後の坊ちゃんの、「へっ、姉さんだって泣いている癖に!」というセリフの音に、話的にはまったく関係のない感慨を受けてしまった。私はこういう、わざとらしさに溢れたセリフ回しに心底「グッ」とくる性質なのだ。



 以上、かなりおざなりな感想文で申し訳ないが、たぶんまだ続くと思うので、なにとぞ勘弁して欲しい。オナニーみたいなもんだから、見て見ないフリしておくれ。

 
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地獄変・偸盗/芥川 龍之介

2009-11-07 | 小説
≪王朝もの≫第二集。これもまた、サラッといってみよう。手前勝手に。


【偸盗(ちゅうとう)】
 この作品、芥川自身が自分の一番の悪作だと評しているようだ。「安い絵双紙」のようなもので、「いろんなトンマな嘘がある」し「性格なんぞ支離滅裂だ」とかなりの自嘲を吐いている。それにしてもこの一々のセリフがなんともグッとくるではないか。こういう作品外のところでの言い様も天才的作家ならではだと思える。
 自分としてはこの作品、かなり好きなんだけどな。兄弟愛が窺える秀作。


【地獄変】
 これも芥川文学の主軸を成す代表作ではなかろうか? 絵師「良秀」の芸術的狂気は真に空恐ろしさを感ぜざるを得ない。
 ちなみに伊坂幸太郎著『重力ピエロ』にて、この地獄変の良秀についての言葉がある。
≪実際に見ないと描けない画家なんて、想像力が足りないだけだろ≫
 と。
 たしかにな……。


【竜】
 これの面白いところは、ラストに自身を文壇に押し上げた作品【鼻】に続いてゆくところだろう。もちろん、この【竜】自体も寓話的で実に面白い。


【往生絵巻】
 戯曲的で短い作品。仏神とは縁遠い自分には少し理解しがたかった。


【藪の中】
 当時にしては意欲的な作品ではなかろうか? ある意味、現在でも充分通用するミステリだと思う。殺人事件、犯人の自白、被害者の告白、とミステリの要素たっぷりだ。しかしそこはやはり、文学作品。すべての真実は藪の中なのである。


【六の宮の姫君】
 かなり悲劇的な物語。これはほぼ原作通りに書かれたらしく芥川の手はあまり加えられていないようだ。しかし、ラストのオチは秀逸だなと思っていたら、やっぱりそこは芥川の創作だった。流石だ。


 以上、前巻よりも慣れてきたみたいで、この本はスラスラと読めた。まあ、わりと解かり易い話ばかりだったからだろうが、「芥川ファンタジー」とでもいった要素に取り込まれてきたのも事実であろう。
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羅生門・鼻/芥川 龍之介

2009-11-07 | 小説
 この本では八つの物語が収められている。それでは、なるべくサラッと各話の感想などを……。

【羅生門】
 タイトル作。やはり芥川といえばコレが有名なのだろう、たしか映画もあったよな? 黒澤明監督で。
 人間、切羽詰まったからといって己の理だけで生きていくとこういう破目に陥るぞ、といったところか? 老婆の理屈によって下人の心持ちが変容する様が見事。


【鼻】
 サブタイトル作。どうやらこの作品によって芥川は文壇にその輝かしい第一歩を印すことになったらしい。かの、夏目漱石からの絶賛を受けて。
 この話を読んでいると、なにかと手塚治虫先生の『火の鳥』の主要人物「猿田博士」を連想させられた。たぶん関係あるんだと思う。


【芋粥】
 人間の欲望や理想は、果たして真に叶うことがあるのだろうか? 実際、なにかを達成したあとには虚しさが押し寄せてくるものである。そう、一発抜いたあとの空虚さが、まさにソレだ。


【運】
 これは『芋粥』に近いテーマだと思う。物質的な幸福と精神的な幸福、どちらがより善いかなどはその人次第だろうけど、やはりそこには虚しさが漂っている。とりあえず「出せればいい」という考えに待ったをかける。しかし、とりあえず手っ取り早く自慰に走ってしまう。


【袈裟と盛遠】
 これは斬新な、というか、広い意味でのミステリという感じであった。古典をこんな具合に変換させられる芥川の才能が遺憾なく発揮されている一作。


【邪宗門】
 これは……新聞小説だったらしくかなりの長編で、それでも頑張って読んでいたらいきなり(未完)でぶち切られた。
「おい! そりゃねーだろ、こんだけ読ませて」と、思ったし、また「まあいいか。これ以上この話を読むのはキツイ」とも、思った。


【好色】
 あわやスカトロ小説になりそうなところをグッと堪えた感じの一作。


【俊寛】
 これがちょっと、イマイチよく読み取れなかった作品。なんせ半分寝ながら読んでたから。あしからず。


 以上である。

 やはり古典からということもあり、意味不明な点や小難しい言い回しなども多々見受けられるが、芥川のリズミカルな筆致によりそれらの苦がかなり和らげられている。尚且つ斬新な手法を持ち入り読者を飽きさせない、という点は非常に勉強になった。もちろん、その作品の寓意を読み取り人間としての本質を磨き上げることにも余念はない。
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ビデオデッキ

2009-11-06 | 友人
 数年前からビデオデッキが壊れちゃってて、どうしても見たいビデオが見れないんだ……と、いうようなことを先日みんなとの呑み会で漏らしたところ、
「それなら自分のビデオデッキをあげよう」
 と、なんとも気前のよいことをノロモンが申し出てくれた。
 なんでもこのビデオデッキは半年ほど前に飲み屋のオネェチャンにあげる約束をしたのだが、それ以降、音沙汰なしという、いわく付きの代物だそうだが、そんなことはかまわない。
 それで早速、今日仕事の帰りに貰い受けてきた。
 
 ビデオデッキが入った箱を渡された瞬間「けっこう大きいな」と思ったことをつい口に出したら、
「お薦めのビデオも何本か入れておいたから」
 と、ノロモン。

 一瞬、ピンクなビデオを期待したのだが箱の中身は全部、昔の洋画であった。

 そのラインナップ ↓


 
 

 どうやらこれらを消化しなければいけないようだ……。

 半分以上は観たことのある映画だが、それもかなり昔のこと、久しぶりに観るとまた違った感じ方をするんだろうな、と思えば、まあ、楽しみでもある。

 しかし今宵はとりあえず、ずっと観たくて観られなかった

『JOHN LENNON LIVE in N.Y CITY』

 を観ときました。

 久しぶりに観ると、やっぱ凄かった、オノ・ヨーコ……じゃなくて、ジョン・レノン。いや、やっぱヨーコも凄まじい(笑

 ともあれ、ノロモンのおかげでずっとお蔵入りしていたビデオ諸々が観られるようになりました、顔射! あ、感謝。

 さて、じゃあ夜も更けてきたことだし、『葉山レイコ 処女宮≪うぶ毛のヴィーナス≫』でも……(こっちが本命)
 
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芥川龍之介

2009-11-05 | 小説
 
 近頃、このお方にハマっている。

「芥川龍之介」
 
 たぶん、日本でまともな教育を受けている人ならその名前を知らないものはいないだろう。確か小学校の国語の教科書に載ってたよな『蜘蛛の糸』。そしてこのニヒルな近影。

 自分も最初に接した作品は『蜘蛛の糸』だと思う。その内容の衝撃は、子供ながらも心に深く突き刺さり、以来、現在に至るまで蜘蛛を殺したことはない。しかしながら、今こうして大人となって再読してみると、どうやら子供の自分は芥川が伝えたかったことをまったく解かっていなかったことに気付く。その勘違いはおいおい説明しようとおもうので、ここでは言及しない。

 さて、それからの私が今日に至るまでどれだけ芥川の小説に接してきたかといえば、ほとんど、無い。せいぜいで『羅生門』くらいだ。ようするにほとんど読んでいなかったのだ。
 それがこの前、ある縁で『トロッコ』という作品を読んだ。これがなんとも、好かった。

「これはどうも、大変な作家を読み逃しているぞ」と、いてもたってもいられなくなり、精読するようになった。
 してみると、これが実に面白い。正直、芥川龍之介といえばその名を冠した文学賞があるくらいなのだから、さぞかし厳かで気取った意味不明な純文学なのだろうと独り合点していたので、その面白さは意外であった。

 ともかく最初から読んでいこうと、まずは新潮文庫の『羅生門・鼻』を手に取った。どうやらこの『羅生門・鼻』と次巻の『地獄変・偸盗』の二冊は所謂≪王朝もの≫と呼ばれる【今昔物語】を下地に置いた作品を集めたもので、最初はその文体にかなり手こずった。が、物語の馴染みやすさ、また芥川の確かな文章力によって、次第にハマっていくことができた。
 これらは【今昔物語】(またはその他の古典文学)からの出典なので、芥川自身の創作とは言えないが、色々な古典から様々な挿話を抜き出し、ときにそれらを繋ぎ合わせたり、また現代風なモチーフと照らし合わせたり、と、非常に画期的で読み易く、また面白おかしく仕上げてしまう、そのストーリーテラーっぷりはまさに敬服の感を抱くとともに、とても勉強になる。

 さて、そういうことで、このところ芥川龍之介ばかりを読んでいるので、これから彼の小説の感想でも書き綴っていこうと思う。
 まぁ、大したことを書くわけでもないし、また書けないし、興味のない方はスッ飛ばしておくれ。
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